一時期SFCとほぼ同じ台数売れていたPCエンジンの思い出を語ろうコア構想とか夢ありすぎだろ
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>>53
アーネスト・エヴァンスで使われてただろ
エドワード・ランディの劣化版みたく感じたけど >>95
ビジュアル偏重ゲーのCD-ROM2はドイヒーだらけだけど
STGの名作多いからHuカードだけはやっぱ厳しいわ
メガCDなら捨てても支障ないんけどなw でもサターンとかよりなぜか失敗のイメージがないんだよね
PCEはPCFXで完全に終わるまではそれなりのイメージあった
ビックリマンのゲームとか当時の子供達死ぬほどやりたがってた SFCがRPGブームを起こしてもセーブ出来ないから乗れず
MDが大戦略を流行させるもこれもセーブで無理
格ゲーが大ブームになってもカードの容量制限でショボショボ
ときメモがヒットするも次世代機がすぐに登場 PCEもMDもマイナーだからゲーム一本に掛けられる予算が極小
メジャー路線の任天機に勝てるわけない 当時まったく存在を知らなかった
持ってる人も見たことない >>104
あの辺のアーケードカードのネオジオ移植は
内部エミュレートしてるから敵のアルゴリズムが全く一緒で
CPU攻略がどれもそのまま使えた完璧な移植。
アレの出来が良すぎてちょっと夢見たがその後がグズグズのガタガタ。
あの飛竜作った奴は一生恥じて懺悔しろ。 天外魔境2は、アニメとか声とかではなく、 ゲーム部分が非常によくできている
桝田省治が死ぬほど頑張った結果だそうだ
で、その憂さ晴らしをしたのがリンダキューブ初代 もしドラクエやFFがCDロムロムで出たら、画面も綺麗でアニメ並のイベントムービー、戦闘も動きまくりで音楽はオーケストラ生音で…そんな夢を見た事が有りました…。 >>112
ドラクエ2を cd-rom で出したらさくまあきらが「容量の3分の1(200MBぐらい)がロンダルギアだな」とか笑い話にしてたな >>45
SGのデカさについて「今まで散々金かけて小さくしたって言ってたのに何で大きくなって高くなってんの?」っていうのが放送されたのは凄かった
PC版のイースのライナーノーツ書いたりアンドロメディアで大爆死した当時の自称ゲーム評論家がうまく言い訳できなくて困ってるシーンも含めて放送
テレ東、恐るべし >>48
ファミコン最後のソフトって「高橋名人の冒険島」のシリーズだったような記憶が・・・ >>54
実は小島の初期のアイディアが最も反映されているスナッチャーシリーズはMSX2で発売された「”SD”スナッチャー」だったりする
当時はまだ脚本の音声化のノウハウが確立されていなかったのでPCE版スナッチャーはACT3の演出がSDスナッチャーから大幅にカットされている PCエンジンの初期開発メンバーに元コナミの人がいるのは意外と知られてない
北の大地で家庭用のパブリッシャーやってたメーカーの開発会社が数えるほどしかなかったので
道外に出ずにゲームが作りたければどっちが自分に合うかの選択肢の話だった
今はもうマリパのNDキューブ以外は独立組が建てたデベロッパーかスマホゲー開発ばかり 友達の兄ちゃんがやってたカトちゃんケンちゃんが死ぬほどうらやましかった >>101
使ってない
あれはスプライトによる多関節演出で回転を表現しているだけで海外ではムービーシーンをカットして普通のROMで出ている >>88
今更過ぎるけど
64は最初からカートリッジ捨ててDD採用すればよかったと思ってる
DDの半分の容量(32MB)で時オカやムジュラが作れたわけだし
ドラクエ7も当初の構想通りの内容で97年末ぐらいに発売できたんじゃないかね Huビデオはすごいと思った
これから出るゲームのムービーは全てこれになるんだと勝手に天井を決めてた
実装されたタイトルは極々わずかだったけども GTはロマンの塊だったな
持ち運べる本体で据え置きと同じゲームが出来るのが衝撃だった
携帯機も出す事を想定してHuカードにしたのならスゲーと思った
でも実物見たら画面小さくてビックリ PCエンジンはうんちぶりぶりおならぷぅの下劣なゲームばっかりだった印象しかないw >>125
LTは値段もロマンに溢れていたね・・・
今考えるとスイッチのご先祖様といってもいいかもしれないな ハドソンはレッドカンパニー良く使うんだけどユーザーはPCゲーム寄りだから
大作ゲームが滑りぎみだったな >>121
それをやってしまうと山内が怒るので無理
もともと64 DD は山内の主張するカートリッジ絶対主義が破綻するのを見越して、 つじつま合わせで作られたもの
なので、最初から主力で採用する気がなかった
ちなみにゼルダも、元々64 DD 作品だった
CD にしとけばよかったんだよ・・・ >>130
じゃあ山内はいったい何しでかしたんだよ CD自体はフィリップスとソニーが開発した規格だから
仕方なく64は磁気ディスクのDD出す予定だけで様子見してたんだろうな 組長はコピー対策最優先だったからな
ディスクシステムの時に結構な痛手を被った
GCでもCD-Rが入らない8cmディスクしか入らない本体にしたしな
しかし独自規格のDSが一番海賊版被害の規模がでかかったのは皮肉だったな ハドソンもファミコンから完全に撤退しなかったのが気弱だな
PCFXの失敗も倒産の原因の一つ >>134
PC FX は NEC が時代の進化についていけなかっただけの話
PlayStation 1は本当にチートだったんだよ 時代の変化とかでなくPCエンジン市場が余りに縮小し過ぎていて
開発開始の時点で戦意を喪失してたんだよ。
初めからギャルゲー専用機の様な仕様だもん バトルヒートはアイデアを形にしたらコレジャナイ感というやつ 確か複数視点の動画切り替えて使えばポリゴンと一緒とか言う発想なんだっけ?w >>137
>>138
ポリゴンモデルならPボタン押せばパンチ出すんだから
パンチ撃つ動画作ってP押したらそれを流せば同じ事だと言ってた。
いや対戦だと相手の技とか防御とかリアクション様々過ぎるだろ!
何十パターンの動画作る気なんだよ!!
って思ってたらバトルヒートですよ。
一応今でもDUO-RもPC-FXも持ってるから言ってもいいよね?馬鹿じゃねーの? >>139
格ゲーマニアの会話を見ていたらこんな仕様だと全く相手にされないだろうことはわかる >>140
だねぇ。
今じゃプロゲーマーじゃなくても優位フレーム調べて
確定反撃とか覚えたりするのにバトルヒートじゃ意味ねーな。
まぁあの頃でも誰もが「ンな訳ゃーない」と思ってただろうけど。 ハドソンの偉い人が動画が主流になるから3Dは要らないってスタンスだったな SFCの音源ってなんであんなに籠っててしょぼいの?
AMIGAのほうがPCM4音なのに音がよくないか >>123
据置機の画面を再現するために当時としてはドットピッチが細かく低残像度の高性能液晶使ってたから
それで値段跳ね上がってるわけだし、あれより画面大きくすると値段がさらに万単位で上がる
>>142
ムービーゲー見てると気持ちはわからんでもないな まぁ格闘ゲーもモータルコンバーットとかみたくプリレンダ画像取り込み系を想像してたのかもしれないし 普及台数はともかく
ハードの売り上げ金額で言えばもしかしてPCEのほうが勝ってたりしてな コアグラの拡張バスを使ってスパグラのような強化は出来ない事には正直がっかりした
結局たいていの事はメガドラでもやってたし・・・何だったの拡張バス
印刷・通信・セーブ・CDユニット・・・それぞれ別々の端子で済ませればいい物を
わざわざ拡張バスひとつにまとめて、そのコストが定価にして6千円の上乗せ
なんなの?
俺はPCEユーザーだけどこれだけは許せない、サギじゃん >>134
任天堂とハドソンは長年の取引関係があったから、PCエンジンを出す時も
「ファミコンで儲けてて羨ましいから、うちも自社ハード出す
だから今後ファミコンにはあまりソフト出せなくなる」って断ったんだよ
自社ハード出しながら他社ハードに参入したのはバンダイもそう
ここも任天堂とは関係が深く、任天堂が欧州支社を設立する前は
バンダイの現地法人がファミコンやゲームボーイを販売してた
セガのように一貫して参入せずライバルハード続けたわけでもないし
ソニーのように明確に叩き潰そうという敵対意識があったわけでもない
スクウェアのように後ろ脚で砂ぶっかけたわけでもない
ハドソンもバンダイも普通に会社として常識的な対応を続けただけ >>134
それは気弱というものでなく
自社のファミコンソフトを遊んでくれたユーザーに対するサポートみたいなものだろ つーか最後までファミコンにソフトを供給してたのが他ならぬハドソンだぞ
任天堂だってとっくに新作の供給を停止してたのに
当然大した売り上げではなかったろう 冒険縞4は94年にファミコンのソフトなんて出しても売れなかっただろうな
もうクラスのみんなスーファミ発売以降はファミコンソフト買ってなかった
全国的にそうだろうし >>152
ハドソンが出したファミコンソフトの中で一番売れなかったんだと
版権的に問題ない有名キャラを出し
ファミコンでの開発はノウハウあるから期間は短く済むんで
それなりに利益出るだろうというつもりで出したけど
商業的に失敗とあるから、赤字だったんだろうな
そりゃPS、SSが発売される数か月前に今更ファミコンはないわ
それに94年の時点で高橋名人なんか出したって仕方ないだろ
ちなみに俺も、このソフトの存在は数年前にネットで知ったw >>110
お前がエミュレータを全く理解してない事はよく分かった。 >>15
>唯一の価値は史上初の縦置きハード
光速船「お、そうだな」 ハードの売り上げの割にはソフト語られること少ないよな ハドソンが半導体を設計出来たのは
今の時代を考えるとすごいなぁと
思うわ NECが根っからのハード屋だったのが良くも悪くもPCエンジンの方向性を決めてしまった
ソフトで稼ぐという発想がないせいで周辺機器や本体がバンバン出てくるという >>151
任天堂が出した最後のファミコンソフトは
94年2月19日の初代ゼルダ(カートリッジ版)とワリオの森
93年12月にAV仕様のNewファミコンを出したんで
その対応ソフトみたいな扱い ハドソンがPCFXで出したチームイノセントは開発費に数億かけたらしく、
PCエンジン雑誌の読者コーナーで「あれだけ金かけてこれか、ばかじゃねーの」みたいに言われてたな >>157
ハドソンって元々ガレージでラジオとかPC関連の仕事で飯食ってたからな
半導体の回路設計も昔は手書きだったからハドソンみたいな会社でも入り込める余地があった PCエンジンまでは良かったけど
天下のNECが何でFXなんつうしょぼい後継ハードしか出せなかったのか? >>160
3Dモデルのムービーは当時まだ高額だったからなあ CDロムロムが5万くらいだっけ?
中学生にとっては存在しないも同然のハードだったよ >>165
7〜8万じゃなかったっけ?
本体込みで10万クラスだった気がする。
俺は某雑誌の懸賞でセットで当たって飛び上がって喜んだ。 >>165
当時大竹まことのPCランドで見て「ゲームがしゃべるの?すげえええ」って欲しくなったけど
でも高すぎて買って貰えんかったなあ
逆にもし安かったら天下を取れてたかもしれない。まあ当時のコスト的にはあれが限界だったのだろうけど アーケードカードが2〜3万円だったはず
プリンターとかカラオケも持っていたな >>166
CD-ROM2は57000円
PCE本体は25000円
>>168
ACカードは13000円〜18000円 当時、メガドラにしろPCエンジンにしろ、その派生CD機まで買ってたのは今で言う「小遣いに困ってない大学〜若手社会人」くらいの年齢層だったんだろ。
いくらバブル期でも子供には手が届かない。
「ファミコンは少し子供っぽいなあ」と感じていた人達。 まあわざわざ高いアーケードカードを買ってまえPCEで格ゲーを遊ぼうって層は少なかっただろうね
それぐらいなら他機種でやるわと 当時の感覚ならCDのグラディウスUは大枚払ってでも味わう価値はあったかな
他だとファミコンかX68Kに移植されたけど後者はさらに高額なパソコンで手が出なかった duoもあったしROM2自体も実売かなり下がってたからどうにか買えたって人も多いんじゃないかな
PCエンジン後期はほぼCD-ROMソフトだったし
アーケードカードは値段高過ぎであれならネオジオ買った方がいいんじゃねって思ってた 興味本位でアケカと餓狼スペ買った
ただ格ゲーが好きな人ばかりじゃなかったからね アーケードカードは投げ売りされてたろ
秋葉で280円程度だったはず CDロムロムは偽物CD ROMなのだとか
オレンジブック非準拠と聞いた ガロスペはロードも早くて名作
メガCDはなんか動作が軽くてショボかった >>154
CPUアルゴリズムの再現をエミュレートという言葉で表現しただけだろ 動画にするならgif形式でやりゃいい
それを大量に容量を食うはずのmpeg方式を選ぶってことはさ
結局手抜きしたいって事だろ?ドット打ちでなくアニメ会社に依頼したアニメ取込むだけ
PC-FXの性能は開発側がラクしたいからと言ってるも同然でさ共感できなかったね
そりゃ開発がラクできるのもソフトの価格を抑える重要な事だろうけどさ
それに牧瀬里穂みたいなクソ演技でもGOサインを出すような事も予感できちゃったしな 結果的にはドット打ちよりもアニメの方が手間も予算も掛かってたよ
ヌルヌル動かすために枚数を映画並みに増やさないといけなかったからね
だから初期と中期以降じゃアニメのクオリティに天地の差がある
あとPC-FXはPCEのSGをニコイチにした感じだったから
プロセッサ間の同期をとる為のプログラミングがめちゃくちゃ面倒で開発難易度が高かった
開発側が手抜きしたくなるのも無理ないと思う pcfxは関係者がそもそもハドソンも2Dのゲームしか経験がないから着想した時点で2Dゲーのことしか考えてなかったって言ってるよね
そこで時代に乗り遅れたんだろう
pcfxで大失敗してきつい状態なのにメインバンクの拓殖銀行倒産で実質終わった
そこからはいつ死ぬかの延命治療だったからね、、 PS1発売後にDUOを中古で買ったけどPS1より遊んでたわ
ネオジオも買ったけどこっちは友達と遊ぶ専用な感じ
PCE自体は友人の家でカトケンや遊々人生とか遊んだり、ハードごと借りたりしたっけな
アニヲタの友達の勧めが無ければ買ってなかったが、買って満足したハードだった
何より中古屋巡りが面白かった
今と違って探す楽しみもある、反面で新製品ですら入荷しない、リピートが掛からないデメリットも多く、わざわざ秋葉原まで出向くこともしばしば >>184
ゲーマー満喫してていいな
メガドラをリアタイでやってた頃メガドラソフト20本1000円とかで投げ売りされてて買い漁ってたなあ
そんでそういうのの中にたまに当たりを見つけると嬉しかった
でも基本的に兄貴と二人でやりながら全体的にそんなに面白くないなって言ってたw >>182
> あとPC-FXはPCEのSGをニコイチにした感じだったから
> プロセッサ間の同期をとる為のプログラミングがめちゃくちゃ面倒で開発難易度が高かった
> 開発側が手抜きしたくなるのも無理ないと思う
SSとごっちゃにしてね?
PCFXのチップはHuC62シリーズだが、SGチップ(Huc6202)のニコイチとかそんなアホな仕様じゃねーぞ
それかPC-FXGAと勘違いしてるか >>183
拓銀破綻した98年の前後に任天堂が子会社化してりゃなあ、って思うよ
よりによってコナミに食われたんだものw
なお戦後に都市銀行で破綻したのは現時点でも拓銀だけ
ハドソン以外にも連鎖倒産した道内の企業は数知れず、道内の経済を数年遅らせた
主要取引先が任天堂、SB、NEC、シャープ、ソニーといった大企業がズラッと並んでたから
銀行からも信用されてたんで株式上場するつもりもなかった
結果的にそれが仇になり、00年に上場したけど時すでに遅し エロとアーケード移植のイメージしか無い
ドラゴンナイト、コズミックファンタジー、ゼロヨンチャンプ好きでした 初期はオリジナルとアーケードゲームの移植
CD-ROMが始まってからは大作RPGとPCゲームのリメイクとアニメって感じ huカードを切り捨てた理由が分からん
CDロム環境でも普通にプレイ可能だった訳だし
ムービーに拘らないゲームはカードで良かった >>191
ROM2ならプレスが安いというメリットがある
PCエンジン自体の音源が貧弱だったのもあって
豪華声優陣や豪華CDサウンドを売りにできるROM2に移行するのは避けられない流れだった >>187
ハドソンが不良債権だっただけだぞ
真面目に銀行から信用得られるなら営業譲渡された北洋銀行が債権引き受けてたし
ニトリのように他の都市銀行から融資を受けて元より事業拡大する路線もあったんだよなぁ
任天堂にしてみれば人は欲しいけどIPも会社もいらなかったしコナミみたいに赤字まで被る気はなかった
結果的にヒットが出なくてマリパチームも引き抜かれて畳むことになっただけで
コナミが生かした10年と金がなければMMORPGや新規IP作ることもなく
桃鉄とボンバーマンと天外だけのメーカーと化して
尻窄みでいつか限界がきたところで突然死していた IPとしては惜しいけど、工藤やその他がはコナミを受け入れたときに経営から離れて、開発者も離脱してるからなぁ >>183
あの当時、3Dのゲーム製作ノウハウは
セガ、ナムコ、任天堂ぐらいだろうからね
その三社(ナムコはソニーと組んで)が
ポリゴン対応ゲーム機を出したのも
当然だったな >>193
当時のハドソンの負債はPCFXで抱えた数億単位の赤字だろうな
ソフトに関しても大ヒットはなかったけどまだそこそこ売れてた
まあどっちにしても助からなかったかもな
wiiで出してたコーリングとか末期ハドソンはゲームも暗黒のように暗いゲームが増えてたけどやっぱりゲーム難易度とかに関してはうまいなあという作りが多かったわ 開発に2億かかったというチームイノセントはロンチだから
何だかんだで小売りに押し込んだからそこまで赤字じゃないよな
FXファイターみたいに開発だけしててお蔵入りになったソフトが多いから
その辺も業績悪化に貢献してそう >>196
PCFXの開発や生産の費用をハドソンが負担してたって事ならそうかもしれんが、
そもそもハドソンはPCFXに数本しかソフト出してないし
当時SFC向けのソフトは、そこそこヒットしていた訳で、
つまりは死に体のPCエンジンにソフト出し続けた事が大きいと思うんだよね。 PCFXで被害を被ったのはNECでしょ
ハドソンはPCE末期の時点でもうヤバかったよ
コンパイルとハドソンとSNKは90年代後半の時点で業界人から経営破綻が予見されてた 秋葉LAOXでクンフー、オーダインのCM、ポピンズで妖怪道中記新品198円 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています