【櫻坂46】原田葵応援スレ★39【あおいちゃん】
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テンプレ以上!
ライブ、卒業セレモニーというグループ活動が残っていること、ブログ、メッセの配信があることから、スレタイに「元」は付けませんでした >>10
乙!
皆思い思いに喋るだけでスレ立てとか忘れてたから助かる 10月には内定式終え正式にプレスリリースあるかな? >>1
既に櫻坂46としての活動は終了してます
元櫻坂46として立て直せ 終了してません!
葵ちゃんはまだ過去の人じゃありません!
まだ櫻坂の葵ちゃんです! >>15
これ股下10センチくらいしかスカート丈なさそう
階段とかにいたら下から100パー見えるだろ ケヤフェスでの卒業セレモニーが最後の活動だから、「元」を付けなくても良いのでは? あおたんおやすみ ♪♪約5年間毎日欠かさず続けてきたあおたんおやすみの挨拶も残り1週間になってしまった。寂しいよあおたん もし女子アナになって夜のニュース読んだら「おやすみ」を言うのは葵ちゃんの方になるぞ 葵ちゃんファンにとって、へんにんじんケーキは初期の葵ちゃん自身を象徴するパーソナルアイテムであったし、その信念と情熱を叩き付け、幾多の伝説を構築したし、へんにんじんケーキは未だに多くのファンに愛され続けてきたし、
この、へんにんじんケーキの劇的な復活を誘発させたのは、葵ちゃんのファンに対する感謝に他ならないし、葵ちゃんが運営に懇願してケーキを復活させようとした事に目頭が熱くなるし、この復活によってさらにその絆を強めたと言ってもいいし、
ファンとの絆がここまで昇華した例を僕は他に知らないし、最後の最後に美しく、そして感動的な、へんにんじんケーキの帰還に涙なくして語ることは出来ないんだ 今日は日テレの新人アナがZIPに出てたな
来年誕生日に出るかな?? なにかのミラクルが起こってSOD新入社員で出てこないかな あおたんおやすみ ♪♪あおたんを知るまでAKB商法とか知らなかったからシングルが同時に4種類出て驚いた6年前あおたんあおたん 最後くらい葵ちゃんの手をニギニギしたりさすったりして笑い合いたかった 今日レコメンで普通に櫻坂46の原田葵です!って挨拶してたな。
そんなら公式のプロフィールから下げるなよ。
まじ意味わからん。
まあ、葵アーニャが聞けたから特別に今日のところは許す。 Seed&Flowerとの契約期間が7月末まで何だろうね
メッセも7月末で終了だし メンバー各自、無理に着飾ることもせずとも、このグループの持つライフスタイルの延長線上に存在する根本的なものは、等身大で捉えたメンバー自身の、心の中の情景によって綴られて新たな表現に変わり、
その素朴な美しさが蜃気楼のごとく浮かび上がってるように僕には見えたし、それが葵ちゃんの、ひたむきな健全な姿勢、表現やパフォーマンスなんかと上手く、かみ合っていたと思うし、メンバー各自、それが積み重なって、アイドルミュージックの新たなスタンダードにつながっていったんだと思う ブラジルの人が食べるくらい甘くは無かったけど口の水分全部持ってかれるから気をつけてね
https://i.imgur.com/Jw25zC6.jpg あおたんおやすみ ♪♪あおたん欅坂の最高のライブは6年前の有明コロシアム!メンバー全員まだ仲良かった頃よね。BDなぜ出さない 世の中に対する憂う視線、ひときわ目立つポップ感覚、情感に溺れないシャープなパフォーマンス、アイドル性を備えながらも、僕たちの日常感を共感させる庶民性、
メンバーもいずれ劣らぬ個性派ぞろいで、個性がぶつかり合って派生するミスマッチの極致を行くような楽しさも、このグループを特徴づける上で申し分なかったし、
夢があって、儚さがあり、こういった諸々をアイドルの世界にいろんな可能性を投げかけてきたし、エンターテインメントに対する示唆的なグループとして強烈な印象を残したんじゃないかな あおたんおやすみ ♪♪あと4日になってしまった。あおたんあおたん♪欅から櫻になって一番の失敗はメンバー選抜にしたことだわ とどまることなく走り続けてきた櫻坂46は、さらなる強力な進化を求めてフリーウェイのレーンを追い越し車線に移し、これからも快音を残して駆け抜けていくと思うし、
アイドルとは何かという素朴な疑問に明快な答えを打ち出し、カルチャーを席巻し、曖昧になりかけているアイドルの定義を再認識させることが出来たし、
僕達は気づかなくちゃいけないと思う、このグループが単にアイドルというだけではないという事に、この混迷に、まばゆいばかりの光を突き刺す存在なんだと思う >>47
葵ちゃんが好きならさ、そんな変なレスよりも普通に葵ちゃんのどこが好き、どこが可愛いっていうレスを毎日してくれない?
君がいなくて普通のレスが続いてた>>31までの雰囲気がすごく良かったの分からない?
今の君のレスは正直言って荒らしと一緒だよ この長文の障害者の何がウザいって、ワッチョイをコロコロ変えやがるから
ワッチョイでNGしてもすぐ復活するんだよな いつからこんなに恐竜推しになったんだ。
ポーチ欲しい。 フェス中止か
これであおたんの卒コンも無し確定かな 1週間でワッチョイ変わる仕様を知らないガイジだった >>53
じゃあ、今穿いてるパンティは恐竜さんなのかもよ? こうなったら葵ちゃんの卒業ソロライブでいいのに
衣装を次々チェンジして真夏らしくビキニでのパフォーマンスも取り入れて忘れられない夏にしよう あおたんおやすみ ♪♪Huluストアから24日櫻坂ライブ中止の返金メール来た。卒業セレモニーが延期ならあおたんの卒業も延期だな あおたんおやすみ ♪♪コロナ大増加でこうなる事も予想したけど観客じゃなく櫻坂メンバーが複数感染するのは予想外だったな もう、来年のお台場合衆国でフジテレビのステージで卒業ライブやってよ! セレモニーだけでやる訳ないし、多分代替のコンサートやるんだろうな。
さすがに有観客できる会場を今から押さえるのは無理だろうから、配信専用で。 やはりグループとして、みんながハッピーな結論に達するってことが一番重要なことだと思うし、そしてそのアイデアを具体化をしていく過程が大事なんじゃないかと思うし、
葵ちゃんだけでなく、それぞれ状況はちがうとしても、そういう意味でどれだけフィードバックしているかって事は個人では測りようないと思うけど、
仕事を通して技術は向上するし、知識も増大するし、その過程に違いはあれども、その過程の結果が葵ちゃん自身の変化に大きな影響を与えたことに間違いはないんじゃないかと思う >>63
お前が毎日普通のレスをしていたら、どんだけスレが賑わっただろうな >>62
葵ちゃんと尾関推しだけならクラシックコンサートとかするような会場でも足りそうな気がする
主要3都市くらいで2000~3000席程度の会場でさ ライブ中止で卒業タイミングずれたけどメッセージの終了はこのまま今月末なのかな?
ラストメッセージは櫻坂グループの方に来るとか? 大人になって笑顔で不協和音の衣装姿 結構印象に残るなあ
歴代衣装の当時と今の対比の写真集でもご祝儀含め人気でそう あおたんおやすみ ♪♪欅時代はずみこ休業中にポジション空けてライブしてた。今回も同様にメンバー5人分空けて開催できたんじゃない 今回の延期をプラスに捉えてほしい。苦労とか忍耐とかは、現代の若者が最も嫌う感覚だと言われてるらしいし、でもアイドルに限ったことではないが一朝一夕で創造されたものに対し、真贋性を問うほどこそ無意味なものはないと思うし、
特に、アイドルカルチャーという特殊な空間においては、そこにある信念は依然として基本的理念であり続けると思うし、最も重要で自分自身が左右されるものだと思うし、
時代が変わろうとも、この古典的概念は生き続けてきたし、これからも変わる事はないんだと思うし、葵ちゃんの頑張りタイガーの頑張る精神はそこからきてるんじゃないかな >>69
6/11で活動終了してるからだろ
もうメンバーじゃねえよ
尾関は活動終了日は未定 あおたんおやすみ ♪♪日向坂も1人陽性が出たな。あおたんは時期が悪かったわ。あおたん卒業コンサートに格上げしてほしいわ 葵ちゃん、今頃次の新生活のことを考えてソワソワしてるのかなぁ
毎日ニュース読む練習してるのかな 飽和点を迎えたと語られることが多い現在のアイドルシーンに、まだ究極は存在しないという気持ちを保持する頑固なアイドルファンの声が寄せられているのも事実だと思うし、
軽薄とまでは言わないが、確かに楽で簡単な方法論を選択するグループが増えているし、緻密で斬新さを創造するためには、アイデアと工夫そして努力を積み重ねることが最も必要だと思うし、
時代の違いはあれども、今も昔も根本的な事は変わってないと思うし、そういった意味で欅坂や櫻坂が、このシーンに新たなテーマを提示したことの意味について考えてみるのも面白いのかもしれない あと、もう卒業して活動は終了してるからメッセージは来ないで。
単に閲覧とメッセージ送れる期間が7/末までというだけ。
まあでもなぜかブログは更新してるんだけどな、マジで卒業後blogを更新し続けるという葵だけの謎仕様。 >>81
水着姿の葵ちゃんとプライベートで遊びたい あおたんおやすみ ♪♪本来なら今はあおたんの卒業セレモニーを見て一晩中号泣しているはずだったのに叶わなくなって脱力感 葵ちゃんのケーキは不味そうだけど、葵ちゃんは美味しそうだよ 葵ちゃんと一緒に海行って水中痴漢法がどういうものかを体感させてあげたい アイドルがポップスという曖昧なフィールドと、どのように共存するかとのテーマに明確な答えを出しながら欅坂や櫻坂の持つ音楽性が内包するあらゆるバリエーションを、いささかの迷いもなく表現してきたし、
その一方では、コアとしてのアイドルをリアルに描き出し、最大限の表現力を用いてサウンドを具体化し形を変えてヴィジュアル化の方向に誘い込む強固な信念的な主張と、自己の情熱を感じるし、
そこには、よくありがちな自己満足の一方的な表現の押し売りみたいなものなんか存在しないように見える 葵ちゃんにおてんてんを握られる最初のオトコになりたい あおたんおやすみ ♪♪Huluストアから返金したわメール来た。んも~。あおたんおやすみの挨拶も終了だったけどまだまだ続くぞ 正直、櫻坂に改名した時に多少の不安を覚えたのも事実だけど、パフォーマンスを見てホッとしたし、安心して自分自身の身を預けられる音やパフォーマンスが、そこには少しも損なわれず凝縮されていたから、
楽な方法論を選択するのではなく、ファンが望んでいた究極のスリリングな世界観によって、すべてが貫かれていたことも上手くいった要因のひとつにあげられると思うし、もちろんメンバー自身の努力があっての事だけど、
経緯は別にしても、最終的には欅坂とは別の場所でメンバー自身の新たなる挑戦に着手したわけで、それが櫻坂が欅坂の最強の好敵手としてのもつ意味に心を動かされた気がするね 来年以降、通勤する葵ちゃんに香りがわかるくらい密着してみたい 新宿でそ似てる人見かけたけど、みんなマスクしてるし全然本物か分かんないね あおたんおやすみ ♪♪卒業セレモニーが先に延びただけで実質上は櫻坂の活動は卒業ということなのかなよく分らんわあおたん 欅坂46でのセンセーショナルなデビューから強力なインパクトを残し続け、グループが自らの手でコントロールするのも難しくなるくらいグループの存続に影響を及ぼす程の強大なパワーを得たことで、
櫻坂として、もう一度いっさいの制約や呪縛から解き放たれるべき新たなる自由なる表現者としてのアイデアをすべて具現化させ、奔放な構築を目指す必然性があったんだと思うし、
それは葵ちゃん自身の存在意識に耳を傾けるキッカケにもなったんじゃないかと思う あおたんおやすみ ♪♪うおおー!振替公演とあおたん卒業セレモニー8月20日来たな。あと3週間あおたんおやすみの挨拶が出来る あおたんおやすみ ♪♪しかしコロナ収束してるのかな3週間後だよ。あおたん卒業のために開催されるはずだ!あおたんあおたん 7/31をもって事務所との専属契約も終了だと思うけど、
また延長になりそうだなw 契約切れたら移動は基本的に公共交通機関でしかも葵ちゃん1人、心配だなぁ
俺が常に数m後ろから見守っててあげたい 欅坂や櫻坂のサウンドやパフォーマンスは、ひょっとしたら今の時代にはトレンディで時代を象徴するものに映るのかもしれないが、少なくとも各メンバー自身においては時代の落とし子でもなければ、
あくまで現時点では時代の最先端を極めたグループというわけでもないと思うし、ただ自分自身に対して正直すぎるくらい正直で真っすぐなメンバー自身が、内に秘めた表現したいことをストレートに再現したら、
それが今の時代の流れやニーズと相まって、逆に時代や世の中の方がそれを希求するようになっていったということなんじゃないかな あおたんおやすみ ♪♪櫻坂サイトにあおたんの名が♪あおたんの公式ページとブログの終了が8月31日まで伸びたんだって♪あおたん! 本気でアイドルグループとしての、ルーツを探求しようとしてるグループが浮上する半面、アイドルから派生したアイドルというべきかな、それを単なるトレンドとして捉えてしまい、ファッショナブルだからという理由だけで、
流行りのスタイルのひとつとして取り入れたようなグループが現れるようになったのも事実だと思うし、本質が明確なグループは次に何が流行るのかなど考えもしないし、多少の時代の流れを読む力は必要かもしれないけど、
このグループが持つ意味がなんなのかという思いに基づいて歴史は作られていくんだと思うし、櫻坂が今よりベーシックなアイドルグループのフォーマットに基づくグループになることを心から願いたいと切に思う あおたんおやすみ ♪♪欅曲は熟知してるが櫻坂曲は全然知らないので振替公演までに8/3のアルバム聴いて予習しておくわあおたん あおたんおやすみ ♪♪振替公演は大丈夫なのかな“新変異株「ケンタウロス」すでに国内流行か…感染力は「BA.5」の3.24倍” このグループはメンバーがそれぞれが独立して多くの表情を持ちながら、屈折することのない光のエネルギーに満ちあふれているし、そこに存在するあらゆる部分に磨き抜かれた確かな独特のセンスの冴えが映し出されているし、
時に小鳥のさえずる声が響き渡るような荘厳さ、アウトドアのフリーな気分が噴き出すような感覚、簡単に割り切れることのできないセンシティビティだったり、起承転結の流れの中に人間の鼓動のようなリアルな感情が読み取れる
これがまたメンバー自身の別の素顔としても伺えることも面白いと思うし、その背景に違う一面としてオーバーラップして見えるのがが印象的で魅力的だと思うんだ あおたんおやすみ ♪♪7/24に開催されてたら櫻坂曲を全く知らないまま見る羽目になったけど振替公演までに曲覚える時間ができて助かる 葵ちゃん、今からでもいいから写真集制作してクリスマス頃にでも発売してよ!
ミニスカサンタな葵ちゃんからのプレゼントってことでさ 櫻坂が誕生するルーツを語るうえで重要なのは、そもそもアイドルシーンが20世紀が生んだユース・カルチャーの発明の功績ともいうべきか、それがアイドルミュージックの根源の源であるとでも思うし、
今から数十年前に世の中に発せられてから、それはいつだって常に僕たちや時代と呼応し合い、無数に形を変えることでポップフィールドという中心を疾走し続けてきたと思うし、
本格的なコンセプトを成功させた構築力、恐れずに巨大な自画像をそのまま提示する大胆さや勇気、始まりがあれば終わりがある儚さも、それら同時代に生きる人やその後の世界に及ぼす影響力は計り知れないのではないだろうか あおたんおやすみ ♪♪あおたんおやすみの挨拶もついに残り3週間になってしまった。8/20に台風直撃でまた延期になったりしてw 葵ちゃんは本当なら今頃はのんびりと高校野球を観て楽しんでいたんだろうな
ライブが延期になったせいでお乳野球も観てられない アイドルカルチャーの向こう側には、いつだって無限大に広がる壮大な広野と人々を魅了する巨大な熱量があったと思うし、ロックやジャズやヒップホップやテクノ等々あらゆるジャンルを吸収し続けることで生まれる、
新しい価値観を経て確立する、その独特のスタイルは現在のポップフィールドにおけるアイドルミュージックに多大な影響を及ぼし進化し続けて櫻坂に受け継がれているんだと思うし、
それは扱われている主題の中心が想像できる以上の、異常な世界観であるということと、それがきわめて明瞭だという点においてはエンターテインメントの世界の中心における、
まともな趣味や感覚や興味などにとっては、なんとも不思議な世界でしかないのかもしれないし、そこには人々を魅了する何かがあるのかもしれない あおたんおやすみ ♪♪6日のMUSIC FAIRに誰かの代役であおたん出してよ。地上波のあおたんは櫻坂初紅白の後半で全員出た時だけかな 欅坂や櫻坂から得られる感覚も他者から得られないし、別に僕自身がこのグループを神格化しているわけではないけど、本当は誰だってそうなんだと思うし、葵ちゃんは葵ちゃんであってアイドルだとか他の何物でもない存在だと思うし
代わりのない唯一の人格を誰もが持っているんだと思うし、だけどそれをこのグループのように素直に認めたくなる相手は他に少ないし、何者にもカテゴライズされない、その立ち位置を得たのが欅坂や櫻坂の一番の偉大な点だと思うし、
サイレントマジョリティーを世に出したから偉いとかじゃなく、歌によって我々が一対一で向き合える場所へ招きよせられたんだと思うし、それに対しての評価というよりも、それに対して感謝したい気持ちの方が強いね >>128
娘さんの水着写真集をお願いします!
5年後でいいので あおたんおやすみ ♪♪今夜やってたMTVのStorytellers櫻坂LIVE見たら3曲にあおたん出てた可愛い。べりかとか出てたから再放送だな 海外の言い伝えでは、魂はラクダの速度で進むと言われているらしいし、未来と過去を見極めた今の葵ちゃんを表現するには、小走りなる形容が似合うと思うし、小走りだから向こう見ずなことはしないし、小走り故の同時代性の取り組みと解釈することもできるけど、
それもこれも葵ちゃんが周りがよく見えているが故にできる業なんだと思うし、そんな、自分をほのめかす事で生まれる本当の世界は今の葵ちゃんを見れば十分に伝わるし、ルーティン化した日常から飛翔や心に内在する心情を表現したり、様々な葵ちゃんがいるのだけど、
そこに描かれている風景が、あたかも何かを暗示しているかのように、僕にはそこから伝わる余韻があまりにも潤沢であるように思えるんだ あおたんおやすみ ♪♪さっそくアルバム聴いた。あおたんの参加はどの曲か分らんけど毎日聴いて20日までに全曲覚えるよあおたん 日々は決して、とどまることなく繰り返していく、ドラマティックな事件が起きたわけでもなくても些細でありながら確かな思いが、そうして繰り返す日々を生きているという実感として、どうしようもなく心に沁みてくるときがあるけど、
そんな当たり前なことだけに、つい見過ごしてしまいそうな感覚そのものが見え隠れしてしているような気もするし、この櫻坂46のファーストアルバムAs you know?を聞いて、その感覚が呼び覚まされた気がするし、新しい発見があるんだ、
この清々しさすら感じるアルバムには、そっとやわらかい足取りで荒地に新しい何かを踏み出したかのような、櫻坂のこれからを確かに予感させるものになったのは間違いないだろうね あおたんおやすみ ♪♪櫻坂アルバムまだ2回聴いただけだけどなかなか良い感じよね。どれも親しみやすい曲ばかりで助かるよあおたん 世間に大きな衝撃をもたらした、あの欅坂46の解体宣言から櫻坂46としての初のアルバムだというのに、この気負いのない自然体でナチュラルありながら、柔軟な潔さにはファンは思わず驚かされたんじゃないかなと思うし、もちろん僕も驚かされたし、
それはメンバー自身の歌声ひとつ見ても、ごく伸びやかで聞き手に対して声で圧倒しようというような姿勢は微塵も感じられないし、聞き手に対して寄り添う暖かさや優しさが伺えるし、それが淡々と、けれども微妙な感情を丁寧に伝えながら歌の世界観を上手く表現していると思うし、
やはりメンバー自身が、欅坂の解体宣言があってから背を向けることなく、自分自身と時代の接点を模索しながら櫻坂と共に成長して来た1つの証だと思うし、このアルバムはその過程の物語でもあるとも言えるだろうし、その声、メロディー、サウンドに全てが刻まれているんだ あおたんおやすみ ♪♪来月から櫻坂の全国アリーナツアーが始まるのな。アルバム曲覚えたから見たいけど来月はあおたんがいない アルバムを聞き終えた瞬間、何かに呼び掛けられてる気がした。旅立ちを示す言葉たちが、メンバーたちの声で歌われた瞬間、単なる応援歌ではなく不安も寂しさや、そこにある全てをかみ締めて僕たちが繰り返す日々を生き続けていく実感として響いてくると思うし、
そのテイストは、これまでの欅坂の歌とは明らかに一線を画しているように受け取れるし、欅坂のこれまでの曲の中心にあるトーンとしての幾多のメッセージが含まれていたけど、そのリアリティーは多くの若者たちの共感と賞賛を呼ぶことになったと思うし、
だけど桜坂が歌う、この新しいアルバムの曲たちはどこかに必ずいる、ただひとりの自分の中の誰かに力づけられることを前提にして、自分自身を叱咤激励しようとする情熱とはすでにどこか違う地平に佇んでいるかのように僕には思えるんだ 親知らず抜いてほっぺ膨らんだ葵ちゃんかわいい~
完全にブログの空気が読めてないよ~
https://i.imgur.com/lIFEHro.jpg >>142
上から半分くらい閉まったブラインドとバルコニーの手摺りの間からの光のようなのが眼球に映ってる >>143
確認しようと思って拡大したらドアップ葵ちゃんが可愛くてキスした あおたんおやすみ ♪♪Huluストアで8/20公演ポチったよあおたん。櫻坂アルバム曲じっくり聴き込んで覚えたから準備完了だよあおたん このアルバムを聴く人それぞれの、ただひとりの「あなた自身」や僕たちを力づけ新しい世界へ導いてくれる「誰か」にひたすら憧れ続け、信じ続ける欅坂の日々は、このアルバムのリリースにおいてひとつの区切りを迎えたのだと思うし、
繰り返す日々で、自分自身を力づけるのは自分でしかないんだと。それは諦めや悲壮感とは明らかに違う、真っすぐさで、そのことを受け入れたかのようにメンバー達の歌からは鮮明に伝わってくるのが、とても新鮮で不思議な感覚を覚えたし、
このアルバムにおいて「あなた」だけではない世界へ向けられた、自分自身を信じられるような「何か」を自分たちで探すための意味、それをメンバー自身が自分に言い聞かせているようにも映るんだ >>149
ダンスしなくなるから筋肉は確実に落ちる あおたんおやすみ ♪♪Huluは7/24中止分と比べて再配信が1回増えて生と再で計3回見れてお得だわ。あおたん卒セレモニーも3回見れる そもそも、この時代に独特のセンスで趣深さがありつつ響きのある言葉をリアルに美しく、ここまで軽快なダンサブルなリズムと廉直なサウンドに乗せてパフォーマンスできるアイドルグループが他のどこにいるのか、近年のアイドルリバイバルブームとは一線を画すリアリティー、
物語性があるのにも拘わらず、それが逆にリアルに浮かび上がってくる歌詞、そのあまり余ったエネルギーとメンバー達が積んだキャリアがぶつかって、見事に鋭くフレキシビリティをもったものに昇華させることに成功していると思うし、
この「As you know?」には櫻坂の持つ夢幻的さも含めて、まさにメンバー達が歩んできた人生と、これまで積み上げてきたパフォーマンスの両方を彷彿させる気がするんだ あおたんおやすみ ♪♪MUSIC FAIRの録画見たけどあおたんいなかった残念。摩擦係数はアルバムにも入ってるけど印象が薄い曲だな この「As you know?」は聴き手に対してアイドルグループとして、どうあるべきかというよりも、櫻坂の本髄はコレなんだよと説いてるようにも思えてくるし、それこそがこのグループが今まで背負ってきた最大のテーマだったような気もするし、
例えば本質さを無視した、そういった項目に当てはまるグループが簡単にアイドルグループと称されることの多いなかで、櫻坂は昔からそんなものをとっくにクリアしていたし、普通なら畏まった作品を作り出してしまうところなのだろうけど、やはり櫻坂は違ったし、
欅坂のキャリアも含めれば、ある程度の高みには昇り詰めることが出来たし、でも櫻坂はもっと深く、そして虚像でしかない限界地点を突破する方向へと舵を切ったんではないかと思うんだ あおたんおやすみ ♪♪気が付けばあおたんおやすみの挨拶が出来るのもあと10日になってしまった。時間が過ぎるの早すぎるよあおたん メンバー自信が自らに危機感や命題を叩きつけ、あらゆる制約を無視して、さらなる新たな劇的境地へ臨もうとする姿が見受けられると思うし、そこには、このグループのポテンシャルの高さを信じ活動概念の強さに身を委ねようとする気概を感じることができると思うし、
この「As you know?」から伝わる、これまでのキャリアもっと言えば歩んできた人生だったり、生き様そのものを楽曲に投じるというスタイルを改めて提示しているような気がするし、そのアイドル然らしからぬスタイルは、このグループの特色でもあるし、少しも損なわれていないし、
そこにはファンの鼓動を直接震わせる、いつもの櫻坂の歌やサウンドがあったと思うし、より輪をかけて鮮明になった音と深く重みをもった言葉があるような気がしてならないんだ この「As you know?」は聴き手に対してアイドルグループとして、どうあるべきかというよりも、櫻坂の本髄はコレなんだよと説いてるようにも思えてくるし、それこそがこのグループが今まで背負ってきた最大のテーマだったような気もするし、
あおたんおやすみ ♪♪Huluは7/24中止分と比べて再配信が1回増えて生と再で計3回見れてお得だわ。あおたん卒セレモニーも3回見れる
例えば本質さを無視した、そういった項目に当てはまるグループが簡単にアイドルグループと称されることの多いなかで、櫻坂は昔からそんなものをとっくにクリアしていたし、普通なら畏まった作品を作り出してしまうところなのだろうけど、やはり櫻坂は違ったし、
欅坂のキャリアも含めれば、ある程度の高みには昇り詰めることが出来たし、でも櫻坂はもっと深く、そして虚像でしかない限界地点を突破する方向へと舵を切ったんではないかと思うんだ あおたんおやすみ ♪♪池で足漕ぎボートに乗ったりNHKの坂道テレビはあおたんが長時間映っていて今でも見直す永久保存版だあおたん 柔軟なメロディーに様々な日常の中に潜んでいて彩りがあって美しい歌詞、一語一語を嚙みしめるように歌うメンバー達の心がこもったヴォーカル、無数の音で構成されてるアレンジ、このグループの王道一直線ゆえに「As you know?」と名付けたのも合点がいくし、
このグループの、メンバー各々のパブリック・イメージをいかに音楽に反映させるのか、現在の日本の音楽シーンの事情を考えてみると、そこからかすめ取った小手先の技巧をいかに用いるかといった点に比重を置きがちな気もするし、
そう考えると、この「As you know?」における王道志向がいかに特異なものであるかに気づかされるし、その方向性が特異なものであることに自覚的なんだと思うし、その自覚こそが櫻坂を櫻坂として至らしめている気がするんだ あおたんおやすみ ♪♪NHKといえば昔日曜夜にBSでAKB48SHOWをやっててたまに欅坂46SHOWもあった。年明け後の放送で振付のおっさんが泣くやつ >>166
バレエやってただけあってつま先立ちに安定感あるな 時代性で語ることの出来ない音楽として欅坂から櫻坂として受け継がれ、僕たちリスナーを熱狂させてきた最強のアイドルグループに何ら変化は見受けられないし、そこから発せられるメッセージはメンバーたちの歌、パフォーマンス以外にはどこにも存在しないんだと思うし、
このアイドルグループという存在を新たに強固なものにし、常勝街道を突き進む櫻坂46の「As you know?」に対するファンの期待は毎度のことながら高かったし、その期待を超えるクオリティーでファンに応え僕自身も、作品の素晴らしさに心を弾ませてしまったし、
この「As you know?」というアルバムには櫻坂というよりもアイドルシーン全体の指針になるようなアルバムだと思うし、最新のアイドルカルチャーのインデックスのページをトップで更新した事は間違いないだろうね あおたんおやすみ ♪♪振替公演が1週間早ければ台風で中止だったよあおたん。ROCK IN JAPAN櫻坂出演が無ければ明日が振替公演だったのかも デビューから、もの凄いスピードで駆け抜けてきた櫻坂だけど、その疾走感はあまりにも比重が大きく実に様々な場面がフラッシュバックしてくるのだけど、ある種の達成感すら感じさせる今の櫻坂46はこれからどこに向かおうとしているのか、
何より気になるのは、そんな欅坂から続く充実してきた主観性の確認ともいうべき期間を経て、これからメンバー達がこのグループを通して新しい時代のアイドルカルチャーをどんな風に牽引していこうとしているのか、ということもそうだし、
そして時代は、櫻坂46をどういう風に追いかけようとしているのか、その答えを解く最初の鍵となるのが、この「As you know?」であることに疑う余地もないだろうね 世界ウルルン滞在記が復活したら、葵ちゃんちに滞在したい デビューから、もの凄いスピードで駆け抜けてきた櫻坂だけど、その疾走感はあまりにも比重が大きく実に様々な場面がフラッシュバックしてくるのだけど、ある種の達成感すら感じさせる今の櫻坂46はこれからどこに向かおうとしているのか、
何より気になるのは、そんな欅坂から続く充実してきた主観性の確認ともいうべき期間を経て、これからメンバー達がこのグループを通して新しい時代のアイドルカルチャーをどんな風に牽引していこうとしているのか、ということもそうだし、
そして時代は、櫻坂46をどういう風に追いかけようとしているのか、その答えを解く最初の鍵となるのが、この「As you know?」であることに疑う余地もないだろうね あおたんおやすみ ♪♪Wikiの櫻坂にあおたんの卒業が6月11日とあるけど8/20公演は卒業セレモニーだけの出演でLIVEにはあおたん出ないのかな 「As you know?」と銘打たれたこのアルバムに込められた櫻坂46の真意を読み解くうえで大事なのは、欅坂時代の歴史的な大傑作アルバムと今一度、向き合う必要があると思うし、これは欅坂から今この瞬間のメンバー自身とファンへの問いかけにもリンクしていて、
欅坂時代の名曲の数々を、時流を自らの手にに引き寄せながら、櫻坂としての自己のサウンド・スタイルを確立させてきたメンバー達が、今という瞬間なりのサウンド・プロダクションにより新たなテーマや意味を生み出していることには間違いないのだろうけど、
同時に、現在までの決して短くない必ずしも平坦ばかりではなかった道のりを経てきたメンバー自身にとっても現在という瞬間に再構築しておくことが、このアルバムを作るうえで必要だったんではないかな あおたんおやすみ ♪♪卒業セレモニーの日が卒業だと思ってたよあおたん。6月11日に卒業してるなら8/20の公演で歌うはずがないよな残念 葵ちゃんのお尻に挿れたいな、って思っただけでギンギンになっちゃったお
葵ちゃんに見せたいな 大傑作アルバム「As you know?」でアイドルミュージックを芸術的レベルにまで高めるまでにおいて、欅坂から続く、そのわずか数年間余りの期間に櫻坂の凄さは凝縮されていると思うし、迷った時に確かなところまで戻ろうとした原点への回帰、
そこには欅坂の音楽に対する深い愛着だったり、リスペクトだったり初期の自由さが放つ輝くばかりの若々しさだったり、既存のポップミュージックの枠組みの中でも高度な表現やパフォーマンスが出来ることを改めて示すことが、今の櫻坂の成長を物語っているようにも思えるし、
そうしたアイドルミュージックに対する実験的精神と、ポップミュージックとしての音楽を完璧にこのグループの特色として、駆使して作り上げていこうとする手腕は瞠目に値するものだと思うんだ そこさくのDead endの強風のところ、葵ちゃん巨乳だった! >>185
てか、ちゃんと読んでるやつがいたことにびっくり 大傑作アルバム「As you know?」でアイドルミュージックを芸術的レベルにまで高めるまでにおいて、欅坂から続く、そのわずか数年間余りの期間に櫻坂の凄さは凝縮されていると思うし、迷った時に確かなところまで戻ろうとした原点への回帰、
あおたんおやすみ ♪♪卒業セレモニーの日が卒業だと思ってたよあおたん。6月11日に卒業してるなら8/20の公演で歌うはずがないよな残念
そこには欅坂の音楽に対する深い愛着だったり、リスペクトだったり初期の自由さが放つ輝くばかりの若々しさだったり、既存のポップミュージックの枠組みの中でも高度な表現やパフォーマンスが出来ることを改めて示すことが、今の櫻坂の成長を物語っているようにも思えるし、
そうしたアイドルミュージックに対する実験的精神と、ポップミュージックとしての音楽を完璧にこのグループの特色として、駆使して作り上げていこうとする手腕は瞠目に値するものだと思うんだ
あおたんおやすみ ♪♪Wikiの櫻坂にあおたんの卒業が6月11日とあるけど8/20公演は卒業セレモニーだけの出演でLIVEにはあおたん出ないのかな 一日たった一レスの奴にNG躍起になるとかアホみたいだな 「As you know?」と銘打たれたこのアルバムに込められた櫻坂46の真意を読み解くうえで大事なのは、欅坂時代の歴史的な大傑作アルバムと今一度、向き合う必要があると思うし、これは欅坂から今この瞬間のメンバー自身とファンへの問いかけにもリンクしていて、
欅坂時代の名曲の数々を、時流を自らの手にに引き寄せながら、櫻坂としての自己のサウンド・スタイルを確立させてきたメンバー達が、今という瞬間なりのサウンド・プロダクションにより新たなテーマや意味を生み出していることには間違いないのだろうけど、
同時に、現在までの決して短くない必ずしも平坦ばかりではなかった道のりを経てきたメンバー自身にとっても現在という瞬間に再構築しておくことが、このアルバムを作るうえで必要だったんではないかな
あおたんおやすみ ♪♪Wikiの櫻坂にあおたんの卒業が6月11日とあるけど8/20公演は卒業セレモニーだけの出演でLIVEにはあおたん出ないのかな
デビューから、もの凄いスピードで駆け抜けてきた櫻坂だけど、その疾走感はあまりにも比重が大きく実に様々な場面がフラッシュバックしてくるのだけど、ある種の達成感すら感じさせる今の櫻坂46はこれからどこに向かおうとしているのか、
何より気になるのは、そんな欅坂から続く充実してきた主観性の確認ともいうべき期間を経て、これからメンバー達がこのグループを通して新しい時代のアイドルカルチャーをどんな風に牽引していこうとしているのか、ということもそうだし、
そして時代は、櫻坂46をどういう風に追いかけようとしているのか、その答えを解く最初の鍵となるのが、この「As you know?」であることに疑う余地もないだろうね
あおたんおやすみ ♪♪振替公演が1週間早ければ台風で中止だったよあおたん。ROCK IN JAPAN櫻坂出演が無ければ明日が振替公演だったのかも
デビューから、もの凄いスピードで駆け抜けてきた櫻坂だけど、その疾走感はあまりにも比重が大きく実に様々な場面がフラッシュバックしてくるのだけど、ある種の達成感すら感じさせる今の櫻坂46はこれからどこに向かおうとしているのか、
何より気になるのは、そんな欅坂から続く充実してきた主観性の確認ともいうべき期間を経て、これからメンバー達がこのグループを通して新しい時代のアイドルカルチャーをどんな風に牽引していこうとしているのか、ということもそうだし、
そして時代は、櫻坂46をどういう風に追いかけようとしているのか、その答えを解く最初の鍵となるのが、この「As you know?」であることに疑う余地もないだろうね コピペしか出来ないササクッテロラ君が虚カスなのわろた >>191
スレの見通しが悪くなるんよ
さかのぼってNGしまくったら、めっちゃスレ見やすくなったわ
こいつのせいで毎日レスが途切れさせられてると言っても過言じゃない
ちゃんとした「荒らし」「害悪」だわ あおたんおやすみ ♪♪まさかと思い櫻坂サイトのメンバーのページ見るとなるほどあおたんがいない。6月11日卒業は事実のようだあおたん 欅坂時代の本能の赴くままのパフォーマンスに見られる、そんなメンバー達の美意識が櫻坂としての異なる意図とぶつかり合う時に生まれる再生のエネルギー、そうした力こそ、まさしく今の櫻坂の作品の核となっていて、もちろん「As you know?」にも反映されているし、
そうした配慮の向こうから、こみ上げてくるのはこのグループに関わる全ての人に一貫して流れてるテーマ、その光景はそんなメンバーの達の強さと優しさを雄弁に物語っているし、欅坂からの美意識の相違と共振が聴く人の心を揺さぶるのではないかと思うし、
事実は、まだ誰にも分らないかもしれない、でも難しく考える必要はないと思うし、ただ確かなのは時の流れのギャップを埋め尽くして余りある究極的なデビューアルバムが完成したという圧倒的事実だけなんだ 欅坂時代の本能の赴くままのパフォーマンスに見られる、そんなメンバー達の美意識が櫻坂としての異なる意図とぶつかり合う時に生まれる再生のエネルギー、そうした力こそ、まさしく今の櫻坂の作品の核となっていて、もちろん「As you know?」にも反映されているし、
そうした配慮の向こうから、こみ上げてくるのはこのグループに関わる全ての人に一貫して流れてるテーマ、その光景はそんなメンバーの達の強さと優しさを雄弁に物語っているし、欅坂からの美意識の相違と共振が聴く人の心を揺さぶるのではないかと思うし、
事実は、まだ誰にも分らないかもしれない、でも難しく考える必要はないと思うし、ただ確かなのは時の流れのギャップを埋め尽くして余りある究極的なデビューアルバムが完成したという圧倒的事実だけなんだ あおたんおやすみ ♪♪あおたんが6月11日に櫻坂卒業したの知らずにその後2ヵ月の間毎晩あおたんおやすみの挨拶してたよ・・あおたん・・ 欅坂から続くこのグループが評価された裏には、まずアイドルカルチャーの歴史的な時系列というものを全て一旦リセットしたうえで、カルチャーそのものを新たに捉え直して再構築するという2000年以降の近代的な視点が存在し大きな影響を及ぼしているんだと思うし、
そういった、よくあるアイドルの幻想、アイドルの歌やパフォーマンス=ダサイや時代遅れといった偏見が崩された先には秋元康という才気あふれた稀代の作詞家と新進気鋭の作曲家とアイドルシーンを変えようと野望に満ちたメンバー達がいたってワケ、
独創的で斬新で見るものを飽きさせないスタイルでアイドルミュージックを音楽的にアイドルカルチャー自体をさらに高めていった、このグループの持つ意味や功績は計り知れないものがあると思うんだ あおたんおやすみ ♪♪会場販売のあおたん考案の変人人ケーキ食べたいけど振替公演は配信で見るので画像で我慢するよあおたんあおたん 欅坂から続くこのグループが評価された裏には、まずアイドルカルチャーの歴史的な時系列というものを全て一旦リセットしたうえで、カルチャーそのものを新たに捉え直して再構築するという2000年以降の近代的な視点が存在し大きな影響を及ぼしているんだと思うし、
そういった、よくあるアイドルの幻想、アイドルの歌やパフォーマンス=ダサイや時代遅れといった偏見が崩された先には秋元康という才気あふれた稀代の作詞家と新進気鋭の作曲家とアイドルシーンを変えようと野望に満ちたメンバー達がいたってワケ、
独創的で斬新で見るものを飽きさせないスタイルでアイドルミュージックを音楽的にアイドルカルチャー自体をさらに高めていった、このグループの持つ意味や功績は計り知れないものがあると思うんだ SHOWROOMで見受けられる、そこで語られている一つ一つの言葉たちからは、アイドルのよくあるお約束的なただのMCトークだけではない、ちゃんとした人間性も社会性も必ずその向こう側に背負っているという葵ちゃんならではの信念や意思を感じるし、そこにはアイドルだからという甘えはないし、
いくつになっても、その厳たる精神で番組に臨もうとする姿はまさに葵ちゃん自身をよく表していると思うし、最後のSHOWROOMでも甘えを見せない、すべてに対して誠実であろうとする姿、その「誠実であろうとする」ということが成長していくことに繋がっていくということ自らに理解し、
それは真剣に誠実と向き合い、それを乗り越えた人にしか引き寄せることは出来ない事だと思うし、そういう何気ない言葉にも葵ちゃんの人生だったり在り様がリンクしていて責任やその重みを得ることで、より葵ちゃんの言葉が多くの人たちに響くのだと思う あおたんおやすみ ♪♪あおたんおやすみもあと2日になった。今思えばLIVE本編にあおたん出ないのなら櫻坂アルバム曲覚える必要なかったな >>211
いや出るやろ!
SHOWROOM見てないんか? 訂正
櫻坂46原田葵、父親が“日向坂46ファン”だと告白 推しメンも明かす
https://mdpr.jp/news/detail/3308281 自分たちの力で有終の美を飾った決別の宣言から読み取れるのは、大人たちを感服させるほどの機知に富んだメンタリティーは受け答えひとつ見ても分かるだろうし、彼女らは互いに正直だったし、グループに対しても正直だった、だからこそ多くの人にそれが届いたんだと思うし、
葵ちゃんがそこから一歩踏み出して新しい世界を切り開こうとする積極的な姿勢から伝わるのは、そこにある元始的なスタイルを切り崩してまで、それまでとは異なる自分だけの基本概念の構築を目指していこうとする姿にファンは感銘を受けたのだと思うし、
ティーンエイジャーが大人や社会に対する思いを何かに託そうとした、それがアイドルのグループだったという事だけで、そこには旧来の道徳感にこだわる世代間の価値観の違いだったり、面倒な概念は見受けられないんだ あおたんおやすみ ♪♪ついに明日か。LIVEが2時間+あおたん卒業セレモニーが2時間という配分で期待していいのかなあおたんあおたん >>214
父親、あおたんにないものを欲しがるの図 いくつものコンサートで熱狂を誘発させてきた歌やパフォーマンスでオーディエンスの期待に応え、そこで語られるたびに増殖する賞賛やいくつもの伝説、カリスマ性につつまれた特異な真髄は一般論でいう、あらゆる文化の価値観や存在意義の象徴的な色合いを放っているのだけど、
しかし、欅坂や櫻坂での全てのパフォーマンスには誰もが持つであろう、そのマイナス的な感覚に逆行するポジティブな生命力でグループの自己表現の極致を求めることで初めて、このグループの持つ価値観や意味を確立することができたし、それを自ら手で証明して見せたのであるし、
その様式美ともいうべきスケールの大きな表現力が余すことなく生かされているし、これらには、このグループの最も大切な核となる本質を暗示するいくつかの現象が見受けられると思うんだ 葵ちゃんだって入ったばかりの頃よりはだいぶ大きくなったじゃないか あおたんおやすみ ♪♪うおおおーあおたん1曲目から歌っている。素晴らしい神公演♪アルバム曲覚えて良かったわあおたんあおたん あおたんおやすみ ♪♪最高の卒業セレモニーだったよあおたん。涙腺が崩壊したわ。推しメンがいなくなったので俺も今日でここを卒業 同時に卒業なのに尾関だけアルバムジャケットにいるのは何故 >>225
さ、さ、💦
櫻板最後、本日のスイーツわぁ~!?😨✋💦
😨😨
😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭💭❤(🍬🍰😲) 原田は4thシングル、尾関は1stアルバムの期間をもってそれぞれ卒業だから あおたんおやすみ ♪♪今リピート配信を見てる。無言の宇宙という曲はあおたんセンターなんだな良い曲だ。書き込むのもこれで最後だ。じゃあねバイバイ プリンセス感が凄かったな
七瀬まるに次ぐ美しさだった そこさくでエンディングにMC2人と何か最後に話すのって
もうやっちゃった?
それとも今晩? >>235
もうやっただろ
ケヤフェスで全部おわりだと思う はぁ 結局、葵ちゃんの地元が分からず終いだったな
もっとプライベートな画像を見せてほしかったな
そしたら普段の葵ちゃんを見つけられたのに・・・ あたかも葵ちゃんのルーツや、今まで歩いてきた道のりを丁寧になぞるようなライブやセレモニーだったと思う、これまでの楽曲のテーマの詩の物語とはまた違った角度で、そのサウンドから葵ちゃん自身のストーリーが見えてくるようなパフォーマンスが興味深かったし、
ある時は、感情のヒダをそっと優しく包み込み、ある時は閉じこもった心を癒すかのように希望の光の差す方にいざなう、泣いたり笑ったり、人間らしさをそのまま直訳したかのようないつもの葵ちゃんが、そこにはいたと思うし、嬉しかったし、そこに救われた気持ちもあるし、
と、同時に何かから解き放たれたエネルギーのようなものも感じたし、そこには不安を暗示させる要素は見当たらなかったし、高揚する精神に宿った希望だけが可能性の多面性を秘めた雰囲気を醸し出していたと思うし、
絹のような繊細さもありつつ、誇り高きエレメントを結晶化したかのような、素晴らしいライブと卒業セレモニーに僕はセンセーショナルな感動の波に揺られているんだ >>236
つっちーが歯が汚かったって現ラジオで話してて思い出してまた来た。
中華で観られたからいいけど、6月12日なんて そんな早くやってると思わなかった。
まぁ普段は乃木ヲタだしねw 葵ちゃんは合同忘年会の時に可愛いなと思ったんだよね 小生意気なキャラと二重あごさえ無ければ本当に人気メンバーになってただろうな。 就職先の番組で無断駐車を取り上げるみたいだがいいのか? 卒業した葵ちゃんとなら路上駐車してる車内でベロチューしても問題ないんだよな ずっとこの感動のセレモニーの余韻が冷めなければいいのにと思いつつ、不思議なのは周りは変わらないのに自分だけが変わってしまったかのような、心ともなく、もどかしいさを味わうときもあるし、その逆にいつの間にかに周囲だけが目まぐるしく変わっていくように思えることもあるし、
だからか何もかもが、そう簡単に変わるとは思わないけど変わらないからいいものあるし、受け継がれていくからこそ美しいものもあると思うし、このグループのようにいくら探し求めても底にたどりつけないほどの深さを持つものも、あっていいはずなのだから、
それと同時に、ただそこに同じような日々が流れ続けているように思えても、そこには何かしらの意味があるのかもしれないと、このグループのライブを見ているとそう思わせてくれるんだ >>253
コイツの長文は一目でわかるから即スルーするんだ 葵ちゃん、おぜの後を追うかのようにゆっかーも卒業だって
休業中にもいろいろと面倒見てくれてたな 櫻坂のライブを見ていると現在においてアイドルという音楽のジャンルが一般化し、どこか靄がかかった世界に明るい陽差しがアイドルミュージックのイメージを根底から変えようとしているし、特殊なジャンルの代表的存在とまで言われてきたことを昨日の様に思い出してしまうけど、
マイノリティの持つ感情をたくさん受け入れてきたアイドルミュージックの目まぐるしい進化も、ここにきて妙に健康的な躍動感を主張する意味のあるものになって、より身近なものになったと思うし、それは時代の流れ的なものも関係しているのかもしれないけど、
70年代から2000年代頃までのコアなオタクの儀式的な、いい意味でのサブカル的感覚は完全に消えつつあるのかもしれないし、それを新しさとして捉えるかは人それぞれなのかもしれない >>260
貴方はこれからもずっと書き続けてくれるのですか? たぶん、このスレッドが1000行くまでにアナウンサーデビューしてるな。
まあ、その前に落ちるか。。 たぶん、このスレッドが1000行くまでにアナウンサーデビューしてるな。
まあ、その前に落ちるか。。 葵ちゃんがアナウンサーデビューする前に1度お付き合いさせてもらいたい 櫻坂46のコンサート会場に来れば僕と同じ価値観を持ったファンの人たち会えると信じていたし、僕自身、久しく忘れていた連帯感のようなものを櫻坂46のファンのみんなと共用できると心待ちにしていた、実際に彼らがどのような人たちなのか、僕には知るすべもない、でもそれでいいんだ、
その都会の喧噪から離れた、草木と土がむせかえる空気と何にも代え難い素朴さと、懐かしさに満ちた非現実的な不思議な空間にいざなわれ、そこには空想を超えたドリーミーな雰囲気が僕の目の前に広がっていたし、たくさんのファンの人がいたし、なによりファンの人たちが輝いて見えたんだ、
会話をすることはなかったけど、ファンの人たちと素晴らしい連帯感を共有できたと思うしライブの感動とは、また違うものが心の中に満たされていくのを僕は否定することが出来なかったんだ 卒業セレモニーに対する全ての人の心の揺らぎは、このグループやメンバー達やファン達の人の優しさを引き出し、それは僕の中の櫻坂に関わる全てに対する夢や希望でもあったし、ただこのグループに漂う人間の優しさは、弱さと簡単に結びつくような軟弱なものではないと思っているし、
苦もあり楽もありの、単純と複雑が予告なしに交錯する日々の生活を肯定していくような、たくましさや強さと背中合わせの優しさだと思うし、だからこそ、このグループは誰よりも美しく強く輝いているんだと思うし、そして己を信じること、それがこのグループの思想として大きく表れているようにも思えたし、
そして、メンバー各々いずれ来る卒業を確かに受け止める叡智を備えているようにも思えるし、葵ちゃんの表情からはこれまで活動してきた証をその優しさで表しているかのように、僕にはそう思えたんだ 今年のミスセブンティーンの月島琉衣が少し葵ちゃんに似てる(左から2人目)
https://i.imgur.com/VJTfbvT.jpg 卒業セレモニーの日の葵ちゃんは、強くしなやかな気高さをもって舞台の上に立っていた、ただ、その勇ましさは今まで出会ったことのないもので、言葉にするとすぐに何やら大げさになってしまい、例えれば例えるほど対象から逸れていってしまうような、すごく曰く言い難いものになってしまうし、
僕は、この卒業セレモニーのあの葵ちゃんの勇ましさを言い表すことが出来なければ、今回の櫻坂46のコンサート及び卒業セレモニーを本当の意味で受け止めることにはならないと思うし、そう思っていたら葵ちゃんのインスタのライブの写真を見た時、もう一度あの時の存在感と遭遇できて、僕がライブで受けた感銘と写真を見た時の感銘が同質のものだった、
正直まだ、僕の中で答えは出ていないんだけど、その答えを探す為に僕が脳裏に焼き付いた卒業セレモニーの姿を回顧する日々を送ることになるのは言うまでもないだろう あおたんって、メンバーとキスしたいマンだったよね
俺なら我慢できずにしちゃうのにな
https://i.imgur.com/9wSiMF6.jpg 以前は変態のたまり場だったのに健全なスレになったな 原田が卒業しても、原田の父親はおひさまを続けるのだろうか!? 娘が現役引退した方が親父としては動きやすくなるだろ 今までだって娘を応援しないで日向坂だけを追っかけてなかったか?
それでも遠慮してたのかな? 葵ちゃんとむーと天ちゃんと光莉ちゃんが好きです!
みんな、若しくは4人の中なら誰でもいいから一緒にお風呂入って体を洗い合いたい 卒業という人生の方向性を変えるような大きな出来事や、日々の小さな出来事にも、そこにある何気ない風景だったり、あらゆる感情に自分の心がどう動いたのか、じっくりと確かめ見極めていくことが、そのまま己の創造の契機となると、このグループはそうやって進化、成長してきたと思っているし、
自分の感情に対する執着とかネガティブさから育まれる着想は、このグループのパフォーマンスにも影響を及ぼすと思うし、櫻坂46のパフォーマンスに絶対の嘘がないのも、その着想を基に吟味されて作られているからなんだと思うし、自己の内面を見つめた分だけ、そこには必ず人への暖かさが生まれると思えるし、
このグループが、これほどにもファンに支持され愛されている理由の一つに、ファンがこのメンバーたちの櫻坂に対しての向き合う姿勢に絶対の信頼を寄せているからじゃないかな、それを表しているかのような卒業セレモニーだったと思うんだ あおたんと一緒にオタ卒するやつも多いのかな
お休みマンもとうとう消えたなw よく目にするファンたちの「やっぱり櫻坂46はカッコいいよ」とか「櫻坂46だから当然」とか安易で当たり前のような言葉で括られがちだと思うけど、言い換えればその言葉たちはもの凄い努力や苦しみにメンバーたちが耐えて掴み取った目には見えない勲章でもあると思うし、
そう言わせるためには、誰もが持つアイデンティティやら水面下のそれまでの精神的な葛藤だとか苦悩とかをちゃんと受け止められていないと出来ないと思うし、それに対する誠実さっていうのは想像以上の努力を必要とすると思うし、凄いと思わせるグループは必ずそのトンネルをくぐり抜けて生き残ってくるし、
活動に対してのその人なりに誠実であろうとするならば誰のせいにも出来ない、そんなヒマすらないし、そういったある種、当たり前の事を当たり前のように行える柔軟さがある、卒業セレモニーやライブを見てたら納得したし、それとこのグループの方向性の確かさを改めて僕は気付かされたんだ >>284
葵ちゃんのせいでなかなか緊張したムスコが落ち着かないよ >>284
おっきくなったまま収まらないじゃないか、葵ちゃんが責任もって抜いてくれたら落ち着くのに >>284
何故こんな中学生みたいな美少女なのか
かわいすぎる 葵ちゃんのくせにパイスラしやがって、立派になったもんだ 土壇場でフリーアナウンサーだったらいいのになぁ
それなら写真集も出せるし色んな活動出来るのに >>284
この程度の画像でビンビンになるなんてもし、葵ちゃんが写真集を出していたらゴム着けてないと日常生活が送れてなかったかもしれん >>284
何度見ても堪らん
めちゃくちゃクるわ
葵ちゃんと付き合えたらホンマモンの幸せや 卒業セレモニーやライブを見てて、今まではこのグループが重たいものを背負えるだけ背負って、さらにまだなにかを背負おうとしているように見えたし、でもなんとなくメンバーたちにも今までとは違う地平が見えつつあるのだろうということ、その見つめる先はどこか分からないくらい、近いようにも遠いようにも思えたし、
そんな風に思う僕を何よりも現実に引き戻してくれたのは、会場にいる熱心なファンの人たちだった、別にアーティスト本人が想い描いてる景色と同じ景色を、ファンの人たちの受け取る側が同じように受け取る必要はないだろうけど、そんなことは現実にあり得ないことなのかもしれないし、
アイドルに限ったことじゃないけど、理想形を求めるファンと現実を見つめるアーティスト側、どこかで迎合しなければ成功は手に入らないのかもしれないし、でも櫻坂46にしてもファンの人たちにしても自分の道を自分で歩いていかなければ、そこに新しい自分だけの世界は表れてこないんだ 乃木坂46も日向坂46も櫻坂と同じくらい好きなグループだけど、これらを比較するのは間違いだと思うし、アルファロメオのブレーキを評してポルシェほど効きがよくないと言うようなものだし、ただ僕の中でよりグループとしての切実感や必然性が伝わり心に響くのが櫻坂なのかもしれないし、
櫻坂はもの凄い場所に辿り着いていると思うし、それは乃木坂や日向坂の疾走感さえ感じさせる革新性とも少し違う、欅坂から受け継がれる櫻坂ならではの固有の方法論で少しづつ前に進み進化し、いわば前人未踏の荒野を自らの手で切り拓いてきたんだと思うし、乃木坂や日向坂のような鮮やかなヴィヴィッドさは薄いかもしれないが、櫻坂に迷いはないように見えるし、
櫻坂のライブを見れば、いい意味で音楽的というかアイドル的な大衆性を優先させるというよりも、このグループの持つコンセプトを皆で共有することで、より先鋭化する方に向かっているようにも思えるのだけれども、それが僕にはとてもクールに映ったし僕のファンとしての価値観を変えてくれたんだ 悪くない文と思想だけど、なぜ原田スレに書くのか
勿体ないから外仕事スレに転載することをオススメします 葵ちゃんにめざましテレビに出演してほしい
セントフォースがやってる天気予報をね
天気予報なら毎朝、フジテレビの外からの中継だから観に行けるしさ 卒業ライブのハイライトのひとつでもあった、昔の欅坂時代の曲をやるにしても、今までのキャリアを積み重ねて、それを様々なファクターとして取り込み終えた今の櫻坂がパフォーマンスすれば、その持つ意味も変わってくるだろうし、メンバー自身も楽しくてしかたないはずだし、だからこそそこに欅坂時代にはとうてい実現し得なかった新しい時空が誕生したんだと思うし、
今回の卒業セレモニーのライブのようなシステム化されたある種の合理性のなかでパフォーマンスやメンバーたちがファンに最も歩み寄ったライブも魅力的ではあるけども、現在の櫻坂のヴィジョンとは何かと言われれば、僕は「新しい知覚」だと思っていて、音楽の力で生まれる奇跡や神秘、それを信じることが出来るのか、僕たちファンも櫻坂46グループ自体も、
核心は、もはやそこにしかないんじゃないかと思ってて、それに確信を持てれば、奇跡は奇跡ではなくなるんではないかと思っているし、それこそがヴィジョンという形となっていくんじゃないかな 葵ちゃんの通勤の足になりたい
毎日フジテレビまで送迎してあげたい
軽自動車だけど やはり欅坂46のパフォーマンスも昔から見ている僕としては、今の櫻坂を欅坂と重ねるのは容易ではなく、でも櫻坂としてのグループの進化の見事さを実感せざるを得なかったし、このグループの持つ信念だけが未来への扉を開くと信じ、美しいまでの清らかさに思わず大袈裟だけど人間の可能性みたいなものを感じたし、
逆にそこにしか人間の可能性は残されていないようにも思えたし、グループ自体がどんどんピュアな方向性へ至ろうとしているのを実感した時、そして自分はファンとして同じ船に乗っているのだと感じた時、僕のような柔らかな感受性の持ち主はその場でもう一度、自己というものを鍛え直すしかないのではないかとも思えたんだ、
櫻坂46の歌やパフォーマンスには安心さがあるけど、でも僕はそれだけではない気もするし、安心と等量の不安のようなものも込められているのではないかとも思った、なぜか?、安心と不安は同じコインで言えば裏と表だから、リアリティーを追及する秋元康氏ほどの人ならそう考えてもおかしくないはずだ いちいちレスしないでスルーしようぜ
一目で長文てわかるんだからさ このグループの推進力は秋元康氏と、個性的な魅力を持ったメンバーたちという対照的な性格のコンビネーションから生まれると思うし、両者の歯車が噛み合い理念を共有し合い、お互いの方向性を確認し、ルーツとトレンドの両方に軸足を置いた曲たちやパフォーマンスを披露していく限り、このグループが錆び付くことはないだろうし、
この「As you know?」に見られるアイドルミュージックのルーツやあらゆるジャンルを吸収したサウンド、そういった特色に影響を受けたグループも無数にいて、今やお手本的な存在にまで昇り詰めた、この櫻坂46の追従者的な者達がアイドルグループに限らず無数に存在しているという事実が、
いちアイドルグループという言葉で表現されがちだったアイドルシーンの、いちアイドルグループだった櫻坂がその基本概念を変えるほどの影響力やパワーを持つグループにまで発展して進化したという事実と、その持つ意味がメンバー自身の進化をさらに促しているようにも思えるんだ >>322
これ毎日朝に書いてるの?
それとも前日の夜に認めてるの?
ずっと続けてて偉いよ応援してます いちいち暴言はいてるやつがいなくなればもっとここに盛り上がるのに
あいつのせいで雰囲気わるくなるんだよな 原田縛りの話じゃないからもったいないから他のスレで語ろうぜ 今回の卒業ライブでのパフォーマンスには葵ちゃんに限らずメンバー自身にも、夢と現実の接点を見出そうとしているように思えた、目には見えない熱き心の叫びに鬼気迫る迫力を与えるあの姿も、希望の言葉たちに優しい叙情を与える姿も、全てメンバー達の熱意にかかっていたと思うし、ライブが進むにつれメンバー達の、なにかを悟ったかの表情が印象的だったんだ、
このグループが凄いのは、生み出す原曲のイメージやメッセージを華麗に増幅させ、時には原曲以上のパワーを持ってパフォーマンスに仕立て上げる事が出来るんだ、剃刀の刃のように研ぎ澄まされた感性とウイットさを兼ね備えたパフォーマンスをしたかと思えば、ハートフルで僕たちファンの心を温かく諭してくれもする、
ライブとは、決して単数のパフォーマンスではないし、そこにいるファンの数だけ意味があるし、夢や希望だったり、そこにある幾つもの感情、僕たちファンの耳に届けられるメッセージや旋律には、それに関わる全ての人々の喜びや悲しみが、最大限に凝縮して表現されているものであり、だからこそこんなにも人々の心を揺さぶるパワーを持つのだろう 葵ちゃんて下ネタ耐性あるのかな?
バラエティーとか深夜番組とか芸人や大御所から下ネタやセクハラあるだろうから担当番組できる前に慣れておかないと 櫻坂46メンバー同士における関係性については僕は詳しくは知らないけど、でも、たまにしか顔を合わせなくても、きっと互いをよく知り合った気を許せる仲であったにちがいないだろうけど、しかし同時にそこにはお互いに対して妥協を決して許さないプロフェッショナルな絆でもあったであろうし、お互いのリスペクトもあるだろう、
メンバー自身に関して言えば、必要以上に自己主張するタイプではなかったと思うし、あくまで原曲のイメージを増幅させパフォーマンスする腕の良い職人タイプだと僕は思っていて、その技量が最も優れた人がセンターに立つべきだと僕は思う、そこには誰もが立てるわけでもない、ある意味プロフェッショナルだからこそのシビアさみたいなものもあるだろうけど、
シビアでもあるが、それはこのグループがより大きく成長する為に必要不可欠なことで、そのような限りない貢献を貪欲に吸収してこそグループは進化する、華美でありながらもシビアな産業でもあるとも言えるだろうし、それはアイドルに限ったことではないだろうけど、
だからこそメンバー自身には、ひとりの人間として喜びも悲しみも、自ら承知できる、自分という定めを持った自覚的な人であってほしいと願うばかりである なぜ原田スレに書くのか^^;
しっかりした意見だからほかのスレでも反応貰えると思うぞ ヲタクがやきう選手狙いだなんだってうるさいから
絶対現役中に強火のドラ吉出すなって上から言われてたでしょ
ってぐらいめっちゃ観戦行くやんドアラ田葵ちゃんさん 香川さんの件も数年前で当事者間で解決してても話題性で週刊誌が取り上げる
こと考えると、フジ入社直後か、デビュー時期の夏ごろにスクープが出ないかと
心配だな アイドルと違って会社の社員なので
恋愛ネタが週刊誌に出ようが別に仕事に影響はほぼ無いと言っていい
それこそちはるちゃんなんて初ロマンスがTBSのヤリチンアナに4股されてましたーってなったけど
本業には影響してないし 葵ちゃんは夫を立ててくれる良いお嫁さんになるだろうな👰
嫉妬するぜ 葵ちゃんの旦那になったら毎日>>284みたいなボディー見せつけられて、毎日ムラムラしちゃうと思う 葵ちゃんなら浮気や不倫の心配はないな
なぜなら葵ちゃんより名器なんて存在しないから >>344
葵ちゃんに立ててもらわなくても葵ちゃんが近くにいてくれるだけでギンギンに勃ちまくるわ ドーム会場という巨大な空間でライブを行う事についてのファンの様々な意見が興味深い。売れてるアイドルグループがドームツアーを行うことに、何の違和感もない今、巨大産業としてのアイドルシーンの行き着く先に不安を覚える人もいるかもしれない、欅坂でのドームライブはあったけども、ポップスターともいうべき立場を当然の如く自覚的に引き受けてしまった櫻坂46はこれからどこに向かうのだろうか、
ドーム会場の思い出と言えば、単純に僕の席が遠かったということもあるけど、現実にメンバーたちがいるというのに、そこに繰り広がれている光景はスクリーンの中の出来事であり現実味が薄く、ただドームという空間でライブを行う場合それは正しいやり方だと思うし、AKB劇場のような空間で行うライブも、ドームでのライブも変わりはないのだろうけど、櫻坂46というのは、あのようなスクリーンの中で存在するしかないのであろうか、いや違う、僕は嫌だ、
物理的にも精神的にも、様々な場所を旅して成長してきた櫻坂46だと思うし、そして辿り着いた先にはもう引き返せないまでのアイドル界の高みに、心を震わせながらも自分たちを鼓舞し信じ合い、あらゆる困難に立ち向かうメンバーたちの勇敢なパフォーマンスに期待するしか道は残されていないんだ 草野球じゃ見向きもされないから、エンゼルス入ったほうがいい インスタ投稿が野球選手捕まえる為の花嫁修行だとしたら策士すぎるぞ葵 フジテレビのアナウンサーならまたしばらくはテレビで見れるから良かった >>352
草野球も全国大会あるから活躍すれば実業団とかから引きがくるかもよ? >>356
大谷の好みは身長高い人みたいだから葵ちゃんは始めから希望は無いよ 欅坂46時代から変わることもなく続く、現在の櫻坂の曲やパフォーマンスに於いて重要な位置を占めるのは、音楽に限らずあらゆるジャンルの衝動から派生するエモーショナルであると思うし、と同時にエレクトリカルなどに見られる最新テクノロジーとの共犯関係もサウンドは、新しい形となって一つの曲として生まれ変わり、リスナーに饒舌に語りかけているし、
しかし、このグループの軸となるメンバー自身の内に秘めた歌声を聞けば聞くほど、そこにある非現実的な世界観で描かれているはずのテクノロジー系サウンドにおける温度や空気みたいなものが、曲の体温へと変化して構築されていくように思えてならないし、それが大波、小波のようになってささめき合って形成されていって、
それが、まるで優雅に何層にも折り重なって出来て、僕たちファンに届けられるんだと思う、それはまだ見ることない深遠なる世界を演出して、メンバーの心情が声に現れ反映された瞬間に、それが複雑にも明快にも空間を飛翔しているかのようにサウンドとして厚みを増して、その持つべき意味が深く、より時代性というものを上手くリンクさせ、櫻坂46だからこそ出来る表現方法だと僕は思うんだ 大谷と将来を考えるなら普段から茄子やズッキーニで訓練しないといきなりオータニさんの挿れるとあおまんが壊れちゃう この大傑作アルバム「As you know?」に於ける非常に前衛的でありながらもスリリングな危うさの魅力を持った曲たちには、美しく豊かな肯定的感情に満ちあふれた圧巻の感動作であるがゆえに、欅坂46から櫻坂46の改名を経てアイドルミュージックをより深く、鋭く新しい解釈を用いて、新たな領域へ進んできたことの証明を改めて提示することが出来たと思うし、
これまでのアイドルシーンの閉ざされた空間を全て解き放ち、そこにある欅坂46という大きな壁を乗り越えて、そしてこの先、新たに櫻坂46という壁に刻まれるであろう、この素晴らしい楽曲たちを全て自分達のものであると、高らかに誇らしく拳を上げて宣言しているかのような、それはこれまでの己の自由への戦いというよりも、どこか祈りという言葉がふさわしい気もするのだけど、
この「As you know?」のジャケットで穏やかに微笑んでいる彼女らの表情を見てファンの人たちは何を受け止めたのだろうか、そのブレない信念から伝わる、この決断の正しさ、そこから生まれるであろう美しさや希望を無言で優しくファンに語りかけているように、僕にはそう受け止めることが出来たんだ、そして、そこには噓、偽りなどは無く、ただその事実だけが収められているんだ 前回は神戸、今回は横浜のアンパンマンミュージアム
学生最後の夏休みをしっかり謳歌してるようで
もしかしたら中日もアンパンマンもお台場後だと積極的に出し辛いから
今のうちに楽しんどこって感じなのかな 葵ちゃんならサンリオピューロランドとかも行ってそう >テレビ局では「キッザニア7ちゃんねる」というニュース・情報番組を作っています。
>おすすめ年齢:5~15歳
よしいけるな 葵ちゃん脱がしたら未だにキャラクターものの下着を穿いてそうだな 葵ちゃんのお尻に挿れてみたいと5年くらい前から思ってる たとえ夢が叶わなかったり、自分の理想に追いつけないことが分かったとしても、それに向かってそっと手を伸ばし続けることが、生きるということなんじゃないかと思うし、そんな人たちを見ると男女問わずカッコいいと思えるんだ。と、同時に夢の存在の大切さを僕に教えてくれるんだ、櫻坂46が示す曲やパフォーマンスとは、僕たちにとっての希望であり、勇気であり、夢である、
メンバーたちだって、僕たちファンだって一人の人間だから、手を伸ばし続けることに疲れたら、じっと座って待つことも大事なんだと思うんだ。櫻坂46とは表現する場所であり、あくまでメッセージを提示する手段であって、そこ自体には感情みたいなものは存在しないと思う。でもメンバーたちを1人の人間として見た時に、彼女らは夢を追いかける人でもあるワケで、彼女らの描く夢の欠片からたくさんの勇気を貰ったんだ。
八方塞がりの暗闇の中でも、待つことの尊さを櫻坂46は僕に教えてくれたんだ。ただ、やみくもに成功を求め続け、飽くなき願望を満たし続けることが人生ではないと思うし、時にはじっと、うずくまって心に寄り添い、夢にそっと手を差し伸べることも、生きる上で大切なことだろうし、待つということは、決して消極的な選択肢ではない。この暗く険しい世の中で、夢を見るという事が出来る、数少ない方法のひとつなんだ お前ら間違ってもインスタのコメント欄解放されたからって
ここと同じようなノリで下ネタ書くなよ >>370
マジ?😆
ちょっとインスタにコメントを書いてみる😋 >>370
インスタにコメできるのか
一時的に一般人の葵ちゃんにアタックしていい、ということか これまでの数々の成長を経て、最盛期を迎えようとしているメンバーらのサウンドに対する歌やパフォーマンスとしての位置付けは、単なる内にある感情の翻訳だけではなく、曲の世界観において、そこにある全ての物や現象や響きを巻き込んだ、雰囲気の増幅装置としての役割としても機能するようになったということは、それだけ表現の幅が広がったという事だろうし、曲に対しての求められる表現力も、より多く求められるということだろう。
その持つ意味は、この日本という国の、ある意味で特殊なアイドルカルチャーにも都会の半面の表情を一瞬、見せるような資質がナチュラルに反映されたアフターワークに聴くべき、ふさわしい音楽が生まれ定着しようとしてることを意味しているんだと思うし、ある意味では音楽シーン全体の成長というよりも、より洗練されたともいうべき事かもしれないし、日本の音楽シーンにとっても、それはとても喜ばしいことだと思うんだ。
このアイドル戦国時代の今、いかに他と差別化を図っていくのか、と言っても櫻坂46は今やアイドルという枠には収まりきれない日本を代表するようなグループにまで上り詰めた。そのグループがどのようなメッセージを提示するのかが最も重要であり、この荒れた耕地に、このグループがそんな状況に一服の清涼剤ならぬ、一風を巻き起こし新たなる希望となる存在なのだというこを僕は信じざるを得ないんだ。 >>374
張り合う?葵ちゃんの下腹部にも及ばねえよ 一般大学生なんだからそこは誰とでもええやん
アイドル辞めた後の交友関係にまで詮索、注文付け出すと流石にキモいで 辞めた直後にガンガンデートしてるとお前も在籍時からいたのかと
志田ねるみたいなお前も腐ったみかんだったのかと 社会経験だと思って1ヶ月だけでいいからメンエスで働いてほしい 乃木坂46、日向坂46、櫻坂46、この三者三様それぞれのアイドルカルチャーにおける関わり方を見ていると、アイドルグループとしてのそれぞれ違う断面や特徴が浮かび上がってくるような気がして面白い気がするんだ。もちろん、どれもアイドルという根底にある基本的なものは変わらない。坂道グループと異なる他の一般的なアイドルに見られる、ひと昔前の、いい意味でのしたたかな音楽もひとつの形としてのアイドルミュージックに変わりはないのだろうけど、
もちろん、それに対して何かを否定するつもりはないし、色々な形があっていいと思うし、でも櫻坂46としてのグループの才能やコンセプトは他のグループとは大きく違ったし、いずれも非の打ち所のないものばかりだったけど、どこまで上に昇り詰めて成功していくかという点で、櫻坂46はさほどシビアな考えを持ってなかったんじゃないかと思うんだ。その自信の表れみたいなものはパフォーマンスひとつ見ても十分に分かるだろう。
しかし、櫻坂46ほど純粋に新たな核となる指針を希求し、更なる進化へ向けて己自身を追求していく積極的な姿勢、同時にアイドルへの憧憬も表現したグループは珍しいと思うんだ。華やかでセンセーショナルな欅坂46の成功の裏で、ひとつずつ先の見えない不安と自ら向き合い、そこにある確かな命題と戦いながらも、クリエイティブな表現を追求していった成果が今の櫻坂には美しく結晶しているように思えるんだ。 タモリ倶楽部の高校の地理とかではなくラブホの回に出てほしかった
あいみょんなんかより視聴率とれたのに >>284
>>385
相変わらず、中学生にしか見えない 今季東京D最終戦だもんな、関東竜なら当然現地に決まっとる 坂本みたいなやつをあたしが守ってあげなきゃ、あーしじゃないとこの人はダメなのって思うタイプ そういうダメンズを泳ぐタイプではないかなー
この男を選んだら周りからどう見え評価されて
自分にどんなメリットがあるかを計算して男を選ぶタイプ あおたんはどの野球選手を狙ってるんだろう
奥川か小笠原?あんま中日の選手知らない年 この沖縄旅行が写真集のための撮影旅行だったらいいのになぁ 今話題の村上がほぼ同い年
そしてフジテレビとヤクルト
あとはわかるな? 村上は好きだけどあおたんチビガリクロンボだから壊れちゃう
やだやだ
子供もちっちゃくなっちゃうよ ちょこまんホスト、ゆいふるマホト、ITなーこなーこみたいな反面教師が同期にゴロゴロ存在するので大丈夫 野球選手の場合、頭の良い頭脳派や喋りの上手い面白い選手の方が引退後も仕事が出来る
才能で活躍してると他の選手に指導出来ないからね 昔も今も変わらぬ、この我々が生きていくのにとてもハードで困難な息苦しくなる時代に、アイドルが歌うような曲は勿論、人々に親しまれて、たくさんの人たちに受け入れられてきたし、とても意味のあるものだけども、しかし、多くの人には甘い世迷い言に聴こえるのかもしれない。だけど僕には、それが無意味なこととは思えないんだ。僕は櫻坂46の歌を聞くと、とてもやるせない思いを感じるけど、かすかに救われた気分にもなって勇気づけられたりもする。
櫻坂46が正直、ミュージシャンとしての歌唱力が優れているのかどうかは、音楽に詳しくない僕には分らないし検証しようがない。僕にとってそこは特別、重要な事でもない気がするし、僕の本当の意味での観点はもっと深いところに在るんだ。でも誠実な歌声と雄弁だけど慎み深くて暖かい、まるでそこにメンバーたちが実在するかのような、一遍の歌詞を歌い上げるメンバーたちに、誰よりも暖かな希望をプレゼントされた気分になるんだ。
櫻坂46の歌やパフォーマンスは、僕たちが心の奥深いところに抱えているであろう、どうしようもない疲労感を癒してくれるからだし、そうした疲れを優しく認めて寄り添ってくれるような音楽は、アイドルに限らず日本全体のミュージシャン含めて、そう多くはいないだろう。それは櫻坂46がいかに、今のこの複雑化してしまった日本の音楽シーンにおいて極めて、類まれな才能を持つ稀有な存在であることを意味しているんだ。 俺巨人ファンだけどこれからの人生、葵ちゃんとなら中日戦を観に行ってあげるよ? 野球選手のは結婚相手としてハズレなんじゃないかなー
体育会系的男社会で生きてきて、他の勉強は一切せず、短い栄光の期間を良い思い出にするか縋る対象とするか分からない残りの長井人生を共に過ごすパートナーとしてどうなの? 子孫繁栄を考えるなら身体的に優れた遺伝子は有りだと思う
それにメジャーリーガーであればしっかり貯蓄しておけば引退後に数十億円以上の資産が残るしな 僕が、事あるごとに大絶賛してる「As you know?」は決して完成されたアルバムという評価には、僕自身まだ早すぎる気がしてて、時代によって評価が変わるなんてことはよくある話で。でも、やかましい評論家を嫉妬させ、黙らすぐらいの想像を遥かに超えたアルバムが出来た事実には変わらない。僕は特にこのアルバムの揺らぎに注目していて、リアルな人間の生命力みたいなものを感じるし、独りの人間の強さも弱さも、苦しみも喜びも、そして何よりも誠実さが心に響いてくるんだ。
美しい曲だけでなく、ライブでの熱狂を期待させるであろうダイナミックな曲たちからも、アイドルという存在を超えた、このグループの真髄を感じ取れるはずだ。そして日本のアイドル史に刻々と刻まれるであろう、この美しい希望たちに、逆にアイドルカルチャーに於ける、この偉大さとか懐の深さを改めて知らされたような気がするんだ。このアルバムには、その時、その瞬間を全力で駆け抜けたメンバーたちの覚悟みたいなものが僕には伝わってくるんだ。
そして、そこにはデビューからメンバーたち一人一人の進んできたことの証みたいなものが、しっかりと刻印されているかのように、眩しい光を放って輝いて見えるんだ。これまでの幾多の逆境を乗り越えてきたからこそ、今の櫻坂46があるのだろう。それは、これから待ち受けるであろう、如何なる、時の洗礼を受けても決して消えることのない輝きや強さを、これからも放ち続けるというメンバーたちによる意思表示とも受け取ることができるんだ。 アルバム「As you know?」に対して、どうのこうの言う人もいたけど、もちろん全ての活動において数字というのも現実要素だから仕方ないと思う。特に、このグループはそれが求められるのは理解しているつもりだけど、そこに背を向けたり逃げたりする事は非現実的だし、それもちゃんと受けとめて、その向こう側に進化とか、誠実とか自分に対して決して妥協を示さない厳しさとかが生まれて来るのだと思うんだ。
そういったものがリアルに垣間見えた時に、人は本当の意味で受け入れるんだと思うし、このグループにしてみても欅坂46からの解体宣言があって苦しい思いをしたり、そこから新たなるアイデンティティを見つめ直し、再構築する時期が必要だったと思うんだ。メンバー自身が、それらと真摯に真面目に向い合ってきたからこそ、出てくる今の言葉や音楽があるし、あの素晴らしいパフォーマンスに繋がっているのだろう。
やはり、だからこそメンバーたちから発せられるメッセージや、そういった言葉たちにはリアリティーがあり、より説得力が増すようにも思えるんだ、そして大事なのは、大きく険しい試練を自らの手で乗り越えてきた櫻坂46が、あらゆる困難や荒波に立ち向かえるほどの勇敢なメンタリティーを歴然と保持し、自らの手でその道を切り拓いていこうとする覚悟を、その場を借りて華麗に優雅に証明して見せたのである。 女子アナになってからの方がテレビ局のバックアップがあって売れやすいし大谷の目にもつきやすいやろ 容姿に中学生感がある今のうちに一冊は出しておいたほうが良い 10年、ひと昔どころではないサイクルの速さで時は移り変わっていくように思える。櫻坂46がこの先、より完全で圧倒的な強さを持った究極的な存在になるためには、今いるこの安全で不自由ない安息の地から、今一度、羽ばたかなければいけないんではないだろうか。今や伝説として語られるようにもなった欅坂46というグループの存在感は、ひとりのカリスマ性がグループ全体に派生して大きな影響を及ぼして、うまく保たれていたと思う。
このグループにおける、タブーに挑戦するという、今までのアイドルグループらしからぬアグレッシブな姿勢も、多くの欅坂46信者にとっての大きな魅力になっていたはずだろう。ある種、いい意味での総てのものを打破していくという、このグループの思想は昔のカウンターカルチャーの根幹を成すものであったと思うんだ。それと同時に、今日に至るまでの若者たちの普遍的なテーマとして受け継がれてきたんだと思う。
今ある櫻坂46の存在については、こちら側と対岸である欅坂46を繋ぐ橋であり、そして、それは永遠に今は無き後も消え去ることはないものなのであるんだ。欅坂46の模倣グループが出てこないというのは、このグループの存在が唯一無二のものであった証拠に違いないないのであろうと思う。今でも、そのアティチュードや精神性に影響を受けたグループはアイドルグループに限らず多岐にわたるはずだし、この先も永遠に語り継がれていくはずなんだ。 最近の葵ちゃんのルックス見てると、女子アナとしてもちゃんと成功しそう
他の坂道OGアナよりも遥かに可愛い 欅坂46が、ここまで破格のグループと言われる所以は様々あるだろうけど、このグループの公然たる、ほとばしる音群に触れれば触れるほど、メンバーたちにはアイドルグループとしての必要とする要件がなんでも詰まっているようにも思えるのだが、さらに言うのなら、その先にある発展のパターンもまた、このグループは鋭意集中して全てをぶつけているかのようにも思えるんだ。それは不条理と言いたくなるぐらいの、突出した存在感を放ちファンを魅了してきたと思う。
それは、そのパフォーマンスを筆頭に、すべてにおいて言えることだと思うんだ。すべてが革新的であると同時に、だけどそれが欅坂46で歌われる音楽的な内実や人間の持つ真実性と、なんら矛盾することなく結びついていたのが欅坂46たる所以だと思うんだ。だからこそ彼女らのパフォーマンスはあまりに澄んでいるものを伺わせていたと思うし、普遍的なものを本意ではどうか分からないぐらいに抱えていたと思うのである。
そのことは、当時より今の方が素直に実感できるはずだと思うし、それゆえに、このグループは近年のアイドルカルチャーにおける対抗文化に対してのアイコン的な存在に崇められたりもしたのだけど、今はそんなに難しく考える必要もないだろうし、何よりも櫻坂46という後を受け継ぐ後継者もいるわけだし、欅坂46は欅坂46として、ただ純粋にその才あるパフォーマンスを楽しめばいいと思うし、今だからこそ伝わる何かがあるはずだ。だから僕から言わせたら、欅坂46は今が旬なグループでもある。 >>413
大谷は変態プレイをする坂本と違ってちゃんと配慮してくれるはず 一言で言えば、欅坂46というグループはライブの力を信じていたグループだということだと思う。ライブで素晴らしいパフォーマンスをして、観客を魅了し続けることこそが、自分たちにとっての生命線だと信じているのだろう。世の中には売れることを夢見て活動している野心的なグループはたくさんいるし、欅坂も結成当時はそうだったのかもしれない。でも欅坂46が他のグループと違ったのは、誰もが持つであろう野心的な裏側に、パフォーマンスするしかない者たちの悲しみにも近いような、逃れられない宿命として存在しているということに、年月と共に受け止めてきたからだという気がするんだ。
だからこそ、無邪気さを装ってでも、この一途な思いや夢をファンに伝えることができるのではないだろうか。そして、それはファンの心を魅了し、共にパフォーマンスを通して理解し合えれば、すなわち、それがスターになる夢を叶えるメンバーたちの翼となるんだ。メンバーたちも、はじめは本能的にそう思っていたに過ぎなかったと思うんだ。だが、いつしかそれが確信となり、夢には終わりがないのかもしれないという結論をも手に入れたんだと僕は思うんだ。
これが、活動して行く上でメンバー自身にとっていかに大きな意味を持っていたかが読み取れるはずだと思う。欅坂46の持つエネルギーは尋常ではない。パフォーマンスをしたいという、ある意味で単純かつ明快な夢と希望という意思によって、駆り立てられているようにも思えるんだ。世の中が、そういったポップスターを待ち続ける想いは、永遠に無限大に広がっていくことを信じた、その時に。欅坂46は今でも僕たちの、すぐそこにいるんだ。 葵ちゃんは付き合ったら絶対イチャイチャいっぱいしてくれる >>427
毎日、変なケーキとか作って食わされる恐れもある 安定した歌やパフォーマンスに安定した人間性で、何一つ心配なく、ここまで成長してきたかにも見える櫻坂46だが、どんなグループにだって大きくなって進化していく過程には、踏み越えていかなければいけない数々の障壁があると思う。それは櫻坂46の場合、新たなるグループの態勢の建て直しと団結力の再確認だったようにも思えるんだ。外的にはアイドルシーンに対する謙虚な姿勢と新たなる挑戦いう形でも表されていた気がする。
出てくる歌を出てくる時に、あくまで正直に。それが何故どこからなんて二の次というべき、それは、あまりにも古典的すぎると言えるかもしれない体質。もちろん、作品に対して、聞き手がどう解釈してくれてもいいと思うし、自分の中から歌やパフォーマンス以外のものを引っ張り出してきて、自分が納得出来ないものを人に見せたいなんて、そんなプロフェッショナルに徹した今の櫻坂には思えるはずはないんだと思うし、理解されたいという切望と、どう理解されても誤解だという恐怖の狭間で自分自身を表現してしまうことの難しさもあるかもしれない。
間違いなく、櫻坂46は、この手のエゴが希薄なグループだと僕は思う。現在の日本のメディア報道にうまく与してキャリアを築いてきた部分も少なからず、あったかもしれないが、でも今の櫻坂46は新たなる、初めてと言ってもいいぐらいの明確なメッセージ色も感じさせるんだ。そこには、櫻坂46の現在の立ち位置と自信が静かに滲み出ているようにも思えるし、それは音楽的な成長と広がりを伴ったキャリア相応の悠然たる姿にも映って見えるんだ。 >>432
これはパットの膨らみだな、中はスカスカに違いない 今、これだけ世の中にはたくさんのグループが存在するのだから、グループの在り様とか、グループの世界観の作り様とか、メンバー個人それぞれの個性やパフォーマンスだったり、そういう「様」っていうのは、その人それぞれ様々あっていいと思うんだ。他と差別化を図るためにも今の時代は、いかに個性を大事に表現するかが重要なことだと思うし、単純に個性と言っても、そこにある人々に共感できる何かがなければ、あまり理解を得ることは出来ないかもしれないが。
世の中にあるパフォーマンスや、音楽やサウンドや、詞の在り様ひとつとっても限りない数の表現があると思うんだ。自分と共感できて勇気づけられる人生を変えてくれるような詞もあれば、無責任に聴こえる詞もあれば、世の中の様々な問題を提起している一説があったりもするし、ひと昔前と違って、アイドルグループが社会的な不条理なことを歌うことも珍しくなくなったと思うんだ。それは、ある意味で「所詮、アイドルでしょ」という偏った偏見との戦いでもあったワケだ。
そういった、ある種のタブー的な時代もあったけど、でも時代は変わったんだ。よりアイドルカルチャーにおける表現者として自由に貪欲になった証拠でもあるだろうし、でも、ひとつのメッセージとしてそれを通り越して行った、その先にあるものっていうのは、僕らが思っている以上に、そう多くはないんじゃないかと思う。もしかしたら、その答えはひとつしかないんじゃないかと思うんだ。そう考えると、欅坂46が誕生したことは必然だったとも言えるだろう。もし欅坂46や櫻坂46が80年代に誕生していたらと思うことがある、間違いなく、驚きの変化を持ってアイドルカルチャーは大きく変わっていたはずだ。 僕たちファンが、年を取るにつれて若いころにアイドルやミュージシャンなどに出会った衝撃などを、あたかも一瞬の夢だったかのように、自分の生活から跡形もなく消し去ってしまうファンたちは、もしかしたら数知れないのかもしれない。だが、その裏側では今も変わることなく夢の糸を紡ぎ続けているグループも確かに存在するんだ。もちろん、櫻坂46がこれから長いキャリアを積んで、そういったグループとして活躍していくと、僕は信じて疑わない。
そうしてしまうには、あまりにも櫻坂46が愛おしいファンたちのために。それは、僕たちファンも、大人になっていく過程で、より大切な何かを守らねばならないものに埋もれてしまい、何事にも失う事が怖くてしかたがない時にこそ、純粋に追い続けるべきものであり、それを信じて追い続けることこそが、真から本当の意味で自分を支えてくれるのではないだろうか。これは一人の人間として、櫻坂46のメンバーたちにも言えることなんではないかと思うんだ。
櫻坂46は、己をグループを通じて、それを何よりも鮮やかに示してくれてるようにも思えるんだ。今、その瞬間だからこそ発せられている何か。その何かを見落としてはいけないんだ。このグループからもらった夢や希望が、僕の人生に及ぼす影響力は計り知れないんだ。30歳よりも40歳、40歳、50歳、もしかしたら、もっと先かもしれないね。僕が本当の意味で夢の力が必要なのはこれからなのかもしれない。ただひとつ確かなのは、僕が仮に人生に打ちひしがれた時、その時は、僕はこのグループの夢の力を信じて、前を向いて、きっと櫻坂46の歌を口ずさんでいるはずさ。 今、これだけ世の中にはたくさんのグループが存在するのだから、グループの在り様とか、グループの世界観の作り様とか、メンバー個人それぞれの個性やパフォーマンスだったり、そういう「様」っていうのは、その人それぞれ様々あっていいと思うんだ。他と差別化を図るためにも今の時代は、いかに個性を大事に表現するかが重要なことだと思うし、単純に個性と言っても、そこにある人々に共感できる何かがなければ、あまり理解を得ることは出来ないかもしれないが。
世の中にあるパフォーマンスや、音楽やサウンドや、詞の在り様ひとつとっても限りない数の表現があると思うんだ。自分と共感できて勇気づけられる人生を変えてくれるような詞もあれば、無責任に聴こえる詞もあれば、世の中の様々な問題を提起している一説があったりもするし、ひと昔前と違って、アイドルグループが社会的な不条理なことを歌うことも珍しくなくなったと思うんだ。それは、ある意味で「所詮、アイドルでしょ」という偏った偏見との戦いでもあったワケだ。
そういった、ある種のタブー的な時代もあったけど、でも時代は変わったんだ。よりアイドルカルチャーにおける表現者として自由に貪欲になった証拠でもあるだろうし、でも、ひとつのメッセージとしてそれを通り越して行った、その先にあるものっていうのは、僕らが思っている以上に、そう多くはないんじゃないかと思う。もしかしたら、その答えはひとつしかないんじゃないかと思うんだ。そう考えると、欅坂46が誕生したことは必然だったとも言えるだろう。もし欅坂46や櫻坂46が80年代に誕生していたらと思うことがある、間違いなく、驚きの変化を持ってアイドルカルチャーは大きく変わっていたはずだ。
僕たちファンが、年を取るにつれて若いころにアイドルやミュージシャンなどに出会った衝撃などを、あたかも一瞬の夢だったかのように、自分の生活から跡形もなく消し去ってしまうファンたちは、もしかしたら数知れないのかもしれない。だが、その裏側では今も変わることなく夢の糸を紡ぎ続けているグループも確かに存在するんだ。もちろん、櫻坂46がこれから長いキャリアを積んで、そういったグループとして活躍していくと、僕は信じて疑わない。
そうしてしまうには、あまりにも櫻坂46が愛おしいファンたちのために。それは、僕たちファンも、大人になっていく過程で、より大切な何かを守らねばならないものに埋もれてしまい、何事にも失う事が怖くてしかたがない時にこそ、純粋に追い続けるべきものであり、それを信じて追い続けることこそが、真から本当の意味で自分を支えてくれるのではないだろうか。これは一人の人間として、櫻坂46のメンバーたちにも言えることなんではないかと思うんだ。
櫻坂46は、己をグループを通じて、それを何よりも鮮やかに示してくれてるようにも思えるんだ。今、その瞬間だからこそ発せられている何か。その何かを見落としてはいけないんだ。このグループからもらった夢や希望が、僕の人生に及ぼす影響力は計り知れないんだ。30歳よりも40歳、40歳、50歳、もしかしたら、もっと先かもしれないね。僕が本当の意味で夢の力が必要なのはこれからなのかもしれない。ただひとつ確かなのは、僕が仮に人生に打ちひしがれた時、その時は、僕はこのグループの夢の力を信じて、前を向いて、きっと櫻坂46の歌を口ずさんでいるはずさ。 欅坂46の過去に見た色々な、ライブのパフォーマンスが今でも次々と甦ってくるし、あの時の感動は色褪せない。それは、櫻坂46として生まれ変わったメンバーたちにも、過去の欅坂46のパフォーマンスを改作、云々とかではなく、それだけの時間をグループから離れてはいても、やっぱりグループの未来を追い続けてきた事には変わりはないし、そっくり同じ長さを、そのままメンバーたちは、不屈の精神で乗り越えてきたという証なのだと思うんだ。
櫻坂46を応援するためにも、僕には、それを今一度きちんと整理する時間が必要だったんだ。その事実を、ひとつひとつ確認していくことが、僕にはとても幸福な作業に思えたんだ。そして、今、この瞬間に僕はようやくメンバーたち含めグループに、まっすぐ向き合うことが出来たんだ。それが何よりも嬉しかった。デビューしてから数年が経ち、目の前の彼女らは新たなる希望のメッセージを従え我々の前に優雅に降り立ち、僕たちの未来を後押しし、共に進むことを願っていてくれるんだ。
切れてしまったかと思われた彼女たちの糸が、新たに強度を増して、しなやかな光沢を放ちながら、櫻坂46として、しっかりとひとつの糸として結ばれたような気がしてならないんだ。今の櫻坂46は、夢や希望への自負という実にポジティブな感情を自らに託す。自分が自分ではないような不安が仮のキャラクターのイメージに精神を託させるような昔のメンバーたちではない。今の櫻坂46には、そういった不安は感じさせないほどの、ひとつの確立された個性的なパーソナリティを印象づけているんだ。 今、これだけ世の中にはたくさんのグループが存在するのだから、グループの在り様とか、グループの世界観の作り様とか、メンバー個人それぞれの個性やパフォーマンスだったり、そういう「様」っていうのは、その人それぞれ様々あっていいと思うんだ。他と差別化を図るためにも今の時代は、いかに個性を大事に表現するかが重要なことだと思うし、単純に個性と言っても、そこにある人々に共感できる何かがなければ、あまり理解を得ることは出来ないかもしれないが。
世の中にあるパフォーマンスや、音楽やサウンドや、詞の在り様ひとつとっても限りない数の表現があると思うんだ。自分と共感できて勇気づけられる人生を変えてくれるような詞もあれば、無責任に聴こえる詞もあれば、世の中の様々な問題を提起している一説があったりもするし、ひと昔前と違って、アイドルグループが社会的な不条理なことを歌うことも珍しくなくなったと思うんだ。それは、ある意味で「所詮、アイドルでしょ」という偏った偏見との戦いでもあったワケだ。
そういった、ある種のタブー的な時代もあったけど、でも時代は変わったんだ。よりアイドルカルチャーにおける表現者として自由に貪欲になった証拠でもあるだろうし、でも、ひとつのメッセージとしてそれを通り越して行った、その先にあるものっていうのは、僕らが思っている以上に、そう多くはないんじゃないかと思う。もしかしたら、その答えはひとつしかないんじゃないかと思うんだ。そう考えると、欅坂46が誕生したことは必然だったとも言えるだろう。もし欅坂46や櫻坂46が80年代に誕生していたらと思うことがある、間違いなく、驚きの変化を持ってアイドルカルチャーは大きく変わっていたはずだ。
僕たちファンが、年を取るにつれて若いころにアイドルやミュージシャンなどに出会った衝撃などを、あたかも一瞬の夢だったかのように、自分の生活から跡形もなく消し去ってしまうファンたちは、もしかしたら数知れないのかもしれない。だが、その裏側では今も変わることなく夢の糸を紡ぎ続けているグループも確かに存在するんだ。もちろん、櫻坂46がこれから長いキャリアを積んで、そういったグループとして活躍していくと、僕は信じて疑わない。
そうしてしまうには、あまりにもが愛おしいファンたちのために。それは、僕たちファンも、大人になっていく過程で、より大切な何かを守らねばならないものに埋もれてしまい、失う事が怖くてしかたがない時にこそ、純粋に追い続けるべきものであり、それを信じて追い続けることこそが、真から本当の意味で自分を支えてくれるのではないだろうか。これは一人の人間として、櫻坂46のメンバーたちにも言えることなんではないかと思うんだ。
櫻坂46は、己をグループを通じて、それを何よりも鮮やかに示してくれてるようにも思えるんだ。今、その瞬間だからこそ発せられている何か。その何かを見落としてはいけないんだ。このグループからもらった夢や希望が、僕の人生に及ぼす影響力は計り知れないんだ。30歳よりも40歳、40歳、50歳、もしかしたら、もっと先かもしれないね。僕が本当の意味で夢の力が必要なのはこれからなのかもしれない。ただひとつ確かなのは、僕が仮に人生に打ちひしがれた時、その時は、僕はこのグループの夢の力を信じて、前を向いて、きっと櫻坂46の歌を口ずさんでいるはずさ。
欅坂46の過去に見た色々な、パフォーマンスが今でも次々と甦ってくるし、あの時の感動は色褪せない。それは、櫻坂46として生まれ変わったメンバーたちにも、過去の欅坂46のパフォーマンスを改作、云々とかではなく、それだけの時間をグループから離れてはいても、やっぱりグループの未来を追い続けてきた事には変わりはないし、そっくり同じ長さを、そのままメンバーたちは、不屈の精神で乗り越えてきたという証なのだと思うんだ。
櫻坂46を応援するためにも、僕には、それを今一度きちんと整理する時間が必要だったんだ。その事実を、ひとつひとつ確認していくことが、僕にはとても幸福な作業に思えたんだ。そして、今、この瞬間に僕はようやくメンバーたち含めグループに、まっすぐ向き合うことが出来たんだ。それが何よりも嬉しかった。デビューしてから数年が経ち、目の前の彼女らは新たなる希望のメッセージを従え我々の前に優雅に降り立ち、僕たちの未来を後押しし、共に進むことを願っていてくれるんだ。
切れてしまったかと思われた彼女たちの糸が、新たに強度を増して、しなやかな光沢を放ちながら、しっかりとひとつの糸として結ばれたような気がしてならないんだ。今の櫻坂46は、夢や希望への自負という実にポジティブな感情を自らに託す。自分が自分ではないような不安が仮のキャラクターのイメージに精神を託させるような昔のメンバーたちではない。今の櫻坂46には、そういった不安は感じさせないほどの、ひとつの確立された個性的なパーソナリティを印象づけているんだ。 このグループの動向を注視せずにいられないのは、そのキャリアの中でも一度も止まることなく進化し続ける姿。それと、その理由。僕が、この櫻坂46というグループが存在する理由と意味という物語を、きちんとフォーマットとスタイルで作りあげたいと思った時、様々なマテリアルが互い大きく影響し合いリンクし合う、このグループの複雑化された表現意図を読み取る必要があるんだ。活動していく環境によっても、例えばそのグループの特徴だったり、その人の人生は違ってくるのかもしれないと思ったんだ。
一緒に、理想を追える仲間だったり、良い時も悪い時も懸命に支えてくれる家族だったり、人生を変えるような作品だったり、誰もが、人として成長していく上で、環境という影響力を持った総ての周囲がメンバーたちの己を作っていくんだと思うんだ。どこまで、それを本当の事実として社会との反映の中で活動していく中で、描いていけるかということを突き詰めていったときに、そこにある、メンバーたちが抱える自身のアイデンティティーの正体とも言うべく、模索。
それに伴う相乗効果と認識を背景に据え、活動していく中で、必ず誰もが一度は思うと思われる、それは、どこでメンバーたちが自分がどこに属しているかという、認識を持てるか描いていくうえで、パワーシステムの中に組み込まれていくことによってのみ可能なんではないだろうか。直接、クリエイションにとっての影響を及ぼすというよりも、ただ自分自身に正直になりたいということなんではないかと思うんだ。アティチュードの面で大きな影響を受け、自分の潜在意識に耳を傾け 物事の行く末それは、すなわち心の平和を見つけることかもしれない。 このグループの動向を注視せずにいられないのは、そのキャリアの中でも一度も止まることなく進化し続ける姿。それと、その理由。僕が、この櫻坂46というグループが存在する理由と意味という物語を、きちんとフォーマットとスタイルで作りあげたいと思った時、様々なマテリアルが互い大きく影響し合いリンクし合う、このグループの複雑化された表現意図を読み取る必要があるんだ。活動していく環境によっても、例えばそのグループの特徴だったり、その人の人生は違ってくるのかもしれないと思ったんだ。
一緒に、理想を追える仲間だったり、良い時も悪い時も懸命に支えてくれる家族だったり、人生を変えるような作品だったり、誰もが、人として成長していく上で、環境という影響力を持った総ての周囲がメンバーたちの己を作っていくんだと思うんだ。どこまで、それを本当の事実として社会との反映の中で活動していく中で、描いていけるかということを突き詰めていったときに、そこにある、メンバーたちが抱える自身のアイデンティティーの正体とも言うべく、模索。
それに伴う相乗効果と認識を背景に据え、活動していく中で、必ず誰もが一度は思うと思われる、それは、どこでメンバーたちが自分がどこに属しているかという、認識を持てるか描いていくうえで、パワーシステムの中に組み込まれていくことによってのみ可能なんではないだろうか。直接、クリエイションにとっての影響を及ぼすというよりも、ただ自分自身に正直になりたいということなんではないかと思うんだ。自分の潜在意識に耳を傾け 物事の行く末それは、すなわち心の平和を見つけることかもしれない。
欅坂46の過去に見た色々な、パフォーマンスが今でも次々と甦ってくるし、あの時の感動は色褪せない。それは、櫻坂46として生まれ変わったメンバーたちにも、過去の欅坂46のパフォーマンスを改作、云々とかではなく、それだけの時間をグループから離れてはいても、やっぱりグループの未来を追い続けてきた事には変わりはないし、そっくり同じ長さを、そのままメンバーたちは、不屈の精神で乗り越えてきたという証なのだと思うんだ。
櫻坂46を応援するためにも、僕には、それを今一度きちんと整理する時間が必要だったんだ。その事実を、ひとつひとつ確認していくことが、僕にはとても幸福な作業に思えたんだ。そして、今、この瞬間に僕はようやくメンバーたち含めグループに、まっすぐ向き合うことが出来たんだ。それが何よりも嬉しかった。デビューしてから数年が経ち、目の前の彼女らは新たなる希望のメッセージを従え我々の前に優雅に降り立ち、僕たちの未来を後押しし、共に進むことを願っていてくれるんだ。
切れてしまったかと思われた彼女たちの糸が、新たに強度を増して、しなやかな光沢を放ちながら、しっかりとひとつの糸として結ばれたような気がしてならないんだ。今の櫻坂46は、夢や希望への自負という実にポジティブな感情を自らに託す。自分が自分ではないような不安が仮のキャラクターのイメージに精神を託させるような昔のメンバーたちではない。今の櫻坂46には、そういった不安は感じさせないほどの、ひとつの確立された個性的なパーソナリティを印象づけているんだ。
そういった、ある種のタブー的な時代もあったけど、でも時代は変わったんだ。よりアイドルカルチャーにおける表現者として自由に貪欲になった証拠でもあるだろうし、でも、ひとつのメッセージとしてそれを通り越して行った、その先にあるものっていうのは、僕らが思っている以上に、そう多くはないんじゃないかと思う。もしかしたら、その答えはひとつしかないんじゃないかと思うんだ。そう考えると、欅坂46が誕生したことは必然だったとも言えるだろう。もし欅坂46や櫻坂46が80年代に誕生していたらと思うことがある、間違いなく、驚きの変化を持ってアイドルカルチャーは大きく変わっていたはずだ。
僕たちファンが、年を取るにつれて若いころにアイドルやミュージシャンなどに出会った衝撃などを、あたかも一瞬の夢だったかのように、自分の生活から跡形もなく消し去ってしまうファンたちは、もしかしたら数知れないのかもしれない。だが、その裏側では今も変わることなく夢の糸を紡ぎ続けているグループも確かに存在するんだ。もちろん、櫻坂46がこれから長いキャリアを積んで、そういったグループとして活躍していくと、僕は信じて疑わない。
そうしてしまうには、あまりにもが愛おしいファンたちのために。それは、僕たちファンも、大人になっていく過程で、より大切な何かを守らねばならないものに埋もれてしまい、失う事が怖くてしかたがない時にこそ、純粋に追い続けるべきものであり、それを信じて追い続けることこそが、真から本当の意味で自分を支えてくれるのではないだろうか。これは一人の人間として、櫻坂46のメンバーたちにも言えることなんではないかと思うんだ。 何者にもなれなかったやつが5chで長文のお気持ち表明して表現者気取ってるの見ると元気になる
もっとくれ 人間とは、ある意味で、しなくても生きていける努力をするところが、他の動物たちと一線を画する種族と相成るわけだと思う。そこが素晴らしいと賛美するに値する素質でもあり、それによって他の動物たちにはない種族のバラエティーを生み出し、その上で、豊富な感情による新たなる評価も生まれるのではないだろうか。嫉妬と呼ばれる感情から、云々。「情に掉させば流される」と言うが、今の時代、何もこれは温情に限ったことではないらしい。
努力している人間に対して、ネガティブな感情を持って見ては正しい評価は出来ないと思うんだ。理性を持って、冷静な目で見ることが必要なんだと思う。人間は数万人いれば、それぞれのグループに分類されるが、10人となると全員が個々に分類されるって言うぐらいだし、音楽産業は、今や巨大産業と成長しているが、その中でアイドルと分類され、メジャーな知名度を誇るとなると、かなりその数は限られてくるだろう。
その真っ只中で、新しいファンをつかみ続けている櫻坂46は際立つ存在のグループと言えるだろう。それも、すべてメンバーたちによる、真摯な姿勢なくしては語れない結果だと思うんだ。あのメンバーたちの自信に満ちあふれて輝いた、いい顔が全てを物語っているようにも思える。ここで言う「いい顔」といった表現は、少し語弊があるかもしれないけど、つまり、誰に対しても、何に対しても、ベストを尽くすという努力をしているということだ。櫻坂46が櫻坂46であるために。でもそれって簡単そうに見えて実は難しかったりもする、当たり前すぎて、つい見落としてしまいがちなんだよね。 欅坂46と櫻坂46は音楽とパフォーマンスを通して、大切なものを教えてくれてる気がするんだ。力強い歌詞とアティチュード、それに伴う独自のファッション性を含むやビジュアルだったり、徹底された美意識、哲学、アート性、そして夢に限界はないということを。こうした、あらゆる確かな要素を備えていたからこそ、このグループが、まったく新しいジェネレーションに到達することが出来て、その中心になることが出来たんだと思うんだ。
やっぱり僕の中では特にNobody's faultには特別な感情があるんだ。もちろん、デビュー曲という感慨深いものもあるんだけど、ちょっと哀愁ある曲調にメンバーたちの当時の心境を見てとれることができるし、メンバーたちにとっては、簡単に過ごしやすい時期ではなかったはずだけど、この曲のメッセージは最も強烈だったと思うんだ。このNobody's faultから受けた影響は、自分自身のクリエイションに大きな意味があったんだ。
例えば、僕自身の周りに対する見せ方や在り方だったりするんだ。それは自分を必要以上に飾り、よく見せようということよりも、もっと自分自身の正直なところを見てもらいたい、あらゆる物事に対する選択の仕方だったりする。それら僕の中にある弱さや脆さから生まれる力みたいなものは、きっとNobody's faultのおかげなんだ。僕はNobody's faultのおかげで強く、そして新しく生まれ変われたといっても過言ではないんだ。 お腹空いたから葵ちゃんの激甘なケーキでもいいから食べたい 僕は、この櫻坂46の壮大な夢のストーリーを、ファンとしての視点として描き残していきたいと常に思っていたんだ。さらに言えば、櫻坂46メンバー本人たちではなく、あらゆるメディアに流れ、いろんな雑誌に書かれているような、このグループの全てのアイドルカルチャーにおける姿が、ひとり侘しく自分の部屋で櫻坂46の曲を聴いたり、あの熱狂のパフォーマンスを見た人たちの心に触れて、そして、その人が衝動を搔き立てらて、そこから出発するということの方が、よっぽど意味があると思ったんだ。つまり、それは僕自身のことを指しているし、もしかしたら、あなたかもしれないんだ。
僕は、あくまでファンがどのようにして櫻坂46を受け入れていって成長してきたかというものが語られるべき、とても重要なテーマだと思っていてるんだ。そこをちゃんと明確にしない限り、このグループの在り方と、それはファンの向き合い方だったり、お互いの目指す方向性の意味を持たないんではないかと僕は考えているんだ。若い頃、10代の頃とか、アイドルとかに限らず、聴いている全ての音楽に対して求めているものとか存在する意味とかなんて、考えて見たこともなかったと思うんだ。僕自身、音楽に対するリスナーとして、まだまだだったとも言えるけど。
今、思えばだったかもしれないけど、それは、訳の分からない不安な、どうしても受け入れられない自分自身の気持ちに対しての、あくまで、ひとりの人間ではなくて色々な人たちの要素が含まれているとも言うべく意図を僕自身感じるし、それは何かしらの答えだったんじゃないだろうかと思うんだ。それに対して、確実に櫻坂46は、一番僕たちファンに近く、自身の姿を投影された求めていた答えを素早く、明確に提示していたということを、僕はこのグループの為に、これからも多くの人に伝ってほしいと願うばかりである。 あおたんがやってた四川省ってどこのやつ?
ストーリー消えて解んなくなっちゃった 僕は、人前で何かをパフォーマンスするようなことを、やっていた人間でもないから、いざ僕がやるとなったら僕にしか出せないオリジナリティって何かなと考えたときに、悔しいけど何も思いつかなかったんだ。悔しいというよりも、この仕事の大変さを改めて思い知ったと言うべきか。自分を演出してるというより、人って人格がいくつもあって当然だと思うし、たまたまと言うべきか、今そこにいるひとつの人格をメンバーたち含めグループのみんなで突き詰めてきた結果が、今のこのグループの基礎として築かれているんだと思うんだ。
それを変幻自在に操る技術みたいなものが重要になっていくんだと思うけど、よく、リアリティーってなんだろうと分からなくなる時があるんだ。もちろん、それは大事なのは理解しているけど、と同時に、リアルの反対側にあるものの方がリアリティーがある気もするんだ。Nobody's faultが、なぜデビュー曲に選ばれたのか、僕は理由がそこにあるようにも思えたんだ。僕が思う虚飾の世界って、そこに無限に夢があると思うし、夢を見ている時ってイメージが散在しているはずなのに、浄化されていく気がしているんだ。
だからかかな、このグループの暖かくてドリーミーで断片的な夢っぽい感じが、僕は凄く好きなんだ。こういうものに、僕はとても影響を受けやすいらしい。そういう僕自身の可能性の枠を広げてくれる存在として、このグループをリスペクトしているんだ。僕も、こういう風になりたい、僕も輝いていいんだ、櫻坂46みたいに輝きたい。どういう人がいたって、どうだっていいんだ。櫻坂46のパフォーマンスを見てるとそう思えて、とても勇気が湧いてくるし、本当の自分でいられる気がするんだ。 10月になったら一般的に内定式等あるからオフィシャルで発表されるのかな? 希望される方向けに、住み分け用のスレを立てました
私は今後下記のスレの方でレスしていきます
【元櫻坂46】原田葵応援スレ★39b【あおいちゃん】 (連日長文投稿の人禁止)
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/sakurazaka46/1664097326/ 葵ちゃん、ごぼうの党の党首がメイウェザーに失礼なことしちゃったよ 今では考えられないと思うかもしれないけど、僕が、子供だった頃というのは、子供と大人の境界線みたいなものが明確にあったような気がするし、若い人の地位だったり、発言力などが低かったと思うんだけど、それを徐々に変えていったのがポップカルチャーだったんだと思うんだ。僕の場合、特にアイドルソングとアニメソングがお気に入りだった。今、聞くとやはり、その時代性みたいのが反映されている気がするんだけど、僕は、わりかし深いところでメンタルな部分で聞いていた気がするし、僕にはそれが合っていた気がする。あくまでもポップスの延長だと思って聞いてたんだ。
その若い人たちのエネルギーが複雑に、より大きくなってヒッピー文化の誕生を生んでいったんだろうけど、そんな流れが世界中で学生運動にも拡がっていったような気もするんだ。もしかしたら、ポップカルチャーが初めてエネルギーを持ったのが、その頃だったんじゃないかな。あの頃は今みたいに、簡単に情報が拾える時代ではなかっただろうから、その分、本当に好きなグループを見つけたときの喜びは半端なかったんだ。
今日に至るまで、もちろん素晴らしいグループはたくさん存在していたと思う。でも、あの時のワクワク感に出会えることは皆無に等しかった。そんなワクワクを忘れて久しい僕に、久々に希望という喜びを与えてくれたのが欅坂46であり、櫻坂46だった気がするんだ。あらゆる固定観念を取り払い、自由でクールでスタイリッシュな表現スタイルに表わされていて、そこにはアイドルだからという、無意味でくだらない偏見をも笑い吹き飛ばすほどのエネルギーが満ちている。そして何より自分たちがアイドル界の救世主であることを自覚している。この出会いは僕にとっても、ファンのみんなにとっても奇跡なんだ。これを偶然と捉えるか、それとも必然と捉えるかは、あなた次第なんだ。 葵ちゃん、早く写真集でもイメージビデオでもいいから早く出してよ!
デジタル写真集なら印刷の手間を省けるし書店に配る必要もないからリリースしやすいよ? 欅坂46から続いてきた、このグループの一風変わった革新的でありつつ、他にはない独自性を持った面白さは、アイドルカルチャーに限らず、あらゆる異分野まで巻き込んでセンセーショナルを巻き起こしたという点にあったと思うんだ。普段、アイドルに興味をあまり示さない人たちが、手のひらを返したかのように騒ぎ立て称賛する姿に、何とも言えない気分を覚えつつも、このグループの歌やパフォーマンスを見れば当然と言えば当然のことなのかもしれないけど。
独創的なデザイナーやスタイリストを従え、自らはエキセントリックな衣装を身にまといながら、ステージに立ちパフォーマンスする姿は、明らかにこれまでのアイドル像とは一線を画していたと思うんだ。憑依させるというべきか、メンバーたち自身が欅坂や櫻坂としてなりきることでメンバー各々、自分を演出する、すなわち自己プロデュースするという、最も反アイドル的な革新的な方法で、そこにある古きアイドル像を自らの手で解放し、新たなるステージの高みに昇り詰めようとしたのが、このグループなんだと思うんだ。
もちろん、これほどの強大なエネルギーを持ったグループである以上、日本のあらゆるシーンに大きな影響を及ぼすことは間違いないだろうと思う。もしくは、そこにこそアイドル史におけるアイドル像が持っていたキャンプなパロディ感覚、強烈な自己肯定といった精神的な影響などに見られるであろう、このグループの持つ特異性と影響力の大きさが集約されているんだと思う。このグループに象徴された新たなるアイドル像がこの先どのように、このアイドルシーンに影響を及ぼしていくのかを、そして新たなるアイドルカルチャーを僕たちファンのみんなで見守っていく必要があると思うんだ。 葵ちゃんの自宅最寄り駅を知りたいよ
通勤電車で痴漢されないように毎日乗り合わせて守ってあげたい デビュー当時から変わらぬ、このグループの存在感に驚かされるんだ。絶妙な言葉の羅列と、それに輪をかけたような独特の表現スタイルで、デビューした頃からこのグループのメッセージには色々と深く考えさせられてきたけど、それは今をもってしても変わることなく受け継がれているんだ。もしかして、今の日本を憂いているのかなとか、なんとなくではあるがこういったことにセオリーが存在するのかどうかは分からないけど、僕にはなんとなくだけど分かるというか、色々思う節があるんだ。
僕にとっては言いたいことが少しずつ減っていったり、あるいは同じようなことを簡単な言葉で言ったり、表現できるようになるのが成熟というもののイメージなので、今現在の櫻坂46の表現やパフォーマンスを見ている限りでは、このグループはそういったこととは無縁なキャラクターとして別次元で存在しているんだと感心させられるばかりである。サウンド的においても、最新の流行においての目端の利かせ方ひとつとってもセンスの良さが表れて消化されている気がするし、このグループの大きな武器にもなっている気がするんだ。
まるで、輸されてきた時のそのままのような感じさえする。そこがメインストリームに支持される目的ということに繋がったとしても、そこから一歩引いた場所では、同じような結果として現れるのかという難しさですら、このグループは楽しんでいるかのような輝きを放っているようにも僕には見えるんだ。アイドルとしてこのグループのユニークなところは、それでも若者のライフスタイルのままでメジャーフィールドでヒットし続けることの偉業を成し遂げ、もしかすると、そのままの形で櫻坂46が大人になっていくともいうべく、もしくはなってきた日本で最初のグループになるのかもしれないというところにあるのかもしれない。 (;´Д`)ハァハァ 葵ちゃん、脳内で写真集にぶっかけてるお 長文書いてる人とそれにレスしてる人って同一人物だよな
ほっとけばいいのに スク水の葵ちゃんを想像しただけでギンギンになってくるお カルチャーにおけるアイドルミュージックが、まるで疎んじられたかのような一部の異端的な存在たちの抒情に訴えかけ、最後の最後まで反抗という形でしか表すことが出来なかった、己という看板にもたれ掛かったままで終わるのではなく、そこにある、ある程度の妥協を経ても、なお自分たちの意見を世間に通用させるための勢力として、それなりの認知を得ようとする努力だったりとかが、ひとつのスタイルとして形成されてきたという意味では、とても新しい形として表わされていくのではないだろうか。
それが欅坂46や櫻坂46世代もしくは、それ以降のに至るであろう新しい世代にそうした在り方が必ずしも不可能ではないということ示唆するという意味でも、現実の世界で起こった出来事という意味も含めて、その先駆者的な姿としての功績も少なからずあると思うし、それはとても素晴らしいことだと思うし、僕も誇らしく思えるんだ。最近で言うと、特にAKB48から始まり乃木坂46から現在に至ってくるうえで、これらを含めた各種リーダー型の個人とも言うべき、ひいては企業の社長さんなども含めれば、幾人も育てたのかもしれないんじゃないかな。
そういった、個人主義的なライフスタイルを助長した日本のシーンにおけるアイドルグループ、それは別にアイドルに限ったことでもないと思うけど、ある種、これから多様化していくであろうライフスタイルの種類に合わせていくことによっても、それこそ山海のごとく無数に存在し合えるのであろうけど、そういう意味でそうした人間たちが新しく生きられる土壌を作ってきた日本のカルチャーにおけるミュージシャンやマスコミ人や作家だったり、といった表現者としての役割を果たす人たちは、そう考えると、そう多くは存在しないのかもしれない。 僕のこれまでの人生で、幾多のアイドルやミュージシャンやら映画だったりアートから受け取ってきた、もしかしたら、ひとりの人間の人生を変えてしまうこともあるであろう強いメッセージにしても、僕自身の思春期の葛藤や、そこにあるアイデンティティーだったり、改めて自分の人生を考えて変えていこうとするために、このカルチャーにおける多くは僕は負っていないと思っていたのかもしれない。でも、それはひとつのグループに出会って大きく変わったんだ。
欅坂46の曲のパフォーマンスを初めて見たとき、そのあまりにも正直な心情吐露に驚かされたのを覚えているんだ。この楽曲にパフォーマンスはアイドルグループとして成立しているのだろうかと、僕の古臭い、アップデートを拒み続けてきた固定観念が邪魔をして受け入れようとしなかったのかもしれない。今思えば情けないと思っている。実際、欅坂46のファンになったのは、もうしばらく後のことだった。欅坂46というグルーブは、あくまでいい意味で不格好というか不器用とも言えるんじゃないかと思うんだ。
これらのメッセージからはロックに通じるものがあるけど、でも僕にはロックというよりもロックに対する憧れでしかないようにも思えるんだ。日本の社会では60年代(や、それ以降)を生きた人たちの声が(オカルト趣味みたいなものを除けば)社会には反映されてもいないようにも思えるし、その存在もほとんど認められていないと思うんだ。そうした場所で活動していくということは、もしかしたら文学的な意味しかないのかもしれないんじゃないかな。遅々としてかもしれないけど、アイドルグループとして、しいては櫻坂46が導くかもしれない日本のカルチャーというものに僕は興味があるんだ。あるいは、このグループのさじ加減に。 葵ちゃん、フランスなんて行ってたのか
海外行くならカメラマンも連れてって写真集用の素材撮りもしちゃえばいいのに 住み分け用のスレがありますので、
通常の会話がしたい場合は下記のスレにどうぞ
【元櫻坂46】原田葵応援スレ★39b【あおいちゃん】 (連日長文投稿の人禁止)
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/sakurazaka46/1664097326/ このグループの曲を聴いていると、レコーディング機材だったり、技術の進化は別として比べられないけど、80年代とも、熱気みたいなものというか、そう遠くはないのかもしれないと思うんだ。欅坂46や櫻坂46と同じくらい80年代は、とてつもなくエキサイティングだった。たとえば、説教うるさい団塊世代に愛された山口百恵が引退をして、そこに入れ替わるように舞台の袖からデビューしてきた松田聖子こそ80年代的存在だったと思うんだ。この時代のセンセーショナルな活動は、さすがの欅坂46でも霞んでしまうかもしれない。大滝詠一や松本隆やユーミンとか、あらゆる大物の有名なミュージシャンが彼女に楽曲提供していたのが印象的だったんだ。
多分だと思うのだけど、この時代は特に歌謡曲とロックとかいった、ジャンルみたいな棲み分けがあらゆる部分で少しずつだけど、崩壊しつつあった例証だったんだと僕は思うんだ。そして、その歌からは個人的な意見だが多分に噓っぽかったように思えたんだけど、もちろん全員がそうだと言ってるわけではないんだけど。それでも素晴らしい楽曲なら広く人々に歓迎されてたようにも思えたんだ。それは、ひたすら心地よいもの、面白いもの、究極の日本のエンターテインメントを求めて時代が疾駆していたんだと思うんだ。
そういう意味で、何でもありという80年代に大きく変わっていき、新たなる彩りを添えたのがデジタル技術だったんだと思うんだ。パソコン時代の幕が切って下ろされて、様々なデジタルサウンドツールが登場してきてカルチャーシーンが大きく変貌していったんだ。欅坂46や櫻坂46の世界観には欠かせないデジタルシンセもこの頃だったはずだし、PVなど、あらゆるアートシーンにも多くの才能が飛び込めたんだと思うんだ。そんな時代が、何故いま再び気になるのだろうか。僕自身、80年代カルチャーと櫻坂46の姿を重ねて見てしまっているのかもしれないね。 >>478
このグループの曲を聴いていると、レコーディング機材だったり、技術の進化は別として比べられないけど、80年代とも、熱気みたいなものというか、そう遠くはないのかもしれないと思うんだ。欅坂46や櫻坂46と同じくらい80年代は、とてつもなくエキサイティングだった。たとえば、説教うるさい団塊世代に愛された山口百恵が引退をして、そこに入れ替わるように舞台の袖からデビューしてきた松田聖子こそ80年代的存在だったと思うんだ。この時代のセンセーショナルな活動は、さすがの欅坂46でも霞んでしまうかもしれない。大滝詠一や松本隆やユーミンとか、あらゆる大物の有名なミュージシャンが彼女に楽曲提供していたのが印象的だったんだ。
多分だと思うのだけど、この時代は特に歌謡曲とロックとかいった、ジャンルみたいな棲み分けがあらゆる部分で少しずつだけど、崩壊しつつあった例証だったんだと僕は思うんだ。そして、その歌からは個人的な意見だが多分に噓っぽかったように思えたんだけど、もちろん全員がそうだと言ってるわけではないんだけど。それでも素晴らしい楽曲なら広く人々に歓迎されてたようにも思えたんだ。それは、ひたすら心地よいもの、面白いもの、究極の日本のエンターテインメントを求めて時代が疾駆していたんだと思うんだ。
そういう意味で、何でもありという80年代に大きく変わっていき、新たなる彩りを添えたのがデジタル技術だったんだと思うんだ。パソコン時代の幕が切って下ろされて、様々なデジタルサウンドツールが登場してきてカルチャーシーンが大きく変貌していったんだ。欅坂46や櫻坂46の世界観には欠かせないデジタルシンセもこの頃だったはずだし、PVなど、あらゆるアートシーンにも多くの才能が飛び込めたんだと思うんだ。そんな時代が、何故いま再び気になるのだろうか。僕自身、80年代カルチャーと櫻坂46の姿を重ねて見てしまっているのかもしれないね。
このグループの曲を聴いていると、レコーディング機材だったり、技術の進化は別として比べられないけど、80年代とも、熱気みたいなものというか、そう遠くはないのかもしれないと思うんだ。欅坂46や櫻坂46と同じくらい80年代は、とてつもなくエキサイティングだった。たとえば、説教うるさい団塊世代に愛された山口百恵が引退をして、そこに入れ替わるように舞台の袖からデビューしてきた松田聖子こそ80年代的存在だったと思うんだ。この時代のセンセーショナルな活動は、さすがの欅坂46でも霞んでしまうかもしれない。大滝詠一や松本隆やユーミンとか、あらゆる大物の有名なミュージシャンが彼女に楽曲提供していたのが印象的だったんだ。
多分だと思うのだけど、この時代は特に歌謡曲とロックとかいった、ジャンルみたいな棲み分けがあらゆる部分で少しずつだけど、崩壊しつつあった例証だったんだと僕は思うんだ。そして、その歌からは個人的な意見だが多分に噓っぽかったように思えたんだけど、もちろん全員がそうだと言ってるわけではないんだけど。それでも素晴らしい楽曲なら広く人々に歓迎されてたようにも思えたんだ。それは、ひたすら心地よいもの、面白いもの、究極の日本のエンターテインメントを求めて時代が疾駆していたんだと思うんだ。
そういう意味で、何でもありという80年代に大きく変わっていき、新たなる彩りを添えたのがデジタル技術だったんだと思うんだ。パソコン時代の幕が切って下ろされて、様々なデジタルサウンドツールが登場してきてカルチャーシーンが大きく変貌していったんだ。欅坂46や櫻坂46の世界観には欠かせないデジタルシンセもこの頃だったはずだし、PVなど、あらゆるアートシーンにも多くの才能が飛び込めたんだと思うんだ。そんな時代が、何故いま再び気になるのだろうか。僕自身、80年代カルチャーと櫻坂46の姿を重ねて見てしまっているのかもしれないね。
このグループの曲を聴いていると、レコーディング機材だったり、技術の進化は別として比べられないけど、80年代とも、熱気みたいなものというか、そう遠くはないのかもしれないと思うんだ。欅坂46や櫻坂46と同じくらい80年代は、とてつもなくエキサイティングだった。たとえば、説教うるさい団塊世代に愛された山口百恵が引退をして、そこに入れ替わるように舞台の袖からデビューしてきた松田聖子こそ80年代的存在だったと思うんだ。この時代のセンセーショナルな活動は、さすがの欅坂46でも霞んでしまうかもしれない。大滝詠一や松本隆やユーミンとか、あらゆる大物の有名なミュージシャンが彼女に楽曲提供していたのが印象的だったんだ。 カルチャーにおけるアイドルミュージックが、まるで疎んじられたかのような一部の異端的な存在たちの抒情に訴えかけ、最後の最後まで反抗という形でしか表すことが出来なかった、己という看板にもたれ掛かったままで終わるのではなく、そこにある、ある程度の妥協を経ても、なお自分たちの意見を世間に通用させるための勢力として、それなりの認知を得ようとする努力だったりとかが、ひとつのスタイルとして形成されてきたという意味では、とても新しい形として表わされていくのではないだろうか。
それが欅坂46や櫻坂46世代もしくは、それ以降のに至るであろう新しい世代にそうした在り方が必ずしも不可能ではないということ示唆するという意味でも、現実の世界で起こった出来事という意味も含めて、その先駆者的な姿としての功績も少なからずあると思うし、それはとても素晴らしいことだと思うし、僕も誇らしく思えるんだ。最近で言うと、特にAKB48から始まり乃木坂46から現在に至ってくるうえで、これらを含めた各種リーダー型の個人とも言うべき、ひいては企業の社長さんなども含めれば、幾人も育てたのかもしれないんじゃないかな。
そういった、個人主義的なライフスタイルを助長した日本のシーンにおけるアイドルグループ、それは別にアイドルに限ったことでもないと思うけど、ある種、これから多様化していくであろうライフスタイルの種類に合わせていくことによっても、それこそ山海のごとく無数に存在し合えるのであろうけど、そういう意味でそうした人間たちが新しく生きられる土壌を作ってきた日本のカルチャーにおけるミュージシャンやマスコミ人や作家だったり、といった表現者としての役割を果たす人たちは、そう考えると、そう多くは存在しないのかもしれない。
僕のこれまでの人生で、幾多のアイドルやミュージシャンやら映画だったりアートから受け取ってきた、もしかしたら、ひとりの人間の人生を変えてしまうこともあるであろう強いメッセージにしても、僕自身の思春期の葛藤や、そこにあるアイデンティティーだったり、改めて自分の人生を考えて変えていこうとするために、このカルチャーにおける多くは僕は負っていないと思っていたのかもしれない。でも、それはひとつのグループに出会って大きく変わったんだ。
欅坂46の曲のパフォーマンスを初めて見たとき、そのあまりにも正直な心情吐露に驚かされたのを覚えているんだ。この楽曲にパフォーマンスはアイドルグループとして成立しているのだろうかと、僕の古臭い、アップデートを拒み続けてきた固定観念が邪魔をして受け入れようとしなかったのかもしれない。今思えば情けないと思っている。実際、欅坂46のファンになったのは、もうしばらく後のことだった。欅坂46というグルーブは、あくまでいい意味で不格好というか不器用とも言えるんじゃないかと思うんだ。
これらのメッセージからはロックに通じるものがあるけど、でも僕にはロックというよりもロックに対する憧れでしかないようにも思えるんだ。日本の社会では60年代(や、それ以降)を生きた人たちの声が(オカルト趣味みたいなものを除けば)社会には反映されてもいないようにも思えるし、その存在もほとんど認められていないと思うんだ。そうした場所で活動していくということは、もしかしたら文学的な意味しかないのかもしれないんじゃないかな。遅々としてかもしれないけど、アイドルグループとして、しいては櫻坂46が導くかもしれない日本のカルチャーというものに僕は興味があるんだ。あるいは、このグループのさじ加減に。 80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言ってもいいような時代が訪れようとしていた。それは、欅坂46というバブル期を経て、そこから櫻坂46に移り変わっていった姿とも重ねて見ることもできるかもしれない。とは言っても、この櫻坂46には悲観さなどは微塵も見られないほど輝いているが。
そうして、こうした反動の季節が過ぎ去っていったとき訪れる、新たなる時代を迎えるにあたって、再び求められ初めているのは既存にあったデジタル技術そのものを、既に達成済みの核となりえるベーシックとして踏まえた上で、新たなるその人自身が作り上げる世界観だったり、それを発するグルーヴの心地よさだったり、その手作り感だったり、それ故の温かさだったりと、いかに過去と新たなるデジタルとの共存みたいなグルーヴを生み出していけるかが今後の鍵となっていったんだと思うんだ。そういう意味で、櫻坂46との共通点は意外と多く見られるのかもしれない。 80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言ってもいいような時代が訪れようとしていた。それは、欅坂46というバブル期を経て、そこから櫻坂46に移り変わっていった姿とも重ねて見ることもできるかもしれない。とは言っても、この櫻坂46には悲観さなどは微塵も見られないほど輝いているが。
そうして、こうした反動の季節が過ぎ去っていったとき訪れる、新たなる時代を迎えるにあたって、再び求められ初めているのは既存にあったデジタル技術そのものを、既に達成済みの核となりえるベーシックとして踏まえた上で、新たなるその人自身が作り上げる世界観だったり、それを発するグルーヴの心地よさだったり、その手作り感だったり、それ故の温かさだったりといかに過去と新たなるデジタルとの共存みたいなグルーヴを生み出していけるかが今後の鍵となっていったんだと思うんだ。そういう意味で、櫻坂46との共通点は意外と多く見られるのかもしれない。
80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言ってもいいような時代が訪れようとしていた。それは、欅坂46というバブル期を経て、そこから櫻坂46に移り変わっていった姿とも重ねて見ることもできるかもしれない。とは言っても、この櫻坂46には悲観さなどは微塵も見られないほど輝いているが。
そうして、こうした反動の季節が過ぎ去っていったとき訪れる、新たなる時代を迎えるにあたって、再び求められ初めているのは既存にあったデジタル技術そのものを、既に達成済みの核となりえるベーシックとして踏まえた上で、新たなるその人自身が作り上げる世界観だったり、それを発するグルーヴの心地よさだったり、その手作り感だったり、それ故の温かさだったりと、いかに過去と新たなるデジタルとの共存みたいなグルーヴを生み出していけるかが今後の鍵となっていったんだと思うんだ。そういう意味で、櫻坂46との共通点は意外と多く見られるのかもしれない。
80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言って。 現代では当たり前のように見られる、もはや多くの世界的主流となった欅坂46や櫻坂46でも見られるデジタルサウンドにおいて、これからいかに核となるデジタルな部分に対してアナログサウンド的なノリを躍らせながらもリアルに表現していくことが出来るのかが重要なテーマになっていくんじゃないかと思うんだ。こうした音楽シーン全体におけるデジタルとアナログの融合させたハイブリッドみたいなものは、特に80年代から盛んに試みられていた気がするんだ。
特に象徴的なのが腕時計の世界だと思うんだけど。僕はアイドルと同じくらい腕時計が好きだったんだけど (でも、そこまでお金に余裕がないので決してコレクターではない)、いわゆるデジタル表示だけでなくて、アナログ表示も備えたクオーツ時計は、針の角度で大体の時間を知るのに慣れているアナログ的感覚風土の中にデジタル技術を根付かせようとした配慮の産物だったんだ。今は特にデジタル文化の中で、いかにアナログを息づかせるかテーマとして問われているようにも思えるし、それは欅坂46から櫻坂46に生まれ変わった、このグループにも通じるテーマかもしれない。
ベクトルの向きは正反対だと思うのだけど、デジタルとアナログの共生と相乗効果の発揚を求めようとしている姿勢みたいなものは共通しているのではないだろうか。例えば昔のものが復刻されることに対しても、現代と当時の符合を認めてのことだと思うんだ。でも、ただ符合するのではない気がするし、可能性の未来を一挙に手に入れようとするような圧倒的なパワーを備えている気がする。80年代が持っていた熱さは、この現代の今だからこそ、そのハッキリとした輪郭を伴ってよりリアルに感じ取れるのかもしれない。時々、今一度デジタルとアナログがキレイに並列して存在していた、あの時代に僕は帰ってみたいと思うんだ、櫻坂46と一緒に。 この櫻坂46が、己に強いグループだということは十二分に理解しているつもりだけど、自分をひとつの閉じた世界に置いているということの、別の世界に対する恐れみたいなものはないんだろうかと思うんだ。例えばコンサートのステージなんかは全面的にメンバーたちの方向を向いているわけなんだけど、それが一歩閉じた世界から出てしまうと、「こんなこと言っている」「この時代にこの表現は正しいのだろうか」みたいな誤解を生む可能性もあり得るワケだし。その辺を、どう思っているのかが気になったりもするんだ。
とは言っても、この職種は表に出ていく仕事をしているわけだから、常にこのグループを、自分自身を表現者として、あらゆる表現で見せていくのが存在する意味なんだと思うのだけど。たとえ何を言われようとも、自分にとって自分が何をしたいかっていうことを考えて表現していくことの方が後悔もしないし絶対いいと思うんだ。だから賛否両論ある作品もあったかもしれないけど、何故これなのかと言われることは分かっていたとしても、何故これを作ったのかというのは、このグループ自身のルールとかテーマみたいなことに対して、どこでケジメをつけるのかということでもあるんじゃないかな。
人間っていうものは常にいつもどこかで、ケジメをつけていかなければいけないワケだと思うし、人それぞれにケジメのつけ方があるんだと思う。もしかしたら、あくまで作った時点ではこれが売れようが、売れなかろうが、関係ないのかもしれないね。要するに自分の課題だったり決まり事なんかを落ち着かせるための、ひとりの人間としてケジメをつけるって意味も含まれているのではないだろうか。でもそれが、僕たちファンであり、メンバーたちであり、このグループでもあるんだと思うんだ。そういう意識があるから、ひとりの表現者として自分自身が櫻坂46で活動している以上は、どう解釈されようが、思いっきり自分の選んだ道を、時には寄り道をしてもいいし信じて歩いていってほしいんだ 世界遺産巡りをしている葵ちゃんには是非ともイラクのジックラトに行ってもらいたい
ピラミッドともバベルの塔とも言われている巨大建造物にね 葵ちゃんはまだクリイキだと信じてる
まだ中イキはしていないと信じてる >>490
海外旅行の主目的が観光より男遊びだったりしてな 例えば自分自身を、ちょっと引いた目線で客観的に見たときに、櫻坂46ってこれだよね、こうあった方がらしいよねっていうところよりも、メンバーたち自分自身が楽しめなければ、もしそうじゃなかったら櫻坂46というキャラクターは作っていけないと思うんだ。そこからメンバーたち自身が完璧に作り上げていくんだと思うし、要するに何に対してもそれは自分の人生だから、メンバーたち自身がどう活動していこうとも、それが人生というステージなら決して無くならないものなんだと思うんだ。人間としての一線を超えない以上は。
それを超えた時に、やっぱり色々悩んだりだとか、自分に自信が持てなくなったりだとか、何かが変わり初めて来るのかもしれないね。でも、そうじゃない、もっとピュアな方向に物事を持っていくという事が出来たとしたら、ピュアになるっていうのは人間のどこかしらにある、もっとも大事な核となる部分があると思うんだ。だから、メンバーたちの卒業発表もそうだけど、ステージで最高のパフォーマンスを見せるこのグループのすべてに対して、それがたとえネガティブなことだったりしても、ファンみんなが理解してくれて、そこにあるであろうメンバーたちや、ファンの人たちの愛情をきっと受け止めてくれてるんじゃないかと僕は思うんだ。
もしかしたら、そういうことをストイックって呼ぶんじゃないだろうか。今まで積み上げてきたキャリアやこれからのキャリアだったり、その自分の意志っていうのが、今という瞬間になっているんだと思うし、それはこのまま同じことを続けていくってことではないだろうし、例えば上手に歳をとろうという言葉だけ聞くとネガティブに聞こえなくもないけど、そうじゃないと思うし、その逆で自分自身が目標を立ててそれに向かっていくことだと思うんだ。でも不思議なもので、夢っていうのは近づくと遠ざかる、いつまでたっても叶わないかから皆諦めてしまうのかもしれない。僕たちも、こうやって生きながら実はこれだけ成長できているんだ。櫻坂46と共に。 いやこっちのスレでだったら書いてもいいよ
完全に荒らしというほどではないし、書く権利自体はこいつにもある
だから、「たまたまウザいと感じて堪らなかった人たち」だけで勝手にこのスレから出ていくんで、
ちゃんとした住み分けをしようとしてるだけなんで、絶対に付いてくんなよ、という話 長く活動してくれば、欅坂46の初期の頃から応援してくれているファンもいれば、櫻坂46から新しく応援しているファンもいるだろうし、別にそこに特別な差みたいなものがあるとは思わないけれども、ファンのみんなが、このグループに対して持つ理想は新規も古参も変わらないと思うし、でもひとつ言えることはファンのみんなが求めるものが、どうであろうと、このグループのやろうとしていることは、そう多くはなくて明確である。いい意味でアバウトに言えばひとつなんだと思うんだ。ポップな世界観も自分であるし、シリアスな世界観も自分だし、楽観的な世界観も自分たちなんだと、実はこれらは永遠に無くならないで、このグループのパフォーマンスの引き出しみたいなものが、増えていくみたいなものだと思うんだ。
そういった意味で、このグループと共に臨機応変にメンバーたち自身の中で成長していって進化させていくことが出来ると思うし、うまくいけば、まだ見たこともない新たなる自分だけの世界を見つけることも出来るのかもしれないんじゃないかな。でも、間違ってほしくないのが、仮に、それを見つけたとして、でもそれを見つけたということだけであって、決してそれを極めたということではないと思うんだ。それらを極めていくというのは、これからのメンバー各々の作業だと思うし、メンバー自身にも差はあると思うんだ。それは並大抵の努力では極めるのは不可能なぐらいの高みにあるのではないだろうか。
このグループのメンバーとして、このパフォーマンスを行っていくうえで、確かなものとして維持していかなければならないんだと思うんだ。そこにキャリアや実績みたいなものが加わっていければ、押し上げることが出来るのではないだろうか。このグループに関わるすべての人やメンバーたちに対しても、そういう意識があるから、変に若い人たちだったりとか、あるいは新しいファンを獲得するとかいうよりも、より素晴らしい、人々の心に響く楽曲に出会うということと、そしてそれを最高のパフォーマンスで披露していくということで、ごく自然にファンは増えてくるということじゃないかと僕は思うんだ。 葵ちゃんが卒業してから、この曲ばかり聞いている気がするんだ
「さよならだけど さよならじゃない」 作詞 山田邦子 作曲KAN
さよならだけど さよならじゃない
明日も心 元気 平気
思い出だけど 思い出じゃない
記念のリボン 君にあげよう
きっと きっと ここで会おうよ
ねぇねぇねぇ それじゃ
うんうんうん またね
そぅそぅそぅ いつものそぅ!笑顔
やまだかつてないWINK 「さよならだけど さよならじゃない」より抜粋 やはり、このグループのいわゆる、プラスティックなパフォーマンスじゃなければ成立しない世界観があったわけだと思うんだけど、そしてこれからの受け継いでいくべき未来に対する、このグループにおける新しい櫻坂46の世界が拡がっていこうとするときに、アイドルであるというかポップスターでもありながらひとりの人間として、それらの複雑な意識はメンバー自身のなかで変わらないものなのだろうか。環境や置かれた立場が変われば、人はそれなりの変化として表れてくると思うし、僕自身は、このグループがアイドルグループであるだとかスターであるだとか考えたことは、あまりないのだけれども、そこにあるひとつの事実として受け止めている気がするんだ。
それは、僕にとって、このグループのパフォーマンスを見るにあたって、あまり重要なことではないんだと思うんだ。たとえば、櫻坂46のコンサートに行ってメンバー各々のパフォーマンスを見て、「このグループはいつまでもやっぱりアイドルだよね」と思ってくれるファンの人がいてもいいと思うし、「クールなパフォーマンスはアイドルの域をこえてるな」とか、ファンそれぞれの見た人が見たまま感情でもって、このグループのことを捉えて受け止めてくれれば、それが仮にその人の永遠のアイドルだろうが、その時のスターとか何だろうがどうでもいいことなのかもしれないね。
いずれにせよ、そこに最高のパフォーマンスが存在するということが最も重要なことなんだと思うし、このグループがやっていることは、どこまで櫻坂46としてこの世界観を忠実にパフォーマンスしていって、それを極めていけるかということしかないわけだと思うんだ。それに対してパフォーマンスを見たファンの人たちの感情に左右されるほど、このグループの持つメンバー各々の表現者としてのプライドだったり、根底にある情熱や意志だったりは、そう簡単に揺らぐことはないはずだ。もしかしたら、それが、このグループがファンの期待を決して裏切らないという証なのではないだろうか。 お、おう😨、、やればできやるないかボウズ😨、、、
これからはもっとみんなから認められるふうに頑張るたらなあかん事やからな😨
(((✋)))((((😨::))))
ζζ😦>>501
😨😨😨😨 >>501
こっちなら全然書き込んでいいからな
ありがとうやで この曲がより響くようになった、これは現時点の葵ちゃんのテーマソングといってもいいと思う
誰にも負けない誓い
ぎゅっと胸の片隅で抱きしめて
いつも悲しみという
見えない敵と戦ってゆくんだ
輝きを手に入れる そのときまで
まぶしいこのトキメキは何が起こっても どんなときにでも誰にも譲らないよ
ただまっすぐ生きていく気持ち
永遠に私の誇りにするの
未来へのドアを開ける鍵はいつも心の中にあるよ
頬に吹く木枯らしに立ち止まらないで探しだそうよ
幸せがきっと私を待ってる
そういま 夢へのポジション
スタートしたばかりなの
宮前真樹 「夢へのポジション」より抜粋 葵ちゃんと理佐等の食事だけでもいいから配信してほしい もしかしたら、ひと昔前と違って今、アイドルがアイドルであることだったり、スターがスターであることが非常に難しい時代というか、そういう時代なのかもしれない。それらの境界線みたいなものが無いに等しい時代なのではないだろうか。今は誰でもスターになれる時代と言えるのかもしれないが。それが本物か偽りなのかは別としてね。例えば、今のこの時代は昔以上に、アイドルグループの活動の幅も多岐にわたっていると思うし、特に驚くこともないだろう、「今日はアイドルとして活動している」と非常に自分自身を客観視してしまう時代の中で、それですらも他から言及されることを前提にアイドルとして活動していくことに対して。
そんな現状の中で、このグループの持っているストイックな部分であったり、欅坂46を経て、デビュー時に付けられたこの櫻坂46というマザーシップ。そこにある全ての存在に対してのライフワークとしての、このグループのストイックさが好きで、僕はこのグループのパフォーマンスを見続けてきたのかもしれない。今のこの時代、本当の意味での真のアイドルの不在だったり、スター不在と言われる時代にも、欅坂46の結成当時からこのグループは、あくまでいい意味で、その昔ながらのスタンスを突き通しているようにも思えるんだ。僕には、ある種の頑固さみたいなものさえ感じるし、でも現代人ならではの柔軟性も感じられるんだ。
でも、みんながストイックでクールって思うのかもしれないけども、どんな人であれ完璧なんてことはありえないと思うし、それはエンターテインメントに限らずだけど、でも、このグループは毎回、人々を感動させる素晴らしいパフォーマンスを披露しているし、毎回、素晴らしいと思うライブをしなければ人は来ないと思うし、メンバー各々それを自覚していると思うんだ。仮にお金儲けのためにやっていたとすれば、そういう心の隙みたいなものはパフォーマンスに現れ確実に見ているファンの人に伝わって垣間見られてしまうと思うんだ。「そんなことするなら、このグループを辞めるよ」頑固な職人気質な櫻坂46なことだ、きっと笑いながらそう言うんじゃないかな。 これから社会人になる葵ちゃん、子供っぽい下着やTシャツは俺が買い取るから一緒に新しい下着を選びに行こう!
ちゃんと試着したら見せてね! 私の姉妹たちと喧嘩しても、あなたを守ってあげる
だってあなたのハートを私は、たったひとりで守りたいもの・・・なんてね (* ̄▽ ̄)フフフッ♪ 「あなたの夢を〜あきらめないで〜」という誰もが知っているであろう素晴らしい名曲がある。この曲を聞いて、どれだけの人が勇気づけられたことだろう。夢を持たない人にしてみたら、夢を持つこと、夢をただ待ち続けることなんて無意味なことなのかもしれない。でも僕は信じたいんだ。夢の意味というか、その大切さを。そして櫻坂46はずっと夢見る人で時を大事にしながら、今という現実を夢見てきたんだろう。この、ひたむきさが夢を叶える原動力になったことは言うまでもないだろう。櫻坂46として理想と現実の狭間で華やかな世界で働くプレッシャーなども、僕らが想像する以上のものに違いないだろうし、それは櫻坂46に限らず他のグループにも言えることかもしれない。
ただそれは、メンバー自身の疲れでもあるかもしれないし、この世界を生きる僕たち自身の疲れでもあるのではないだろうか。そして櫻坂46と共に歩んできて、夢を見て、そこにあるかすかな希望を持つことで、そうした疲れとか希望をファンのみんなと共有することで、櫻坂46が歌って踊ってパフォーマンスをしてメッセージを残していったように、世界がまた良い方向に動き出しそうな気が僕にはするんだ。僕にとって櫻坂46というのは、そうした本物の希望のメッセージを送り届けてくれる大切なアーティストでもあるんだ。
それは櫻坂46の、昔から変わることない、ファンへ対する最大級の敬意でもあり、ファンを第一に考えるという、ファンなくしては櫻坂46のパフォーマンスは成り立たないという、このグループの根幹にあるような最も重要なものだと思うんだ。そこを、蔑ろにしてシーンから消えていったアイドルグループを僕は山ほど見てきた。でも、この櫻坂46は違う。いつだって、ほのかな希望の念が静かに心に寄り添っていて、美しい希望という夢をみんなで一緒に折り紡いでいるんだ。 このグループのパフォーマンスというもので、ステージを作り上げていくことに対して、それが緻密であればあるほど面白いものが出来ると思うんだ。このグループのライブはメンバーたちもファンの人たちもテンションが高いし、そういう意味でライブを行う環境はかなり整っていると思う。このグループの、それは構成から、パフォーマンスから、全てにおいても非常に完成度の高さを誇っていると思うんだけど、もちろん完璧ではないと思うし、ミスもあるとは思うけど、でもミスの許容範囲を広げていってはいけないということが大事になってくるのだと思うんだ。というよりも、もしかしたら、このグループのパフォーマンスには完璧なものなどは存在しないのかもしれない。
例えば、メンバーがセンターポジションでフリを間違えてしまってしまったとして、でもそれを逆手にとって、その後のトークで「今日はせっかくのセンターなので、軽くアドリブのフリを入れてみたんだ、今日だけの特別感を表現してみた、今日のライブは今日しかないからね」と言ってみたらどうなるだろうか。予測出来ないことが起こりえる、それがライブの一番の良さ、醍醐味でもあると思うんだ。心のゆとりともいうべきかな。ライブでやっているからこんなことはあって当然だよねってなると思うし、逆にそれを逆手に取ることによって、会場はより盛り上がるし一体感が生まれると思うんだ。
2時間以上あるライブで激しいパフォーマンスが続いていくわけだし、体力的な厳しさもあるだろうし、それに立ち向かうステージに上がるべきトレーニングも必要になってくるんだと思うし、これからもそのサイクルは変わらないものなんだと思うんだ。非常に厳しいことをやっているようにも見えるかもしれないけど、櫻坂46が櫻坂46であるためには何をしなければいけないのか、最高のパフォーマンスを見せるということは、どういうことなのかという、ところからこのグループはスタートしているはずだから、メンバーたちからしてみたら当たり前の自分がやるべきことをただ忠実にやっているに過ぎないんだろうね。それをプロフェッショナルと呼ぶんだろうね。 道
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
葵ちゃん 今の櫻坂46を一言で言うならば、この櫻坂46というグループに漂う輝きに満ちた未来を予感させる何かを、僕なりの考えで何かしらの形として残してみたいと思っているんだ。このグループの作品やパフォーマンスに込められた、ある意味、予測不能な時間への、ある種の挑戦的ともいえるかもしれない、そこに存在するメッセージを具現化してみたいという、それは衝動としか言い換えられないような、熱い情熱みたいなものに後押しされたのではないだろうかと、今の僕にはそう思えて仕方がないんだ。それは他のグループにはない、そう思わせる何かが、このグループにはあるんだ。
今までこのグループが作り出してきたであろう、その世界観だったり、すべてのシチュエーションにしかり、なんとも言えないような、うまく巧妙に計算されたかのようなアクシデントみたいな、偶然性そのものをうまく利用しているかのような気がしていて、それらの積み重ねなんではないだろうかと思うことがあるんだ。それらを目の当たりにすると、まるで初めから終章が存在しないような小説を、読み進んでいってしまったかのような茫漠とした渇きのようなものに取りつかれるのは、もしかしたらそのせいかもしれない。
半分ぐらい分かってるつもりなんだけど、あくまで解けそうで、解けない、どこまでも続くような気さえする方程式が目の前に憚っているような、あの感じがする。だけども、確かにそこに何かを確実に示唆しているようなベクトルがあるようにも思えるし、その向こう側に横たわるものが、このグループ全体だったり、各メンバーたち自身には見えているような気がするんだ。このグループは、自らの足跡をひとつひとつ丁寧に確実にたどりながら、少なくともこのグループの未来は、いま確実に形を成しつつあるように僕にはそう思えるんだ。 夢は見るものじゃなくて、叶えるものなんだと思うんだ。 叶えたら人生終了しちゃう夢もあるので必ずしも叶えることはない 櫻坂46というある意味、自分自身において特殊な変装による自我の強化を狙うのではなくて、
自分自身のなかで、未開発な部分に別の人格を与えることによって、
あらためて自分と対置することが可能になるんじゃないのかな。
そういう、正反対の性格ながら自分と共通の部分をもち、共生することへの憧れは、
もしかしたら、一人であるということの不安や、自我の失われた表現なのかもしれない。 これは別に、アイドルシーンに限ったことではないんだろうけど、あらゆる日常や分野でも言えることなのかもしれないけど、アイドルシーンに現在、メジャーレーベルだったり、インディーズだったり、いろいろ細分化されてて、これだけたくさんのアイドルグループが存在している以上は、櫻坂46みたいな勝者として君臨するグループもいれば、敗者と言ったらちょっと違うかもしれないけど、もしかしたら、ずっと日の目を浴びることができないかもしれないような、そのようなグループも確かに存在するわけなんだ。むしろ、そちらの方が多いと言えるのかもしれない。
成功するのか、失敗するのか、という日常生活の場面においても、もし、そんな心情を課しているのではないだろうかと思う人を見つけたときに、もしかしたら気づかないふりして僕自身もそうなのかもしれないけど、それは僕自身分からないけど、そんなときに陥ってしまうような強烈な事故嫌悪感みたいなものを人間は簡単に消しきれないのは、誰が成功した人か、誰が失敗した人か、なんて自分以外に決めるものなんてこの世にないと僕は思っているし、だからそんな自己的みたいなものに、人生においてなんの価値も意味もないからだと思うんだ。
ましてや、その手の成功したからどうとか、失敗したからどうとか、なんてものは他人が決めるものだと僕は思うんだ。それは未来だったり、歴史が決めるものでもないと思うし、そもそも、その人の人生だったり、生き方は勝負で図るものではないと、きっちりと言い切ることも、一方では可能なんだ。それなのに、ファンや、人々の記憶と歴史に残るのは大体、語り継がれるような偉大なる名勝負であったりするんだ。それが、格闘技みたいな物理的な戦いの場合なら、なんの問題もないのかもしれないが、心理的な駆け引きまで含まれるのだから、もしかしたら人類というのは常に結果という基準に踊らされてきたのかもしれない。 櫻坂46の世界観や、このグループの取る行動は、その時代や場所の常識や習慣に左右されているようにも思える。
空間や時間など、それらの認識もその例外ではないにかもしれないが、
あらためて、その事実が意識されないほど、それらは自明のものとして受け止められてる気がするんだ。 欅坂46時代から続いてきた、これまでの定型化していた核となる要素みたいなものを打ち壊し、新たな櫻坂46としての強烈な直接性をグループに与えることに成功したんだと思うんだ。それは、これまでのこのグループに見られた主張に代わって、あらゆる角度から、より大きな視野からのこのグループの持つ理想などを歌って表現していくというべき、新たなる方向性を櫻坂46の個性として、このグループが見出したことも大きく変化したことだと思うんだ。
確かに、このグループは他のグループに比べても、いろんな新しい要素を持ち合わせていると思うし、いろいろな顔を見せてくれるだろうけど、だけどそれだけじゃないってことも、このグループはハッキリ示してきたと思うし、ある意味で日本だけでは収まりきらないグループに成長したんだと思うんだ。日本以外の人でもオーディエンスが曲やパフォーマンスに心底、共感してくれているという話を聞いたりもするし。もしかしたら、それは櫻坂46というグループのアティチュードが全てを表しているってことだと思うんだ。
だから、やっぱり単なるグループというよりかは、その人にとっての人生と言っても過言じゃないのかもしれないんだ。このグループが成功しているのにはそれなりの、ちゃんとした理由があると思うし、それは日本においても、みんながこのグループに一目置いてるのが、ひしひしと伝わってくるんだ。アイドルの曲が嫌いで受け付けない人も、どんなグループなのか知らないような人でも、この櫻坂46というグループには興味を持ってくれているんだと思うんだ。というよりも、もしかしたら、このグループに何かを託そうとしているのではないだろうか。夢?希望?それは新たなるこのグループとの絆に到達した証でもあるのかもしれない。 欅坂46が語ろうとしてきた、この時代、この現実への煩わしさみたいなものは、
この生まれ変わった、櫻坂46のメッセージとも共通しているようにも思えるんだ。
その現実の彼方にある、圧倒的な非現実的なおぞましいい何かを表現しようとするとき、
物語のリアルに、この日常のリアルを横すべりさせるという手法は、櫻坂46が選んだ方法でもあるんだ。
そこに提示される日常の果てには何があるというのか、そこが重要になってくるだろう。 ほんと毎回、これほどの素晴らしい曲を作り上げていくことの難しさは並大抵なことではないんだろうけど、櫻坂46というグループに対しても、メンバー自身においても、自分にとって何が一番大事なことであるのかとか、何が必要ではないだとか、それが表現レベルの向上において大切になってくるんだと思うんだ。この櫻坂46の作り出す音楽やパフォーマンスから感じ取れるのは、その点では周りにいっさい流されない頑固なほどの強さみたいなものを感じるし、それが確固たるグループとしてのライフスタイルとしてリンクしている気がするんだ。
それが、メンバー自身の己の自己と、どこまで関係あるかは、はっきりと断言することは出来ないかもしれないけど、少なくともこの櫻坂46というグループの音楽は、そこにある世界に対峙するであろう姿勢やらを自分たちで、選び取った人たちが作り出すものだと思うんだ。それが、より多くの人にメッセージを届けるということに繋がってくるんだと僕は思うんだ。それはダンスパフォーマンスにおいても言えることかもしれない。でも、多くのファンの人にしてみたら、別にそんな大それた理屈は関係なくて、単にカッコいい音楽だから聴いているんだという意見もあるだろうし、ノリの良いサウンドをただ楽しんでいる人もいるかもしれない。
僕自身も基本的にはそう思っているところもあるのだけれども、でも、このグループの音楽やパフォーマンスは、単なる美しさや、カッコ良さを超えて、聞いている僕らたちの、こちら側の世界をも、浸食してくるようなパワーを持ち合わせているような気がするんだ。僕がこのグループの音楽を聞くいたり、パフォーマンスに感動するのは、単にカッコいいからじゃないんだ。そこには、確かに決して世間的な基準みたいなものなんかに拠らないような、かと言って、それは表現のレベルとかの話だけではない気もするのだけれども、もしかしたら、そこにある存在としての櫻坂46としての確固たる強さみたいなものがあるからではないだろうか。 これから行われるライブは驚異的だが適切と分かっているので、なんて表現は多分、櫻坂46でしか出来ないんだ。
それは、ある意味でアイドルがどうとかという夢を挫く可能性もある長く厳しいライブの記録でもあるんだろうけど
櫻坂46のライブを見ていれば、その構造が増幅する実用書でもあるのではないだろうか。
そして、これらはどこに反映されているのかと思うほど、櫻坂46のライブは矢継ぎ早に進化していくんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています