死ぬのは怖いけど生きたくない
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
泣きたい時に涙出にくくて変なタイミングに泣きそうになる
鼓動がなんか不安定 でも死にたい
けど死にたいって検索すると「死ぬな」ってサイトしか出てこん
寄り添う気がない やりたいことはあるけど、もういいやとも思う
もし全財産ぶち込めば死ねるなら、そうする 友達はいる 趣味もある
でも一番懸けてたことがダメになった
生きる意味がなくなるところ
それ以外のものじゃ生きるに値しない 街に出れば幸せそうな人が多くて、不幸な人もいっぱいいても、
幸せそうな人の明るい気にやられて心が折れる
幸せじゃない人に、幸せじゃないねって声を揃えて言ってもらいたい 幸せな人の幸せアピールは、幸せな人にはきっと掛け算になって、
いいものなのかもしれない。でももうそういう眩しいのが嫌で、
外に出るのも苦痛。不幸せな人を見れば安心して、でもそれでいいのか
って自分で思う。かといって不幸な人の不幸アピは求めているわけじゃない 不幸の基準も耐性も人によって異なるだろう
でももうただわかっているのは、俺の器には多すぎる不幸なんだ
現状、死んだらこの世の死にたくて死ねてない人の誰よりも幸せになれる もうダメなんだ 心を気持ちを拒絶されたんだ
これから好転したくもないって言われて、
はっきりと苦しさを味わって、詰まりを起こした涙腺は
意味わからんタイミングで暴発しそうになって タイトルに「わかるー!」って言おうと思っていた
ともだちがいるのか
いいな… もうずっと罰を受けた気分の1週間を過ごした
でもそれがただの執行猶予だった
これからもう嫌なんだと死刑宣告されるのが今日なんだ
死んだらもっと嫌われるか、そのときは泣いてくれるか >>8
独り言みたいな感じで垂れ流しているのに
見に来てくれてありがとう
なんか、死のうと思ったことはあるけど、
そのときのような強い気持ちじゃなくて、
今は恐怖心が結構勝ってて、苦しいんだ ああダメだってなって、動悸がバグを起こして、
そのときは冷たい外の風も気にならなくて、確実に死ねそうな快速とか探してた
なんとかそのときは帰れたけど、これから死ぬんだって平然と受け入れてた
そのときのラリりようが、今はないから、怖いと思う 死ぬために狂えた方が、その後死ぬにしろ助かるにしろ心持ちが楽だ
半端に怖くて、生きるのが嫌なんて、苦痛の時間が増えるだけ
自分の本気ってその程度?って、自分にも嫌になる
死んでみろよって、足がすくんでる 何がしたいかって言われたら、死にたいのか生きたくないだけ
でも掘り下げるとそれは現状の自分の心を認めたくないってことで、
いっそ心臓だけ取り出して頭みたいに冷やせたらいいのにね 縋り付く姿は滑稽で、
なんでもすると言う人間に魅力を感じるわけがないとわかっている
でもなんでもしないのに終わるのは、きっと自分は我慢ならない
死ぬのはきっといつでもできて、今でも明日でも明後日でも、いい。
結果に向き合うのが怖いから今死んでもいいけど、頑張ってないのに
死ぬのは、生きる理由異常に死ぬ理由として妥当ではない、と思う 鬱々とした気持ちが好きで書き込んでいるわけではない
でも吐き出さないとやっていられないんだ
自分を見失っては、最後になる明日に備えられない
自分が命を捨てるに値する明日を作るために
今は落ち着くためにも、自分の心の整理のためにも >>15 >>17
ありがとう 死ぬなとか、待ってって生かそうとしてくるムーブが嫌いで。
こう言う苦しい気持ちに本気でなった人にしか、死にたい気持ちを
否定される辛さはわからないと思う。あれは存在の肯定じゃなくて、
自己満の押し付けで、こちらに対する存在の否定他ならないと、感じる 死にたいという人がいたら本能的な、
生物学的なレベルで反射的に「死ぬな」と言ってしまうのだろう
でもそれは自慰行為と一緒だ、欲を解放しているだけ
人間の言動は全て欲の結果と言われればそうだが、
「その人に寄り添う」という根幹的な欲を持ってもらえたら、
それなら俺も少しだけ救われるのかもしれない
救われなくても、心からの感謝はできるだろう 世の中には死にたがりは二分化されて、
まだ本気じゃない人々とガチ勢に分かれる。
前者は「死ぬな」に悦を感じるから、
まるで救われた気分になるのだろう
でも後者には拷問に近い感覚で、
それで救われる人がいるならいいじゃん、なんて言葉も
嫌いだ ああ、なんだろう、もうダメなんだろうな
どうやって縋るのが正解なんだろう
ちょっと、涙が出そうだ、喉渇いてるのに 一丁前にお腹は空いてきた
案外生きたいのか、明日にはまた考えが変わるんだろうな
自分をマイナス方面に愛し抜いているからこそのことだろう
前向きに自分を愛している人が、ほんの少し羨ましくて、
やっぱその人が大好きだ 俺は自分が大好きだ
でもそれは死にたい自分に寄り添える人が自分以外いなくて
努力してる自分や輝く自分を肯定して好きとは、言えない
だから、こんな後ろ向きな自己愛に埋もれた自分と対極の
自信と芯のある好きな人に恋をして、その人の唯一として生きたかった その人は自分をちゃんと愛してるから、
俺がいなくても幸せになれる
俺はその人と真逆だから、
その人の唯一として死にたかった
石ころと同じ、もしくはそれ以下の存在になって
終わるのは、寂しいなとそれは率直に思う 死ぬのマジで怖いよ。
怖くなければ死んでしまってるような人生だから
神様とか自然界の優しさで、死ぬのは怖いってなってるのかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています