近衛「陛下、もはや日本の勝利は不可能です」 昭和天皇「米軍をイッパツ叩いてから講和やw」→原爆投下へ
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より具体的に昭和天皇の具体的な意識と判断を含めて責任を追及する声もある。
昭和20年(1945年)2月14日に近衛文麿元首相(終戦後、戦犯指名により自殺)は敗戦を確信して天皇に上奏文を出し、
敗北による早期終結を決断するように求めたが[13]、天皇は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作ってから」の方がよいと判断、これを拒否したという。
このことは、少なくともある局面では天皇が能動的判断で戦争の継続を選択していることを意味するとも取れ、またこのときの判断次第ではそれ以降の敵味方の損害はなかった可能性をも示す。
つまり、このときに天皇がこれを受け入れていれば少なくとも沖縄戦や広島・長崎の被爆はなかったはず、というものである[14]。
外交評論家の加瀬英明も終戦時の昭和天皇の態度について「要は天皇以下、当時の指導者たちには、国民に対する責任感が全くなかった。
この無責任な人間としての心を失った姿が、戦後日本の狂いの初めであると思う。苦境に際して、己の責任を回避して、他に責任を転嫁、己の生き残りを優先する。
迷惑をかけた人々に対し、何らの責任を取ろうとしない。この無責任体制が、今日の日本をもたらしたと言えないか」と述べている。 当時はすでに軍部の傀儡・独裁政権が出来ていたと思われるからな
天皇個人の考えで軍の方針に逆らうような自由はもう無かったと思われるな 曲がりなりにも立憲君主制の当時の大日本帝国にそんな独裁者は存在できん。
天皇にも政府にも責任はあるのさ。 >>7
いや勝つ気満々で始めたと思うよ
日本は勝てないはずの日露戦争で勝ったからね >>7
国力を見ればそれは明らかだっただろうな。だからこそ手を振り上げた以上は
如何に有利な条件で講和を成立させるかってのが鍵だったはず
でも初期に日本軍は奇襲的な感じで優位に戦いを進めちゃったから勘違いしちゃったんだろうね
「あれ?これひょっとしてアメリカ倒せるんちゃう?」って。でも結局ミッドウェイで敗北した事を皮切りに
形勢が逆転し、もはや有利な条件での講和は不可能になりズルズル行ってしまったのはご存じの通り
ある意味チキンレースみたいなもんで、調子に乗ってブレーキかけるタイミングを間違ったアホなのが当時の軍部 コロナやべえよ!→オリンピックやってからなw→感染爆発
歴史は繰り替えす的な? >>4
天皇の意思決定機関は内閣や国会やらなのでもともとそうだよ >>9
空気って怖いよな
だめと分かってても逆らえない
もうこの国は極限まで痛い目を見なければ変わらんと思っていた奴がきっとたくさんいたはず
なんか今とたいして変わらんな笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています