Z自体は自己の存続に執着した存在そのものでしょ、”消えたくない”んだから
集合体という違いはあれど、個であったザンザの自己の消滅からの逃避と基本は同じ
ただそれを成す上で、どうせなら見世物、活劇のように面白く
”永遠(実際は超遅行世界)”を過ごせればそれでよいが根底だよ
Zにおいて生命体(人)がどのように生きていくか、なんてものはどうでもいい
結果的に消えなければ、過程などどうあってもいい、ならば”見てて楽しいほうがいいだろ?”ってことよ
だからこそ”我の理の中に収まっているのであれば寛容であれ”って言ってんだから
>>285は根本的にZの思考回路を理解してないだけ、システム的にそのほうが良い悪いなんて
観客であるメビウスは求めちゃいないんだよ