YHWH☆十字架☆ヤハウェ☆イエス・キリスト復活 [無断転載禁止]©2ch.net
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「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、
わたしたちもキリスト・イエスを信じたのです。それは、律法の行いによるのではなく、
キリストを信じる信仰によって義とされるためです。
なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからです。」 新約聖書より ハレルヤ イエス・キリストの啓示、パウロによるコリントの聖徒への手紙より
「わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、
そして葬られたこと、 聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえられたこと、ケパに現れ、次に、
十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、
未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、
使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みは
むだにならず、 むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。 しかしそれは、わたし自身ではなく、
わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、 あなたがたは信じたのです」 さて、キリストは死人の中からよみがえられたのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことですか。 もし死人の復活がないならば、
キリストもよみがえらなかったでしょう。
もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは
神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、
あなたがたは、いまなお罪の中にいることになるでしょう。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
もしわたしたちが、 この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえられたのです。
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならないのです。
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。
ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばなりません。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
国を父なる神に渡されます。
なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからです。 最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 『神は万物を彼の足もとに従わせた』からです。
ですが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかです。
そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われるでしょう。
それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためです。
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのでしょうか。
もし死者が全くよみがえらないとすれば、 なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのですか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのですか。
兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々死に直面しています。 もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、
それはなんの役に立つのですか。
もし死人がよみがえらないのなら、『わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ』。
まちがってはいけない。 悪い交わりは、良いならわしをそこないます」。
目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいます。
あなたがたをはずかしめるために、 わたしはこう言うのです」。 「しかし、ある人は言うでしょう。『どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか』。
おろかな人だ。
あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないですか。
また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではありません。
麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎないのです。
ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種に それぞれのからだをお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。
天に属するからだもあれば、地に属するからだもあります。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っています。
日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光があります。また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。
死人の復活も、また同様です。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、
弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのです。
肉のからだがあるのだから、霊のからだもあります。」
聖書に『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりです。
しかし最後のアダムは命を与える霊となりました。
最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来ます。
この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのです。
すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるでしょう。 スレ存続には20レスまでの保守と1日1レスが必要みたいですよ 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておきます。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、
朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがありません。
ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではありません。
終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられます。
というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのです。
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、 この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからです。
この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、
聖書に書いてある言葉が成就するのです。
『死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし感謝しよう。神はわたしたちのアドニー(主)であるイエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を賜わってくださったからです。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いでヤハウェのわざに励みなさい。
ヤハウェにあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです 」。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています