FC版ドラゴンクエストTをリアルタイムでやった人に聞きたい。なんであんなに、
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それまでRPGはお高いパソコンを持ってないとプレイできなかったから 難しくてマニアックだったRPGを、誰にでも遊べるように工夫したから。 家庭用ゲーム初の本格RPG
当時ジャンプの人気作家だった鳥山明起用
そういう話題性があったから 難しくてマニアックなジャンルなら
そもそもやりたいとも思わないわな 3なんて発売日にめっちゃ並んで、買えなかった障害者が買えた奴を襲撃してソフトを奪い取る事件が横行したんだよね そんなの何にでも言えるだろ
プロレスやらボクシングやらアニメも視聴率20%30%超えとかあったし
たまごっちも今見たらゴミだろ 大ヒットしたのは2からだよな
そして3で大人気タイトルとして不動の地位を確立した感じ ブームになったのは2からだがミリオン行ってるんだよな 当時小学生だったけど
正面向いて上下左右方向に移動してる姿を見て揶揄ってた記憶がある >>19
お前教室行くまでちょっとやってみろよwとかやってたよな >>5
あの当時はpcよりFCのほうがグラは良かったぞ 4が出る前くらいに借りて初めてプレイしたけど
序盤が暇過ぎでダルかったので
いのきばばのパスワードでエンディング観て返した
未だにどんなストーリーなのかよくわからない 4がどこへ行っても買えなくて仕方なく糞みたいなソフト3本余計についてくる抱き合わせを泣く泣く買ったな 無理矢理100万本ねじ込んだって当時のエニ社長がぶっちゃけてる
あと2発売以降に1を買う人も多かった、というか発売日見ればわかるが3までは発売日が異様に近い 初代桃太郎伝説はまんまドラクエ1の正当進化みたいなつくりだが
堀井氏とさくま氏は友人で堀井氏が「僕にでも作れるんだからさくまくんなら作れるよ」
と言うような事を言ったのがきっかけで生まれたとか 今の若い子にはピンと来ないだろうけど
当時の少年ジャンプの影響力はそれだけすごかったのよ
娯楽の頂点に位置してたからね 1はその後のRPGを知っているときついと思う
暇で 1の約半年後に2が出た
2の約一年後に3が出た
当時はポンポン出てたんだが >>26
3部作なのと、ストーリーはおまけな時代だったからね ドラクエ以前にまずファミコンブームがあるからな
ファミコンで当時目新しいRPGというジャンルの火付け役になったのがドラクエ
ウルティマやウィザードリィなんかマニアとオタクしか知らんし 桃伝に関してはさくまが夢幻の心臓の影響こそあれドラクエの影響を否定してるのが面白い 特別な人気が出始めたのは2からだよなあ
2で一人旅じゃなくて仲間がいるってめちゃくちゃ話題になった 友達のMSX初代を見て面白そうだと思ってファミコンの2買ったんだよなぁ
惹きつけるものがあったのは確かだよ 1は仕込み
2で人気になり
3で社会現象
正直1は遊んでピンとこない子供も多かった 1自称勇者ロトの子孫
2そのまた子孫
3勇者オルテガの息子 2は序盤からやることあるしね
サマルのバカ探しとか
難しいけど暇ではなかった 初めてDQ1やった時、レンタルだったなぁ。
当然今考えると、違法なんだけど。
町の文房具屋でやってたよ。 3で初めてドラクエ体験して1、2へと入っていったな。
ストーリーの時系列としては正しい。
1は仲間がいなかったから戦闘が単調だった印象。 >>23
別にストーリーモノと言うほどでもないので、ここでも十分書きれる程度だよ ファミコン時代にRPGっていうのは新ジャンルで
ブームになったってのはあるな 2からだろ
1も最終的にはジワ売れしたけど熱狂はしてねえよ 当時、450万部〜500万部ぐらい売れてた少年ジャンプで今で言うステマを
やれたのが大きいと思う
そして実際に発売されたゲームもよくできていたので話題が話題を呼んで
いい方向に転がったんだろう ドラゴンクエストの名が社会全般に広まったのは3から
ドラクエカツアゲや抱き合わせ商法で売れないクソゲーを定価で売りつけるゲームショップなどという悪党が世間を賑わせた >>42
法律が追いついてなかったからレンタルもコピーも違法ではなかった アフィ的にどういうまとめ方したいのか知らんが1は大して受けてないだろ 人気があったかは知らないけど
1は毎日クリアしてエンディング見る程度には好きだったし
2は発売日に買うくらい好きだった
やっぱ出来良かったんだと思う >>52
知ってる
というか、あれはステマみたいなもんだったと堀井自身が言っている 1は友達のを少し遊ばせてもらったけど、そんなにピンとこなかった
けど、2は朝から並んで入手した
思いっきりハマった 確かドラクエ1と同時期にディスクシステムとゼルダ初代が出たんだが
ジャンプ誌上ではファミコン本体だけで遊べるドラクエの方が手軽でお勧めみたいな事言って
そりゃそうなんだろうけどーってなった 全盛期ジャンプ、全盛期鳥山明、全盛期ゆうてい
買わないガキはいない 初代はワゴンだったな
スペランカー買いにいったら売り切れでドラクエが山積みだったわ ジャンプと鳥山明の力が大きかったな
ジャンプなんて当時の子供はみんな読んでたし 雑誌編集者(ユーザー側)の堀井が自分の作ったゲームを紹介してレビューしたわけだからまあステマだな 超絶上り調子の少年ジャンプの巻頭カラーで
RPGとは何ぞや?って丁寧な解説を
開発中から長期間特集組まれてたし
何より鳥山明だし 1はひっそりと売れたよ
俺は友達がソフト持ってきてそこで知ったわ
新しいジャンルのゲームだったからハマったな ジャンプで堀井が自作自演してたのにみんな騙されたw 1は大ヒットした記憶無い
2は熱中したけどそれも日本中だったかどうかは分からん
大ヒットは3からだったと思う 日本中熱狂したっちゃした→2
文句無しに日本中熱狂した→3 2は予約戦争するくらい人気爆上がりしたよ
並びも凄かった 今だとまあゲームやる奴なら誰でも知ってるけどRPGって
海外で先行して国内では物好きだけがやってた先進的なジャンルだったんよー
今だとスプラがTPS翻訳したのに近いですね
ドラゴンボールも今だと古典、クラシックだけど当時は現役バリバリのトップ漫画家だったのよー リアルタイムの周りの情勢見ればすぐわかることを
イチイチスレ立てする意味は何だ 当時のPCユーザーはRPGがどんなものか知っていたが、ファミコンユーザーはRPG知らんかったからな。
当然ドラクエもさほど注目度は高くなくて、場末のディスカウントストアで簡単に買えた。 RPGってものが今もゲームのメインストリームなんだから
そのRPGを家庭用ゲームで手軽に遊べるとなったら売れない訳はないがな 初代がミリオン売れてたのは意外だった
実感としてはFFとそんなに違わない ステマってのは宣伝って気づかせないように宣伝することだ。作った本人、堀井が読者に面白いからプレイしてーって宣伝してんだからステマじゃない。 当時でもハイドライドスペシャルやドルアーガの塔とかのARPGはあったけど
テキスト化してゆっくり遊べるように作ったのも売れた要因
アドベンチャーゲーム寄りのゲームって当時の印象だったな 1は作る方も遊ぶ方も練習用って感じは強かったな
ただ、キーボード文化の上で遊ばれていたRPGというのを
手のひらコントローラに絶対書き換えるのだという信念はすぐに実を結んだね
そしてなんといっても非アクションゲームでありながらビジュアル重視、というのを
やっと確立できた一歩目か。
紙芝居たるアドベンチャーゲームはゲーム的なビジュアルとは言えんからな 高度経済成長で日本が重工業からエレクトロニクスにシフトしていく時代だから
コンピューターの世界で冒険できるとなれば皆食いつくんだよなあ >>77
そうそう
マリオとかシューティングとかは面白いんだけどヘタだから疲れるしあまり進めない
戦うとき急いでボタン押ししなくても遊べるのが新鮮だった 一般層にも楽しめるように工夫したから売れた
鳥山のキャラデザも良かった
すぎやまの音楽も当時のファミコンとしては群を抜いていた スマホなんかも最早あの操作が当たり前だけど
あの完成度で新コンセプトをバッと出せたのが凄いんやね
更に後になると当たり前すぎて何でヒットしたのか分からなくなるよ 当時同級生みんなDQ1を買ってもらってる中、ワイのオッヤはワルキューレの冒険を買ってきた… 2は予約できずに、発売から1週間待ったなぁ
追加入荷日、入荷前に前金を払って近所で時間つぶししてる時のワクワク感 大ヒットして日本中が熱狂なんてしてねーよ
当時はバンバン100万本とか50万本とか売れる時代だから >>89
当時はドットで似たようなパチモンキャラゲーでも10万20万普通に売れた時代だったしな
それが鳥山絵そのままで出してきたのも大きい >>8
中1の時に遊んだ
いつ発売したのかは知らない
最初に知ったのはファミマガの攻略記事
夏休みにツレの家で遊んだ時は「へー、こういうゲームもあるんだなあ」と思った 戦闘ばかりやっていて装備を買わずにレベル30。
王様に怒られた。 ジャンプの力が大きすぎた
いま思い返せばジャンプでなければ人でないみたいな当時の雰囲気はまさしく昭和だったな 1は別に面白くなかったし人気なかったぞ
2がぼちぼち受けて3で大爆発しただけ 初代ゼルダの方が、今までにないスゴいゲームをやってる感があって感動した。。
それを言うとパソコンでザナドゥとかやってる奴に馬鹿にされたな。 1は雑誌に載ってた適当な復活の呪文入れて最強化して遊んでたわ
邪道にも程があるけどそれはそれで楽しかった
あんまりハマったってわけじゃなかったけど音楽やらグラフィックに妙な中毒性があって2が出る頃には待ちきれない感じになってたな >>96
正直ゼルダはザナドゥ越えてると思ったけどな 1は特に記憶はない。2は友達と攻略?の話を良くした記憶がある。
3は社会現象でビビったな。 あんなに大ヒットしたってw
知ったかぶりじゃね?w >>96
ゼルダはまずディスクシステムの音源でびっくりさせられたな
内容については面白いんだけど音が新しすぎて
他ゲームとうまく比較できなかった
なにぶんゲーム音楽っていうのはゲームセンターの騒音の中で聞かされてるから
家でじっくりゲーム音楽味わったというのは初体験なのかもしれん >>94
2はとてつもなく人気あった
んで、その期待から3が爆発したわけだけど
内容も見事に期待に応えたものだったから揺るがない人気を獲得した >>93
発行部数500万部で
周囲で回し読みするから実質読者は2000万人以上と言われてる
当時の10代男子8割、女子4割は読んでただろう もう世の中は5が出てたけどシリーズ物なら1からやらなきゃいけないんだと思って1やったな
さいきようもちもののパスワードでチートした
おけもん 2は今やってもそこそこ面白いからなあ
当時はホントに魂吸われたわ >>21
そういうことじゃなくて、当時はRPGはPCでしか出来なかった。グラフィックがとかそういうことじゃないの。
ウィザードリー、ウルティマ、ブラックオニキスとかFCが出る前のゲームなんだよ。
それがFCでできるとなったらみんな飛びつくのさ。
ゲーム機が沢山ある現代とは違ってのよ環境が。 初代のカニ歩きは当時からトリビア的な扱いだったから
未プレイも多かったんだよな >>1
1はヒットしてないよ
じわじわ広がったタイミングで2がもう出てたから
ヒットしたのは2からって印象がある >>1
2は話題になってたよ。ジャンプの綴じ込み記事の紹介も効いてたと思う
学校終わってゲーム屋にダッシュの光景を初めて見たゲーム
1は持ってる友人も少なかったしそんなに流行らなかった
中盤のレベル上げが当時ですら単調でダルく、脱落者も多かったろう 復活の呪文ネタがメチャうけたw
当時としては全体的にネタの宝庫だったかな >>21
ドラクエ前にリリースされてたけどブラスティーとかファミコンじゃ無理やぞ
スプライトが強力でアクションとかは太刀打ちできんけど
RPGとかの静的なゲームならPCの方が向いてるわ >>50
そういうことなんだね。
子供ながら、ソフトがあきらかにパチモンだったとは知ってたけど・・・ DQ1は、後のシリーズの人気からロングヒットになって、
3の後に累計150万本になった感じ ソフト持ってなかったがなぜか1はクリアした
これで東西南北をおぼえた
そして2が出るとわかり楽しみにしていたが手に入れる事ができずにいたらサンタさんが枕元に置いてくれた 紙芝居しぐさであるアドベンチャーがダメで
一方でRPGがウケたのは「人形劇」しぐさだからじゃないかと思う
どちらかというとDQ2が踏み出した一歩ではあるが
アクションゲームよろしくキャラの向きがちゃんとしていただけで
想像が掻き立てられたわけよ
アクションゲームだと死なない事で考えが占められてしまうので
ハイドライドでは人形遊びとは言えないw ドラゴンバスターのタイトル別案がドラゴンクエストだったんだよな
ナムコに先に名前を取られてたらどうなってただろうな >>117
ドラゴンバスターって名前にすればいいじゃない 当時500万部を誇ってたジャンプとタイアップしてたのが大きかった
本格的に人気が出たのは2からで、他のゲーム雑誌もドラクエ一色だったからな 会社の寮で「死んだら交代」ってルールで遊んでた
RPGがどんなものか分かってなかったからなぁ >>119
略しにくいからここまで流行るとは思えない 2はほんと誰でも持ってたな
家にもあったけどいつ手に入れたか覚えてない まあロックとかテレビももう当たり前すぎて何が革新的だったか肌感覚ではよく分からんからな
インターネットももうそんな感じか とにかく1から2の進化がすごかった
パーティープレイができるわ敵はドバっと出てくるわ船で世界は回れるわ
それでいて1の世界と音楽もちらっと出てくる
今思うとパワーアップ感を出すためにあえて1のスケールを小さくしてたんだと思うけれど当時はまんまと乗せられた >>119
当時はナムコのアーケードゲームで
同タイトルのアクションゲームがあったから
FCのにも移植されたけどこっちも傑作 >>96
ゼルダもすごいけどザナドゥもめちゃくちゃおもしろいからな
RPG=リソース管理ゲームの時代だったし
あれ以上のリソース管理ゲームはなかなかない 陸海空で進化の余地残す商法は上手かったよな
4からは変化の方向に色々試行錯誤あるし 高校生のとき、友達の弟が持ってて、何か分からずやったのが初めて。
主人公の名前を、入れるところから盛り上がり(本名いれて)1人がプレイしてるのを3人で見て盛り上がってた。
テンポもバランスも(当時としては)良かった。音楽も寂しげで素晴らしい。 1、2、3は発売日に買ったがどれも予約しないと買えない程度には売れてた
ただ1はそれまでなかったジャンルだったから出荷本数が弱気だったんだろう
クリアした友達のを借りてやってるやつがかなり多かったと思う
それでハマったやつが2に飛びついて、3で一気にライト層にも広がった 書いてて思ったけど、実況プレイだったな。
ボードのシミュレーションやTRPGリプレイと同じノリで楽しんだ。 4は予約できなくて朝5時から親父とおもちゃ屋に並んだ >>107
飛びつくような訴求力がまだRPGには無かった FF1とかジャンプのレビューでディスられてたよなw
まあ判る気もするが普段DQ押しすぎたのでなんだかな FF1の全体魔法使ったことあんのかよ
あれはだるいわw ネタ系のふっかつのじゅもんは仕込みじゃなくてただの偶然だったってのが面白い
パスワードのチェックサムがザルだっただけなので
そういう運にも恵まれたんだろうな 正直ドラクエ(笑)よりファンタシースターU・Wのほうが好きだわ(´・ω・`) オリジナル1はもしかしたら通してプレイしたことないかも
スーファミのリメイクなんかは何度かクリアしてるけど 1は鳥山キャラ以外はそこまで話題にならなかったな
2でパーティープレイの話が出てきて
なんだそりゃ? 主人公一人じゃないの? ってみんな驚いた いやあ、意外とすんなり受け入れて楽しめたな。
たぶん、前にポートピアを遊んでたからだと思う。 >>141
なのかな?
どこのおもちゃ屋行っても手に入らなかった
あきらめてたのにクリスマスにもらえてびっくりした
あやうくサンタ信じそうになったエピソード ドラクエ1はふーんファミコンでRPGができるんだ程度だったけど
2は見た目もリッチで難度もちょうどいい歯ごたえだし
ザハンとかサマルトリアの宝物庫とかのレベルデザインは見事だし
キラーマシンとかフレイムとかモンスターも斬新だし
牧野アンナの存在感はスゴいしで
ワクワクの塊というかとにかく超クールだった 1の時はまったく知られてないジャンルだったからな
「逃げるを選び続けると卑怯者として死ぬ」なんてわけわからん噂が発売前に出たくらいだw >>136
ディスられてたのは、たぶんFF2。
そのかわりバギーホッパーかなんかが凄い高評価で、
俺らはそんなことないだろ、って言ってたけど
ゆうていミヤ王のこと知って
今考えると分かる評価だったな。 DQ1はそんなにヒットしてない
いやヒットはしてるけどさ
そのころのFCフィーバーぶりにしたらそこまでではなかったよな
2で大ヒット
3でメガヒットって感じだったわ 1984年にファミコン買った人が来ましたよ
ドラクエ発売当時小学5年生
当時ああいうゲームが初めてだったからかなー
ポートピアとかも友達の家であーだこーだしながら遊んでたよ 1は気になっていたがやれるチャンスはなかった
2は発売日には買えなかった
田舎なんで行ける距離では片手で数えられる本数しか入荷してなかったから
学校をサボったやつぐらいしか買えなかった
1週間後ぐらいに隣町の当時としては大きなショッピングセンターに
おふくろと行ったらたまたま入荷のタイミングで買えた コロコロコミックでは特集してたと思うよ
ファミマガではどうだったか記憶にないわ あの時代の週刊少年ジャンプでメッチャ推されてたのが大きいわ ドラクエ1は発売前にbeepの記事で1ページで紹介されたけど
発売したら記事の内容がほとんど説明書の丸写しだったことに気づいてビックリした >>127
1は1で限界攻めてるぞ
一発目で復活の呪文52文字のパーティープレイドラクエとか作れるわけないじゃん 2はジャンプ並に売れてたよな体感的に
持ってて当然のソフトだった
3はドラゴンボール 2からだな、当時はジャンプやファミコン雑誌の力も強かった 夏休み、そろばん塾の外で教わった呪文はまだ覚えてる。
みさげらて でばこえゆりろ もどとやで さがい だくてんが多い名前とか長い名前だと自分の名前入れられないw ゆうたろう は ゆうたろ 1はいつでも普通に店で買えた。夜の新宿西口のヨドバシかサクラ屋で購入
2は初日に店に行けば普通に買えた。新宿駅の玩具屋で購入
3は徹夜組が出て買えない人多数。徹夜で新宿アルタ側のヨドバシで並んでたら整理券配布。昼に出直して購入 かいだんとかとびらのコマンドが意味分からなかった
戦闘も静止画で文字を読んで戦うのが意味分からなかった
ゲームなんだからアクションで表現しろよと思って投げた FFはあくまでもドラクエの対抗馬として売れただけだからねぇ
特に3は
まあ2と8は名作だけど 当時のジャンプのファミコン神拳ってコーナーがあって
http://vjump.shueisha.co.jp/dqnext/webno020.html
ここに画像あるけど大大的にプッシュされてたんだよね
毎週特集組まれてジャンプ読者は嫌でも気になってしまう知名度だったね
割とすぐに2も出てパーティーだったり複数の敵だったりと進化に驚かされたな アクションやシューティングしかやらない友人に見せたら
カニ歩きだの字を読むだけの戦闘だのスライムやドラキーで敵が笑ってるだの
見たまましか受け取れない想像力のない人ってのを認識させた あのアイコンがかいだんだとはわからず
いっとき王様の部屋をウロウロしていた 当時のキッズはハドソンシューティングキャラバンに夢中
dqに火がついたのは2から メラゾーマが180ダメージがあることに快感を覚えた
呪文が増えたな 86年秋にマルカツファミコンで
ドラクエ2が出ると読んだ時の高揚感は今でもはっきり覚えてる
ワールドマップが前作の4倍以上と知ってテンション上がりまくった ロトの鎧の武器屋ゆきのふさん=初代P千田幸信氏が元。
FC版2しかいない、タイアップ曲歌った牧野アンナは、元SUPER MONKEY’Sで
安室奈美恵にさえ恐れられてる、現在振付師。 FFはシナリオあたりの数値インフレ激しいから
早めに効率いい拠点に進むみたいな遊び方してたな
ドラクエクローンの桃伝とかは終盤も経験値しぶい まぁ当時の事情を知ってる世代じゃないと理解も出来ないと思うが、
当時家庭用はおろか、PCでもあれだけ出来の良いRPGはそうそう無かった
1は今から見れば本当最小限のシンプルそのもののゲームだが、
当時はそれですら名作たりえるくらい他にロクなRPGが無かったのさ
ウィザードリィ的なエンカウントと戦闘、成長のシステム
ウルティマ的な操作体系やマップ構造、デザイン
それに加えて家庭用向けのシンプルな操作性やアレンジを盛り込んで
ゲーム自体の面白さは同じような物を味わえるようにバランスを取った
誰もやらなかった事を真っ先にやったんだから、そりゃ先進的に映るわな ドラクエ1よりハイドライドスペシャルの方が当時話題だった
ドラクエ人気は2から まず当時のファミコン少年なんてRPGがどんなもんかも分かってないわけよ
やったことあるのはアクションとかシューティングとかレースとか、まあ基本動かすゲームだけ
その状態でマル勝だかファミマがだか忘れたがドラゴンクエストってゲームが出るぞって記事読んだら
序盤のマップと敵キャラが「がいこつ」あたりまで紹介されててさ、まず思ったのがキャラでっけえ!だったな
で、記事の平面マップ見てんのに頭ん中じゃなぜか横スクロールアクションで進んでったらがいこつとかスライムとかが出てくる様子を想像してんの
RPGてなんや・・・わからん・・・わからんけどなんかすごそうや・・・ ってドキドキしてた 主人公はあなたですという
RPGの遊び方としては主流ではない遊び方を
ほぼRPGに必須の条件にしてしまった戦犯
最初にそれを売りにしたのはザ・ブラックオニキスだけど 1はやってる奴こそいたもののそこまで話題になってなかった
2が出てから周りでも話すようになった
ふっかつの呪文を書いたノートを持ってきた奴がいて
そいつがいない合間に濁点と半濁点を書き足したりしてた ハイドライド店頭でプレイできる所あったけどルールわかんなかったな >>185
よくそんな悪魔のような所業を思い付くな
ちょっと感心したぞ ドラクエはSFCから入ったけどFC版2が一番難しいってマジ? 呪文エラーで濁点変えたりしをくにしたり解読に何時間もかけたりな
ほとんど時間の無駄だけとたまにヒットすると脳汁出ますわ >>1
してない
1でスマッシュヒット
2でメガヒット
3で核爆ヒット 1でRPGの楽しさを知り
2の大幅進化で度肝を抜かれ
3が神ゲー過ぎて伝説になった 2のロンダルキアの長さやブリザードのザラキ、シドーのベホマとかよく語られるけど
はぐれメタルですら経験値1000っていう育成しづらさが地味にきつい思い出 最初に友達の家で見たのが3で、初めてプレイしたのが2
その後に借りてプレイしたのが1だったな
1はいろいろとネタ扱いだった
ドラクエを初めて見たときにゲームの中に初めて世界があったと思ったよ
RPGなんてジャンルはやったことなかった
そりゃ衝撃だった そりゃ、子供がゲームをする1番の目的なんて冒険したいってことだしな
マリオだって冒険だから売れたんだし
今のゲームだってそこからはずれねえわな
戦いたい、冒険したい この2つを満たしたゲームが子供に売れる ドラクエ3はカンダタの自動回復で詰んだり黄金の爪持ち歩いたりランシールバグでアレフガルドに閉じ込められたり
結構辛い思い出も多かった 1は鳥山の絵をFCのドット絵で再現したところにのみ価値があったな
ジャンプでもそこ押してたし
借りてプレイしたときは、はじめの小部屋(王の間)から何すれば良いのかわからず
そのまま返却した ドラクエが爆発したのは2からだったな
1もジャンプが毎週のように押してたからそれなりにやってる奴はいた 1はボリュームが少なかったな
2の3分の1もやった感じはしなかった
ソフトの持ち主にレベル20でクリアできると聞いたけど
20まで上げて竜王の城に突っ込んだら1回で倒せたもの いままでCSではほぼ皆無のRPGを発売
PCではあったがなにかとわかりにくい、操作がむつかしいものばかりのなか
パッドだけで操作できる!というかなりのわかりやすい設計
ゲーム内のフレーズが友人やゲーム雑誌であふれる
社会現象になったのは3あたりから 20レベ初見とか無理だろ
やくそうmpぎりぎりのレベルなのに
ダンジョン完全におぼえてないと無理 俺の周りはPC持ってたりMSX持ってる奴もいたから
アドベンチャーブックとか読んでるようなコア層には
やっぱブラックオニキスとかハイドライドとかザナドゥのが凄いって感じだった
そのころはスターフォースとかスターソルジャーとか出て
シューティング全盛期だったからそっちのが一般小学生に人気あったと思う
あとスーパーマリオとかゼルダとかアクション系
その後ドラクエ2で状況は一変したが なんで流行ったかってそりゃジャンプで宣伝してたからだろ。。
まだファミコン通信ってなかった時代かもな? パスワード式のゲームは人に最強パス教えてもらう前提で遊んでたから
通しでやった事ない >>189
はまり道の本に載ってたじゅもんはそれで行ける 一応19でクリアできるようにはなってるから、不可能でもないよ
でも初回なら相当運が良かったとしか まあとにかくドラゴンクエストはクラスでも流行ったよ
ファミコン冒険ゲームブックとかまで流行ったしノートに敵キャラとマップ描いてサイコロ振って戦うなんんちゃってTRPGもどきまで流行った
2、3と過熱してったのは言わずもがなだな 予約してないとすぐ売り切れてカツアゲあったり
ソフト屋がクソゲーと抱き合わせ販売して1万いくらで売ってたり
小中学生が発売日に学校休んでドラクエしてたりってのは
ドラクエ2からだと思うわ
かく言う俺も親の風邪ひいて熱出た言って学校ズル休みして
その日一日中ドラクエ2やってたわw 1リアルタイムでプレイした人がこんなにいるのかよ恐ろしいな ドラクエ1って最高レベルが30だもんな
そのせいでレベル上限が高くなった以降のRPGやってもしばらくは
レベル30超えるとなんか強くなった感というか達成感感じてたわ 当時テレビCMも結構見た記憶があるんだよなぁ
ドラゴンが写ってド・ラ・ゴ・ン ・クエ・ス・トってやつ
と思って見てきたらやっぱりそうだった
初代から販促もきっちりやってたんだな 42歳のおっさんだけどリアルタイマーだよ
1からすごい楽しめた、最初の勇者の名前 きたろう だった
兄貴が付けた、嫌だったw 30あれば竜王戦で回復しなくてもぎり勝てるw調整完璧だな >>164
30年以上経つのに自分もレベル30の復活の呪文を今でも覚えてる
おかのかい うぞるちゆみも
よおぐぼう ぞとち 10歳前後の記憶は一生忘れないので
語学などを身につけると良いそうだ
それをふっかつのじゅもんに… その大事な記憶領域をDQ2の最強呪文やドルアーガの隠しコマンド、
スターフォースのヒドゥンの位置、マリオの隠し等で消費しました >>127
元々3みたいのをイメージしてたが
ユーザーが馴染み無いジャンルだから入り易くシンプルにしたのが1 >>218
そもそも技術的にも無理だろバッテリーバックアップないんだから >>1
あと
ジャンプが作る過程を毎週特集してたんやで
マシリトが鳥山明を巻き込んだりしたのは
そういう理由があるんだよ >>127
単純に容量の問題やで
文字もま引いてるのに >>1
>>109が真実
もともとRPGはPCの方がウルティマなりウィザードリーなりハイドライドが既に出てた
それの劣化版がドラクエ
PCユーザからしたら「あのスライムはなんだよw」って鳥山の絵のRPGの世界は失笑もんだったわ
だけどPC持ってないRPG未体験のやつが国内大半で当時のジャンプの影響力からジワジワと売れてっただけ
ヒットしたのは2からだわ Ultima III: Exodus 1983年8月3日
ドラクエ1 1986年5月27日
ドラクエ2 1987年1月26日
ドラクエ3 1988年2月10日 >>188
そうそう、1の半年後に出したから少々急ぎすぎで、最後の辺りの難易度が調整不足だった。
最後の大地に続く洞窟がかなり長くて、落とし穴も多くて敵も強く迷う。
ラスボスを倒せるレベルになってても、最終ダンジョンへの道中の雑魚敵がやたら強くて、
イオナズンやザオリクなどの反則級の呪文を使ってくるから、運が悪いと行くまでに全滅する。
ま、当時はアクションで難易度の高いゲームが多かったから、それ程気にもされなかったけど。
今だったら、バランスの悪いゲームに思われるだろうな。 パクリ元として夢幻の心臓2の名前がよく出るけど遊んだ奴がいないから内容の話にはならない ボコスカウォーズもカニだった
シミュゲーで横向きのチップがないのと同じ感覚だったんだろう 逆にもう成長しない今のがつらくないか・・・これ以上進化しようもない >>215
俺も覚えてるわ 友達に聞いたやつ
ぎごとしく けしめこのよる わきぐいお りおへ
「お」はどっちか「を」だったかもしれん ネット普及してから変に極悪難易度として広まってしまってるが、根気よくレベル上げや強化すれば
あくまでクリアできる範疇だからなDQ2もFF2〜3も >>224
比較になるゲームがないから特にこれといったことは・・・
PCやってた人にはどうかわからないけど極少数じゃないかと >>224
アクションゲームじゃないし、こういうものかなって思っただけだな 必死に逃げてレベル15でロンダルキアに着いた思い出(もちろん1周以上した後)
その記録はそこで終了したけれども・・・ラスボスは絶対に無理だし >>231
FF3って極悪難易度って言われてるん?最後が長いから?
