生きる意味を探すスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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今、最高に幸せなんだよ
だから、今の幸せなうちに死にたい
別に、この先不幸に向き合ってまで、幸せを待つ意味がわからない たぶん利益を求めず動くことだ
それが愛(´д`|||) そもそも、人間って幸せを求めて生きてたんじゃないの? 誰もいないみたいだから、持論でも展開するわ
人生に意味は無い
仮にあったとして、我々人間は、神(?)かなんかに勝手に決められた意味を、ロボットみたいに全うするんか?ちゃうやろ?
じゃあ何故生きるのか?
それは、幸せになるためだ。
幸せな人生を送るためだ
そのためにみな、苦しい今に耐えて、将来の幸せを希望に、生きている。
私は今幸せだ。
しかし、この幸せはいつか終わる
終わったら、また不幸になって、また希望を抱いて、生きて…
そんなこと、もうするだけの元気がありません
だから、
幸せな今、幸せなまま死にたい。 フロイトの説をでたらめレベルのように言う人も多いけど、結構納得しちゃう事も多い。
少なくとも彼が関わった人達と私がタイプ的には似てる所があるんだと思う。
その一つが快楽原則の彼方と言っていたもの。
お金がない時は貯める事なんて考えもしなくて入った分使ってた感じだけど、貯まり出してからはもう守銭奴です。なにかに使う為に節約するとかじゃなくて、消費を極力しない事を欲求するただのケチタイプです。いくら貯めてもきっと足りません。 >>10
よく聞く話だよね、
節約と貯金が、
目的と手段が入れ替わってること (問) ということは、再生は強制的だということですね。
(答) 強制的という言葉の意味が問題です。誰かから「再生しろ」と命令されるわけではありません。
地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき前世の過ち、施すべきでありながら施さなかった親切‥‥などを明確に意識するようになり、
今こそそれを実行するのが自分にとって最良の道だと自覚するようになるのです。
(問) これまで何回も地上生活を体験していることが事実だとすると、もう少しはましな人間になってもいいと思うのですが‥‥。
(答)物質界にあっても聖人は聖人ですし、最下等の人間はいつまでも最下等のままです。
体験を積めばすぐに成長するというわけにはまいりません。要は悟りの問題です。 (問) 死後、霊界に行ってから地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してからまた同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。
神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのですか。
(答)償うとか罰するとかの問題ではなくて、要は進化の問題です。
つまり、学ぶべき教訓が残されているということであり、「魂の教育と向上」という一連の鎖の欠けている部分を補うことなのです。
生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。
欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん、償いをする場合もあります。
前世で学ぶべきでありながらできなかったことを、もう一度学びに行くという場合もあります。 地上の人生は一つの長い闘いであり試練なのです。
魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもいいでしょう。
魂にはありとあらゆる種類の長所と弱点が秘められております。
即ち動物的進化の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなたの個的存在の源である神的属性も秘められているのです。
そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。 ――神はなぜ、ある者には富と力を、ある者には貧困を与えられましたか。
それぞれの道で試練を受けるためです。しかも、その試練を選んだのは霊自身です。
――2つの試練のうち、恐ろしいのはどちらですか。
どちらも同じように危険なものです。貧困は神の摂理を恨み、金持ちは万事に分を超えてしまいます。
――金持ちには悪への試練がたっぷりあるかもしれませんが、同時に善をなす手段もいっぱいあるのではないですか。
それこそ、金持ちがやらないことです。金持ちは利己的で、高慢で、貪欲になりがちです。財が多ければ、その欲望もそれにつれて多くなります。彼らは満足することを知らないからです。
――神はなぜ、それほど価値があるとも見えない人たちに富を与えたりなさるのですか。
現在のことしか目が向かない人にとっては、富は恵みのように思えるでしょう。しかし、富は貧困よりももっと危険な試練であることが多いのです。
地上の不幸は、みなさんが自らの手で創り出した人為的な欠乏によるものです。自らの欲望を抑制し、自分より富む人を羨望の目を持たずに見ることのできる人は、地上において失望を味わうことはありません。最大の富者とは「最も欲しがらない者」です。
みなさんは、恵まれた富者たちを見てそれを羨ましく思います。しかし、富者の多くを待ち受けているものが何かをみなさんは知っていますか。
もし彼らが利己的で、その富を自分のためだけに使うなら、彼らの前途には恐るべき逆転が待ち受けています。彼らはむしろ哀れむべき人なのです。 君子のふみ行うべき道は、たとえば遠方の土地に行くのも必ず近くから始めるようなものであり、
高い所へ登るのも必ず低い所から始めるようなものである。
まず身近なところから始まるのだ。
詩経には「妻や子たちの温かい和やかさ、まるで琴と大琴の合奏。兄弟もすっかりむつみあい、
やわらぎの中で楽しんでいる。なんじの家庭をうまくととのえ、なんじの妻子を楽しませている」
とうたわれている。
先生は言われた、
「父も母も満足しておられるだろうね」と。
(中庸) すべての認識現象は、たとえそれが真実の相であろうと、虚妄いつわりの相であろうと、
皆そのまま寂静の相であり、なんらそれ自体において、自我、自性なるものの存在を認め得ぬことである。
つまり一切の現象に差別ありと見るのが誤りの因をなすのである。真如も差別の現象も、
ひっきょうは湛然として常住する同一の真如の相に過ぎない。清浄なものが穢れたのでもなく、
穢れたものが清浄になったわけでもない。
ただ人は、理智や感情の上に迷いを起して、現象を認識し、自我の念を起し、差別に執着し、
その迷いの習性によって、あらゆる迷妄の見解を懐いてゆく。
この妄見が、己れを計らってゆくところに、
我見、我聞、我嗅、我舐、我触、我知、我食、我作、我染、我浄の、自我妄執の境界に随って行くのである。
もしこの無生、無我の真理を知って、すべての迷いを断ち、戯論を離れたならば、己れそのまま、
絶対普遍の真如なることを体得するのであろう。
他に対する予が教えの特質は、要するにただこれのみである 『三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみは免るべし』
(身と口と心に悪いことをせず、生き物を害せず、正しい心がけに徹すれば無用な苦しみはなくなる) 成功や幸福はいかなる人にも平等に与えられた、この24時間にどれだけ努力するかにかかっている。
人生に満塁ホームランはない。ゴロやバントを狙え。
人間の頭の中身など、もともと大差などない。最後はいつも本人の「努力×時間」。
(藤田田) >>19-20
彼らは自分のことしか考えていないからです。
他人の幸せのこと、周りのためになること、或いは広い世界のことを考えるということが、彼らの救いに繋がっていくのですが、彼らはそれに気がつかないで、自分自身の悩みや、苦しみにしか眼がいかないからです。
分かりますか。ある人はすぐに分かりますが、しかし私が今言っていることを一生かかっても分からない人もいるのです。 今、苦しんでいる人たちに対して、なぜ私の言葉が説得力がないのかとおっしゃいましたが、
それは、それぞれの人によって進度が違うからです。進度といいますか、学習度、習熟度とでも申しましょうか、違うんです。
落ちる人に難しいことを言っても分からないのです。それはそれなりの配慮というか、ある程度の時間がかかるのです。一挙に私たちが言っていることを言ったところで分からないのです。
普通の人たちも分からない、まして、苦しんで、悔やみ苦しんでいる地獄の人たちには、分からないのです。彼らは自分のことしか考えていないからです。 私が言っていることが理解できるのは、これは恵まれた人なのです。
分からない人もいるのですから、しかしそういう人があっても、生かしていこうじゃありませんか。彼らだってやがて気付いていくのですから。ゆっくりと教えていこうではないですか。
これが補習というものじゃないのですか。正規の授業についていけない人もいるのじゃないですか。ゆっくりと永い眼で彼らを見ていこうじゃありませんか。何度も何度も繰り返して教えていこうではありませんか。 キリスト教的な自己犠牲な生き方が最上の幸福とは思えんな 人生において、しばしば人は、己だけが不幸だと思うことがありますが、それは愚痴というものです。
現在ある境遇は、すべて自分の選択の結果です。今まであなたは、そのたび、そのたびの選択をしてきたので、それで今のあなたがあるのです。
誰のせいでもないのです。すべて自分自身が選んで、自分自身が現在の境遇を作っているのです。 幾つも、幾つもの選択が積み重なって、現在のあなた自身があるのですよ。
いいですか、余儀なくされたんじゃないんですよ、自分の責任なんですよ。自分が選びとった責任なんですよ。すべてそうです。
その時々の自分の判断によって、あなたは人生の道を選びとってきたのです。そうです。一つひとつの判断が積み重なってここにきているのです。 不本意にも現在の自分があると考えては大間違いで、自分が思ったとおりの自分が現在あるんです。
そうでなかったらこの現在もあり得ないのです。あなた自身の判断の積み重ねだということ、これはすべて自分に責任があるんだということ、一躍して、一転して新たな理想郷が開かれるという、そんなことはあり得ないんです。
過去十数年の積み重ね、一つひとつの選択の積み重ねが現在として現われてきているのです。 もちろん後悔はあるでしょう。しかし後悔のない人生というものはないのです。誰もが後悔して還るのです。
しかし、生きているうちに後悔できるということは、まだ有難いのです。死んであの世に還ってから後悔する人がほとんどなんです。生きながらにして後悔することができる。これは一つの恵まれた環境にあるのです。
しかしながら、大部分の人間というものは、生きているときに自分が何をなさなければいけないか、ここまではなさなければいけない、ということすら分からないのです。
そういう人には後悔すら起きてこないのです。もっとひどい人になれば、死んであの世に還っても後悔すらできないのです。
何が悪いのかさえ分からないでいる人さえいるのです。
自分自身はこのような人生でよかったのかどうかということが反省できる。これは、幸福なことなんです。死んであの世に還ってからではどうにもならないんです。 自分が世界で一番不幸とか思わない
だけど、だからこそ辛い
苦しいけど
自分より苦しい人がいるって考えたら
申し訳なくて苦しさを心のうちに押し込める
そしたら余計苦しくなる
それにね
ほかの人の幸福を、とかいう
余裕なんかない 要は生きる意味は生きることにあるというトートロジー ID真っ赤にして長文の連投、しかも宗教臭かったりコピペっぽいのばかりだと
せっかくの良スレでも敬遠されるよ 幼少期に、永遠に消えることのない、出血ダメージ負わされて、
自分のことを回復してればきっと何かあると思って頑張ってきたけど、最近貰った追加ダメージが大きすぎて、致死ラインこえてもうた…
訳あって、今の派遣終わるまで、終われないけど、早よ幕引きしたい…
それまでに、大賢者みたいな人が現れて出血止めてくれたら、なんて淡い夢ぐらい見てもいいかな…
その幻想はことごとくぶち壊されてきましたが… 散々さがして見つからなかったってことなので、
スレチっぽいですね……申し訳ないです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています