>>425 元々ソ連のドクトリンは

・本土東側のド田舎地帯は広さを生かした重深防御
・本戦場は本土の西側

なんだよ
で、ソ連から見た西側ってはほぼ真っ平らだから戦車に俯角が要件として上がらなかった
当時のソ連の第三次世界大戦構想ではヨーロッパ大陸を制圧したら勝ち=ドイツとフランス負かしたら勝ちだった
山岳はあるが主要都市は全部平地にあるし、侵攻ルートも第二次大戦でベルリンまで行った経験、ナチスドイツのフランス戦の戦訓から導き出した要件定義がソ連戦車の形になった

日本の戦車はソ連の北海道/本土侵攻に対し遅滞防御をしながら自己の損失を最小限にする為にアンブッシュに適した運用ができるように発展していった
日本の基本戦略が米軍が到着するまでソ連側の戦略/戦術目標を達成させない遅滞行動第一から生まれた
余談だがソ連の日本侵攻はベレンコ中尉がヤラカした時に現実になる可能性があった

米国の戦車は戦後迷走した結果
ベルリンの戦勝パレードでISシリーズにビビらされ
朝鮮戦争ではT-34でコテンパにされて
相次ぐ中東戦争では対戦車ミサイルで
ベトナム戦争で戦車さいつおで
と色々なことがらある度右往左往していた
だからM-1が出てくるまで戦車二流国だった
二流国だったが基礎工業力が桁違いなので各国の戦車を研究してNo.1まで上り詰めた