>>232
単純に1の時はカニ歩きが普通で2になって方向むくようになったのが進化すごい!って印象だわな
大多数のファミコンキッズには FF3はやってた当時はどうとも思わなかった
長いダンジョンだな・・・とは思ったがその分の達成感はあった
闇の世界で道が分かれているのに気づかずに一直線で行ったりしたけれども >>227
わりとメジャーだし当然やってるで
見た目とかギミックがパクりと言われてるようだけど
システムの方が影響受けてると思った
キーボードのショートカットでコマンド選択じゃなくて
テンキーでコマンドを呼び出すUIだったけどドラクエに似てる
仲間が傭兵で1日いくらで雇って契約が終わったら消えるとか4のトルネコでほぼそのまんま流用してるし FF3のラスダンはゲームは1日1時間縛りとの戦いではあった カセット一本の価格が値上がり傾向なのに内容がそれに比例せず
既視感溢れるアクションやシューティングにパズルであまり長持ちしない不満があった。
そこに登場したDQは探索収集に謎解きと鍛錬によるレベルの突破など価格以上のやれる事の豊富さで話題になった。
大ヒットは2から始まり自分は2で終わっちゃった。 >>224
それはわりと普通
キャラクターが単色じゃないしバックも黒になってないし
さすがファミコンって感じ >>1
当時のPCゲーム事情や家庭用ゲームの事情
ゲームジャンルの細分化の始まりやRPGの輸入とか
当時の空気はいろんな流れが複合的に絡み合ってるので
とても一言じゃ答えられない。 FF3は難しいというか理不尽
逃げ腰もバックアタックも小人ダンジョンもガルーダも分裂モンスターもクリスタルタワーも
知ってても正面からごり押すしかない
敵が強いとか弱いとかよりできる事を制限されるのが辛い でもパソコンのウルティマ3ってかなり画面しょぼくない? ちょっと通ぶりたい人間がウルティマ派
ドラクエ2の時点ですべて抜かれた ドラクエ1でRPGというものを知った
ウルティマとウィザードリィは知らなかった ガサガサググってるけど
ドラクエ馬鹿にできるグラだろうか?当時のウィザードリィとウルティマって 今ほどゲームが当たり前の時代じゃなかったからものすごい体験だったんよ
空想の世界に入り込んだような感覚 ウルティマとウィズがドラクエの元、RPGの元祖って話は当時でも結構広まってて
ドラクエでRPG知ったキッズがファミコンやゲームボーイのウィズとか手を出してみるんだけどむずくて投げるんだよね
俺のことだがね >>21
PCの方がCSよりショボかった時代があるの? ドラクエ1は革新的に遊びやすかった。
あたりまえになったから新しく感じないだけで。
>>252
ファミコンは当時にしては高性能だよ
パソコンの方はゲームに関しては弱かったしね さすがにゲハにも1をリアルタイムでやってたやつは少ないんじゃね? 昔のゲームは、コマンド式ですらなくて、キーボードで文字入力したりしてた。
そこに堀井雄二がポートピアでコマンド式にすることを発明。
それを更にRPGに取り込むことで画期的に遊びやすくした。
ドラクエ1が話しかけるだけで方向を選ばされたのも、当時としてはむしろ
便利な方だった。
その後、キャラの向きが発明され向いてる方に話しかけられるようになり、
FFがコマンド抜きでAボタン一つで会話も調べるのもこなせるようにして
それもドラクエに取り込まれてどんどん発展したんだ。 グラは別に
ただウィザードリィは日本のデザイナーが神ってた
そして初代から6人pt、基礎4職上級4職ありながらどれも不要にならないバランスの完成度がすごい
今のゲームでもそうないんじゃない?
意地で作ったワードナの逆襲はあれだけど スクエアがドラクエ1の発売前にPCで発売したSFRPGクルーズチェイサーブラスティー
スタッフはFFのヒゲ
[PC-88] クルーズチェイサーブラスティー 店頭デモ
https://youtu.be/tGujyVYkcuM
3DダンジョンRPG
俺個人の感想ではBGMと敵のデザイン以外はブラスティーの方がいいかな >>252
当時のパソコンってそんなにグラ強くないよ
x68kとかゲーム性能もあるパソコンもドラクエの後だし 大ヒットではないだの言ってる奴は正気か?
STG、ACT全盛の時代に海の物とも山の物ともつかないソフトが
100万越えだぞ? >>164>>255
> 夏休み、そろばん塾の外で教わった呪文はまだ覚えてる。
こういう青春を感じるレス好き
よく覚えてるなwww 実体験として普通に買えた1と買うのに苦労もしくは買えなかった2と3を比較したらね・・・
3の国民的大ヒットを体験しちゃうと1は地味なじわ売れだったって印象になっちゃうのは仕方ない >>222
劣化版はねーよ。
遊びやすく、グラフィック的にも進化したのがドラクエ。
ウルティマやウィザードリィなんかじゃ絶対流行らんからな。
ドラクエ1の時点でじわじわヒットしてたからこそ、2から爆売れした。 昔のテレビはにじんで復活の呪文がよく見えなかったりしたんだよなあ
画面サイズも大きくないし ウルティマとウィザードリィのパクリなら恥ずかしくないけど
夢幻の心臓2のパクリだと恥ずかしいらしいな >>31
なんで調整も出来ないほど2の発売を急いだんだろう >>1
単に出来が良かったよ。一般的には馴染みがなかったから目新しさもあった。
「え、何これ!」と夢中になったキッズたちも多かったはず。
ただ、2から入って1を遊んだって人が一番多い気がする。
自分の名前を入れられるだけでも珍しかった時代だもの。 1はPCゲーとかやってるような層が買ってて2から子供もやり始めて3で大宣伝と丁寧な作りで大爆発って感じだった 当時の子供なんてPCのRPGの存在すら知らないの大半だろ。 ゲームの曲で初めて感動したのは1のエンディングだったわ >>266
マップの作り方やら、シナリオの進め方やら、夢幻の心臓2は本当に
下敷きになってるからな
当時のインタビューで、ウィザードリィウルティマの名前出して、
夢幻には一切言及しないのが不自然だった 続編が半年で出たスピード感にブランド立ち上げの秘訣があるような気がしてならない ブロック崩ししかなかった頃にゲームでストーリーが語れるなんて驚異的だった 迷路型のブラックオニキスより
最初のオープンワールドのドラクエ2
職業の違う3人の冒険物語、馬鹿受け
DQ1はぼっちの冒険で受けは今一だった。 >>275はIP218.228.83.220の岐阜県民のゲハ業者
毎日同じスレを同じ順に3〜4周書き込む仕事をしていた50台
ワッチョイのあるスレには一切書き込まないチキンっぷりを見せている
最近は頻度が少なくなっているが不定期にIDを変え、幻影陣も行っているが
用意できるIDは1日に2つまでの模様
ID:dSM9quX/0
http://hissi.org/read.php/ghard/20190411/ZFNNOXF1WC8w.html?thread=all >>251
DQ1は内容的に今じゃとても遊べたもんじゃないが、
FC版Wiz1は今でも余裕で遊べる
何だかんだで原点は偉大だな
Wiz1は世界のRPG史に間違いなく残るゲームだ
ウルティマも3の時点でエポックメイキングだったが、
4、6、7、オンラインと更に進化し続けたからな
こちらも間違いなくRPG史に残る偉業のシリーズ >>278
むしろ1人旅というのはのちのRPGにはない魅力もあるのだがね
自分一人がやられたら終わりと言う緊張感が凄いし
レベル一個上がった時の強さアップの実感も感じやすい
まあ単調なのは否めないがね >>235
初期のFFは難しいゲームってイメージがあった
まあ、ぶっちゃけ言えばドラクエに比べるとバランス取りが甘いと言うだけなのだがw
5でようやくドラクエに匹敵するぐらいのバランスになったって感じだね
もっとも当時はバランスが取れたRPGなんてドラクエくらいしか無かったからFFも良い部類の方であったのだが PCゲーとか言うけど、当時のアドベンチャーゲームなんて
一枚絵を表示するのに、十数秒当たり前にかかってたからね。
ゲームの宣伝文句に『描画速度驚異の7.6秒!』とかあったくらい。
だからファミコンそのものが、ものすごい驚きだった。 1はUIがまだ練られてないし、フィールド表示もチープだったのに、数ヵ月後に発売された2で思いっきり洗練されたのは驚いた 記憶の中にある呪文
わぐめばな そちばぢくくさ
ぶうすほむ ぢさけ
なんか従兄弟から最強て教えてもらって竜王倒した思い出の呪文 1はそんな売れてなったな
学校での会話が楽しかったわ
ギラ強すぎwとかゴールドマンあいつやばいとか楽しかったわ >>>256
アドベンチャーに取り入れたのは堀井のオホーツクに消ゆだけど
RPGに取り入れたのは夢幻の心臓2だよ >>267
エニックスがそれ程重要視して無かったからだと思う
当時として1は無難に売れた程度の商品だったから 2、3も船旅が楽しかったし
どちらもアレフガルドで感動した記憶があるわ >>284
ほんこれ
ドラクエ1はファミコンでよく頑張って作ったねみたいな感じだったのに
2はPCでRPGをやってた層でも熱中する出来だった ドラクエって夢幻の心臓のパクリやろって当時は思ってて特別スゲーと思わんかったな >>254
そこそこいると思うけど
1からやってるような人はドラクエが変質した4か5あたりで離脱してるから
わざわざドラクエのことを語りに来ないんじゃないか ジャンプとのコラボじゃね
特集もやってたし放送局の奴らも村人にいた
その後も2.3とジャンプで特集続くんだが
まあジャンプイケイケ時代たった しまいにゃマクラーレンのスポンサーしてたし スーマリが帝王として君臨してた時代
情報はテレビのCMくらいしか無く
カセットはパッケージ買いのガチャ状態
発売当時は特に注目されなかった
売れたのは多分
ジャンプの力と口コミでのジワ売れやぞ やっぱり鳥山明の破壊的なパワーと全盛期ジャンプのリーチ力よ
>>259のヒゲと植松のブラスティーなんかもドラクエより先にPCで
サンライズにロボット描かせてメディアミックスしたりしようとしてたけど
ドラクエは露出のスケールが違った >>1
アフィリエイトがなかったから(´・ω・`) 1は本当に大して売れてなかったし、盛り上がっても無かったよな
クチコミの連鎖だよ
友達から借りるとかいうあの時代が生んだ現象 >>244
分裂モンスターはスリプルで眠らせてから
トドメ刺すと分裂しないぞ >>301
後続潰しでFF2をディスったのは許されんな
システムストーリー演出すべてが斬新だったのに
あたの評価はないわ
あんな意欲作は他にないだろ >>303
ストーリー演出と成長システムのアイデアは素晴らしかったのだが
肝心のゲームバランスの方がメタメタだった印象。良作になり損ねた駄作って感じ
FF3でシステムが1方式に戻ったのもあまり2のウケが良くなかったからだろうと思う
もっともFF2のシステムはのちのロマサガに受け継がれ発展する事になるからアイデアそのものはやっぱ良かったのだと思う 小学生だったから世間的にどんなだったかってのは知らんけど、田舎の小学生の周囲では1はそこまで話題にはなってなかったな
ドラゴンボールの鳥山明がデザインした敵がそのまま画面に出てる!…けど、どういうゲームなんだコレ、みたいな DQ1は当時キッズのバイブルである少年ジャンプでステマ記事しまくって周知させたおかげで
DQ2の大成功に繋がってる 雑誌のゲーム特集コーナーでこれが期待のゲームだって載せるのは全くもって隠れてないわ
ステルスって英単語知ってる? 世代とか地域性の差もあるだろうが、自分の周りでドラクエが話題になったのはやっぱり3の時だな
1の時は話題自体殆ど聞いた事が無かったし、2もそこまで盛り上がってた覚えがない
ただ3ブームになった時よその家に行くと2持ってた人は結構多かったから、俺が知らないだけで結構やってた人は多かったのかも >>307
メーカーの人間がユーザーになりすます状態をステルスと表現してるわけだが
雑誌編集者はメーカー側ではなくユーザー側だぞ >>307
ゲーム制作者が身元を明かさないで「これが期待のゲームだ!」って自分のゲームを紹介すんのはステルスでないの? 2が出たときチャリ用意して昼休みに学校抜け出して買いに行った奴いた >>307
ゲーム製作者がライターとして紹介し続けてるのがステマじゃ無いと ってか
みやおう、ゆうてい、きむこうとは?
から説明しないといけないのか >>1
少年ジャンプが全盛期の時代に
少年ジャンプでアホほど宣伝してたから >>307
>堀井氏は,自身で開発しているゲームの記事を書くことについて,
>「今で言えばステマ?(笑)」と振り返っていた。
ttps://www.4gamer.net/games/999/G999905/20130930044/
堀井本人がステマみたいなもんっていう認識なんだからステマなんだろうよ 情報はジャンプからだよね
ただその前に布石があった
ポートピアをジャンプの攻略見ながら一生懸命クリアしてたから堀井さんはすでに面白いゲーム作る人って感じだったのと、
一方でRPGのブームが来る兆しがあった
FC版ハイドライドが確かドラクエよりわずかに早くて、高いパソコンでしか遊べないゲームがファミコンでできる!と思って買ってもらった記憶がある
PCにブラックオニキスやウィザードリィ、ハイドライドのような面白いゲーム、RPGがあるってのはゲーム好きの子供には伝わってたよ ファミコンブーム+RPGというジャンルが珍しい頃+キャラクターデザインに人気漫画家の鳥山明+ジャンプでステマ
娯楽も少ないから当時の子供にとって少年ジャンプの存在は今の比じゃなかった 雑誌の袋とじと言えば
ファミコン神拳か
ちょっとHな福袋なのだ >>28
真に受けたさくまはRPGツクールみたいなのが存在して、本当にサクッとやれると思い込んでたらしい。 16x16ドットのキャラが当たり前だったのでウィンドウに表示される巨大な敵モンスターに驚いた 当時はちゃんと最後までプレイしてちゃんとクリアできるようなゲームは少なかったからな
子供がハマったのもわかる >>315
これドラクエの宣伝じゃなくてドラクエの発売前にRPGという未知のジャンルの宣伝と言うか説明してただけじゃね?
だからステマ?って?がついてるんだと思うよ ドラクエねー
1は全然騒がれてなかったよね
わりとじわじわ広がった気がする
大爆発は3じゃないのかな 昨日たまたまクリアしたけど
攻略サイト見ない派なのに
たいようのいしわからなくて攻略見ちゃったよ >>324
あれを仲間内で最初に気付いて周りに教えた奴がちょっとしたヒーローになるのはドラクエあるあるだな。
俺は自力で解けたけどな! >>322
ドラクエ以前からPCのプログラム投稿作品の応募と受賞を自作自演してる
そういう時代だったことを加味したうえで
サクラ行為、自作自演、ステマに相当することをやっていたということ ドラクエ3が出たのってドラクエ1の2年後だっけ
その頃には1はもう今で言うレトロゲーの感覚だった気がするわ ドラゴンボールの開始と重なったのも大きいと思うよ
2のパッケージ子供の頃模写したもん 2の発売が1の半年後という今では想像もできない世界 >>331
素手でクリアもやったなぁ・・・
ローラ姫を抱えたままクリアとか >>329
俺は3の主人公ばっかり書いてたわ
頭ギザギザで シューティングやアクションはなかなかクリアできなかった、そもそもクリアできても2周目3周目とどんどん難しくなるゲームが多かった
ドラクエは誰がどうやってもレベル上げてラスボス倒すだけでエンディングが見れるてのがウケた ジャンプがゴリ押ししまくったからに決まってる
当時400万部近く行ってた 3がなんで社会現象的大ヒットしたかって?
職業導入
復活の呪文廃止でワンタッチセーブ
1でRPGを世に知らしめ
2でRPGの楽しさをしらしめ
準備は万端整っていた
これで大ヒットしなかったらおかしい ファミコンにはRPGが根付いてないから、順を追って発売したって何かで読んだな
後付けかどうかは知らんけど
結果的にはユーザーの成長とドラクエの進化と日本でのRPGの普及が合致して国民的ゲームソフトになり得たんだからスゴいな >>304
FF2は当時ドラクエ3の連続トップ記録をマリオ3と共に中断させたし
変なネガキャンが沸きだしたのは明らかにリメイク絡みの怨恨からなんだよなあ
バランスどうこうもゲームが消耗品になってから言われるようになった事で
広い世界を歩き回って好きなステータスを上げられるっていう他のゲームに無かった面白さを
単にクリアできたか出来なかったかに矮小化させる議論って本当に浅薄だと思う >>336
世界中の子供に恐怖を植え付けたデータ消滅+効果音
ホラー映画など恐怖を面白さに繋げる手法をゲームに導入した鬼畜仕様もあるかも 鳥山明のキャラってのがプレイ前は何より魅力だったなあ
当時はそこまで堀井・すぎやま両氏は ピンと来なかったけど
そこはプレイ後にスゲェって思った
今プレイしたらキツイとは思うけど 当時は何もかも新鮮で楽しかったよ
冒険をしてる感がハンパなかった >>340
さすがに当時のおっさんは死滅してるやろ 2と3は当時としては傑出した出来だったから
3は学校サボって発売日に買いに行くガキをワイドショーが取り上げて、さらにドラクエの名が有名になった >>346
あったなあ
ワイドショーどころかニュースにもなってただろ確か 発売日の夕方にはもうニュースになってたよ
池袋から何も買えずに帰ったガキ達は、放心状態でそれを見るんだ
ニュース読み上げのバックにはアリアハンの町の曲
まさに社会現象だった >>295
>そこそこいると思うけど
>1からやってるような人はドラクエが変質した4か5あたりで離脱してるから
>わざわざドラクエのことを語りに来ないんじゃないか
自分は3あたりで社会人になったのもあって、やらなくなったな。
ドラクエ1は何も知らない状態で触れたのでインパクト大きかった。 ドラクエ3発売日に買った子供が高校生に1万円渡されてソフトを強奪されたのがニュースになってたりしたな ジャンプで宣伝してたよね
でも1は並ばずに普通に買えたよ
行列なったのは2からだな ドラクエは夢幻の心臓のパクリ
で、その夢幻の心臓はウルティマのパクリだったっけ?
プレイしやすくはなってるけどね 当時アケ信者&PCゲーマーだった自分が初めてFCスゲーって思ったのはマリオではなくドラクエ2だったな
色々と出来がずば抜けてたわ >>316
当時のファミコンキッズだが
ウィザードリィはポートピアの地下迷路の元ネタとして名前が一部に知れていたな
のちにファミコン版が出て実際のゲームも知った
ハイドライドはファミコン版が糞ゲーとして有名だった
ブラックオニキスは名前も存在も知らない ドラクエは1と2が好き 3は嫌い
2はクリアできなかったけどロンダルキアまでいけたのである程度満足 2が一番好き
その後のドラクエはやってないし興味もない >>1
大ヒットしたのは3から。
2の時も話題作ではあった。
1の時は凪。 >>353
夢幻の心臓 →ウルティマの移動とウィザードリィの戦闘
アドバンスドファンタジアン →ウィザードリィの移動とウルティマの戦闘
どっちも当時有力だったクリスタルソフトという国内メーカーのRPG
クリムゾンシリーズでパーティ制や章立てのオムニバス形式などを導入
コンシューマではカリーンの剣やアスピックなどを開発 >>316
子供からすればPCのゲームは憧れだったけど
それは一部の人だけで情報自体が伝わって来なかったし
自分の場合は従兄弟や友達が持ってて知る事が出来て買った口だけど
周りにそんな人でも居なきゃ知らないままCSのRPGブームに突入したと思う 2と3の後に中古屋で1を買ってきた俺は多分リアルタイムじゃないなw
まあ背景には火吹き山とかD&Dとかの流行でベタな中世風ファンタジーが受け入れられるようになったというのもあると思う 2のフィールド曲がアニメで掛かった時は本編で聞いた時より感動した 発売日に1買ったけど帰り道にウキウキすぎてサイフどこかに落っことしたわ
買った後で良かったけどw 1発売当時は小5だったが、1の時点ではイマイチだったけど、
2から爆発したって印象
つか、RPGに関しては1〜3の時に感じた驚きと感動を味わいたくて
この年になった今でもゲームを漁っているのかなと自己分析してみたり 初動30万本位だったはず
当時のファミコンソフトじゃ並
でもジワ売れして2で人気爆発って感じだったかと >>336
3は夜に暗くなるってのが新しかった。敵の出方も変わったし 発売日
T→1986年05月
U→1987年01月
V→1988年02月
他の人も書いている通りTは最初から大ヒットしたわけではない
当時バカ売れしていた少年ジャンプと縁があった堀井雄二が、
紙面でRPGの面白さやDQ1のヒントなどをまめに発信し続けて徐々に人気が出てきた
この「後追いになった多くの購買層」というのがミソで、
彼らにしてみればその余韻が冷めないうちにすぐにUを体験することができた
Tの勢いが残っていたのでUは発売と同時に売り切れになる店があったそうだ
DQシリーズがブランドとして定着したのはU(またはV)以降と言えるだろう
Tはものまね界のコロッケみたいなもの
前者は当時の技術で見てもゲームとしての出来はまだまだ不十分
後者はもっと似ていて面白い芸人が他にいっぱい居る
でも先駆者ってそういうモノサシで測られるものじゃないんだよ
その分野を切り開いた第一人者として語り継がれる存在だと思う ちなみにあの当時うちの地域はジャンプの発売日が東京より2,3日遅かった
ある日、親父が東京出張から帰って発売前のジャンプをおみやげに買ってきてくれた
翌日それを持って学校に行ったら物凄い勢いで、
マジで狂気と殺気が入り混じったような空気で奪い合いになった
あの当時のジャンプはそれぐらいのパワーがあった ジャンプの発売日が遅いとかどこの田舎だよ
と思った奴も多いだろうが、雑誌類の発売日がやたらズレてて
新年号が年末に出るあの慣習は輸送による地域差をなくすためのもので
広過ぎて田舎が人外魔境みたいなアメリカでフラゲが多いのも
その流通の地域差を悪用したものなのでなにげに同じ理由だったりする 田舎では駅の売店が一日早くジャンプを売ってたな
そこで通学途中で毎週予約してた同級生からジャンプの話を聞くのがすげー楽しみだった そういや昔はジャンプって公式には火曜日発売だったなあ
普通に土曜日に買ってたけど FF1より前だからな
あの当時としては衝撃的なクオリティだった 当時の一般人はRPGなんて見たことも聞いたこともない
右や上に進み続けるのが目的の面クリア型のゲームしか殆どやってない
装備をつけるどころかキャラに話しかけるという概念も無いような状態
普通にテストプレイやらせたら裸でフィールドに出て北上し始め即ゲームオーバー
PC勢からしてもパパパパパッドでRPG????状態(キーボードでやるのが当たり前)
そんな実験作みたいなゲームに鳥山すぎやまというビッグネームを起用できるという奇跡
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm15390709 >>375
ドラゴンクエストへの道読んで
最初の王様の部屋がチュートリアルになってるの知って感動した
話す調べる扉階段全部そこで覚えるんだよな 子供心にゲームの中で武器や道具を売買したり
宿屋に泊まったりってのが凄い事だったんだよ
この感覚分かる人いないかなー スーファミだっけ リメイク
FC体験者としては見た目も難易度もゴミというか存在事態許せんわw >>380
老害かと思ったらマゾヒストじゃッたかw ゲームボーイの1・2と3は結構よく出来てて面白かった >>370
>青函トンネルが開通する前の北海道だよ
本屋でバイトしてる先輩はジャンプは土曜日に持ってきてくれたな。
火曜日発売だとそうしないと間に合わなかった 俺はポートピアをX1でやって、
文字探しや入力が難しくてクリア出来ず、
ファミコンで選択制になったことを知り、
出てすぐ買った。
コマンド選択以外もトンカチや虫眼鏡のカーソル選択や迷宮など色々違いしめた。
その流れでドラクエも発売日に買おうとしたが、売り切れで次の日何店舗か探して買えた。
発売直前に小倉さんのファミコン特番があり、そこでも紹介されてて、結構小学校でも人気だったよ >>282
初期FFのバランス取りが甘いって意見には全く賛同出来んな
2に関しては賛否両論あるのは判るが、1に関してはほぼ完璧だったろう
そもそも当時のスクエアはPCゲーからの移行期で、
開発としてはPCゲーのコアなバランスを志向している向きもあり、
だからこそ既にドラクエのフォロワー的なRPGがいくつも出ていたFC市場において
コアユーザーの目を惹いたとも言えるのだ
FF1作目は末弥に匹敵する天野をデザインに起用した本格派の正統派ファンタジーRPGであり、
めざせスクエニ産ウィザードリィだったのだからな
むしろドラクエのバランスが売る為にライト向け過ぎているのであり、
FFも徐々にそっちに寄って行って初期の支持層であったコア層には敬遠される面もあった FCでドラクエ1を遊んだのが12歳
友人宅に集まってゼルダやスーマリ2やらと一緒にワイワイ遊んだ
SFCリメイクは20歳の時に1人で遊んだ
土曜日の仕事帰りの夜にゲームショップで偶然見かけて購入
1はその夜のうちに5時間ぐらいでクリアして拍子抜けw
2は仕事から帰宅して毎日1時間ぐらいずつ進めたから2週間かかった 2のリメイクはおもんねーよな
ザオリクがサマルだけっていうのが絶妙だったのに
いかにサマル殺さずに進めるか
とは言ってもあっさり死ぬのでいつ世界樹の葉を使うか
リソース管理にかなり気を使うゲームでそこが醍醐味だった
壊さないようにいのりの指輪使うのもチキンレースみたいなギリギリ感あって楽しかった FF1は浮遊石以外はまあ・・・
戦士4人とか結構ネタなパーティでもクリアできるのはいいところ(クラスチェンジはありで) FF1はリメイクでこっそり確率系を改悪されて完成されたバランスを破壊しちゃったんだよな
リソース少ないままエンカ増逃げ率低下ポーション回復低下クリティカル威力低下されてて
メモファイル連打しないとどうにもならなくなっちゃった
しかも見た目のステはFC準拠に見せてるのが悪質で
リメイクやった人がFC版やったような口調でバランス語るから話が通じなくなっちゃう >>386
D&Dの計算式まんま使って命中率が異様に低かったり(これはウィザードリィと同じ)
補助魔法の多くがバグで機能してないFF1がなんだって?
天空城は宇宙ステーションだろ!みたいな原理主義者だけど
バランスを褒める奴は信用しないわ 機能してないって話する奴はほとんど解析の受け売りでしょ
ストライは大きいけどそれ以外どこで使うんだよって魔法ばっかり FF1は氷の洞窟で何十回もゲームオーバーになって挫折しかかった
飛空艇を手に入れた時は二重の意味で感動したわw 無効魔法は全魔法64種の内シェイプ シェイラ ストライ デスペル セーバーの五種
機能してたとして実践レベルで使うのはほぼストライだけ
実際のプレイ経験から「多くの魔法が」という言葉は出てこない >>350
1万円渡したんだから強奪では無いんじゃない?4000円ぐらい得してるしwww ドラクエ3はファミコンジャンプと抱き合わせ販売やぞ
マジで バックストーリーを説明してそういう体で面クリするゲームばかりだった頃に
初めてストーリーがゲーム中でちゃんと語られた作品だったから
あとずっとやってれば誰でもクリアできたとこ >368
今は……
どうしたジャンプ?どの漫画もキャラクターが立ってなくて全然面白くないぞ!😤
昔はキン肉マンキャプ翼北斗の拳DB男塾星矢……と途中から読んでも面白かったのに😢 >>396
魔法はすべて覚えられない時点でプレイヤーに依存するんだが
というか無効魔法が複数ある時点でバランス的に論外だろ 元々使い道のない魔法の無効なんかよりウインドウイレースのほうがよっぽどやばいだろ ドラクエのレベルが一つ上がれば明らかに強くなったことを実感できるバランスはすごいなと思った
同じ相手でも大苦戦→苦戦→余裕→楽勝みたいな アホが話を逸らしたからもういいけど
FF1が完成されたバランスだのほぼ完璧だのは噴飯物 「シェイラが凄く有効な場面がバグのせいで難易度が高くなった」なんて箇所が一か所もないのに
よく解析受け売りでイキれるなあと思う 1はクラスで持ってたの俺だけだったからなw
それくらい無名だった
つかゴキブリ業者も最近じゃ任天堂ソフトのスレ建てばっかだな
クソニーから金貰ってやることが任天堂ageアクセス稼ぎとか完全にゴキブリハードも末期だわなw ドラクエ自体が海外でウケてないのはともかく、
ゲーム史の中での重要性すら認識されてないってのが理解できない
あいつらFFとMotherがRPGの始祖みたいに思ってんだろ FF1はよくわからないままクリアしたな
敵が強くてよく全滅した記憶がある FF2は戦うキャンセルを連打してレベル16にしてクリアしたけど
戦うキャンセルなしで遊んだらクソマゾそう >>408
そらDQが「誰でもできるRPG」をコンセプトに最初から思いっきり敷居下げて作られてるからな
良くも悪くもこれが日本のRPGのスタンダードになってしまった
当時の海外RPGにはゲーム内での死=キャラデリというシビアなものまであった
それじゃああまりにも不親切だということでG半分という親切設計なのが売りの一つ
その副作用として死に対するシビアさや緊張感が薄れ、作業ゲームと化した感は否めない
俺はDQUやFFVぐらいの難易度でちょうど良いと思ってるがね >>410
FF2はああ見えてめちゃくちゃバランス良いぞ
なんでもありのくせに適当にやってもクリアできるバランスになってる
FFは2と6と8の出来が非常に良い >>411
ドラクエはRPGの中では難易度高い方だぞ
1〜7まで(5除く)は普通に難しいというか敵が強い
FFと違ってレベル上げたり装備整えないとやられる >>412
適当にプレイすると、ちせいが1でクリアする事になるけどな >>414
いや、別にボタン連打するわけじゃないぞ ドラクエの全滅でG半分というのはペナルティとしては相当甘いけど、
更に続編で預かり所なんて作っちゃった事で完全にリスク無しのヌルゲーになっちまったな
せめて装備やアイテムのロストか経験値のロストくらいは盛り込むべきだった
あるいはマスクデータ等で全滅や死亡回数をカウントして、
何らかの差を付けるとかその程度でもヌルゲー化の歯止めにはなっただろう
結局ライト向けのバランスで標準化されてしまった事で、
サルでもレベル上げればクリア出来るゲームになってしまった
まぁその辺がドラクエの限界であり、コア層に受け入れられなくなった原因
海外で売れないのはその辺に根本がある >>416
今だから甘いってだけでロト装備手に入れるまでは店売り装備とレベルが全てのDQ1でなら相当にきついペナルティだろ ドラクエがヌルゲーと言ってる奴は何も分かって無い
5は糞ぬるいけどな 当時6歳だからリアルタイムではプレイしてないや
ただおじさんが当時大学生ぐらいだったから
ハマってる姿は覚えてる
ドラクエ3でようやくリアルタイムでプレイした
当時8歳のことだった 久々にWiiでドラクエ123立ち上げてFCとSFCの3やりくらべしてる
初めてリメイクプレイしたが恐ろしくゆるいな
良くも悪くも6以降のドラクエっぽい
逆に久々にプレイしたFCは本当にリソース管理ゲームだった
こうもりおとこの群れに恐怖すら感じる…
なんで当時小四の俺がクリアできたんだろう ぬるいかどうかってのはさ・・・
戦闘中一人死んでもリセット派 か
死のうが生きようがクリア出来れば良いや派 で
分かれると思うんだよなぁ・・・俺前者の考えだからFF絶対ムリなんだよ 一人でも死んだらリセットはしなかったけどFF3は全員の経験値をきっちり揃えてクリアした
死んだり石になったら逃げる、そのまま倒してしまった場合は・・・リセットになるな
クムクムを恨んでいた記憶 そういえばジャンプを媒介としてドラクエとドラゴンボールという二つの龍が当時は大ブームだったな
当時の小学生全員とまでは言わないが、少なく見積もって男子の三割はこれが共通の話題だった
この両者には龍と鳥山明だけではなく、キャラが成長するという重要テーマがあった
内心のどこかでこの二つは同じコンテンツとして接していたような感がある
ちなみに今の子供にドラゴンボールを見せても、「強くなってなんの意味があるの?」
とドライだけど至極現実的な質問が飛び出るという
DQもそろそろ革新が必要なんじゃね
クエスト(謎解き)に特化して広大な世界を周る
そんなDQがあっても良い FF2は初プレイでテキトーにプレイしてたら大戦艦だっけ?
小学生の俺はあそこで詰んだ
ラスダンまで進めたのは後年
自由をうたいながらも育て方に基本があるのを知ってからだった FF2は盾持ってちゃんと戦って回避率上げてれば
普通にバランスいいんだよなあ
魔法防御とか低いとクァールのブラスターとか食らいまくってキツい FF2はまさにサイヤ人育成理論だったよなあ
もっとも内輪の殺し合いに頼りすぎるとHPMPといった主要パラメータは上がるけど、
他とのバランスが悪くて思ったより強くならないという ドラクエ2の金のカギの謎は相当ムズイ。
スマホかなんかでやったら、地面が光ってたけどw ミシディア周辺は軽装備が普通に防御力も最高だから
最近フリオ素早いなーみたいのは気付くんだよな アルテマってミンウ犠牲にしてまで手に入れなきゃいけないほどかな・・・ >>399
俺は秋葉の古川電機で何だかわからん物と抱き合わせされた ドラクエ1のあとにヘラクレスの栄光買ってドラクエよりすげぇと思ったけど今思えば糞ゲーだった >>377
めっちゃわかる
コマンドバトルだってドラクエで初めて体験だからな なにこれおもすれえええってなった >>280
普通にドラクエの方が遊びやすい気がするけど >>399
FC版のDQ頃は品切れ状態すごかったよなぁ
その2年後?くらいに出たGBも全然買えなくて
一緒にソフト3本買うのが条件みたいな抱き合わせ商法やってる
小さなオモチャ屋が多かった
魔界塔士、マリオは確定として
あと1本何買えばええねんみたいな FF2は普通にプレイしてもクリアできるバランスだったんだけどな
FFに悪意丸出しのファミコン神拳がパーティーアタック育成を広めてクソゲークソゲー言ってただけ FF2エアプにありがちなデマが魔法干渉知らないと詰むとかいうやつ
実際はトード作戦以外の後略スタイルならまったく影響ない
知性1ならそもそも1以上の影響がないし FF2は回避をぜんぜん上げてなくて
ラスダンのクアールのブラスターで全滅しまくった
PS版のでクリアしたわ >>389
これは同意。
ロンダルキアでハーゴンに向かう時は5割くらいの確率であいつが死んで引き返すのが良い。 ドラクエ1は買った友達がいて、そいつと???って試行錯誤しながら遊んだよ。
イベントなくて隙って言うけど、
「最初の部屋から出れないイベント」
「コマンド入力に慣れるイベント」
「経験値とかレベルという概念を知るイベント」
「ゴールド貯めて買い物をするイベント」
「コマンド戦闘の流れを知るイベント」
などなど、ある意味でイベント満載だったのよ。
その観点を見失うのはドラクエ1の評価を歪める。 >>404
そう思う。初期のドラクエってこのバランスが本当に良く出来てたんだよな
5辺りからはその辺が結構雑になったように思う ドラクエ1の戦闘場面の背景がなにげに好き
洞窟の松明とか 洞窟でローラ姫助けてお姫様抱っこで宿屋泊まるのは衝撃的だったな
昨晩は激しかったですね!って おい親父覗いてんじゃねーよ! >>444
5で戦闘シーンが1方式に戻った時はちょっと感動したぞ 何しろ当時のその他のソフトに比べて凄く長く遊べるし、戦闘調整やら
凄い丁寧に作ってあるしな
自身が死ぬ事が滅多に無いのもドラクエならではの特徴だな
普通は死ぬ>やり直しでモチベがどかっと下がるのが普通なんだが
ドラクエに限っては滅多にそうならないように作ってある >>446
今でこそRPG以外のジャンルでも長く遊べるゲームは多いが
当時のアクションやシューティングは難易度はともかくボリューム面ではかなり少なかったからな
当時長く遊べるゲームと言えば断然RPGであり、その型をいち早く作ったのがドラクエだったよな >>447
ファミコン初期なんか数分でクリアできるゲームもあったのよね
「エンディング」って単語はいつから一般的になったっけ
DQ3の時点では普通に使ってた記憶 ドラクエより前にハイドライドという素晴らしいRPGがあったが
英語だったしとっつきにくかったんだよなあ そりゃハイドライド辺りまではノーヒントで先に進めるの
フツーだったからねぇ。
当時のPCゲームは全くヒントなしで隠されたギミックを見つける、という
スタイルが恒常的にあったし
そんで攻略本やログインみたいな雑誌が飛ぶように売れた
と、いうか、そのテの攻略記事がないとほぼクリア不能なソフトが
山ほどあった
で、昨今だとちょっとでも進まないとネット見て攻略方法を
確認して先に進める、みたいな「ネットあるの大前提」スタイルに
なってしまってる
これはこれである意味問題だったりする訳だけど…。
ゲームやるよーな貧乏人相手に、常時接続を要求するというのが
ある意味矛盾しているというw RPGというゲーム自体、当時ほとんど広まって無かった。
それをプレイしやすい形で、ブームのファミコンにリリースしてくれたのがドラクエ。
少しづつレベルを上げて強くなっていく、というプレイスタイルが日本人の性格にあってた、というのもあるだろうし、アクション性が無いので、誰にでもプレイできた、というのも広く受け入れられた理由だと思うよ。 ジャンプにのせられたということもあるけど
きっかけはそれでも実際にやってみると今まで遊んだことのないジャンルで
当時はウィーザードリィとかウルティマとか夢幻の心臓2とか誰も知らんかったから 表現やシステムの一つ一つを見ていけば実際のところ独自のものではないけど
トータルで見るとそれら要素が上手く噛み合っていてエポックメイキングに感じられる
オリジネーターではないけどエポックメイキングであった故に創始者扱いされるというのは分野を問わずよくある話
実際は先人の積み重ねの上に立脚していた手塚治虫がストーリー漫画の祖として崇められているのと似たようなもの ファミコンで本格的なRPGは無理だって言われてたんだよな。
ちなみに本格的なRPGの条件は
町がある
通貨が存在しお店でアイテムの売り買いが可能
装備を変えることでキャラをカスタマイズできる
他の登場人物と話せる
など、ウィザードやウルティマチックな仕様を指していた。 なんだこの不思議な世界は!!!ってワクワクしたね
まさかあんなところに重要アイテムが!!!!ってもう興奮したね ドラクエ初代は当時のゲームとしちゃ比較的カンタンな方だったからねぇ。
悪魔上ドラキュラも燃えろツインビーも簡単な方だった
難しくて幾らやってもなかなか先に進まないゲーム多かったし。
デゼニワールドとかもそうだよね。
でぇ、悪女伝説2セーラ服ラブソティをどっぷりやってしかも自力で解いた
オレにとってはあのソフトは名作扱いだったりする訳だけど、
どういう訳かネット上には全く話題にも出ないというw >>456
どーーーー考えてもあのCPU命令体系、あのROM容量、あのビット数、あのRAMサイズで
作れる訳がないのに・・・
ここに初代ドラクエ1の大きな謎の一つがあるんだよw
そしてドラクエ1のもう一つの謎は、やたらと調整完璧な点。
・・・たぶん必死にレベル上げしてる最中に、その続きをご近所の誰かが
コッソリ再調整していたんだとしか・・・
みすてりぃw RPGの無かったファミコンに出して珍しがられた、セーブの問題もパスワードと言う斬新な手法で解決
鳥山の絵でファンは多少は釣られた
堀井やチュンソフト中村はPCマニア以外にはまだ知名度は低かった >>458
買った人は全員クリアできて当然って文化じゃなかったからな。
ゲーセンと同じでオールクリアは特別な人のものだった。 >>460
中村光一の名前を最初に知ったのは当時の学研雑誌
当時は学生プログラマーだった彼が「ドアドア」で
エニックスのゲームコンテストで優勝して2000万円以上を手に入れて会社設立
学生ベンチャーなんて今じゃ珍しくないけど、80年代前半では凄いことだった
その数年前、ホンダにいた入交氏が30代で取締役になって
新聞やニュースのトップ記事になるほど年功序列が厳しかった時代のことなんで >>459
1バイト単位のせめぎ合いで開発してたしね
文字数まで厳選して組み立ててたんだから恐れ入る >>462
最優秀は森田だし賞金は100万円
金はドアドアがエニックスから市販化されてヒットして印税で稼いだんだよ キャラクターが可愛いからヒットしたと思い込んだ糞馬鹿メーカーが
有名マンガ家にキャヤデザやらせたクソゲーの連鎖爆死が笑えた 久多良木
「なにこれショッボwwwwww腹いてえwwwww
いや苦労は認めるけどさ これで人が感動するかよwwwwwww」 中村は高校生の時点で自分で作ったゲームをPC雑誌に投稿して委託販売で金稼いでたみたいだし、PCでゲームやってたひとは知ってたのかもね ジャンプでステマとか言ってるけど
OUTで堀井自身がFCでRPG作ったから買ってくれって書いてたような時代やで 堀井はログインで「虹色ディップスイッチ」って連載してたっけ あー有った有った単行本もログインも有るよ
中村光一もテクノポリスにコラム書いてたけど連載だったけな?
これのせいで2買う前にラスボスの名前知ってしまった
まぁ絵はパッケにデカく載ってるけど いきなりパーティプレイはきついという理由で最後まで一人だった
しかも当然のようにターン制だから後半の単調さはどうあがいても避けられなかった
せめて姫を助けてから二人パーティとかになってればまた違ったと思う
高度な戦略が求められるのでより戦闘に深みが出ることだろう
容量の問題があるけどマップ1,2周り小さくすれば十分に可能だった >>3
RPG?なにそれ?ってかんじだよな
本格的に火がついたのは2からだった記憶 多人数戦闘は続編(DQ2)のウリにするために温存したんじゃないの
最初にネタを出し切ったら後で寝ただしに苦労するかも知れんし >>477
UはPTプレイもそうだけど、敵が複数というもっと強力なネタがあったじゃないか 剣も盾も装備してない状態だとキャラとちゃんと何も持ってない
たいまつ使い続けてるとだんだん照らす範囲が狭くなっていく
橋を越えたら強い敵が出るようになる
ダンジョンの階段降りるとBGMがおどろおどろしくなる
こういう丁寧な作り込みが好きだった 当時はファミコンで出てたソフトはアーケードの移植が多くてアクション、シューティングがほとんどで長く遊べるRPGという新しいジャンルがすごく新鮮で衝撃を受けたな。
自分でお金を貯めで装備やアイテムを買うっていうのも新しくて親にソフト隠されるくらい熱中したな
でも爆発的に人気になったなのは2からだな
ジャンプの袋とじのDQ情報局を楽しみにしてた >>433
ヘラクレスシリーズはSFC出たのは面白かったけどな >>481
ヘラクレスは初めてやったのが2でまんまドラクエ2のパクりみたいだったけど普通に楽しめたな
3はなんかもういろいろすごかった 当時のジャンプの影響力と音楽の良さ
クソゲー率の高いFCでは段違いの出来だった DQ1のローラ姫のいる洞窟をいつもレミーラケチって通り抜けてたら
ローラ姫助けずに竜王までたどり着いてしまった だんだんゲームに慣れてきたところで新しい町についたと思ったらボロボロに滅ぼされてて敵とエンカウントもするしで焦ったな ローラ姫を抱えたまま竜王に寝返ったことはあるけどな あの頃ならある程度のしらみつぶしもゲームといった感じだな >>479
たいまつはずっと灯ってる
だんだん狭くなるのはレミーラ ふっかつのじゅもんとか意味わからんかったから毎回最初からやってたわ
慣れてくるとクリアに1時間も掛からなかったね >>490
それは嘘だよ。そんなに早く竜王倒せるレベルまで行く訳ない 当時ゲーセンで50円入れたら数分できるファミコン入りの筐体があったな
あれでドラクエやってる奴とか居たわ ジャンプの企画で低レベルで竜王に会うとかやってたな
レベル7くらいだっけ?記録 >>491
いやいや、あながち嘘と断言はできないぞ
>>490がプレイしたのは小学校低学年の頃で、
無意味なひらがなの羅列が何を意味するか分からなかったと解釈した
さらにあの当時のファミコンカセットではセーブできないのが当たり前
それを不便と思うこともなく、リセットすればデータ消えるのが当然だった
このような縛りで
(もっとも本人は縛りと自覚することなく普通に楽しんでいたようだが)
小学生が特定のゲームだけやり続けると、パターンを全部覚えてしまうんだよ
どこに行って誰と話して何を拾ってどんな道具を使う…
これらが順に全部頭に入っていれば最短経路で一時間クリアも可能なはず
ゲームに熱中する子供って大人の想定外のこと普通にやったりするからな
なかなか侮れないよw アフィカス丸出しなのにすげーのびてんな
ゲハなんてもうスクリプト業者のゴキブリだけだろ思ってたがまだ人いンだな >>480
任天堂ですらスーパーマリオの段階でファミコンの性能は限界まで使ったと判断して、広大なマップを使うゲームは次のディスクシステムでやろうとしてたのにサードがやっちゃうんだから。
影響は大きいだろうね。それが無ければFFはディスクシステムに出てたかもしれない >>459
ドラクエに限らずファミコンのプログラム作ってたのなんてそもそもどいつも天才ばかりだからな
当時はゲーム作るのに一番難しいのがプログラムできる奴つかまえてくることだった ジャンプのドラクエ特集見て面白そうだから買った
パスワードまだ覚えてるわw >>433
DQ1より好きだったわヘラクレス1
敵の強さの調整目茶苦茶だったけど
海の敵あたりから急に敵が糞強くなるんだよなあまあある事が分かっていればわりと楽になるんだが
この中盤あたりがキツくもあり楽しくもある キャプテン翼2もジャンプで知ったな
発売日に買ったけどまさかあそこまで面白いとは
あまりの出来の良さに正直感動したな >>494
俺の記憶にもある
会うだけなら可能なんだろうか・・・倒すのはほぼ不可能だろうけど 低レベルと言えばFC版DQ2のパッケージ裏の戦闘シーン >>479
ドラクエ1のいいところはダンジョンのBGMの変化だね
あれはわかりやすいので続編で消えたのは残念 上下左右キャラが向くのだけでもやるべきだった
あれは相当なストレス >>508
それをやると
ローラ姫が入れられないけどいい? >>502
後の時代にやってファミコンでここまで出来たのか? と驚愕したソフト
あれはリアルタイムでやってみたかったソフトだな たいまつの寿命が少なくなって明るい範囲が狭まってくのもドキドキしたな >>167
RPGツクールとかやると意味分かるよな 松明の範囲は狭くなったっけ?
洞窟を出るかレミーラで上書きしない限り永続だった気がする
記憶違いか? >>514
俺は未プレイだけど
「外人が現行ハードでドラクエを作ったらこうなった」って評価を見たわw 松明がレミーラより範囲狭いのがおかしいと思った
松明の時点でレミーラと同じ範囲にしとけよと
どんだけプレイヤー厳選してるんだ
岩山の洞窟とか苦行だわ。重要なアイテムもないし ドラゴンズドグマダークアリズンもドラクエ臭あったな
ストーリーの最後がちとあれだが
あってよかった黒呪島
このダンジョンのおかげで結構長く楽しめた
黒呪島はプレイ中ウィザードリィ外伝のEXダンジョン思い出した >>517
レミーラって時間制限有ったじゃん
松明はダンジョン出るまでずっと付いてて、オーバーテクノロジーよ? >>403
とはいえ、それのおかげで魔法職の存在価値が有る皮肉 >>519
え、うそ、全然知らなかった
マジかー…… >>400
>>あとずっとやってれば誰でもクリアできたとこ
もう少し正確に言うと『解き方が解れば誰でも』だね。見つけないとクリア不可or困難な
隠し通路やアイテムがあるワケだから『やってれば誰でも』じゃない。
当時はゲーム雑誌が今の数倍売れていた上、ホビー誌、マンガ雑誌などにもゲームの話題や
攻略法などが掲載されてる程のファミコンブーム、友人同士で解らない事はすぐに教え合えた。
エンディングが無くループ制の作品や、スーマリ2みたいに、攻略方を教わっても下手だと
クリアは無理な難易度の作品が多かった当時、協力し合ってEDに行けるって言うのは
嬉しかったし、そこへあのすぎやま氏のEDテーマだから感動的だった。 言うほど誰でもはクリアしてないよな
復活の呪文で投げるし 1に比べたらクリア率はまだ高かった方よ
>>501
面白さでいったら確かに1より初代ヘラクレスだな
さすがデコ 1って成長タイプがたった4パターンしかないのに
割と多彩な成長の気になれたよな ドラクエは4くらいまで「早解き」するのがある種のステータスだったな。
シューティングとかのハイスコアの価値観をRPGではどう解釈したらいいかわからなくてそうなった。
今なら「急いでクリアしてどうする」って方が多数派だろうが 初代は爆死ゴミゲー
ロコミと2の後でもジワ売れしてた結果にすぎない
後期ROMも存在してるから3の後でも売れてたのが確認できるしな
基本123は前のやつと後のやつが相乗効果で売れてたって事だ ドラクエは1の時点ではファミコンキッズにはハードル高かったのよ。 そもそも画面見て何したらいいかも分からなかった。
俺なんて「戦闘はボタン連打で勝つ」と最初は思ってた。
徐々にキッズがRPGに慣れていって、市場が形成されてきたところに出したのが3。 >>1
これしか無い需要
今のSwitchと同じ。 乱数って概念に馴染みがないから
ミスとか会心に何か規則があって判定してる筈って思うよな 当時のことすら知らないのに無理して盛り上がってる中に入ろうとするなよ気色悪い ローラ姫を助けてもいいし助けなくてもいいし抱っこしたまま連れ回してもいいし
世界の半分をもらえるし
初めに棍棒を買うか竹竿を買うか
そんな自由があったのが衝撃的だったし
アクションゲームばかりでクリアできないのが当たり前みたいな感じのところへ
根気さえあればクリアできるというゲーム性
すっかり夢中になりました >>523
ドラクエ2はそこの難易度高かったみたいだな
でも俺は不思議と一度も間違った事無いんだよ
学校の勉強はよく間違えるのに何かが覚醒してたんかなぁ
ビデオに撮ってたツワモノも居た様だが 「ねえ わたしの ぽーとぴあと あなたの ドラゴンくえすとを かえっこしてよ」
このセリフを見て何故かポートピアのカセットを手元に置いて
そのままプレイを続行してた >>528>>531
こんなスレで適当な事書いてもボコボコにされるだけだよ ぶっちゃけ知名度が無いから他のRPGも売れなかったのであって、
それをジャンプのコーナーを使ってほぼ独占的に宣伝して補っただけだよな
もしここで先に宣伝されたのがさくまと桃伝だったなら、
桃伝がミリオンダブルミリオン売れて始祖扱いだった筈
パイオニアなんてそんなもんだ >>502
まああれでキャプ翼人気に火が付いたからな
日本でのキャプ翼人気はほぼ間違いなくファミコンから >>536
ふっかつのたまをもらって念の為に2つじゅもんをメモったのに2つとも間違ってるワナ
濁音、半濁音、は・ほ、わ・ね、ぬ、め・・・なんかをいろいろやってどうにか復活できたけども >>540
もともと人気あったぞ
ファミコンまで10年ぐらいブランクあるよ キャプ翼2は連載終了らへんで人気が落ちてる時期だから キャプつばはマジレス勢も多かったから今ほど神格化されてなかった気がする >>252
あの時代のPCグラフィックは文字ベースだったり画像を扱うにしても16色から65536色まで機種間差が激しかった。
多くはスクロールやオブジェクト機能なんて無い。ビデオ機能は基本的に内蔵固定。追加変更や強化は特殊。
当時の国産PCは主な用途が事務機器だったので、ゲーム向きな機能なんて無かった。
それでも規制や胴元が無い市場なので、独自のゲーム文化が発達した。
Windows95の登場で現在のようなPCの原型ができた。 >>258
FCのwiz1は原作者に遊びやすさと適度なグラフィックに驚きと喝采送ってたな。
最初は無理じゃんとか半ばバカにしてたんだけどw、 >>543
ワールドユース入ったあたりだったはず
確かに元々人気あったけど(特に小学生時代)所詮はダイの大冒険レベルだった
ファミコンで火がついた PC8801とかMSXとかは明確にゲーム機だったぜ
ただPCはSLGやRPGに強くファミコンはアクションやシューティングに強い
ていう棲み分けがあった キャプ翼人気なかったとかどこの田舎だよ
キン肉マンとの2大看板で駄菓子屋でシールとかカードとか売ってるのこの2タイトルだったわ FC出る頃にはアニメも終わってたはずだから
そいつにとってはそうなんじゃないの? >>550
近畿だとテレビ大阪が映らない地域(京都・奈良・滋賀あたり?)の人が
ジャンプで人気してたから知らないわけではないけど
テレビアニメのキャプテン翼は見たことないって言ってたわ ドルアーガをRPGの原型って言う人がいるのはなぜかな ゲームに熱中している子供たちにテレビインタビューというとき
「ドラクエってどんなゲームなの?」
「えっと、自分が主人公になって、敵を倒しながら世界を周って、
いろいろな謎を解きながら最終的にボスを倒すというゲームです」
「ドラクエのなにが面白いの?」
「敵を倒すと経験値とゴールドがもらえて、どんどんレベルアップして強くなります
あと貯めたゴールドで武器や防具を買って、それでもっと強くなれます
そういうところが面白いです」
当時の子供、けっこう的を射た解答してたよなw >>556
ドラクエ関連の当時の動画見てるとなんか切なくなる。 FF2は普通にプレイして普通にぶん投げた
盾がないとだめとか
普通に条件あるんじゃ普通に積むべ そりゃドラクエと同じ時期に出てたタイトルがツインビーとか
クルクルランドとかだったからなぁ
他のソフトに比べると「時間かければ先に進みやすい、比較的クリアしやすい」
というのが特徴?
それでも3つの変なアイテム揃えるとかロトのよろい拾ってくるとか、
難しい謎は比較的満載な世代
一方でゼルダの伝説あたりも同様で、一度詰まっても何回か挑戦すれば
一応先に進める、スタート地点からやり直しさせられず途中から再開できる、
電源切って別の日に再開すれば途中から出来る、とかいう共通点が多少はあるね
ドルアーガの塔なんかは中断機能ないのに流行ったけどこれまた振り返ってみると
「どうして流行ったのか」という原因が良く分からない…
ゲーセンでやるより家でみっちりやりたい!という需要だったんだろうか
一番謎なのが、当時MSXやPC88ゲーじゃ中断機能やRPGは全然珍しい
物じゃなかったんだよね。リグラス、リザードとか伊忍道にイプシロン3、
ブラックオニキス、トリトーン、ハイドライドとかブラスティに夢幻の心臓IIとか
バビロンとか色々出てた。
確かにファミコンは家庭用ゲーム機の最初の廉価普及機として
滑り出しをした訳だけど、数が出た訳だけど、何故かどういう訳か現代に
未だに語り継がれるソフトが「ドラゴンクエスト1」だけになっているというのも
これまた謎が多い。
現代の最新のゲームが未だにドラゴンクエスト1に「勝てない」部分がある
という事と、度重なるリメイクその他でオリジナルの磨きをかけて
古典芸能のごとくさらなる完成度を上げているという事なんだろうけど…
べっつにそれがザナドゥやブラスティとか他のソフトでも良さそうな
感じはあるのだけど、なぜかドラゴンクエスト1なんだよな。
定期的に宗教的な儀礼の一環として何年か一度、誰かに
「作り直した」ドラゴンクエスト1を奉納している社(ヤシロ)があると
予想される訳だけど、でもじゃあそれが
具体的にどこで誰が行っているのかとなるとそんな噂は微塵も当然ないし… >>459
それらも問題だけど
最大の問題はセーブ出来ない事じゃね
復活の呪文作ったのがすごいわ
(当時のパスワードセーブはもそっとシンプル) ドルアーガは、当時ゲーセンでやってた人のプレイ日記とか読んだら盛り上がりが伝わって来たよ
攻略法が訳解らないゲームを情報交換などで少しずつ紐解いていく感覚。その当時の空気込みって感じだな
だから自分はファミコンで初めてやったから残念ながらそれは伝わらなかったのだ そういやドラクエってMSXとかにも移植されてるけど
流石にセーブは呪文じゃない? >>559
確かにドルアーガは当時のゲーセンで流行っていた
従来はディグダグ、ゼビウス、ギャラガといった反射神経史上主義一辺倒だった
インカム稼ぐのがアーケードの宿命だからそれはそれで一つの答えと言える
そこに初めてエンディングという概念を持ち込んだのがドルアーガだった
反射神経以上に思考とルーチンワークが重要視されるという点も画期的
ただしこれが市民権を得たかどうかは微妙なところ
革新性でゲーム史の1ページを飾ることはあっても、エース級ではないだろう
ザナドゥ、ウルティマ、ウィザードリィといった先輩格も然り
ゲームに限らず奇を衒ったものというのはどうしてもマニア重要で止まってしまう
マンガに置き換えると同人誌の枠をちょっと破った程度の域
それを一気にメジャーに押し上げたのがドラクエ
子供が明確な目的を持って楽しめるRPGのフロンティアとして永遠に語りがれるだろう >>560
そういやぁ当時のパスワード保存式はドラクエ1ぐらいだよね…
wikipediaの「パスワード (コンピュータゲーム)」の項目によると
チャンピオンシップロードランナーが最初に採用したらしい。
wikipediaによると、パスワード形式を採用したソフトはこんな感じ?
'85.4 チャンピオンシップロードランナー
'85.8 ハイドライドMSX版
'86.5 ドラクエ1
'86.7 バベルの塔
でもパスワード方式自体、そんな驚きも何もなかったけどなぁ
「まーこんなもんかー」みたいな
だってPC88なんかその頃はもうフロッピーで保存してたんだぜ?
ウィザードリィなんか戦闘の1アクションごとに保存してたし…
ザナドゥなんかは階層移動するごとにマップのブロック状態ごと保存しとったし
ワルキューレの冒険とかヘラクレスの栄光もパスワード式だったし
東京ナンパストリートでもパスワード式採用してたしぃ 初代ゼルダの伝説ってさルピーで買い物出来る要素があるじゃない?
「ゲーム内で買い物できるなんて!」と言う物凄く斬新に感じたな
今言うと冗談のように聞こえるかもしれないけどさw 当時そんなゲーム中々無かったもんな
まあ、そんな風な要素を更に推し進めたのがドラクエって感じだったかな それとあの当時の家庭用PCはグラフィックや処理能力が貧弱だったので、
テキスト主体のゲームが売れるならそれに越したことはないという側面もあった
アドベンチャーゲームなんかは特に重宝したことだろう
それ故にPCととえいばマニア色が一層濃かったのだろう >>564
フロッピーに保存出来ないからRPG無理じゃね?っていう
文字数少ないパスワードセーブにしようとして
1キャラで名前でステータスの成長曲線決まるって方式にしたりと工夫を凝らしてる
ドラクエ2もパーティーだけど名前は脳筋だけで成長曲線と仲間の名前は脳筋の名前から決定する
それでもパスワード50文字 >>567
セーブなんて今じゃあ当たり前の事だが、ドラクエ3でセーブが出来るようになった時には
「なんて便利になったんだ」と言う革命的な事に思えたな
まあその代わり「ざんねんながらぼうけんのしょは…」の恐怖との闘いが始まったのだけどw ウィザードリィのキャラメイクやりたい放題とか
ステータスがランダムに上がるとか
パスワードセーブじゃそりゃ無理 >>563
ドルアーガは確かにエンディングあったですよね。
ゲーセンで宝箱の出し方をみんなで調べる熱狂ぶりだったというのも
今に語り継がれる所
「最終ステージ」なるものは確かに当時なかった気もする
ドルアーガなんかは宝箱の出現条件のロジックをどうやって
当時の基盤に入れ込んだのかあれもちょっと謎w
いくらアセンブラっつったって、あんな120階分も入る訳ないのに…
ウルティマやらウィザードリィやら、確かに問題点多かったですよね。
普通、常識で考えたらあんなんクリアできる訳ねーし
ハイドライドは比較的誰でもクリア「しやすい」方だった
じゃあ誰でもクリアできがちな「イース」「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」が
メジャータイトルになれなかった理由がこれまたよく分からないというw
単純に性能の問題で、当時のファミコンに綺麗に移植出来なかったんでしょうね。
ハイドライド1もファミコン版は見た目も音楽もひどかったからなぁ…
ゲームとしちゃ完成度は高かったけど、やっぱ88版のハイドライド1の方が
良く出来てたし
結局昨今の「レールプレイング」スタイルが定着して、レベル上げという
RPG習慣はなくなり、ドラマ性やシステムを利用したドラマ演出に
傾倒してく訳ですよね。
結局、ドラクエ1は「時間さえかければ先のステージを見れる」
「次々と新しい街やダンジョン、敵、ギミックが大量に現れる」という
スタイルがウケた、ただそんだけの事だったのかも…
うーーーんどうなんだろう・・・ >>570
ファミコンで
ユーザーフレンドリーなRPGを
先駆けて出せた
ジャンプで宣伝もして
ってのがドラクエが伸びた理由かな
バッテリーバックアップのないころに
ドラクエ1と2を出して人気を不動にした 余談だがドルアーガの宝箱の出し方について
剣を出したまま呪文受けるとか、四方向のカベ全部に触るとか
どんなに条件が複雑でもゲーム内で完結していればそれでいい
画面とにらめっこしてレバーとボタン操作するのがプレイヤーの仕事だからな
だが31階よ、おまえだけはダメだ
そこだけはゲームの外の要素を持ち込んでやがる
その一点だけが猛烈に気に食わない イースも英雄伝説もファミコンには出てない
ハイドライドはなんか画面が洋ゲーっぽかった (イースでてたかー)
ハイドライドスペシャルは何が起きてるのかまったく理解できなかった >>571
その2点に尽きるんでしょうね
「遊びやすい」「先に進みやすい」
でも、その「楽しさ」「遊びやすさ」を成立させる為には、
「いっくらやってもなかなか先に進まないゲームソフト」というのが
一般的に流通してなきゃいかん訳で
まぁそいでも、ドラクエは根本的にボリュームといい演出といい
テンポの良さといい、破格格安、異例のイレギュラーソフトである点は間違いない
恐らくは各社のRPG開発者を寄ってたかって軒並みかき集めて共同開発
する形式なんでしょう…
で、「ドラクエFFをやったプレイヤーはここに必ず不満を持つ!
そこでわが社の〇×というソフトが爆売れする訳だよ!」みたいなw
これは任天堂でも多分同じ形式やってるはずw
が、昨今になってFFDQ神話が崩れてこの形式が成立しなく
なりつつあるのもまた事実で、世間的にはCS市場そのものが今や
消滅しつつあり、最新のソフトはいくら作っても鳴かず飛ばず…
オンライン課金によるバージョンアップ、作り増し商法が主流に…
まぁ低額課金方式が普及するんならそっちの方が収益としちゃ
安定すんでしょうけどね >>570
3Dポリゴンを4kで表現できる最新のクソゲーより、白黒のゲームボーイのテトリスの方が面白い
結局ゲームってのは性能は二の次なんだよ
山内社長の名言張っておくけど、これを理解してたところがちゃんとしたゲームを供給してたってことでしょ
「おまえらのつくってるゲームはたしかにすごい。このゾンビと戦うゲームなんか、まるで本物みたいや。みんな熱中してやってる。
せやけどな、おまえらのつくったゲームの前に子供の笑顔はあるか?
どんなにゲームに熱中してても、子供はいつも、テレビの前に一人ぼっちや。おまえら、一人ぼっちの子供を見て、楽しそうやと思うか?
そんなゲームに子供の笑顔はつくられへん!! 本物の子供の笑顔は、お父ちゃんもお母ちゃんも、兄ちゃんも姉ちゃんも、みんな一緒のときしかつくられへん。
うちはコンピュータをつくっとるんやない。子供のためのおもちゃをつくってるんや!! きれいな画面のゲームなんかつくらんでええ。
おまえらの仕事はたったひとつや。みんな一緒に遊べるゲームで、子供の笑顔を取り戻さんかい!!」 >>570
ドルアーガとドラクエ1は音楽が良かったのが、他のゲームと違うんじゃないかな?
ドルアーガのエンディングは、笑っていいとも!で使われたぐらいだし FCイース発売はドラクエ3の後なんやね
もう遅いタイミングではある >>576
そもそもドラクエでRPG初めての人が大半
それでもアクションゲームクリア出来ない人間には希望だったが >>558
そこは明確に制作方針に違いが有ったな
DQ→「これじゃなきゃクリアできない物」は入れない
FF→「これ以外でクリアできない物」を入れる >>577
ほんと、ゲームボーイのテトリスの方が上になっちゃうってのも
恐ろしい話ですよねー。
結局は、ゲーム機ってものは所詮は機械で、家族、大人数で
人生ゲームとかスゴロクだとかお手玉とかカードゲームで十分
なんですよね。
ゲーム機ってのは親が遊んでもらえる時間がないから、家でぽつーんと
一人っきりになる膨大な時間を埋めるための道具であって…
必死に絵画や作曲やら創作やらに夢中になる子供にはそれは
必要ないとも言えるし…
なーーんかいろいろ考えちゃいますよねぇ。子供にとって
最も幸せな物は何だろう?みたいなw >>573
X1版のハイドライドしかやった事無いからかもしれないけど全然そんな感じは受けなかったな
内容的にも「RPGでアクション?!」とか海外では邪道扱いされてたみたいだし
今では逆になってるのが面白い 物語の成りきり追体験とLvアップや装備取得による育成要素が当時新しかった 技術的にも頑張ってたもんなあ。
ラスタースクロールってのを覚えた。<ドラクエ2
ファミコンの頃はルーラ系の演出一つとっても、桃太郎伝説とかMOTHERとか面白かったな。 ドルアーガの31Fはスタートボタンを押すだったかな 実機で遊んでたやつっていくつだよ
ゲハはホントに平均年齢高いな 大人ゲー売り込んでたPSって
そのおっさんゲーマーの残党頼りだったのに ドルアーガが縦スクロールのスタッフロール付きのエンディングの初だっけ?
その前はあっても一画面でコングラとでて終わり。
ドラクエは杉山音楽で、文字が紙芝居の様にでてくるすげ〜エンディングで衝撃だったよ。 >>586
ナムコの筐体だとスタートボタンが光るらしい
当時は筐体にヒザ蹴りしたら出たとかそんな感じ 人生初RPGがファミコンのハイドライドスペシャル
86年3月に小学校を卒業して
その足で近所のおもちゃ屋さんに買いに行ったのを今でも覚えてる
パスワードはすぐ意味が分かったけど
セーブ、ロードを理解するのに2日かかったw >>595
セーブロードに関しては、DQの冒険の書という言い方とかから入れば
すぐ理解できたかもですねw >>595
自分も小学生でハイドライド買ったけどぶん投げたぞ >>598
俺は1ヶ月ぐらいかけてクリアしたと思う
ファンタジーに興味を持つきっかけになった ハイドライド3は自力でクリアしたな
クソゲーに近かったな >>561
ドルアーガがほんとにすごかったのはファミコン版出てからだろ
攻略本が売れに売れてあれが攻略本市場作り上げた始祖だった
AC版は一部のマニアが細々とやってただけでぶっちゃけ言うほど盛り上がって無かった
まあ言うならこれが声だけは大きいマニアの走りかもな >>603
ドルアーガの攻略本が書籍一位取って、ニュースになったね。 >>603
ゲームの攻略本自体は以前からあったけど
「攻略本ビジネス」はドルアーガから始まったんだよね
スーマリ、ドラクエ公式ガイド、メガテン、ポケモン、FF解体真書 >>495
タイムアタックでも7時間かかるゲームだぞドラクエ1は
1時間じゃ竜王を倒すレベルにするのが不可能 アスキーの攻略本の全てがわかる本シリーズは好きやった >>605
問題はこの「後」で、ほとんどのソフトで攻略本が
事実上のマニュアルになったりするんだよな…
「こんな隠しアイテムの店なんかフツーにやったって分かるかっつーの!」
「こんな隠しイベント普通わかんねぇっつーの!」
FE聖戦に至っては攻略本があってもまだそれは序章で、本当の
攻略手順は口コミというw
スパロボFなんか攻略本ねーと取りこぼすアイテム山ほどだし、
使徒にWガンダム系列なんかまずぜってー倒せねーしw
んで、どういう訳かウチには提督の決断の攻略本があるんだけど、
あのゲームに限っては攻略本があっても本編の攻略の仕方がまるで
全く訳ワカメという…
ゲーム少し触って、攻略本の戦史をたっぷり端から端まで読む方がメインコンテンツ
みたいな感じになってたわw戦史があまりに面白過ぎたw >>609
取りこぼすって
本来隠し要素なんだからそんなもんじゃん >>527
みんな発売日に買ったとして
早く進めればその情報だけでクラス内の地位が上がるという大きなメリットがあった >>609 >>610
そうそう、パソコンでRPGに慣れてた層は自力で謎を解いてたけど、小学生以下のキッズでは
それを出来る知恵や根気は八百屋で魚だった。ドルアーガやハイドライド等のACやパソコンの
移植は難易度が高すぎたしね。
だから、発売直後はファミコン雑誌の攻略記事で、しばらく経つとそれをまとめた攻略本が
出回って、それらを読み読みクリアしてた。DQ3の頃にはエニックスやスクウェアは公式の
攻略本を出す様になってたね。当然、自社の資料を使えるから雑誌社よりも性格だし、
ガイドブックの代わりにもなってた。
ネットの普及以前だから、そうして徐々に公式に情報が公開されていく事が、ある種リアルの
イベントで、それより早く攻略した奴は自慢できたし、後から買う人やゲームがさほど得意で
ない人も、やや遅れてだけど祭に参加できた。
ネットが普及して、ユーザが勝手に画像映像を公開できる現在では、ナカナカこう言うお祭り感は
起こりにくいね。良い時代だったなあ。 >>606
メタルスライムでレベル上げしたとしても1時間って相当強運だよな
ドラゴンや悪魔の騎士みたく必ずエンカウントできるポイントとかあったとしても
会心の一撃って狙って出せないし 当時のパソコンRPG基準みたいなものがUのラストの方では満載だったな
ほぼノーヒントに近い邪神の像一回目の使用
日本のRPG史上、FF3と双璧をなす最凶難易度とされるロンダルギアの大洞窟
運よく洞窟を抜けたとしてもほこら目前で一撃死はザラ
さらにほこらに入っても復活の呪文聞く前に間違えて旅の扉ワープトラップも
ほぼノーヒントに近いハーゴンのまやかし
これを打破するためにはルビスの守りが必要
ルビスの守り入手のためには紋章全てを揃えなければならないが、
最後の紋章がロンダルギアの大洞窟にあるため、そこに気付かないことも
まやかしを打破してから完全ノーヒントで邪神の像二回目の使用
ボス戦直前にアトラス・バズズ・ベリアル強制三連戦で軽くボロクソに
ボス戦においてもあと数ターンで倒せる!という時に夢を一瞬でブチ壊すベホマ発動
冷静に考えてみるとグラディスV並みの鬼畜仕様だなこれ >>612
ブーム化すると競技性の無いものでも競い合いたくなる。
それは今も変わらんな。
俺は高い金払って買ったゲームは惜しみながら遊んだな。
ドラクエの村のイベントを解決するたびにちょっと寂しかった。
今はその解決する気力が出てこないが しっかし攻略本ガイドブックはホントあちこち良く買ったなぁ…。
全然役に立たないガイドブックとかもかなりあったけど
「面白かった!」と記憶に残るゲームの半分くらいは攻略本買ってたな
古いソフトも攻略本がきちんとフツーの書店で気軽に買えるなら楽しめる
ソフトも多い気がするけど・・・
何しろ種類も多いし一般書店で扱うには数出ないしな。こればっかりは
リアルタイムにソフトと一緒に買うしかないよなぁ
ネットじゃ使いにくいページ送りしにくい、実際の本じゃないとどうしても、
って部分はやっぱあるよね この頃のは本当にガイドブックだったな役に立たない内容だと本当無意味な本だった
読み物として価値が出て来たのはFF7の解体真書からだな ゲーム長時間やってると怒られたから攻略本で次の日までの補完をしてた部分はあったな >>609
詰めエムブレムを口コミでやってのけてたとは、たまげた話だなぁ >>617
光栄の攻略本はハズレが多かった記憶
単なる初心者向け歴史資料集だったり
しかもやたら高い 昔は1本のゲームに対して複数の攻略本が出ていて
どれを買えばいいかわからなかった
中身を確認したくてもシュリンクされていて読むことができなくて
表紙や帯の見出しで判断してた
今はだいたい自社で出すかファミ通、電撃のどれかだけど
昔は友達と話して別々の本を買って内容を教え合ったりしてた
殆どが内容に差がなかったりしたけど、たまーにその本独自の
情報が載ってて重宝することもあった >>614
そもそも1のメタルスライムはそんなおいしくないし
低レベルだと周りの敵が強すぎて狩りに行くことすら出来ない 中学の頃はクラスや部活の同級生同士で情報交換しながらクリアしたわw
ゼルダ(裏)、ドラクエ2、リンクの冒険、新鬼ヶ島、メトロイド 昔は古い本屋で棚一杯にある攻略本を立ち読みし放題だった懐かしい >>624
新鬼ヶ島は5章以外全部友達頼りだったわw DQ2を発売前1週間並んで買う奴がいたぐらいには
DQ1の時点でブームだったぞ ドラクエ2の邪神の像の使いどころわからんかったなぁ…
ハーゴン城はあるあるだが、ロンダルキアの入り口すら そのゲームが高くて買えないから攻略本買う、みたいな事もしてたな。 そろそろ1、2、3を9みたいな感じでSwitchにリメイク出しそう
過去版と詰め合わせで12800円とかで 1,2,3を3Dリメイクする意味ないからな。
どれも超シンプルな内容で3Dにしても間が持たない、スカスカになる。
すでにスーファミでベストリメイクが出来てるからなあ そして3DS、PS4でゴミカスリメイクが出やがった 日本中が熱狂したのは3からでしょ
1や2はまだ世間的に話題になってなかった 友達家でDQ1を見た時は謎めてるあの空気感に心踊ったな
これが冒険かと 2で初ドラクエだったからそれなりに流行ってたんじゃないのか
ジャンプの宣伝があったから俺も買ったんだろう
あまり記憶ないけど 当時はマジで子供の娯楽がゲームくらいしかなかった。
そこへ鳥山キャラデザのゲームとくればそりゃ流行るわ。
ドラクエ2の復活の呪文をメモるのはマジで毎回緊張したわ。
電源切るまでに何回確認したことかw 外で遊ぶよりゲームしたいなと思い始めたのがちょうどドラクエあたりだった
まぁそれでも友達に誘われたら野球とかサッカーしてたけど 砂場で穴を掘ってると普通に犬のウ○コらしきものが出てきたあの頃 80年代中期はキッズ向けインドアホビーが多様化した時だね。
子供の話題はプロ野球より漫画、ゲーム、アニメになっていった。
特にゲームは高価だったから話題の花形。 >>643
ファミコンミニ四駆ビックリマンガンプラ
この辺流行ってたな プロ野球はまだ話題だったぜ?いや話題でもないか?
でもコロコロでかっとばせキヨハラくんとかやってたしファミスタも人気だったな 最初、DQ1の売上は大したことなかったよ。
FCブームの最中で、後発にどんどん埋もれていった。
化けたのはDQ2から。 俺みたいな
友達の買ったドラクエ1を見る→2を買ってもらう
って子供も多かったろうな。
で、そのあとは
→難しくて積む
になるんだが 2はあまりに難しいので途中から買ってもらえなかった友達に頼んで進めてもらってたな
ほんで俺はあまりマンガを買ってもらえない家だったのでチラ見しつつそいつのマンガを読み漁っていた
WinWinの関係であった >>645
80年代までの日本は野球に興味ない、嫌いな人は肩身が狭かった
別にプロ野球や甲子園を否定するわけじゃないけど
今はスポーツの人気が多様化して、いい時代になったと思う https://game8.jp/dq/61588
1はブームという感じじゃなかったけど結構売れてるなぁ 80年代はいい選手がたくさんいたのよ、だから人気があった
でも人気選手がメジャーに行きだしてから人気が落ちたと思う そいやあの当時、ジャンプ以外のコロコロ等でのドラクエはどんな扱いだったんだろう
子供たちに大ブームだから無視するわけにもいかず、
かといって推し過ぎるとジャンプに塩を送ることになり当時の編集者は相当悩んだと思うが
コロコロはミニ四駆を前面に出しつつドラクエにも触れていた程度かな? >>652
当時はハドソンとか高橋名人推しだった、ファミコンの漫画もシューティングが多かったな そういやコロコロでドラクエFFを見た記憶がないな
ひたすらハドソンと高橋名人推しだった。たまにコナミと毛利名人と任天堂
上上下下左右左右BAはコロコロで知ったw 4とか5くらいの頃になると普通にコロコロでも特集してた気がするな
小学五年生かなんかに堀井雄二のインタビューが載ってたり >>653>>654
言われてみればそうだったなw
あの当時、俺の周りはみんなジャンプだったから他の雑誌はたまに立ち読みで接する程度だった DQ3のセーブの消えやすさはヤバい
商品ってレベルじゃねーぞ! ファミコンのドラクエナンバリングで一作のみのモンスターを
語りましょう メーダのせいで洞窟の暗くて不安なイメージが増すんだよな ドラクエ1は ここには40代しかいないなw
爆竹やかんしゃく玉で遊んでたとか、今だと大問題になるんだろうね。
平和な時代だったわ。 >>657
ウィズ1の消えなさっぷりには感動したなあ
散々やり尽して飽きた頃、わざとデータ消そうとしてリセット何百回も連打とか無茶しまくったけど
ついに消すことが出来なかったという、GBの頑丈エピソードみたいなことやったw
DQ3と一体何が違うのかね MSXでいいなら
ゲームはそこまで面白くはなかったけど、地図をノートに書いたり復活の呪文メモったりするのが楽しかった。
ゲームはおまけ MSXのドラクエ2はムーンブルク襲撃されるOP入ってるんだっけ? >>664
進行不能バグにならないようにデータのエラー判定が厳しかったとかじゃないかねぇ
ウィズはデータ消えたことないけど3回くらい、所持アイテムが増えたり減ったりしたことあった
俺の村正初ゲットはバグだわ >>666
無いよ。MSX2版やったけど。
入ってるのはDragon Warrior IIの方 チェックサムのないゲームはセーブ中にリセットして強くてニューゲームみたいな事できる
当時ドラゴンボールZのゲームで堂々と裏技に乗ってた >>649
野球の延長で次の番組が割を食うのはほんと胸糞だったわー 雨降ったら野球中止でアニメやるんだけどだいたい晴れてる >>667
それはエラー判定が緩いんじゃないか
ドラクエこそ厳しくて、データに少しでも異常があると消えたことにされる でも代わり映えのしないVTR垂れ流し&芸能人ワイプ番組見てると
ナイター中継やったらええやんて思うこともあるな >>669
最近じゃチェックサムあっても無理矢理通すのが流行ってるな
興味あったらサブフレームリセットでググってくれ >>649
マスコミがそう操ってた部分は有るからな
兎に角オタクに攻撃的だった >>673
ああ、分かりにくかったか
最初の一行はドラクエ3のこと 当時近所にPC(たぶん98だったんだろうな)を持ってる兄ちゃんが住んでて、ハイドライド2やザナドゥとやってた
ファミコン少年にはそれはそれは魅力的に映ったをやだよな。会話や買い物ができるんだ〜って
で、ファミコンでもハイドライドが出るんだけどそれが上記の要素がまだない1でさ。ちょっとガッカリした
けとますぐ後に出たドラクエ1がそういう欲求を満たしてくれて、尚且つガキンチョにも楽しめるという奇跡のゲームだった。それが俺をRPG道へと誘った最大の出来事だったんだよな ファミコンとスーマリ買って次のソフトがハイドライド→ドラクエだよ。我ながらなかなかのコースだと思う
今でもあの時に見た景色をもう一度見たくて、オープンワールドはいまだに大好物
スカイリムやウィッチャー3は最高だったな
オッサンの昔語りすまん >>678
ハイドライドシリーズはPC98に出てなかったはず
PC88、MSX、X1、FM7、MX2000のどれかじゃないかな
俺は85年末のゲーム雑誌(どれか忘れた)で
2ページぐらいのPCゲーム紹介記事でザナドゥを知った
画面写真と記事の内容が当時の俺の想像を強烈に刺激したっけなあ
YouTube動画で今見るとすげえショボいけどw >>680
ハイドライドは、初代や3なら98でも出てる(3は増強版みたいな形だけど)
でもどっちかというと古典的な分、やはり8ビット機の印象が強いシリーズではあったな 当時のパソコンゲームは
色数が多くて綺麗なのとFM音源で音色が良いくらいかな
スクロールも8ドット毎とか滑らかではなかった
滑らかなスクロールやスプライト処理はファミコンがよかったね 当時何十万もしたPCで遊ぶゲームはさぞ凄いんだろうなと思ってたけど
実際はそれほどでもなかったw 移植列伝って動画が面白かったな
当時のファミコンが如何に凄かったか解る動画 ニコニコでゲームグラフィックTVって動画検索するのおすすめ ゲームに特化してたからね
ファミコンだと複数の入り混じった線とか大変だしビジネスソフトとか不適 >>678
ファミコンだとドラクエが先に出てハイドライドスペシャルが後じゃね
買った順番がハイドライド→ドラクエなんだろうけど >>687
いや、ハイドライドスペシャルの方が二カ月くらい発売は早い 初代ザナドゥは凄いゲームだったなぁ
あれこそ国産ゲーが産み出した当時の金字塔じゃなかろうか
一生に一度、余程センスのある人間でないとまず作れないゲームだ
当時のPC市場の規模で50万とか、今のCSで400万本より評価されて良いくらいだ
あまりにも出来が凄過ぎたからこれもフォロワーが多く生まれたゲームだな
FCでもミネルバトンなんかはこれの戦闘をそのまま模倣した代物だし、
FF2やサガの熟練度システムなんかはこれまた模倣だし ドラクエ1よりはハイドライドスペシャルの方がグラが良く感じる ドラクエ1⇒2のグラフィックのアップが何気に凄いよな
同ハードのうえに数か月しか変わらんのに 容量の問題でマップチップもあまり種類を出せないから、
建物でも洞窟でも使える壁をデザインしたんじゃないかな
ほぼ老朽化した建物の壁だけどw ドラクエ4はファミコンの限界に近いのは分かったけど
すでにPCエンジンやメガドライブが出てたんで凄いとは思わなかった
ドラクエでグラフィックが同時代でも高い水準と思ったのは2、3、8ぐらいかな 1は実際はそんなヒットしてないよ
エニックスが無理やりにでも100万本達成させようと安売りしただけで
結果的にそれで知名度が上がり2からヒットしただけだよ >>695
その頃のエンジンやメガドラって大したRPG出してなかったから差は感じなかったぞ >>695
RPGってグラよりも中身だろw
MDやPCEに対抗できるRPGなんてねえよ ドラクエ4のグラフィックがいいと思った事ないけどなあ
縁取り線のないケバケバキャラと相変わらずの四角区切りマップだし
同時期の他機種がグロテスク系に振ってて助かってたけど
グラフィックだけなら普通にFFが先んじてた ドラクエIVは音楽なんかも、ちょっと無理してる感じがあったな
ファミコン音源の上だとあまりいい聞こえ方ではなくて、オーケストラ版を聴いた時に初めてこういう曲なのかと腑に落ちたような憶えがある >>678
PCでハイドライド持ってる奴がクラスにいたんだがファミコンのドラクエ1やってる俺をあからさまに馬鹿にしてて悔しかった思い出あるわw
当時はクラスでドラクエ1持ってたの俺だけだったんだよな
普及活動しまくってたけど当然効果もほとんどなかったw
むしろ知らんゲームやってる間抜けとか言われて馬鹿にされてたわ DQ1は自分にとって最初のRPGで楽しかったがFF1を買った時の衝撃が凄かったな 雑誌も創刊されまくってたからな
出版業界のバブルがすごかった
クソニーが参加する前の時代だからネガキャン専門みたいな頭のおかしい雑誌も無かったしな >>678
当時ハイドライドやザナドゥやってた口だけど
テレビはあまり見ないしジャンプも買わなかったから友達に借りて初めてやった時衝撃受けた
何時の間にこんな面白いもんファミコンで出たんだよ!って
出遅れたの悔しかったけどそれからドラクエの虜だったなぁ 同じ町内の同級生の兄ちゃんがMSXとかいうパソコンを持っていると聞いて憧れていたなあ 3は山口良一がオールナイトニッポンで堀井ゲストに呼んだりしてめっちゃ盛り上ってたのは覚えてる >>700
俺は逆なんですよね
DQ4の戦闘曲とか当時なんてカッコいい曲なんだと
感動すら覚えたくらいでな。しかし後でリメイク版で
オーケストラ風にアレンジされたの聞いたらなんか「コレジャナイ」感じだった
(でもN響版は良かった) >>709
N響版の戦闘曲は崩壊しそうな危うさと疾走感があっていいよね
ロンドンフィルの方はやる気なさそうな演奏もあるんだよなあ 演奏の良しあしは俺は分からんがテレビゲームの地位なんてまだまだ低い時代だったからなあ 前期ナンバーの交響組曲は、全体的にN響版の方が好きだったな
他の楽団でリバイバルされたりしているので、今だとこっちのは旧作扱いで埋もれがちだけど
リリースが古いアルバムが多いから、そのあたりをリマスタリングなどして再発して欲しいなあとも思ったり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています