初代プレステって、なんでどうしていきなりぶっちぎりで覇権ハードになれたの? パート2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>243
その場合は今頃XboxONEが唯一無二の存在になってそう >>243
おいおい
さすがにそんなにタラレバ定食大盛の空論は無意味過ぎる でも俺はCDに行ったことが必ずしも良い事だったとは思わんがなあ
イベントの長期化によるテンポの悪さと言った問題はSFC中期ぐらいからすでに起こりつつあった
しかしCDロムが標準化され容量が飛躍的に増える事で、その問題は一気に顕著化したと言える
RPGなどが特にそうだが、冗長化し快適に遊べるようなゲームは一気に減って行ったと思う
64は逆にゲームの原点回帰を目指し、そう言った問題の解消に向けてゲームのシンプルな面白さを引き出すのを試みてたんだよな
しかし世間は派手で解りやすいムービー路線の方に惹かれ、ゲーム全体がそっちに寄っていくことになる。そしてそれは今でも尾を引いてると思う >>204
実はナムコってサターンに参入はしていたんだよね。
ソフトは出してないけど、参入したことによる情報収集はできていたんじゃないかなあ。 >>247
そうそう。確か参入メーカーの一覧でナムコの名前があった
だから何か出るのかと思って期待してたが、結局一本も出なかったな
違う話題だが、確か海外では64版リッジレーサーなんてのもあったらしいなあ。日本では未発売で残念だった プレステって94年に出てたのか
96年くらいまでは割と空気だったな >>249
あの時代を知っててそれを知らないとは… >>252
やっぱ一般的にまで凄い話題になったのはFF7が来てからだから リッジレーサーが5800円だからなあ
1万超えてたスーファミは秒殺されていった どんな糞ハードでも宣伝とメーカー囲い込みさえすれば覇権になれるってFCやSFCが教えてくれただろう
ソニーは任天堂の教えを忠実に守っただけだよ
任天堂は少数精鋭とか言い出して自滅しただけ FCやSFCは性能も良いんだよなあ
FCなんて当時の他のハードと比べたらクオリティ高杉なレベル >>255
その裏でゲームボーイが世界で1億台以上売れて、日本で1番売れたゲーム機になってる。
スーファミと違ってソフトも安いし、本体も安かった。 FCとSFCが高性能と思っているのPCエンジンやメガドライブを知らないニワカの任豚だけ >>250
2Dゲームではサターンのほうが良い
実際に出たのはだいたいがアーケードの移植物だが >>259
PCエンジン出たのファミコンの4年後だもの
むしろPCエンジンとスーファミの発売日のほうが近いぞ スーファミとメガドライブなら互角でしょう
PCエンジンは落ちる >>259
メガドライブってRAMが64KB+64KBで、1メガビットドライブってことだよね。
スーパーファミコンはRAMが2倍で、2メガビットドライブってことじゃないかと。 スーファミは3年前に発売されたPCエンジンより解像度が低くCPUが遅い
とんでもないクソハードだぜ
PCエンジンもファミコンのゴミスペックに我慢できない人が多かったから500万台も売れたわけだしな PCエンジンユーザーと任天堂ハード信者とは世代交代の時期がズレていたという事だよな
この層がプレステの普及に大きな貢献をした PSエンジンユーザーとメガドラユーザーからしたらスーファミはPS1サターンが出るまでの繋ぎでしかなかっただろうな PCエンジンやメガドラユーザーにとってスーファミは軸になる性能がなかったからPS1サターンに飛びついたんだろ ニンテンユーザーととPCエンジンユーザーではハードの世代交代の時期に3年のズレが生じたんだよ
ファミコンを引っ張りすぎてPCエンジンに付け入るスキを与えてしまった任天堂の失策だろうな
任天堂はファミコンユーザーをスーファミに引き継ぐことが出来たと確信して完全に天狗になっていたから
プレステが発売されても大衆は任天堂の次世代機が発売されるまで待つだろうと高を括っていた あの組長が完全にゲハ脳全開のイタタ発言の震源地だったからな
「CD-ROMなんて売れまっか〜?」 任天堂「俺様は人気者だから他社がどんなハードを出そうが俺様に勝てるわけがないだろガハハハ」
この体質は今でも変わらない
任天堂という会社が抱える病気みたいなものだま >>265
CPUのビット数を川の幅、クロック数を水の流れる速度だと捉えると解りやすい。 ソニーが巨大だったから成功したなら
なぜパナの 3DOは失敗したのか?
パナもソニー以上に巨大なのに 3DOってコントローラ2つで対戦するとき
本体にコントローラ端子1個しかなくって、コントローラ自体にコントローラ端子があるから
1Pコンに2Pコン挿す変態仕様だったらしいな
そっから先は調べてないけど周辺機器でマルチタップあるのかなやっぱり 初期のSCEは凄かった
それまでのNECやパナとはレベルも本気度も違っていた
任天堂は甘く見てて一気にやられた デイジーチェーンでしょ
ゲーム機では珍しいがSCSIもそうだったから変態って言うほどではないかな
好きな数だけ繋げられる(上限8台)のは理にかなった設計かもしれん PC-FX買ったって人はこの手のスレでたまに見るけど
3DOやプレイディア買った人はどれくらいいるんだろうな PC-FXより3DOの方が売れたんじゃないの
よう知らんけど
3DOはそれなりに注目されてたよ
CMもかなり打ってたしな 会社が大きいだけで売れるならXBOXも苦労しないわな PS初期は雑誌付録に体験版の詰め合わせディスクが付いてたりしてて、とにかく目新しさがすごかった ゲーム雑誌の月間ニュースとかで見かけた
紺色のPlayStationと黒いPlayStation欲しかった
性能とか仕様じゃなくて純粋に色で >>259
発売当時としては、FCはコスパが非常に高い性能を持ってた。
SFCはお察しだったけど。 >>274
やる気の違いじゃね?w
ソニーは本当に周りを味方に付けて着実に信用を勝ち取っていった
パラッパとかやるドラとか安いゲームもあったし薄利でやってたと思うぜ >>274
パナの3DOは、最初「ロイヤリティを取らない」と公言してたのに
後で撤回したからサードが一気にそっぽ向いた。
さらに、ソニーはSFCの開発機の作製を担当していたからゲーム作製時のノウハウも蓄えていたし、
PS用の開発機を安く抑えた上でゲーム製作用ライブラリも揃えていたから
サードが一気に飛びついた。 FF発表前の年末はバーチャ2バーチャコップデビサマでPSより売れた記憶がある >>250
>260さんも書いてるけど2DゲーだとSSのほうが良い
その動画の蒼穹PS版に処理落ち(地表に降下していくシーン)
ツインビーヤッホーとかだとSSのCD-ROMがインテリジェント倍速のためか
ステージ間のローディングも少し早かった >>288
95年まではSS有利だった。95年いっぱいまでは。
最も、その辺ならSFCも名作が出続けて競争力があったけど。 PSっぽいゲームはスーファミっぽいゲームだしな
「っぽい」っていうかNIN64、サターン、PSの中ではいちばんスーファミのパワーアップっぽい スクウェアが何故選んだのかってところが重要だな
正直、半透明や加算エフェクトのない地味画のサターンは最初から無いと思ったわ ムービー性能でpsしか選択肢がなかったとヒゲが言ってた FFに関しては6の時点でムービー使いたいのまるわかりな作りになってるからな
だからPSに飛び付いた 初めてFF7のCM見た時はマジでビックリしたわ
ゲームCMで唖然としたのは後にも先にもコレだけ 発売前からPC移植に言及してたんだな
ていうかWindows97って懐かしい >>259
良質なソフト(クソゲーも多数だったが)と遊びやすいコントローラ、それにシェアが圧倒的だったからなぁ。
話題の中心はいつもファミコンスーファミだった。 >>293
3D描画用GPUとJpegハードデコーダ(Motion Jpeg動画用)を「標準装備」している機種と
スプライトでポリゴン描く必要があって動画用ハードデコーダが無い機種が並んでいたら
そりゃヒゲなら前者選ぶもんな フィールド画面からそのままムービーに移行するのは衝撃的だったわ
あれもJPEGモーションのおかげかね? 真実とは、ワトソンがファンと自撮りをしない理由ではない。トランプのTwitterを忘れてしまうような“下胸”の写真でもない(トランプのTwitterを忘れることができて私は嬉しかったけれど)。
https://t.co/xvjWepAjWn PSやSSの頃はMPEGの30fps再生にハードウェア支援が必要な時代だったからねぇ
でも糞画質の代名詞だったSSのCinepakも、後期にはPSに劣らない画質のものもあったし、
True Motionの動画なら平均的に良好な画質だったな >>276
そして任天堂を甘く見ていた1993年設立のSCEは債務超過のあげく、解散消滅した。
1993年設立のSCEは、プレイステーション20周年までもたなかった。 じゃあどこがPS4やビタを出してるの?
チカニシ的にSCEはもう消滅したんだよね
不 思 議 CM効果凄かったね
それまでのゲームCMと全く違ってたもん
百万台CMとか既にサターンは達成済だったがPSの方が売れてるみたいに感じちゃうしな
当時はまだアーケードの方が技術力凄くて別にビックリはしなかったがなぁ
64はパワプロ専用コントローラかよってくらいしっくり来たなw >>305
アーケードに近いものが遊べるようになったからSSもPSも驚いたけどな。
そこからDC、PS2でほぼアーケードに並ぶ性能になった感じ。 >>289
PSの方が勝ってたのはポリゴンとムービーくらいだからな
ロードの速さもSSの方が断然速いし、音楽や効果音の違いなんて同一タイトルで比べれば明らかな位差があった
ただ当時はポリゴンやムービーが新しい技術だったからな・・・。そう言う外見上のインパクトに騙された奴が多かったという訳 >>295
そう言う迫力のあるシーンをCM・雑誌で魅せて客の目を引いたけど、結局そう言うシーンはゲームのホンの一部
ゲーム時間の大半は当時の基準から考えてもしょっぱいローポリゴン
如何にパッと見のインパクト重視で客を騙そうとしてたか解るよな。まるでパッケージだけ良くみえるAVみたいなゲームw >>167
ライト層てPSが世に出てから生まれた分類だぜ
元々従来ゲーマーと区別したPSファンって意味 >>309
そうなんだよな
圧倒的に任天堂がシェアを取っており、ゲーマー向けのセガの新ハードも出てる中
どうやってシェアを獲得するかと言う所で、SCEが考え付いたのがライト層を言う存在を作り
彼らに売り込んでいくと言う手法だった訳だからな。
>>305が挙げてるCMなどもライト層を意識して一見ゲームに関係無さそうなイメージのCMにしてたものが多かった
で、任天堂もセガも所詮ゲーム知らない層だろ? ってバカにしてたんだけど、PSがそれで勢いづいちゃったから
結局はライト層も大事だと段々路線変更せざるを得なくなっていくと言う流れだったんだよな
そして今そのライト層はスマホが持って行ってると言う・・・ では、仮にPSが出てなかったらMSはどうなった?
MS自体は、箱以前の段階の90年代入ってからリビング進出を
検討してる。(この辺りのことは当時のアスキーなどのコラムにも
記事があった)
それだから、いずれにしろリビング進出を兼ねてゲーム機orそれに近い
ハードを出すことが90年代の時点である程度は予測できた。 仮にPSが出てなかったら、FM TOWNS マーティーとピピンアットマークによって
富士通とアップルがリビング市場を分け合っていた カモ PS1から参入したサードで今も元気なのっているの?
今やスクエニくらいで後は海外サードが殆どだと思うけど マーティって初期は10万近い価格だったな。
MSもリビング進出を検討してたころは、10万ほどの価格でハード
出すつもりだったらしいし、その他90年代入ってからの海外のIT
系メーカーのリビング進出計画ってどれも数万〜10万単位のハード
出して、市場を獲得することを検討してたのばかり。
「そんなの高くて売れないだろ?}と誰しも思ったが、欧米のIT系
メーカーはどこも「我々の出す、ハードはゲーム機じゃない、新しい
マルチマディアだ」って感じだったわけで、 >>313
無理じゃね?
前者は10万後者は7万
しかもオプションパーツがPC準拠価格
素直に普通のPC買うわ >>314
元気かどうかは知らんけど日本一とかフロム、ガスト、アークワークなんかはPSでメジャーになったんじゃね >>167
なるほどなー
テレビゲームを一般に普及させたファミコンは長らくテレビゲームの代名詞だったし
その層が初めて自らハードを選ぶタイミングだったんだな ってか、今の2〜30代のほとんどはPSで育った世代だよな
FC・SFC世代は40代以上のおっさん >>321
>2〜30代
じゃなく 20-30歳と言ったほうがいい、30代だと38とか39とか
明からにSFC/FC世代も入る
PS2が2000年登場で、この年に中高生だったやつが今30-35歳 >>304
みっともないわな。
解散消滅した会社と同じ名前の会社をつくりなおして。 PS発売前は本命視なんて全然されてなかった
PCEレベルのただのチャレンジャーって感じ
ただ実際発売してみると想像以上に売れたんだよ
一年でSSと合わせて400万台だろ
たった一年で任天堂の外に巨大な市場が出来上がった
スクウェア参入発表前でこの勢いだった ただどっちがポストSFCかって空気はあったな
PS SS発売前〜初期は 部品を内製で調達してコストダウンが容易だったSCEの値下げ競争戦略に
コストダウンもままならず血を流しながら値下げ競争に乗るしか無かったセガ PSが登場する90年代半ばってのは、まだPCゲーム市場に一般ゲームのシェアがあり、
一般PCゲームのメーカーがかなりあった。
そういう一般PCゲームのメーカーにSCEは声をかけまくり、膨大なタイトルをハード発売前に発表してた。
それも結構大きい。 サターンはあれもこれもで、赤字ハードになったし。
PSは一点豪華主義。 当時はクソゲーが多いし。
有象無象が集まってたから
ゲーム批評で、裏話を読むの面白かったし 性能なんかよく分からなかった俺にも明らかに分かったことがあった。任天堂は発売遅すぎー! >>330
SFCが1990年発売。
1994年〜1995年ってのは、一番SFCのソフトが出てた時期。
PS・SSと同時期に新ハードぶつけるのは、さすがに無理だった。 FF7はロードながいし、ムービーは場面によって
出来不出来あるし 任天堂天下の時代はクソハードでしか遊べなかった
産まれた時からプレステがあるいまの子供が羨ましいくらいだ >>331
SFCも遅かったのかなあ。FCの寿命が長かったんだなあ。 95年末にDQ6が出てそこでSFCは事実上の寿命を迎えた
そして96年初めにスクウェア参入でSFCの次はpsという流れが出来た
64は発売前に終わってる雰囲気だった
俺は95年夏にps買ったけどまさかFF来るなんて思っても見なかったな スーファミはPS1とサターンが発売されて即死したイメージがあるけどまだ息していたのか?
ゲーム店もPS1とサターンのゲームしか売ってなかった記憶があるけど 即死なんてしてない
95年はクロノ・トリガーとかDQ6とか大作出てたのに 任天堂を救ったのは良くも悪くもポケモンなんだよな
子供が据置きゲーム機でゲームやらなくなってチマチマゲーばかりやるようになったな
ここから日本の衰退がはじまった >>337
>>338
しょぼいコマンド式RPGばかりじゃないか
そんなゲームではPS1サターンの勢いは止められないわ PSSSにそのレベルの大作RPG発売してたか?
アークザラッドとかビヨビヨとかレベルだっただろ
当時もっとも人気があったRPGでこの時点ではまだSFCに負けてたんだよ スクウェアがPSにFF7を出すと発表したのが96年初頭。
その96年の前半に、スクウェアは発表済みのSFCタイトルをガンガン発売してSFCソフト開発を終わらせ、
96年夏のトバルからPSに移行する形になる。 コマンド式RPGを大作扱いしてしまうのが日本人の病気なんだよ
あんなものはビデオゲームとは呼べない
PS1サターンは純粋にビデオゲーム機としてアピールしていたからゲームファン熱狂した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています