徘徊する老油田「サハリン」・・・01

 ロシアに対する非難が強まる中で、日本が石油・天然ガスの権益を持つサハリンでの
事業をめぐり、共同で参画していた欧米の国際石油資本(メジャー)が相次いで撤退を
決めた。「サハリンでは大規模な石油・天然ガスの埋蔵量が確認されており、我が国に
地理的に極めて近いことから、供給源の多角化に資する重要なプロジェクト」として、
多元化措置に有効である。と経済産業省資源エネルギー庁「エネルギー白書2012」は、
その有効せいを説いていた。国は折に触れて、日本の北方にあるその土地と資源の重要
性を強調し、欧米各国が制裁を強める中、日本企業は難しいかじ取りを迫られている。
サハリン1、サハリン2がクローズアップされるが、石油開発のサハリンプロジェクト
はこのほか、中国企業が参画するサハリン3をはじめ、サハリン9まで存在するのだ。
 原油価格(WTI)が1バレル120ドルを超えて高騰した2008年、筆者はロシアで
の石油開発事業に当たっていた。当時の経験と記憶を踏まえ、サハリンプロジェクトの
始まりと1〜9の各案件を概説したい。( 石油天然ガス・金属鉱物資源機構の資料を
もとに加工、以降の地図は北海道庁の資料を加工、薄緑の箇所が対象鉱区 https://
news.yahoo.co.jp/byline/minamiryuta/20220411-00290871
もともと、「サハリンプロジェクト」の興りは古く、日露戦争時代前の間宮林蔵の頃の
領地の交渉まで遡る。江戸時代の事だが、そこまでいけば長くなるので、ソ連ができた
日露戦以降頃から行こう。サハリンを領有しての、石油・天然ガスの開発事業の歴史の
できるのは、オハ油田の掘削である。当時樺太と呼ばれたころ、シャケやマスなどの、
海産物交易が主だった。ところがその北方海産物が唯一取引しないかいガンがあった。
それは油が流れて、魚の寄り付かないオハの地だった。