プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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正直いって、プレステもサターンも発売前は何も期待してなかった
スーパーファミコンに夢中だったし、ウルトラファミコン(64)が勝つと思ってた
当時は小学生だったかなあ
コロコロコミックかなにかにプレステでFF7が出るよみたいな記事があってはじめてプレステの存在をしったレベル
小学生視点だとそんな感じだったし、「発売前」となるとほんとに何も期待してなかったというか存在すら認知してなかったレベル
当時にゲーム雑誌とか買ってた年上の人は別の感想があると思うな 発売当時で言えばバーチャの衝撃があったからサターンの方が期待されてた
PSはリッジ(と闘神伝)の存在でなんとか対抗馬として扱われてたけどプレイディア・3DO・PCFXより少しマシって程度だった
エースコンバット、アークザラッド、アクアノートの3本同時発売あたりから風向きが変わってきた感じ 当時はポケモンやスーパーファミコン、噂されるウルトラファミコンばかり注目してた
おもちゃ屋のチラシみてメガドライブやPCエンジン、はたまたサターンやPC-FXの存在は知ってた
メガドライブやPCエンジンはお友達の家でやったことあったけど「かわったゲーム機」くらいの感想だった
プレステやサターンと言われてもやはり「かわったゲーム機」くらいの感想だったかな
でも結局は中学生になってプレステに移行しちゃったんだけども PC-FXはエロゲ、ギャルゲがたくさんあったから
オタクが憧れてたよ サターンは発売日に買った。時代の変わる空気が充満していたから今の比でない程ワクワクしたよ。
何故か予約するのに大変で抱き合わせでゲームソフト買わされたな。ワンチャイコネクション…
PSは自分の周りでは全然話題になってなくて、64の情報も一向に出てこないから、セガが天下取るものだとばかり思っていたよ。いつの間にかPSでFF7の流れになっていってビックリした当時の思い出。 あの黒いCD-ROMが格好良かったなあ
いまでもあの黒い光ディスク路線を復活させてほしい スーファミが最強だった
ただソニがゲーム産業に参入した事はそこそこ話題になった ゲームセンターからの移植が熱かったね
ネオジオのゲームも劣化版だけど出た PlayStationなんかは逆に家庭用と互換する基板で
ナムコカプコンコナミタイトーとかに移植前提にアーケードゲーム作ってたな ゲームオタクのお兄ちゃんを持つお友達の家に遊びに行くことがあったけど、アークザラッドは横でみてて楽しそうだと思った
何より見慣れた2Dだった
そしてメモリーカードでデータ引き継ぎ?みたいなのがあるシリーズと聞いて心が踊った
ゼノギアスも横で見てたけどロボットかっこいい!とかそんな感想
ゼノギアスは大人になってから遊んだけどポリゴンのカクカク感をロボットに活かした感じがすごく良かった
サターンは「ボタンがいっぱいあってやりづらいなあ」くらいだった
桃鉄やサターンボンバーマンをやらせてもらったけど絵が綺麗だなって思った
64はお友達の家でよくマリオカートをやった
夢中でやりまくったw
GBパック?かなにかでゲームボーイのソフトをつなげてリアルなポケモンが出てすごくカッコいいと思った
でもコントローラは子供の手には大きかったし3Dスティックには慣れずスマブラでスマッシュは全然出来なかったし、初めは持ち方をどうするかで大混乱
Cボタンもたくさんあって訳がわからなかった
マリオ64も3Dは訳がわからなかった
小学生だったから小学生並みの感想しかなくてゴメンwwww あの頃は任天堂信者を越えて症候群だったから、64を待つ以外に選択しなかったな
みんながPSSSで遊んでるのに余所者感が漂ってた PS初期は量販店でも値引きゼロの定価販売ばかりでお得感がなかったゾ
しばらくして5800→4980ぐらいで買えるようになって定価3980円やベスト盤など
安価なソフトが出はじめて気軽に手が出せるようになった
(そのぶん玉石混交でクソゲーも増えたけど) PSはリッジ、SSはVFのスクショに全員wktkだったろ? ゲームソフトは大体9800円だったが、
CDに変わり5800円くらいになって安さに飛びつく
そんでFF参入で皆がPSって感じになった
それが今や値段変わらない、もしくはDLCでそれより高くなるんだもんな
グラガグラガ主義は間違っていた事を証明している PlayStationはイチッニッサンッ、イチッニッサンッ、のCMで発売日覚えやすかった
サターンはそれよりちょっと早く11月発売ってのとPS発売日と同じ日に
メガドライブの周辺機器だすって とにかくN64に明るいニュースがなかったのを明確に覚えてる
「時代はCDなのにまだカセットなのかよ」みたいな空気が発売前からビンビン漂ってた
いざ出てみるとやっぱり全然ダメで、「売れてないハード」として電波少年にネタにされるほどだった the64ドリームなんかは見開きで
「これが○○の操作方法だ!!」ってデカい写真でボタン一個一個説明して
ページ埋めるの大変なんだろうなあって思った 「CDでゲームって新鮮だしカッコいいね〜」っていうライトな意見が世間では多かった記憶がある
まあ家庭用でもPCエンジンCD-ROM2やメガCDがすでにあったわけだが・・・ PSやセガサターンは本体が4万くらいでちょっと高いなぁという印象だった
競争が激しくてどんどん値下げしてたけど
64はとにかくソフトが少なすぎてアレだった
同発三本に一ヶ月後一本出てその後三ヶ月くらいソフトでなかったような
年末にたくさんソフト発売予定してたのに、ほとんどが延期という悲劇もあった バーチャすげえ!デイトナすげえ!
これはセガの時代きたわ!
と思ってたら
リッジレーサーの方がはるかに綺麗だったんだよな
最初はプレステなんて3DOのまがいもんぐらいの認識だったよ サターンと32Xを連続で買ったからPSは無視ってたわ。
SSは勿論バーチャ、32Xはスペハリにアフターバーナーにバーチャレーシングと
アケゲーファンはセガ機に飛びついた。
実は当時1番ハマってたのはアケ版リッジだったがPS版は出来が悪かった。 バーチャの開発状況を毎月サタマガ何かで見るのがワクワクだった N64はマリオカート64の(当時の)世間的評価がさっぱりという誤算もあった
テレ東で渡辺徹が司会をやってた任天堂のゲーム番組が当時あったんだが、
SFCマリオカートの素人タイムアタックコーナーは長期間盛り上がってて番組の目玉だったのに、
N64のマリオカートは全く盛り上がらず結局番組ごと消えた
64の失墜ぶりがはた目にも明らかだった
実際N64は面白いゲームが多かったんだが、それが当時の風潮では受け入れられなかったんだよな 3Dアクションの基礎を完成させたのはもちろんマリオ64なんだけど
プレステはジャンピングフラッシュとかキングスフィールドとか
いろいろ新ジャンル開拓してたな
サターンはそういうのなかったんだよ サターンはバーチャが家で出来るとあって
めちゃくちゃ欲しかったけど
当時高くて中々買えなかったからお年玉で買ったわ
PSには最初全然興味なかったんだけど
FF7からだよね急に流れ変わったの
あの辺からサードもPSに集中してソフト出すようになって
サターンはマニア向けハードという感じになってしまったのが悲しかった NIN64とPSは同じ「3Dで遊ぼう」でも
前者は3D空間で遊ぼう、後者はポリゴンそれ自体で遊ぼう
PSはポリゴンの初体験に有利で64はポリゴン描写に免疫済みに有利 >>25
CD-ROM²やメガCDに慣れ親しんだ奴はすんなりとPSSSに移行していったね
それ以外のSFCユーザーは頑なに64を待っていたような
で購入後はは任天堂に文句言ってた記憶がある
64は期待外れだったって サターンは独占のデビルサマナーやりたさに買ったなあ
結局PSでも独占でペルソナシリーズが出てしまったけども
そういうタイトルの奪いあい?みたいなのもPSサターンの醍醐味だった
一番の大事件はやっぱりドラクエ7だったな
あれでサターンの敗北が決まったような気がする 64はニュースでFFとDQを奪われた任天堂の危機とか普通にやってたよ わっくわくだったなー
どっちも買って、ソフト買ったのはPSの方が多かった記憶
今はswitchサイコーです >俺PSばっかだが、64やってた友達とスマブラやっていいなーとか、
ゴエモンやりてー!だったわ
セガ・サターンは見たことがその >>37
それは発売からだいぶ後だね
3機種発売前は、FFもDQもどのハードから出るか分からないっていう今では考えられない緊張感があった
そもそもPSが最終的に勝利する事も分からなかったからな サターンは18禁解禁したのが
より一層マニア向けハードの位置になったと思う
あの当時はPSは今よりずっとライト向けイメージで売ってたから
余計にサターンやってる奴はマニアみたいに思われる流れになったよね
まあなんだかんだで18禁ゲーも結構やってみたら面白いのも多かったけどさw ちょうどその時隕石がおちるかどうかって
切羽つまった状態で
隕石を止めるためにセガのマスコット
セガタサンシロウが隕石を食い止めたものの
セガタサンシロウは死去
発売間近でマスコットが死んだため
代役が当時の専務
マスコットに専務使って勝てるわけなく
セガは倒産してしまった
セガタサンシロウは地球は救えてもセガは救えなかった
もしあの時地球に隕石さえ落ちなければ
サターンが売れてた
発売間近のときってたしかこんな流れだった >>5
アークザラッドは無いだろう
1年目はガンダムやバイオがかなり健闘したのが大きかったと思う
(ガンダムは先に進みたいという気が全然しないレベルのクソゲーだったが絵のインパクトはあった
闘神伝も似たようなもん) 格ゲー全盛期だからなぁ
バーチャ、ファイティングヴァイパーズ、ラストブロンクス、デッドオアアライブのサターン
闘神伝、鉄拳、ストEX、トバルNo1のプレステ・・・
どう考えてもサターンが勝っていたはずなのに・・・ どちらも任天堂次世代機の噛ませ犬という認識だったよ ネット無いから雑誌とかでワクワク感を高めてたんだよなぁ
実際に高音質なサウンドと3Dを実際に見るともう大興奮だったな
リッジもバーチャも面白かった >>41
いやDQFFは普通に任天堂ハードから出ると思ってただろ
FFはデモまで作ってたし
DQ6はSSPS発売後にSFCでリリースされてるし >>44
でも湯川専務は当時マジで大人気だったんだぞ
普通に笑っていいともに呼ばれてキャーキャー言われてた記憶がある
ドリキャスの普及に大きく貢献したのは間違いない 今にして思うと、CDROMでロード時間くっそ長いきつい時代だったな… >>27
デイトナとリッジでは元のハードの性能が違い過ぎるから
表示する車の数とかポリゴンで表示しなければならないオブジェクトの数とかで差がついているので
まあセガは損したね
闘神伝がテクスチャー張ってる分ポリゴンむき出しのVFとの比較で「全然性能違う」と思われた部分もあるだろうし
VF2とセガラリーでビジュアル的に盛り返して「いけるか?」と思ったらFF発表だし ロード地獄といえばネオジオCDだな
サターンプレステは倍速ロードだったのでまだマシだった うひー
バーチャファイターやりたいからサターン買ったぜ
でもリッジもやりたいからプレステも買ったぜ
ゲームで一気に10万使ったくらいテンション上がった 格闘ゲームブームは
バーチャファイター3、KOF98KOF99、ストZERO3、ヴァンパイアセイバーのあたりで
元気ないなってかんじた
セガもカプコンも次世代システム基板開発してそっちに移行してサターンに移植できる元ネタも尽きた 今のPSみたいな感じでどうせ64が勝つしマリオ64とか完全に時代の最先端で負けるとは誰も思ってなかったぞ
決定的に流れ変わったのはFF7で、それまでのプレステはソニーブランド以外何の取り柄もない箱のような変なハード扱い >>49
たしかハード発売前からFF(=スクウェア)はPSに持っていかれたっていうウワサがすでに濃かったはずだよ
だからFF7がPS独占!ってなってもさほどの衝撃はなかった記憶がある
ただしDQ7は別で、どの機種から出るのかなかなか予想できなかった
俺はチュンソフトの「街」が独占発売されてたサターンが有力かと踏んでたが見事に外れた バーチャロンに惚れてサターンを買ったんだよな、みんなとにかく任天堂には無いものを求めていた マリオ64が神ゲーだと話題をさらった後の、
発売予定にウェーブレース64しかないときのヒリついた空気は
鮮明に覚えてるよ
「王者任天堂が・・・死ぬ?」みたいな PSはナムコやスクウェアのおまけ体験版攻勢で勢いがあったね スポーツゲームもサターンは自社で賄おうとするから
メーカー数的にはPSの方が豊富だった
サッカーも野球もオリンピックもプロレスもセガはみんな自分で作ろうとしてた
コナミは一時期任天堂よりも64ソフト発売して
一個のコマーシャルに3機種の5〜6タイトルも怒涛の一気に宣伝したりしてた ムームー星人とかなぁ
雑誌にCD-ROMがついてたんだよなあの時代 PSでヒットしたゲームがサターンに移植された時ほど悲しいものはなかったな
闘神伝とかバイオハザードとかレイストームとか
ガビガビのテクスチャに汚い半透明処理・・・ 一番熱かった時期だよなww
ドラクエがどっちに出るかとか一人で妄想してたわ!
まあFFがプレステで出るって分かったときの悔しさは今でも忘れん
サターン好きだったし >>57
PS発売直前にはスクエアは任天堂と協力してFFのポリゴン化のデモを作っていて
当時の任天堂(アメリカだったかな?)の社長が「これはもう今までのゲームとは全然次元が違う」とか大喜びだったぞ」
その後PS版が発表されて任天堂は「FFに影響力などない。FFが大作だったことなどないしこれからもありえない」
とかの大げんかに発展してGBAとかに出禁食らったスクエアが困ってワンダースワンとかにソフト出してたり サターン発売前 ワクワク
発売後 ガックシ
無理やりポリゴン使ったクソゲーで溢れかえってた あのころはおもちゃ屋も多かったナァ・・・・・・・・ 零細下請けゲーム会社入社1年目
次はソニーの新型だって肝いりで開発キットが先輩の机に設置されたのを眺めてた
今までスーファミでアセンブラで作ってた人たちだから「構造体?なにそれおいしいの」って感じでC言語から苦労してた
「俺C言語わかるんだけどなぁ」とか思ってたけど自分のスーファミタイトルが終わるまではPSは触らせてもらえなかった 当時をよく覚えてるオッサンだけど、PSとSSがでる直前はこの二つのハードが明らかに前人気すごかったよ
PSはソニーがゲームハードビジネス初参入だから若干 「どうだろ?」っていう空気はあったけど、発売予定のタイトルとかゲーム雑誌で情報見る限りwktkが止まらないって感じで盛り上がってた
恐竜デモのインパクトが凄かったしね、 ポリゴンによって完全にパラダイムシフトが起きた!っていうのは素人のガキでも感じられた
そして同時にPC-FXの誰が見てもこれは駄目だろ感は、発売前からめっちゃ漂ってたのも覚えてるw あの頃は色々なハードが出てたけど、
ハードごとに長所短所があってよかったね。 老舗のおもちゃ屋もまだまだ健在だったし露店のゲーム屋もまだ生き残ってた
地方に行くと新品のファミコンソフトやゲームウォッチが普通に売ってたりして、よく価格交渉してたわ
そんなお宝もほとんど秋葉原に売っちまったなー 発売前はサターン優勢だった
バーチャもあったし当然俺も買った
ブレステはイマイチの雰囲気だったけどリッジレーサとかソニーオリジナルのユニークなソフトがどんどん発売されていつの間にか大人気
まあPSも買ったけど格ゲーが好きだったから最後までサターン派だったけとな >>74
確かにサターン優勢だったよな
なぜなら業務用タイトルのラインアップが手堅かったから
PSは「ソニーってゲーム屋じゃないよね?」みたいな不信感がゲーマーからは強かった気がするが、
非常にうまくライト層をかっさらって勢力拡大したな 「ナイツ」のナイツと合体しない方、少年少女を動かす方
マリオ64と比べちゃう 3Dがまともに動かせなかった時代に突然バーチャだから衝撃的だった
あと当時はバブル末期でまだみんなお金持ってたな >>1
当時は3DOがすでに覇権ハードの地位を築いていた
みんなチキチキマシン猛レースに夢中だったよ
マルチメディアといえば3DO
サターンとプレステは3DOの金魚の糞という立ち位置 >>79
パラレルワールドに帰りなさい
こっちの世界では「3DO押し付けられたけど売れねえよ・・・」ってパナの電気屋の店長が泣いてたぞ まだサターンとPlayStation本体持ってなくても
それぞれのハードの専門誌買って楽しんでた
THEPlayStationとハイパープレイステーションとセガサターンマガジン
ジャンピングフラッシュ2なんて大きい攻略本もゲーム買う前から買って読みこんでた 3DOは値段の割りにPSサターンと比べるのが失礼なほど低性能だったな サターンのデイトナUSAで3Dポリゴンの未来を直に感じた
家のテレビでもここまでやれるんだ〜みたいな >>79
「スターブレード」と「寺沢武一の武」「マカロニほうれん荘」を忘れているぞ >>82
バカを言うな、動画再生能力はピカイチだったぞ
3DOで鞍馬山荘殺人事件をやったらサターンのワンチャイコネクションなんてやってられない(やったけど)
あと本体に記憶メモリーが入ってるからメモリーカードが(追加で必要なければ)いらないという利点もあった >>75
当時はバーチャブームの影響がでかかったしね
バーチャ2が発表されてPSは空気になりかけた
発行部数伸ばしてたファミ通もバーチャ推ししてたし
バーチャコップ・バーチャ2・セガラリーの三連リリース時が最高潮で
その後は話題性のある弾が無くFFはソニーに取られてDQも獲得しそこなった
サターンは盛り返すことができなかったね バーチャファイター1もデイトナUSAも
よくわかってないのか雑誌編集者がプリレンダCGかハイエンドCGの画像
(サターン版のパッケージイラストのあれをもっとゲーム画面っぽくしたやつ)乗っけて
「次世代機はこんなに綺麗だ!!」って説明して
同じページに同時にアーケード版、サターン版、ゲーム画面っぽいけど各種ゲージとかのない
ハイエンドCG版まとめて全部サターン版ってことで読んでて混乱した まだスーファミ現役、ただこれから任天堂の影薄くなる
ソニーもなんか出すみたいだけど餅は餅屋でセガの時代になるだろって
少なくとも俺の周りは 今考えてみれば、サターンの時のセガの奮闘ぶりには驚かされる
自前で最先端タイトルを量産しすぎ
しかもジャンルを選ばずポンポン放りこんでたしな
ドラゴンフォースとか好きだったなあ サターンにすぐ食いついた層とまだまだスーファミって層には年齢差があったんじゃないか?
当時サターンに食いついた層はゲーセン出入りしてる中高生、まだまだスーファミってのは小学生とか >>91
スーファミでもまだタクティクスオウガ、旧約・女神転生とかダビスタとかあったからな
そのあとSS、PSいってもう64とかほとんど話題になってなかったよ サターンに飛びついた俺はもう社会人だったなぁ
独身で金あったから好きなゲーム好きなだけ買ったわ
ビデオCD拡張モジュールみたいのもつけたぞ
今も押入れの中にあるわ スーファミや任天堂に特に思い入れがある層はN64待ちを決め込んでる人が多かった気がするな
俺はなんの思い入れもなかったからまず3DOへ行ってしまったが・・・
なおドラゴンタイクーンを死ぬほどやりこんだので後悔はしてない 発売前の事はわからんけど、友人の家でアークザラッド横で見てて音響の良さに衝撃受けた
FCからSFCになった時は画や音に厚みが増したって感じだったけど、PS(SS)の音響は奥行ができたというか2次元が3次元になった位のインパクトだった。
購入は発売2年目の年末だったと思うけど3カ月待ちだった、春まで何度も幻水の取説読んでたっけな 何人か、後年と勘違いしてるのとか
妄想知ったか知識をさも本当のことのように書いてるのがいるな…
まあ面白いから眺めてよう 発売間近と言うとプレステの「1、2、3」連呼してシャッター叩くのは覚えてるんだが
サターンは何だったかな、土星人だったか 3DOは空気ハードの中では圧倒的な存在感があったな
空気だったけど
PCFXなんて当時存在すら知らなかった
プレイディアはなんか変なゲーム番組の優勝賞品 爆走兄弟レッツ&ゴー!!と魔法騎士レイアースと勇者警察ジェイデッカーに
大きいお兄さんお姉さんは夢中でした サターンは最初64bit級とか任天堂意識したCM出してたけど、PSが売れ始めてからセガールとアンソニーみたいなPS意識したCM打ってた記憶がある 暑苦しい機関車が正面からぶつかりあうCMしか記憶にない
あとは土星人の本体CMとサターンニュース サターンはバーチャファイターやるために買った。
PSはリッジレーサーやるために買った。
その後、デイトナUSAがリッジよりかなり汚かったのでひょっとしてPSが勝つかなと思った。
サターンは2cpuだったけど、2つのcpuの調停をとるのが非常にむつかしく、性能をフルに発揮することはセガ以外難しかったと聞いている。
PSは最初から3Dを念頭に設計されていたが、サターンは途中から3Dにも対応できるように設計を変更したといううわさもあった。要は、3rdパーティーにはPSのほうがプログラムするのは優しかった。
まあ、結局FFがPSについたので勝負が決着したわけだが。 >>103
> サターンは2cpuだったけど、2つのcpuの調停をとるのが非常にむつかしく、性能をフルに発揮することはセガ以外難しかったと聞いている。
んなわけねーだろ
2CPUつっても今でいうマルチコアプログラミングが必要だったわけじゃねぇんだし >>86
その3本連続リリースのあと3ヶ月ぐらい新作がスカスカでそこで勝負が決したと感じた
とどめを刺したにすぎないFF7発表の影響が過大評価されすぎだと当時の一セガ派としては思う ゲーム雑誌でそのゲームを紹介するのに
値段・発売日・メーカー・ジャンルのほかに容量も当時はよく書かれてた
だいたい18メガで、大容量24メガ、超大作32メガ
PlayStationとサターンのゲームはそこが、容量:CD-ROMに変わってた サターンの方がシェア奪うと思ってたな。家電のソニーはイマイチ信用出来んかった。パナソニックが失敗したように。
完全にPSに傾いたのはやはりFF7だったな。 もともと最新ゲーム機に真っ先に飛びつくコアゲーマーが先にサターンを買っただけで、コアゲーマー以外ははなっからサターンよりPSに目向いてたよね バーチャファイターとリッジレーサーどっちがやりたいか、って比べてps選んだな
リッジレーサーはそれまでのレースゲームに比べて爽快感がハンパなかった
最初39800円だったかな?
数ヶ月後に5000円値下げされた時に我慢できなくなって買った とうじ子どもだったおいらっちは
アーケードゲームは家庭用で遊ぶより
毎月新作でる状況だったから完全にゲームセンターで遊ぶ派。家庭用移植は買わなかったな
いけば沢山あるもん。家庭用陣営関係なくセガもナムコもいっしょに 大ヒットの予感でサターンは土星人の宣伝だったかな
プレステは新規参入で地味だったな
ドラクエ、FFのゲームで勝負がついた、プレステ勝利
サターンはPC等のエロゲー路線で、最後の健闘 今でこそ残念ゲーになったが、初代グランツーリスモの衝撃は忘れん。
当時はメーカー名の車はゲームに出てなかったからな。 次世代機戦争でメディアが煽ってたよ
WBSでバーチャファイターが紹介されてた ガリバーボーイ天外魔境火星物語サクラ大戦
すごい人がいたもんだと思った VF2の時に新OSどうこう言ってたから2CPUを効率よく使えるようになったのそれからじゃない? ワクワクはあんまりなかったな
発表されてるタイトルがそれほどなかったし雷電2ぐらいかな ほしかったの
PSは鉄拳やリッジレーサーはあったけどキラーになるようなジャンルじゃなかったしな
SSのロンチなんてひどいもんだった バーチャとあとゴミばっかり
大半が見送りしていたのが事実
FF,DQの影響力が当時はものすごく強く、どのハードで出るのか
皆待ってた状況が長く続いた 当時鬼の様に高かったPC98を買わずともA列車で行こうが遊べるというだけでワクワク感が半端なかった PSよりサターンの方が面白いゲーム多くて良かったな
マニア好みのラインナップでゲーマーにはウケてたと思う PSは実績ゼロの新参者故に、発売後は様子見状態の潜在ユーザーが多かった。
その影響もあって初期はサターンが優勢だった。
皆がよく知ってるメジャータイトルもコンスタントに出ていたし、
記憶の範疇ではバーチャコップのデモ見てレジに向かう客が多かったのをよく覚えてる。 >>117
そりゃ時間が立てばたつほどノウハウがたまってより性能を引き出す色んなテクニックが蓄積はされていくけど
SSはそもそも2CPUがしっかりつかえないとまともにポリゴン扱えないハードなんだから最初っからちゃんと2CPUはしっかり使われてたよ
VF1の時は突貫すぎてライブラリにバグが多すぎて性能出せなかったのは事実だったけど、そんなのはVF1発売後にすぐに治してるし
>>118
当時はネットもなくて日本以外の国の情報なんかこちらにゃわからんかったけど、そもそもSSは北米で当初からとてつもないくらい大爆死してたんで、
海外人気も高く、当然海外での発売も重視されていたFFがPSを選ぶのは自明だったね 最初はSSが一歩出てたのは確かに感じたな
2Dアーケード移植が強かったしな
まだゲーセンも客が多かった時代でセガというブランドが当時はSONYより上だった
SONYはどこまで本気でやるのか怪しまれてるところはあった 大失敗作 松下の3DOがあったからね
FF7発表されるまでもSONYのやる気は十分感じたがやはり超えられない壁にブチあたってた
FF7発表でいっきにぶち抜けたって感じ
SSはもうそこから転落していくだけだった 当時マルチメディアって言葉が流行ってたから、PS有利になったのかも
MPEGデコーダーカードがむっちゃ高いし サターンはFF7発売の次の年にはもうドリームキャスト発売してるもん
ハードロンチと専用ゲーム開発の準備時間がどれくらいかかるかわかんないけど
FF7発売前後にはドリームキャストのゲーム開発すすめないと間に合わないんじゃない? サターンなら家でバーチャファイターが出来るってのでワクワクはした
あとカプコンの2D格闘ゲーム PC98もってなかった人はむしろカクテルソフトやエルフゲーにドキドキしたんじゃないか?w サターンはソフトが日本向けになっていたせいでセガオブアメリカは現地で積極的にサターンを推せなかった
そして予想通りサターンは北米で壊滅的に売れなかった、セガにとってはFFよりそちらのほうが痛かった
任天堂が長年、萌えキャラ絵のゲームをFE以外作らなかった原因かもしれないくらいのインパクトだった
向こうじゃサクラ大戦は全く通用しないんだよ、こっちじゃマリオ64抑えてゲーム大賞なのに
まあそれを発売する前にハードを閉じてしまったぐらい不調だったのが海外サターンだが ソニーは「123」と言いながらシャッターを叩くキチガイCMだった >>125
サターンの実質的な寿命は1994〜1998で当時としてはそれほど極端に短命ではないよ
むしろPSで3年目に発表されたFF7がゲームソフトとしては異例の1年半も前から宣伝してたのが
サターンに短命の印象を与えているかと
シェンムーは最初SSで作られていた隠し玉だったわけだし完全に見捨てていたわけでもない
もっともドリキャスは日経にすっぱ抜かれて銀行からの借金の為にも慌てて発売しなければいけなかったというのは事実で
その分ロンチの目玉のVF3を格闘ゲーではSS・PSで大いにやらかした元気に任せて大不評という失態も犯しているが >>128
メガドラ成功でウハウハだったセガアメリカがメガドラ延命させようとスーパー32ゴリ押ししたのがサターンの失敗の遠因らしい
そして32が不振なので慌ててサターン販売決定したら小売りにうまく商品を回せないで一部に優先的に回したので
猛反発を受けたってのもかなり大きな理由だったとか
ついでに言うとVFはイギリスでは占拠の広報に使われるほど人気があったが派手好きのアメリカでは光線技が無くて地味だからあまり売れなかったらしい DC版VF3って元気が移植したのかよwww
気でも狂ったかセガよ >>122
2つのCPUをセガ以外がフルに使っていたかということについては、こちらの記述によれば
https://www.wizforest.com/OldGood/saturn/library.html
・初期を除く、ほとんどのゲームでサブ CPU はフル活用されていた、というのは誤り。
・ただ、SGL を使用したゲームは一定割合で存在し、これらのゲームではサブ CPU を活用している。
・SGL を使用していないゲームでも、サブ CPU を活用しているものはある。
「全然使われていない」わけでもなく、「ほとんど使われていた」わけでもありません。
ということのようです。(これが本当かどうか私にはわかりませんが。)
ここ、結構面白いことがたくさん書いてありますね。 なぜかネオジオCD買ったなあ
ACアダプタすぐ断線するわ
コントローラーはすぐ下が効かなくなったり散々だった >>1がそういう人の話を聞きたいと言ってるんだから当然だろ
興味ないなら見るなよ エネミーゼロには騙された 発売前の期待を煽るすごいPVでまんまとだまされたわ
東京ゲームショーのワープブースでナイツのライブを見て雰囲気に飲まれてからのあのPVだったからな >>137
元々ビッグマウスだけが売りで何のヒット作も出していないし
システムはサイレントデバッカーズのパクリだし
「ゲームでは喜怒哀楽の愛をまだ表現できていない(哀はお涙頂戴というくらいで最も表現しやすい感情表現)」と言ってたし
ほとんどシナリオ論の本一冊読んだくらいで自分はシナリオに精通していると勘違いしていた岩崎レベルのアホだぞ
期待する方にも責任がある
リアルサウンドの時は「声優使うとわざとらしくなるから一般の俳優使った」とか言ってたくせにアメリカで日本のアニメが売れてると聞くと
「キスシーンで顔を移さず女の子が爪先立ちするのを映すような日本のアニメのいいところを取り入れたい」とか掌返ししてたし
基本的に無知で定見のないお調子者だぞ 2Dメインだったゲーム世界がポリゴンに置き換わった時の衝撃は体験していないとわからんだろうな
16ビット機でもポリゴンゲーはあったけど数タイトルを除き見た目も動きも無理あるのばかりでしょぼかったからな
ゲーム表現の相転移が起きた瞬間だったよ
あと高嶺の花だったアーケードゲーがほとんどそのまま移植できるようになったのも凄かった
雷電U一面ボスのチリチリチリチリ…チュドーンって派手な爆発がついに家でも見られるようになったんだって 当時アーケードでストゼロが流行っててゲーセンで格ゲー楽しんでた層がストゼロがプレイできるセガサターンを買ってたな
それに対しRPGやアドベンチャー好きな層はプレステ買った
セガサターンユーザーもリグロードサーガとか癖のある面白いRPGを楽しんでいたが、FF7がきっかけでプレステに本格的に移行したみたいよ >>1
リッジ・鉄拳やりたいならPS
デイトナ・バーチャやりたいならSS
とか周囲の人が言ってたな
要はナムコ商品が欲しいのか
SEGA商品が欲しいのかで選べばいいって感じだった レースゲーはF-ZEROで進化して、リッジでさらに進化した感じ >>142
Fゼロみたいなゲームは元々アーケードにたくさんあった
つうかビジュアル的には拡大縮小機能なしのMDで出たアウトランの方がきれいだと思う ついでに言えば拡大縮小ゲームとポリゴンゲームの進化を語るなら
初めてポリゴンで本格的なレースゲームを実現したバーチャレーシングを忘れている 発売半年前はどっちも、3do臭のするあやしい高性能マシーンだなってときに
スーファミのドンキーコングきれー次世代機いらねって感じだったよ リッジに慣れた後にデイトナやったら操作難しくて真っ直ぐ走れないわ
全然曲がれなくてびっくりしたけど慣れるとそれが快感だった >>145
アーケードでピットファイターやモータルコンバットとかの洋物の実写格ゲー見てた層には
色数考えれば当たり前としか思えなかったけどなあ
スーパードンキーコング
まあ、あれだけの絵をレンダリングで描くのには相当な金がかっかてたとは思うがそれだけのものだし 当時の地元では、ゲーセンが学校帰りの溜まり場だった。
クラスの男子の半分はいた、学年関係無く集まっていた。
今に比べたら店内は暗く、不良もいたし、天井はいつも霧というか、もやのような煙が舞っていたような記憶がある。
店内は波動拳!、バーンナックル!、弧月斬!、ボディが甘いんだよ!と格ゲーの音以外にはポップコーン!ポップコーン!しか聞こえないぐらいだった。
そんな2D格ゲー全盛期に突如現れたポリゴンにゲームが一変していった。
今みたらただの四角の積み木にしか見えないけど、ドットしか知らなかった自分達には本当にリアルに見えたんだ。
画面の中に人が立っている、十年早いんだよ!と誰もが叫んだ。
新宿ジャッキーや池袋サラに熱狂した。
高橋名人のような企業からのキャラクターではなく、各地のゲーセンの大会から有名人が生まれるといった現象に誰もがゲームを巧くなりたいと研磨していた。
ビートマニアの登場には誰もがこれはゲームなのかと首を傾げていたし、1プレイが高すぎたことも相まって、Houseに誰もが絶望した。
学校でも足が速いや運動が得意に並んで、ゲームが上手いが取り柄になりえた時代だった。
あの頃、ゲーセンに来てたお兄さんもおっさんも、不良の兄ちゃんも怪しい爺さんもゲーセンの店員も店長もみんなみんな顔見知りで、50円を握り締め、台の隙間に挟んで、みんな並んでた。
同じ時間、同じ場所に、同じゲームをすることが
とても大事なことだったのかもと今は少し思う どっちも大して騒がれてなくてマジでゲームオタク以外眼中になかった
でも先に注目されたのはバーチャブームでサターン、そのあと価格破壊とか64の自爆でプレステ一強に いまでもセガサターン発売前の土星人のCMは思い出すなー
未来のマシンが来る感がすごかった
結果的にネタゲーと格ゲーとエロゲーの宝庫になっちまった 64のカセットがロンチの時点で1万円とかいう暴挙がバレた時のまわりのゲーマーたちの白けっぷりときたらすごかったわ
は?アホじゃねプレステかサターン買うわって早々に64用に貯めた金でプレステとかサターン買ってったな
たぶんその頃はプレステもベスト版とかだして2800円で新品ソフト売ってたし 最終的には両方買ったけど
どっちを先に買ったか覚えてないなぁ
発売当初はSFCがまだ下火ではなかったから
すぐ乗り換えようとは思わなかった サターン発売の頃にはすでにアーケードでVF2出てたからポリゴンゲーは一般層巻き込んだ大ブームになってた記憶があるが バーチャは人形すごかったよ。社会現実になったし。俺は高校で金なかったが社会人なりたての先輩とかゲーセンに半年間で100万対戦で金ぶっこんでたから。最初は一回100円だったからね。
熱い時代やった。そんなおれも今や二児の父。 当時、4万で発売されたゲーム機を買う文化なんてないから完全に空気だったけどな
ワクワクしたとか言ってる奴は一般感覚からはみ出てた層だろ
これから先、持続的にソフトが出るかも分からんものを平気で買う層なんて
今、スイッチを買ってしまうような頭の悪い層だけ
一般的にはFF7が出るのが決まって64の敗戦が濃厚になってから売れ始めた
この頃は25000円だったしな >>67
FF7PS移行の時はまだ関係は続いてたよ。決定的に破綻したのはニンテンドウ64はダメだといろんな会社にふれまわってたから。
ゲームボーイの歴史的大復活を見たときのスクウェアの様子が個人的に気になる。 リッジかバーチャかに別れた
ロンチで手に入れたPSは闘神伝まで格ゲーが無かったが鉄拳が熱かったな
モータートゥーンも斬新なレースゲームで良かった
特にジャンピングフラッシュは革命的
バーチャ、デイトナ、バーチャレーシングとAC付いていたサターン
初期はほんとアーケード作品ばかりだったな サターンのバーチャファイターの試遊台と
プレステの闘神伝の試遊台があった
年末出たバーチャの対抗馬が闘神伝だった
めちゃくちゃ善戦していてタムソフト全盛期(´・ω・`) いくつかのタイトルの発売日を調べて
少し当時を思い出した
96年はダビスタ(V〜’96)がめちゃめちゃ流行ってて
SFCで遊んでる人も多かった
この頃すでにPS、SSに完全移行したという人はまだいない
ゲーセンを主戦場と考える人がいたり
プラットホームをいくつかを掛け持ちしてる状態
97年になるとSFCは忘れ去られた
64の登場もその要因だったけど
FF7(スクウェア参入)が決定打だったね PS, SSが出てからSFCは
中古でFF6, DQ6, FE聖戦, テイルズをやったくらいか >>79
> 当時は3DOがすでに覇権ハードの地位を築いていた
ねぇよ
3DOはWiiU以下の死産だった 当時サターン、PS、FX全部買ったわ。
PCエンジンメインだったからFXに期待してたんだが、バーチャとリッジと闘神伝とバトルヒートやってこりゃFXに勝ち目ないと悟った。
だがチームイノセントは面白かったな。 ゲームファンとして、あの頃は一番ワクワクだったな
自分は発売直後にPSとサターンを購入
個人的に、キリーク・ザ・ブラッドは衝撃だった
やっと本当の幻想世界が出来た感じ PSの成功は
大多数のゲームメーカーが当時の任天堂の横暴に反発した感じだった 98年くらいにはもうPS独走体制になってた
64<SS<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<PS
くらい 64は容量の少ないROMを採用したせいで
当時主流だったプリレンダムービーや音声を多用したゲームが作れなかったのが
致命的だった、FF7を64で出そうと思ったらムービーが殆どなくなっていたと思う >>152
あの頃のSFCのゲームは2Dドットの頂点に到達した感じ
特にスクウェアのFF6、トレジャーハンターGとか
でも、やはり時代は3Dに進んでた >>166
FF7の発表は全て
あの頃のスクウェアはゲーム業界を左右できる
あの頃ね >>141
鉄拳はまだだろ
とうしんでんすら発売日にラインナップされてないのに ジャンプやファミ通にFF7の初報が出た時「ああ決まったな」って感じだった。
それくらいスクエアの存在感が大きかった頃。
とはいえゲーセンにまだ人がいた時期だからね。
ゲーマー好みのハードだったよサターンは。 >>170
闘神伝だな
バーチャは空手格闘
闘神伝は武器格闘
結局ナムコは一番ずるい
空手格闘の鉄拳
武器格闘のソウルを作った ssはバーチャ
psはリッジ
どっちを選ぶかだったが
ssのデイトナが発売延期になってなかったらss買ってたかな
まあリッジと比べると出来が悪すぎたから延期して正解だったかも
PSはソフトが5800円だったり
今までの業界の流れをかえようとしてる感じがしたので
そういう意味でも先に買った 発売後100万台ぐらいまでしばらく競っててそれはそれで面白かったな
しばらくセガVSナムコだったけど
バイオハザードやときめもが地味にPSの援護になったな >>115
あのころのファミ通はホント元気があった
どぎばぐ連載もあのころからだったっけ >>104
マルチコアプログラミングが必要だから難しかったんだぞ サターンのパッドはすばらしかったね
リッジ・・いや3作目のレイジレーサーからOPムービーが凄くなってきてたな
アークザラッド1はボリュームがアレだったがOPが好きで好きで
夜中にずっとタイトル画面でほったらかして何百回見たろう
ああ〜〜〜だめだだめだ語ること多すぎてキリがないよ
MYSTはもうワケわかんなかった 「半透明が出ないしょぼハード」っていっつも煽られてたな >>4
サターン、PS、FXと3台購入は金銭的にきつかったなあ ゲーム業界は不況知らずだった
最近は見る影もない・・・ プレステの初期のラインナップはしょぼかった
バーチャファイターというキラータイトルを持つサターンが一歩リード
今でいうスプラみたいなもんだろ >>175
個人的にファミ通黄金期は隔週末期〜週刊初期のSFC時代までだな
しあわせのかたちやべーしっ君など名物連載が軒並み終了して
浜村が業界のご意見番として他メディアに出しゃばりはじめ
ブンブン丸や内沢みたいなオラオラ系編集がプッシュされて
クロレビが9点10点を乱発するようになり
ゲーム帝国の中の人が変わって明らかにキレが無くなったりと
あのまま総合誌に移行せず、任天堂機メインの構成だったら他のライバル誌同様とっくに休刊してたんだろうけど
ああ自分はファミ通ではなくてファミコン通信が好きだったんだなと PSは中古販売禁止になってた思い出。
だから近所の中古を扱うゲーム屋がバンバン潰れてたな。
そんな俺も当時はバリバリのPS派でした。 >>169
でもその要因作ったのはクタのJRPGラッシュだよね。
ワイアー、ポポロ、アーク、ビヨビヨ
どれもハーフミリオン級のヒット。アークはミリオン級
あれで
RPGのPS1
アーケードのSS
を決定づけた。この状況でスクエニがPS1以外に出す可能性はかなり低い。 発売前は何だかんだで勝つのは任天堂でしょ?って大方は思ってたよ
SSもPSもそこまで爆発的には売れないでしょって
しかしロンチのバーチャファイターやリッジレーサーが凄かった事もあり
双方一気に勢いを掴んでわずか半年で100万台を達成
その頃になるともはや「あら?任天堂の新ハード出ても危なくないか?」って空気が出始めていた >>104
当時OSやフレームワークがあって
なんでもそれ用の命令が有った訳ではないから
同期、非同期は非常に苦労していたよ >>188
それでトドメに本体25000円とソフト1万円だな
プレステサターンが19800円とソフト5000円ベスト版2800円で売ってる時代に頭が悪すぎる値段設定でゲーマードン引き
あの空気忘れらんねえ
任天堂自身絶対負けると思ってなかったろ 今と同じだよ
ドラクエとFFが脱任して、山内がドラクエとFFとコンパクトディスクを烈火のごとく叩いてた ドラクエは別に叩いてなかったよ
ドラクエ7をPSに出したい時もわざわざ任天堂まで聞きに行った堀井氏に別にいいんじゃない?ハードの選択は自由だしって。 最初PSは期待されてなかった
アークザラッドとかもくそつまらんかったが
リッジや鉄拳みたらPSの方が明らかに性能良かった 格ゲーに関してはメモリー増強できたサターンのほうが性能良かったよ スーファミは発売日に買えなかったけど年内に手に入った
サターンはもともとセガ自体がライトまで浸透して無かったしソニーはゲームに関しては新参者だったし発売日に飛びつく人はそんなにいないだろうと思ってたけど
PSを予約しようと思ってたらどこも締め切ってて予約出来なかった
サターンの発売日に家電屋に行ってみたらサターンが山積みになってたから買って帰った サターンは近所の電気屋さんまで入荷してたなあ
あれには驚いた >>1
当時は割と静かめだったよ
普通に買えたし高かったし 2D処理能力、サウンド能力、ロードの速さ においてはサターンの方が勝ってた
同一タイトルをやって見ると明らかな位解る
ただサターンは当時大流行だったポリゴン処理やムービーが苦手だったんだな・・・ >>196
当時はマルチメディアとか言ってゲーム機を家電みたいにしていこうって方針もあったようだからな
自分もサターンは電気屋さんに買いに行ったよ。店員の人も急に売れって言われて詳しくなかったのか
「バーチャルファイター面白いですよ」って思いっきり間違った名称でおススメしてくれたw 発売前はバーチャのこともあってサターンの方が期待されてたな
ファミ通ですらサターン寄りだった >>198
ポリゴンもムービーもあの時代にそこに特化したプレステが異常だったからなぁ
久夛良木の先見性がありすぎたわ あの頃は今思い返しても1番勢いがあった、とても華やかな時期だったな
色んな所からソフトもハードもガンガン出て、レーザーアクティブみたいな高額商品も普通に出て来た
次世代機戦争といわれるように、世代そのものが変わるくらいの勢いで
性能向上がもっとも大きかった時期でもあったと思うな
PCE-SFC-MD登場の時ですら、現行機の高性能版くらいの認識しかなかったので
文字通りに世代が上がったPS/SSのスペックは本当に驚愕だったよ
TOWNS/X68等の高価格なPC勢は余裕で抜き去り、2D性能は大型筐体等の1部を除いてアーケードマシン並
さらにハードウェアによる3D機能搭載にCD-ROMドライブ標準装備と
当時ブームだったマルチメディアにも完全に乗っていたからね
どの製品にも夢が一杯詰まっていたし、業界の将来性を危ぶむ者なんて誰もいなかった
この勢いはその後のPS2で一本化されて完成する感じではあったね >>203
https://the-liberty.com/itemimg/images/articles/2016/5/11188_01.jpg
日本のデフレ不景気が始まったのが丁度次世代機の1995年の消費税増税からなんだよな
日本の据え置き衰退はPS・SSから決まっていたという皮肉 PSはセーブするのに使うメモリーカードも馬鹿にならなかったな
公式のは容量少なくて高額、非公式の何百ブロックもあるのは当時怖くて手が出せなかった
一方のサターンは本体メモリに少量ながらセーブできる代わりに
外部パワーメモリーが恐ろしくデータが飛びやすいという yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
解る人だけ解れば良い やっぱプレステは鉄拳がすべての始まりだろ
サターンのバーチャ倒した >>204
据置ゲームの衰退はPCの低価格化やネットの普及に
スマホ等の個人用の小型端末の爆発的な勢力拡大による物と個人的に思ってるけどね SSは64ビット級の性能で売り込みだったが、今一だったな
同じソフトならSS版が安かったとか、負けハードの印象はあったな >>203
サターンPSが発売された94年は音楽でもミスチルが台頭してきたり小室ブームがあったりキムタクが注目されたり
93年までは80年代の延長って感じだったけど94年からようやく90年代に入ったかのような変化の年だったな
ゲーセンも楽しかった >>209
それはPS側が小売に圧力かけて値下げさせなかったのも大きいんだぞ
実際に公正取引委員会から是正勧告を食らってたし >>209
同タイトルだとサターンの方が出来が良いの多かったよ
格ゲーなど2Dのはね
なぜか読み込みも速い
2倍速で同スペックだけど >>213
> なぜか読み込みも速い
> 2倍速で同スペックだけど
だって読み込み専用にSH-1積んでるし、キャッシュ用メモリもサターンのほうが多かった
コストダウンなんか全く考慮してない豪華絢爛なハードウエアがサターン
PSと価格競争に巻き込まれて逆ざやで苦しむのも当たり前ですわw >>214
はえー
まあ白サターンじゃない初代買ったけど金かかってたんだねえ
しかしどうコストダウンするつもりだったんだろうか >>215
サターンほどカスタムチップ搭載して複数のCPU乗っけたハードウエアなんて見たことないわ
(CPUだけで、どんだけ乗っけてるのよって笑ってしまうくらい)
思うにこれ設計したやつはコスト意識とかない、アーケード畑の人の設計じゃないかと思う
白サターンで二個のSH2をワンチップにまとめたぐらいで大したコストダウン出来てない
サターンで懲りたのか次のドリキャスじゃシンプルなハードウエア構成になってたよなw >>148
当時を経験した人には感情までも蘇る素敵で的確な文章だね
みんなで顔を合わせて一つのことに夢中になり、一喜一憂し、関係を深めことができる立派なコミュニケーションツールだったよなぁ 価格差も大きいかもしれないね
確か最初はSSが4.5kでPSが4k、半年でPSが3kとかいう展開だったし サターンは格ゲー専用みたいな拡張カートリッジとかあったよね
当時ヴァンパイアハンターとかSNKのソフトには必須だったように思うんだけど >>214
日立のCPU屋の回顧録読んでたら「セガに呼び出されていったらCPUの処理性能が足りないと言われた。
「採用が流れるかと思ったらデュアルCPUに出来ないかと相談された
とか書いてあって笑った 当時カプ系の格ゲーやってたからサターン買ったな
ヴァンパイアハンターとか満足できる出来だった >>216
これ、そうだよね。
サターンは、音声処理用にモトローラの68000を積んでいた。
68000ってX68000のメインCPUでっせ。
なんと贅沢な機械だと思った。
コストダウンのことなんか全然考えてなかったんだろうな。 >>216
コストダウンの結果GD-ROMドライブがブラシモーターってのはやりすぎだったがな
モーターの制御チップが煙吐いて死ぬとかおもちゃ屋がやっていいことじゃなかった サターンとプレステってレコード屋でも売ってたな。体験コーナー的なのもあった。 ファミ通とかで開発中の画面やらアーケードとの比較画像やら載ってた頃は雑誌見ても面白かったんだけどなぁ >>203
レーザーディスクゲームは、当たり前だが動画はズバ抜けてた
UIとかはPCE基準でしょぼかったがw
ttps://i.imgur.com/FDyt8ft.jpg >>148
ファミコン時代が長かったからか、目まぐるしく一気に駆け抜けた感があるな
今より昔のゲームの方が面白いと思わないが、自分のゲームへの想いは、あの頃に生まれたものなのは確かだね なぜかすぐに両方買えるほど金持ってた
何故だ
今はswitch買うのにも躊躇するぐらい金ないのに お金があるかないかの問題じゃなくて
そこまで欲しいなのかの問題だ
本当に欲しいならお金は自然に出せる 日付が変わる頃にコンビニ行ってファミ通買うほど情報に飢えてた
ゲームの動いてる画面見るためにおもちゃショー行ったりゲームカタログをビデオに録画してた >>223
他にもサウンド用とシステムコントロール用に32bitDSPをそれぞれ搭載
Disk読み込み専用のSH-1、カートリッジ用にデータ伸長チップ
金のかかったハードではあったな PS初期に商用インターネットはまだないな
自分の記憶中、流行したのは97年以降
ゲームの情報来源は雑誌とテレビ番組しかなかった PCEは継ぎ足しだらけのサターンとちがって、合理的な設計だと思うがなあ そこまで売れたわけじゃないけど
PCEは色々偉大だな
あの構想は本当に面白い、お金もかかるけど デイトナ出るまで様子みて確認してから
PSとリッジお買い上げ 同世代のトップ
まあ、PCEはSFCとPS/サターンの中間世代だと思うけど >>222
わかる。ハンターや95でようやくまともな2D格ゲの移植が遊べるようになったって感じ。 両方買ったけどポリゴン(あえてポリゴンって言うわw)クッソ汚くて
画面見にくくて思わず2D教に入信するかと思ったわ >>243
ハードの延命策みたいなのってそんな昔からあったのね
今でいうNEW3DSやPS4pro…みたいなのとは違うのか
結局そのコア思想って上手くいかなかったのだよね?
やっぱ中途半端な延命よりかは新ハード出したほうが良かった、ってことなのかな 出た当時て大して騒がれてなかったんだよな、先に出た3DOが
電気屋で試遊出来て値段高いしこりゃ売れんだろう、と思ってた >>247
結局はそうだけど
思考の方向はちょっと違うだと思う
補完していく必要がある構想で設計した
まあ、延命とは変わらないね >>208
>PCの低価格化
確か、これがおき始めた頃に中韓系が
MMO始めて、日本のサードが余裕こいてた
ら不利な状況になったんだよな。
でもある意味仕方ないかも。
当時の感覚じゃPCゲーなんて人気ない
みたいな認識が強かったしさ >>216
でも、複数チップ載せるよりも、できるだけ
なら一まとめにした方が、余分な遅延や
データのやりとりが少なくて、性能面で効率
がいいんだよな。 >>250
あのころのPCも現在より色々面倒
サウンドカード、グラフィックカードとか
そして相性性の問題もあった
今はもうほとんどない わくわくが押し寄せてきた
泣いてる場合じゃなかった >>246
そりゃ、あの当時で綺麗なポリゴン
見たきゃ、SGIのワークステーション
ぐらいしかないからねえ、 >>248
元々3DOはサードからライセンス取らない
方針だったから、ハードを安くできなかった。
3do規格を立ち上げた。元EAだかの人が
「サードがにんてんやセガみたいとこに
ライセンス払うのはおかしい」みたいな
感じでライセンス徴収しない方向にした
みたい。 バーチャルハイドライドを何回もやった
かなり初期のゲームなので開発ノウハウがないせいか処理がかなり重かったけども
かなり先見性のあったゲームだったと思う
この方向性を伸ばした新作を作ってほしかった >>208
それなら日本以外では据え置きは相変わらず流行っているので矛盾する
一方でGDPの成長に当てはめると完全に説明がつく
ちなみに日本は先進国で唯一大学生のPC普及率が下がっている国である
スマホにしても日本市場の割合は低く、単なる安いPCとして普及している PCエンジンのコア構想って、今のPS4>PS4PRO
みたいにハード本体をマイナーチェンジさせる
んじゃなくて、最初に出してハードにオプション
パーツを追加して、性能や機能を上げるって
方向だったような。
どっちかと言えば。PCにパーツ追加して
性能上げるのに似てたような。 M2!結局発売されなかったな 当時学生でM2関係者も兼ねてる講師にロゴのアンケートまで答えたのに 1時代1ハードしか買えなかった当時の俺らには
大量のハード持ってる奴は神だった
あのゲーム機にはあのゲームがあるからいいよね、とみんなで褒め称え
どのハードも良い点しかなかった >>261
ファミコンにはテトリスがあるからいいねメガドラ版はセガのミスで発売中止になっちゃったよおのれ任天堂ライセンスの穴をついてうまいことやりやがってはめられたちくしょう
みたいな微笑ましいエピソードばっかりだよね(^ー^ >>261
PS/SSにしても同じだったな
どっかのメーカーが「次世代機戦争」とか言い出すまではな
それで何かゲームにいいことがあったかと言えば何もない
単に人間の悪意を燃え立たせるだけの悪魔の所業だよ
「定価販売だ!!中古の必要はないよ」も粉飾だったw >>255
当時はNECのPCで非常に苦労した記憶がある
とにかくWindows95や98との相性が悪かったらしく、NEC配布の修正プログラムがないとバグだらけだった
当然のようにWin対応のゲームとの相性も悪くて、修正の情報集めに奔走してた思い出 思えばPSブランド立ち上げ=ソニーと任天堂との全面抗争の幕開けだったんだよなあ
当時はそんな事情があったとは知らなかったが・・・ 元々そういうのなかったはずだけど、久多良木がそういうの発端に繋げた。
SMIの人間も内心ゲーム機戦争に対して乗り気じゃないと思ってたのかもしれない。ポケモンで大成功した後のゲームフリークにPSで1本つくらせてたし。 PSはリッジ、SSはバーチャだったからソフトだけ見たらSSに軍配が上がりそうな雰囲気だったけど、結果的にずっとPSがリードし続けた感じだったよな
なぜか「今後ソフトのラインナップが一番豊富になるのはPS」って風説がずっと蔓延してたと記憶してる
ネットは無くてもすでにソニーのステマは始まってたのかもしれないな サターンは一応序盤はプレステより先にバーチャで100万台いったからな
でもセガだし・・・みたいな空気はずっとあったな
あとプレステは最初はソニーが作ってるってだけでなかなか定着しなかったよ
よく言われてるけどあの時代にFF7持って来たあたりから全部のゲームがプレステに来るのかな?って感じになってた
あとはFF7の前にバイオのブームとかも効果的だった youtubeで『ゲーム機大戦』シリーズをまた見たくなった 最初の一年はサターンがわずかにリードしてたよ
そして一年後の年末商戦で、SSがバーチャ2、PSがリッジレボリューションを出す訳だが
当時はバーチャブームが来てたからバーチャ2は物凄いキラーだったようで、ここでかなり勢いはSSに傾いてたそうだよ
しかしそれから1カ月ちょい後FF7の発表がある訳だ。これで一気にPSが形勢逆転した
さしものバーチャも当時のFF人気の前では相手にならなかったという訳だ ビヨビヨやキングスみたいな奇ゲーだらけのところに颯爽と現れた普通のRPGが幻想水滸伝だった >>272
そんな明快な逆転劇だったっけ??
かなり昔のことだから自信はないけど、FF7が決まったときはそりゃ驚いたけど、まぁPSが妥当っちゃあ妥当かなって思った記憶が バーチャ2はポートレートやらリミックスやら派生商品で発売日まで引っ張った末
発売後は集荷本数多すぎて速攻値崩れワゴン行きだったな
その頃はアケ版の人気も一段落してたし
以降佳作タイトルはちょくちょく出るけどすぐPSに移植されたりして
ハードを引っ張るキラーソフトが出なかったのが痛かった 格ゲーマルチとかはPS不利ではあったけどほぼ同じソフトが出てたしセガゲーとナムコゲーもいい勝負してた
でも家庭用オリジナルタイトルの差でPSが安定し始めてたんだよな
実際のところFF7の発表1つですべてがひっくり返ったわけじゃなくてその前にバイオのヒットやらで勝負はついてた感じある
FF7の発表が全てだと思ってる人は「自分が買うと決めたきっかけ」だから印象に残ってるだけ バイオ1、FF7は中高生男子ならほとんどプレイ経験あったな netnewsのfj.rec.games.video.home、家ゲー板的なところでも今と似たような話してるからログ掘ってみるといいよ
http://katsu.watanabe.name/unifiedfj/
例えば
http://katsu.watanabe.name/ancientfj/article.php?mid=1994Oct14.124026.6340%40news.cc.yamaguchi-u.ac.jp
> > バーチャやりたいからサターンは買わなきゃ、
> > でもプレイステーションも.........
> 私も サターン と プレステーションねらってます。
> デイトナ と 極パロ と リッジに期待してます。
> サターンのハンドルに期待してます。
皆が考えているよりも、サターンとプレイステーションへの期待の性質には
少し違うところがあるのではないでしょうか?
サターンもプレイステーションもラインナップの魅力では互角でしょう。
ただ、製品の出来だとかそういうものに関係なく「SEGA」という名前の
魅力に引き付けられる人、というのが(私を含めて)いる訳で、「サターン
期待」派の人が全部VF目当ての人ばかりではないということです。
もちろん「家電メーカーとしてのSONY」に対しても同様の人が
少なからずいるとは思いますが、、、
10年以上に渡って半独占市場で生き延びてきたゲームメーカーですので
応援する人のハートには、決して馬鹿に出来ないものがあるんです。
セガがサターンで成功するかどうかが、セガがソニーや本田のような
カリスマ企業になれるかどうかの別れ道だと、私は思います。 >>276
バイオ1はじわ売れで本体持ってる人に口コミで広まっていったがあまりハード引っ張ってた印象ないし
その年の年末はVC、VF2、セガラリーで完全にサターンがぶっちぎっていたはず
サターンが100万台キャンペーンやってた時PSが「行くぞ!100万台キャンペーン」やってたのも有名な話
PSは元々初年度はサターンに押されてリッジ、闘神伝、ガンダム、バイオとかで何とか食らいついていって
FFで大逆転した印象
この頃までは鉄拳も「なんかキャラが気持ち悪いバーチャのパクリ」程度の扱いだった
(PS2での直接対決ではVF4が鉄拳4にトリプルスコアで勝ってたが) >>279
バイオは96年でバーチャ2は95年年末だよ
サターンはバーチャ2出した後が厳しかったね
96年に入るとPSは鉄拳2バイオが出てストZERO2もPS先行だったり
夏のトバルにFF体験版付いてたり一気にPSの流れになったな
サターンの96年年末はバーチャロンメガミックスクリスマスナイツが出たけどバーチャ2ほどの目玉が無かったし バイオ1には爆発的な普及力はなかったよ
オープニングの実写といい洋ゲー丸出しだったから、当初の評価はやや鈍かった
完全に地位が確立したのは2からじゃないか しかし今思えばよくあのラジコン操作とか言うやたら操作しにくいゲームが流行ったもんだよなあ で、いつまで経っても確固たる地位を築けなかったのがトゥームレイダー
3ではついにエニックスが販売元になって懸命にPRしたけど全然ダメだった ギャルゲーの全盛期だったよね
ときメモが今では考えられないほど売れてた >>284
フツメンどころかイケメンやスポーツマンまでプレイしてたからな
ブームってすげぇわ >>279
バイオ1は国内だけで300万本近く売れたのにハード引っ張らなかったは無理がある 聞いてると、サターンって結局 やれバーチャファイターだデイトナだとかのマニアックなゲーマー向けのゲームしか目玉として用意できなかったのが原因じゃね?って思うんだが…
コアなゲーマー以外喜ばないラインナップじゃん
普及には圧倒的大多数のライトゲーマーが必要なんだし、その層にバーチャファイターとか受けないでしょw
スーパーのゲームコーナーのアストロシティバーチャファイ2
1回200円で子どもの頃おいそれとプレイできなかった
3回戦えてお得なKOFとか気持ちが向かった 当時のバーチャはSFC持ってなかったような一般人がブーム作ったんだぞ >>287
結局それ
格ゲーとかシューティングとか基本ゲーセンで楽しんでた人にはうれしいラインナップだったが
SFCから乗り換える受け皿は最後まで用意できなかった ナイツが一般には売れないのは高校生の俺でも発売前に分かった >>287
バーチャだけは今のイカよりもすごかった
ゲームやらないような人までバーチャやってた
あとはまぁセガファン、セガアーケードファン、コアな格ゲーファン、ギャルゲーファンが買ったハード でもデカスリートとかはコナミのハイパーオリンピックとは比較にならないくらい出来が良かったし
他にもそれなりに売れるゲームをいろいろなジャンルで出していて
クリスマスとかの商戦期以外は結構PS以上の数字出してて結構ラインナップはバランス良かったんだぞ
商戦期は一桁違ってた気がするが >>250
海外のPCが入り始めたのが90年代初頭で、PC-98神話が健在だった当時としては、
海外のPCはまだまだマニアックでマイナーな存在だったし、それでも30万円位してたな
低価格PCの走りとなったコンパックショックはもう少し後の話
それがWindows95発売の辺りで、海外PCに飲み込まれる事を悟ってか、
国産PCでゲームを作ってた各メーカーや、アマチュアで活躍してた人材はPSに参入
アートディンクはアクアノートの休日、エグザクトはジオグラフシールをリファインしてジャンピングフラッシュを開発
もしここでPCの方に移行していたら、日本でもPCゲームはメジャーな地位を
保っていたかも知れないが、やっぱり価格と市場規模ではCS機に勝てなかった ちなみにセガサターンは2CPUじゃなくて4CPU
メイン SH2×2
サウンド MC68000
CDドライブ SH1 >>283
新生トゥームレイダーはなかなか面白かったけど、ゲーム内容よりPC版の日本語問題のほうが話題になってしまったw トゥームレイダーは1〜4までくらいが一番面白かったって意見も結構あるのに
日本ではさっぱりで、ようやく立ち位置を確保したのはごく最近だもんなあ
DOOMなんかもそうだし洋ゲーは大変だ サターンって結局国内での最初の一年だけ輝いてたハードだったなあ
結局アケゲーの移植しかウリがなかったのが致命傷だった AZELっていうFF7を越える名作が出たからいいよ
ダンジョンマスターの最終作もサターンだけだったし 自分はPSを発売日に買ったなぁ
スーファミからバリバリの3Dポリゴンのゲームに進化するって凄いワクワクしたもんだ。
その時はまだ64はあまり情報が出てなくて謎ハードだった。
サターン PSが出た当時はゲーセンがまだ元気で、アーケードゲームが次々移植されるサターンが勢いがあって、PSを選んだことを少し後悔し始めてた。
そこにいきなりTVCMでFF7が来て、TV前で飛び上がって「うおおおぉ!」って叫んだよ。
結局それが次世代ゲーム機戦争の決め手となったって感じ
懐かしいなぁ〜 >>287
サターンの敗因は3Dも2Dもどっちもそこそこいけますよっていう器用貧乏、中途半端さだよ。
結果、3D特化のPSにFFを取られた。
64はカートリッジ式にしたことで容量少なくて、3Dポリゴンやムービーによる大容量化するゲームに対応できなくて負けた。
販売も完全に出遅れてたしねぇ
64がCDROM採用してたら、確実に天下とってたんだろうな >>284
サクラ大戦が一時期プチブームが来てたな >>287
そもそも発売当時はライトユーザーって概念がまだ無かった
そこにいち早く目を付けて開拓していったのが久夛良木だったからまさに先見の明が凄かった
>>301
そもそもこれからは3Dポリゴンの時代です!ムービーの時代です! って方向性に持って行ったのも
久夛良木の戦略の一つだと思うな。PSの得意分野に上手く勝負を持って行った訳だ。実は3Dゲームは64の方がよっぽど出来が良かったが
指摘の通り容量が無かったからRPGなどの当時の一番人気ジャンルに弱くその点は最初から最後までネックになった プレイステーション
遊ぶ基地か、誰が考えたのか、おかしな名前だよな
PCE、3DOと失敗して、これもダメかと思っていたら大成功
これからがPS時代の始まり 発売前〜発売直後ぐらいは、バーチャがあったのとエロゲ移植いっぱい出るらしいぞってのでサターンの方が期待されてた
エロゲがおっぱいすらまともに描かない家庭用移植で皆でがっかりして、FFが一気に根こそぎかっさらってった
あくまで俺の身の回りの話 >>304
ワークステーションっつービジネス用のバカ高いコンピュータがあってさ
ゲームに特化したワークステーション並みのゲーム機
「ワーク」では無く遊びに使うから「プレイ」ステーション って事だったらしい ソニーは昔からPC方面でぼったくるのが好きだったからなー
「VAIO専用HDD」なるものを超高値で売り付けてて呆れてた記憶 32ビット機はパナソニックとソニーがゲーム初参入で、
バーチャを擁するセガ、NEC、少し違うがバンダイもハード出すというので
非常に盛り上がってた気はするけどな。
任天堂の組長はそういう盛り上がりの時も
水を差すようなことしか言わんかった。
Windows95が社会現象化する中で、
マルチメディアが当たり前になってきてる中、
「マルチメディアでゲームが面白くなるんですか」
とか噛み付いてたのをよく覚えてる。
組長の予言通り64DD大コケしたけどな。 パーソナルコンピュータに対してのファミリーコンピュータ
ワークステーションに対してのプレイステーション
当然ながら任天堂を相当意識してたよなあ 当時はサターンが先行してて
最初の目標100万台売るために開発が経営陣に
噛み付いた話は有名 今にして思えば、山内がCDを叩いてたのも、ロード時間のせいじゃなくROMを独占的に売って儲けるという任天堂のビジネスモデルが崩壊するから叩いてんだな
山内ゲーム一切しなかったし あの頃は格ゲーでゲーセン入り浸ってたなぁ
家にはSFCMDPCEはあったが殆どやってたないような
ファイプロとパワプロやってたかなぁ
でもサターンは発売日に買った
高校3年だったっけかな
VF1辺りならサターンパッドで余裕だったね
psは大学入ってバイトしてた店に買い取りできた綺麗な奴を店長が横流ししてくれて買い取り値段でそのまま買えたなぁ ゲーセンのゲームがほぼそのまま遊べるようになったのもPSサターンからだもんな
ナムコミュージアムとか感動したから、全作揃えて専用ケースに入れていまだに飾ってある 64はマリオと一緒に買って間があってからパワプロ専用機になったかなぁ
ブラストドーザーの為に未だに引っ張り出すけど
>>313
あのナムコミュージアム
棚にnamcoって並べてると中学生が毎回mancoにしていきやがったなぁw
懐かしいこと思い出した >>301
サターンの2Dはそこそこどころか家庭用ゲーム機史上最強と言ってもいいくらいだよ
PS以降の2Dは奥行きのない3Dだからね >>315
は?
ドリームキャストの2D性能にすら及んでないが?
”2D専用の機能”の性能についていってるのならその通りだけどな
なんせSS以降のゲーム機にはそんなの必要ないん >>303
64は発売がおそすぎて、CD-ROMを採用してたくらいでひっくり返せたか疑問
1994/11/22 SS発売
1994/12/3 PS発売
1995/4 SS 国内100万台突破
1995/5 PS 国内100万台突破
1995/7/21 バーチャルボーイ発売
1996/6/23 N64発売
1996/11 PS 世界1000万台突破
最終的にはPS:1億,N64:3200万,SS:950万
SSの桁間違えてるんじゃないのかというくらいの失速はいつ見ても驚く >>316
そりゃそうだろう
以降の機種はパワーで押し切れるんだから2D専用機能なんかいらない
同じこと言ってるのになんでそんなに攻撃的なんだか プレステはマジで壊れやすかったから買換え需要も幾分あったろう 同じことを強い語調で言い直せば優位に立った気分になれるからな >>318
は?
じゃお前の言う 家庭用ゲーム機史上最強 ってなんだよ?
まさかサターンが現役だった時代で最強!とかいう意味でつかったとでも?
ならスーパーファミコンだって、スーパーファミコン以前の機種の中では史上最強の2D性能だわw > サターンの2Dはそこそこどころか家庭用ゲーム機史上最強と言ってもいいくらいだよ
これは2Dを基本とした設計のマシンでは最強マシンなのは間違いない
サターン以降はマシンパワー上がりまくって、3Dで代用できるようになったから
スプライトとかBG画面とか2D用の機能要らなくなった >>243
コア構想マジで夢のようだった
キーボードとかプリンタとか繋げた構想図見たときパソコンいらねーじゃんとか妄想できて楽しかった
実際はそんなの展示会ぐらいでしか出てなかったような >>274
だいたいそんな感じだった
少しだけサターン先行だった >>322
サターンの2Dはドリームキャストより上だもんな。 >>321
なんか変なのがきたから終わりにしよう
君の言うとおりだということにしておくからそんなに怒らないでよw >>301
64がCDだったとしてもあやしいな
たしかに任天堂ソフトはすごかったけど64の開発のしにくさは伝説級だし、ソニーのサポート体制とかプレステの開発のしやすさはすごかった
宣伝もソニーがすごかった あの時のソニーはちゃんとソフトメーカーとして頑張ってたよなあ 64が天下とかないと思うわ
上でも語ってるが開発難度が半端なくて、当の任天堂さえ手を焼いてたし
予算豊富な任天堂さえこれだぞ
サードがまともに作れるわけ無いってw 最初の2年はサターンもPSも均衡してたが、やはり参入や開発のしやすさでPSが抜けてきた感じだな。
結果、PSは中小サードが乱立してクソゲー祭りにもなったんだけど、有力サードもちゃんと
確保してあったのでバランス自体はサターンに比べて良かった。 >>332
開発機材がPSは糞安くて、ツールが使いやすかったらしいね
ソニーは他ハード用に使うなと言ってたが、ソニー提供のツール使ってサターン用ゲームも作ってたみたいだし 当時の話とか見てるとソニーはソニーミュージック出身者が多かったこともあってクリエイター=ミュージシャンみたいな感じで一緒になっておもしろいゲーム作ってビッグになりましょー的なノリだったみたいだな
だから開発サポートだけじゃなくて相談とか面白くするためにどうするかとか親身になってたとか
あとやっぱナムコが整えてくれた開発環境が大きそう 小学校低学年とかで当時の情報源がコロコロとおはスタくらいしか無かった自分にとっては64が負けハードってのは後から知って驚いた
今よりは子供が多かったから子供向け専用でもある程度のビジネスにはなったんだろうなあ キッズ向けゲームはそこそこあったしコロコロとかでステマしてたからゆとりキッズからしたら64は勝ちハードみたいな存在らしいなw
実際は国内だとセガサターン以下だったんだけど
あの頃はまだ子供も据え置き機を買う時代だったな 発売時はどっちも空気だった
発売で盛り上がった思い出の持ち主は
40代無職童貞の俺よりも年上のゲーマーさんですよね? まずソニーがゲーム機ってのが畑違い感満載だった
ソフトメーカーもナムコぐらいしかめぼしいの出してなかったしアーケードメーカーはサターンの方が多かったから家電屋が出した3DOと同じ様に絶対消えると思ってたな 当時ネットは一般的じゃなかったから全体の雰囲気はわからんな〜
二機種だけじゃなく他にも同時期に沢山ゲーム機出たから戦国時代の幕開け!って雰囲気があったかな
王者任天堂の牙城を崩すのは何処か?って雰囲気 本体の値段もスーファミと比べたら高かったからな
でもPSの発売日に店を何軒か回ったけど売り切れてたよ >>319
グリーンベレー君の作者も熱中しすぎて五台目突入って書いてたね。面白いからそのまま気にせず買い換えてたんだろうけれども。 >>336
それステマじゃなくて普通に宣伝だし
コロコロは読者アンケートからゲーム機選んでた。 >>317
SS、頑張ってたの国内だけで北米がダメだったからなぁ
ソニック無いとしてもあんであそこまでボロボロだったんだろう サターンてcpuとか2つにしたり色々金かけてそうなハードだったけどなんであんなにポリガンしょぼかったの?
当時アーケードのモデル1にくらべるとめちゃくちゃしょぼかったよね。 >>343
北米はメガドラが普及してたから新機種じゃなくて拡張アダプタを出したいという意向があって、
サターンとほぼ同時期にスーパー32Xだしてるんだよね サターンの誤算
1.思ってたよりもサードが集まらなかった
2.思ってたよりも海外で売れなかった(皮肉な事にメガドライブの好調さが足を引っ張ったという説がある)
3.ハードのコスト削減がうまくいかなくて(パーツ構成の問題らしい)本体を売っても利益を上げにくかった
4.マニア向け、ゲーマー向けみたいな雰囲気が当時のニーズにいまいち合わなかった メガドライブはソニックだけじゃなくてスポーツ系とか海外でウケそうなタイトルが結構出てたと思うけどサターンはそうでも無かったのかな
海外で売るのだったらセガの方が得意そうだと当時は思ってた
PSが海外で売れると思わなかった >>347
同時期にPSが無かったらサードはかなり集まってただろうな
同時期に同じようなハードがもう一個出たのが最大の誤算かつ不運
でもその場合、多分スクウェアやエニックスはSSじゃなくて64になったと思う
だからどの道負けてたかな >>93
サターンにVideoCDアダプター付けて
エロ本のおまけに付いてたCD-ROM見まくった思ひ出 バーチャとリッジやりたくてどっちも発売日に買ったけどリッジばかりやってたな
しかもリッジはゲーム中に音楽CD入れると音楽ながせたよな
リッジの後の鉄拳にはもっとハマったわw
FF7出た後の鉄拳2とかあの頃は勢い凄かったな >>343
まず一番大きいのがバーチャがそこまで人気出なかったことだな
なんでかは知らないけど
バーチャブームもなくてソニックも出ないセガハードでしかも北米セガが推したのは32xなんだからそりゃコケる >>351
リッジの衝撃は当時凄かったね。あれだけでPS欲しい! って思わせる力があった
バーチャはすでにゲーセンでやってた人はともかく初見では訴求力が弱かったと思うね
だから最初はリッジがやりたくてPSを買おうと思ってたが
結局グレイテストナインって言う野球ゲームに惹かれてSSを買ったw
こういうパターンはきっとかなりの少数派だろう この頃はSNKに勢いがあったな
ゲーセン行けばそこが最新だった >>352
バーチャ不人気はリングアウトで負けってのが
欧米人には理解不能で理不尽とかいう理由だったはず
逆にリングアウトが無い鉄拳に人気が集中した >>332
結局それだよね
フロムソフトウェアとかそれまでゲーム関連事業してなかったところまでがかなりPSに参入して盛り上がった
しかしそういう成功体験ありながらPS2,PS3と真逆の思想にはしっていったのは何故なのか… >>357
派手さが一切なかったからじゃね?
ヒットエフェクトもなかったもんな、バーチャは
大体にして欧米じゃモータルコンバットみたいなのが人気だしw PlayStationの海外ゲームがわりとパッと思いつく
NIN64の海外任天堂のゲームも出てくる
サターンって海外でなんのソフトだしてたの? >>357
リングアウト後ゲームの展開は止まるがそのあとはクーリエクライシスみたいに好き勝手操作できて
パイプ椅子振り回して観客に八つ当たりとかできれば欧米で人気出たのかな
それはともかくバーチャはアメリカでは地味で不人気だったが英国では国政選挙の広告に使われるくらい人気だったと聞いたが >>360
セガ製じゃないがトゥームレイダースはバーチャに憧れてバーチャみたいなゲームを作ろうと開発を始めたら
いつの間にかマリオ64のようなゲームになっていたと開発者が語っていたな
とりあえずサターンがオリジナルのはず トゥームレイダースはPC版(DOS版)が本家。PSやSS版が発売されるよりも以前に出ていた。
現在も手元にCDーROMはあるのだ(三角のパッケージも残ってる)。
boodooとかPC用の3Dエンジンが2Dとの統合前の頃にあった製品なので、ビデオカードの新型チェック
ツールとして活用していたよ。 >>363
>>362の認識であってるはず
確か欧州サターン版は他より少しだけ早かった セガアメリカはトゥームレイダースを頑張ったのか
PSのクラッシュ、スパイロ
NIN64のバンジョー、ドンキー、ゴールデンアイ007、コンカー
に相当するのがそれってこと 当時はまだせいぜいパソコン通信の時代で、インターネットは無かった。
その結果、ファミコン時代の再来を思わせるようにゲーム雑誌の発刊ラッシュがあった。
面白かったのが畑違いの出版社が大量に入ってきたが、程なく廃刊ラッシュに。 >>258
国内のGDPとか不況以前に、スマホは今も世間で人気があるじゃないの
スマホの脅威となる天敵がまったくいないから、いまも我が世の春を謳歌してる
SS/PS時代のゲーム機も、わが世の春を謳歌していたんだよ
他に直接競合するものも無かったから、凄く人気も勢いもあって
将来の不安なんか微塵もない華やかな時代だったのさ
今のゲーム機にかつての勢いがないということは
単純にそれらによって日陰に追いやられたという事に他ならない
生活必需品でゲームが無料で遊べる時代だからしゃあないよ 覇王ゲームスペシャルみんなどれかのゲームでもってたでしょ HYPERプレイステーション
THEプレイステーション
プレイステーションマガジン
色々出てたな 俺はメガドラ晩期からユーザー始めて、
メガドライブFANからサターンFANを通ってドリームキャストFAN
購読してた
BEEP!じゃなくてFANを選んだ理由が、
最初立ち読みで比べてスーパースト2の記事の
掲載ページ数が2ページ多かったからw 発売後しばらくしての話だが
とんねるずの生ダラの時間帯に放送される
ファミ通のCMが楽しみだった
あとファミ通の最後の方の発売予定のページの ぱいるあっぷまーち
はいつ発売になるのか気になった ソニーと戦う前に内部分裂起こしちゃあ勝てる訳ないわな
32Xの発売を決定したメリケンはセガ信者から集団リンチ受けても文句は言えない サターンは2D表現もしやすい前提の3D専用で設計するべきだった
ようするにロースペDC+6ボタンパッド 32Xはなんかよく分からんけど好きだったなー
バーチャレーシングとサイバーブロールはいまだにやってしまう 友達同士が集まるとまず起動するのはサターンの方だった
カプコンの黄金期だったし
PSは一人でやるゲームが多い感じ 1,000円札を少しづつ貯めて、その間にも毎週新情報がきて
40枚貯めるまえに向こうから安くなって
ゲームセンターで毎月新作が稼働する誘惑もあって
週刊恐竜サウルスも集めたくなって
なんだあの子ども時代は。楽しかったぞ >>360
マイナーソフトだけどファラオの復活って言うゲームがそうかも
DOOMタイプの家庭用オリジナルFPSってことで、かなり気合い入れて作ったらしい
ゲームエンジンが優秀でなめらかなフレームレートと光源処理とかしてあって、当時は結構凄いと思った
後にPSにも移植されたけど、徹底的にサターンに最適化してあったせいかサターン版より出来が悪かった(ポリゴンゲームなのにw) サターンでたばかりにRAMPOて香川照之とかがでてくるアドベンチャーとか買ったけど楽しかったなぁ。
ワンチャイコネクションはかわなかった(笑) 本木雅弘とか竹中直人が出演してる同名の映画があったね
それのゲーム化かな? 2D派でドット絵大好きだった俺には
サターン+4MB拡張RAMという2D性能最強マシンが神機だった
NeoGeoを完全に超えてたからね ネオジオのゲームはネオジオのほうが出来がいいよ
音が全然違う
どのハードにも得意、不得手がある
PS2はDVD搭載してたけどモデム別売りだし 全てワクワクだったが?
パソ通であんなに盛り上がった時代はなかったと思う
ナローバンドのインターネットも普及はまだまだ先で
ゲハの前前前夜くらい?w 4MB拡張RAMはすごかったが、ネオジオ移植タイトルはその4MBRAM使ってない。
使ってたのは4MBの前身の拡張RAM、kof95は専用RAM。
SSのネオジオ移植タイトルはSE関連の再現性がいい加減だったのが惜しい。
>>384の言うようにそんな褒められた移植度でもない。良かったのは95くらいかね。 >>385
2は比較的良く出来ていた。移植度が低いのには変わりないが、一応まともに遊べる出来だったからな
しかし何故か次に出たスペシャルはまたしても劣化した。何故か使いまわせるはずの音楽まで劣化してたw >>388
この当時のゲーム機なんてメモリがカッツカツのカッツカツなんだから音楽以外で使うデータが増えりゃ、音楽にまわせるメモリが減るにきまってる
そうでなくともSFCの音源は使用メモリ量によって大幅に音質に影響でるからな 拡張RAMでもメーカー間の対立っぽいのが有ったのかね
SNKが1MB拡張RAMをリアルバウト餓狼から使用し始めて
これ以降のタイトルは全部1MB拡張RAM対応で発売
カプコンは1MB拡張RAM対応にはせずに
4MB拡張RAM対応ソフトばっかりで両社が意地でも相手のメーカーが使う規格の方に
乗っかりたくないぞって感じに見えたわ
カプコンが4MB出した後に1MB対応しないのは分かるが
SNKが1MBで最後まで通したのが気になるんだよな なんとなく覚えているのが、ナイツが発売されるときにサタマガのコメントで
「このプリレンダムービーのような画質でゲームができたらいいのにと思う」
て書いてあったんだよね
今のマリオデなんて完全に超えてるよね
あれから20年、そんな時代になったんだなと思う >>391
RAM増設できるCSゲーム機ってサターンとN64だけだよな?
N64は末期には別売り用パーツが余って、初めからRAM増設したバージョンも発売した その2機種は「できる」というよりRAMを増設してでもソフトに力を入れないといけないところまで追いつめられたってことだと思うよ >>393
わかるわー当時はムービーと実際のプレイ画面の画質は差がありすぎて完全に別次元だったからな
個人的にはバイオショック1辺りから、ムービー画質まんまでプレイできる時代になったな〜と感じたわ
Dの食卓やMYSTみたいなのは別として >>393
ナイツのプリレンダムービー見てみ
ドリキャスのバイオコードベロニカのリアルタイムレンダと同じくらいだぞw >>397
見返してみるとびっくりするほどしょぼいw
思い出補正って怖いな〜
でもまだPS2〜Wii世代はモデルがカクカクしてるから
Wiiで出たナイツ2でもプリレンダレベルとは言い難い
ナイツのプリレンダムービーの動きや質感はしょぼいけど
カクカク感はなかった クリスマスナイツ、当時はセガに注文して金を払えば手に入れるられるって気付かなくて勝手に苦労してたわ
本体のオマケでしか入手できないと思い込んでた >>391
マーベルスーパーヒーローズが1MRAM対応じゃなかったっけ?
確か4Mは「X−Men vs ストリートファイター」と」同梱または同時発売だったような >>400
マーブルはRomなしでディスク単体で遊べる仕様。 >>401
いや専用じゃなくて対応
wiki見たけどROM対応って書いてあるだけで4Mか1Mか書いて無いし俺どっちも持ってtからよく覚えてない
>>379
これとエイリアントリロジーってのが凄いって聞いて買ったけどどっちもほとんど勧めもせずにやらなくなった
結局FPSでクリアーしたのは機動戦士ガンダム外伝だけだったなあ >>390
ネオジオ格ゲでは初の「家庭用ほぼ完全移植」と言えたかもな。
ロードもかなり短かったし。
おかしかったのは解像度の問題でキャラがやや縦長だった事くらいかw
>>392
おいそれは初耳だ。マジかw恩恵としてロードが爆速になったのかな? >>402
え、対応してたの?大体買ってたんだけどな。
いかん、俺もいろいろ調べてるわ。thk KOF97は4MRAMでも遊べたが、対応させただけで、
ロード等仕様は1Mと同じ。地味に残念だった
でも拡張に頼ったゲームより、
ヴァンパイアハンターの方が凄いって感じもあるw
(同キャラ対戦だとアニメパターン完全再現らしい)
でもその分ロードがかなり長いのが玉に瑕だった
ストZERO2が8秒、ハンターが12秒 >>402
ファラオの復活はまごうことなき名作だけど、エイリアントリロジーは糞ゲーだった
当時としては珍しいFPS大好きっ子だった俺が難しすぎて途中で投げたゲーム
中盤から手のつけようがないほどの難易度になる SEGA自身は4メガ拡張RAM専用ゲーム出さなかったのかい?
サクラ大戦とか使ったらすごくなる? ファラオの復活はサターンのくせにぬるぬる動作だし遠くまで見えるしで技術力高かった
トゥームレイダーもサターンの方がちょっと先に出た バーチャの酔っ払いジジイ使ってたなぁ。大型量販店や近所のTSUTAYAの無料試しゲームコーナーにいたガキの1人ですはい 厳密にはSEGA自身じゃないかもだけどファイターズヒストリーダイナマイトは4メガ使える 4MRAM専用ゲイルレーサーもといラッドモービル出せばよかったのに あんま格ゲー上手くない俺にはpsの方が解像度高くで見た目綺麗だからこっちの方が魅力あったわ。
動くとカクカクだけど。 >>406
FPSはPSのタイトルに魅力を感じてそっちやってたわ
未だにディスラプターより酔うゲーム知らん この頃はさすがにFPSだけはPC一択でやってたわ
質もタイトルも性能もあまりに差がありすぎた
PSサターンではDOOMでさえあの有様だったし・・・ PlayStationはTPS風味のアクションシューティングが得意だったってことか
メタルギアやバイオハザードやサイフォンフィルター >>414
あれジャガー版のアップグレード移植らしい
それでもUltimateDoomは割と良かったよ
FinalDoomはアカン、全然Finalじゃない DEAD OR ALIVEは
ssの方が良かった
psは遠い感じがした >>257
これ遊びながら未来のゼルダを妄想してたわ。 >>414
この時代のPCゲーマーのマシンスペックって
486DX4or無印Pentiumに高めのビデオカード
(DirectX登場前のもの)じゃなかった?
メモリーも8MBぐらいだったような。 >>421
この世代はグラフィックに限ればゲーム機の専用チップのほうが良かったと思う。
絶対的な性能はともかく画面に出てくる絵としてはね。
ただ高解像度、キーボード、マウスを前提としたPCゲームをCSに移植するとひどくなることが多かった。 PCのスペックが家庭用超えてきたのはPS2の頃だったような気がしてる
サターンの頃はPCよりもアーケードゲーム業界が最先端行ってたような windowsのバーチャ2もサターンと変わらなかったよな
サターンをベースにしただけかもしれないけど >>424
いやPSの頃にはPCがゲーミンング性能とっくに超えてたよ
ただあまりにPCが高価だったんで勝負にはなってなかったけどね
コスパが違いすぎた >>426
PSの発売は1994年末だけどあなたが想定してるPCパーツってどんなの? 1994 PS登場
1995 3D用アクセレーター Voodoo発売
1999 Geforce 256発売
明確に超えたのはGeforce 256発売した1999年だと思うぞ
それまでは互角の性能だったはず Geforce 256で初めて3D用のジオメトリエンジン搭載してきて、一気に性能上がった
それまではハードウエアでジオメトリエンジン搭載してたPSに勝ててなかったよ 地元の中堅家電屋はゲーム販売に力を入れてたんだけど
テレビを横一列ズラっと数十台棚の上に並べてて
メインハードだと売り上げランキング順に実機でソフトをデモ上映しててすごかったな
ゲーム誌や攻略本もめいっぱい取り揃えてたし、発売日1000円-2000円値引きは当たり前
中古も扱っててファミコンなんかも片隅に追いやられつつまだ置いていた
だから特に買うソフトを決めてなくてもちょくちょく寄ってた
ヤマダやコジマに駆逐された挙句いまはゲオになってるけど、ゲーム売場はお察し状態 >>421
DX4には負ける印象
PS1版ディセントとか中々優秀だった 後先のはなしだから細かいこと言うけどVoodooは95年発表96年発売
発売年で揃えたほうがいいんじゃないかな FPSに限って言えば、PCとは性能以前にラインナップの差がありすぎて話にならなかったよ
なんつっても1990〜2000年代はPCのFPS黄金時代だもん
ハーフライフ、Quake、Blood、System Shock2、soldier of fortune、デウスエクスとか挙げればキリがない >>435
DOOMとかQuakeやりはじめたころは全部キーボードでやってた記憶があるけど、マウスエイミングを思いついた人は偉い
初期のPSはアナログスティックがなかったから(出たのは1997年)、これはどうやっても追いつけない マウスでのプレイが一番面白いと思ったのは初代マックスペインだわ
PS2に移植されたのをPSコントローラーでやってみたけど、
バレットタイムの爽快感が完全に死んでてなんだこりゃって感じ
家庭用のコントローラーでもFPS楽しいって初めて思ったのはxboxのHaloだった FPSはPCエンジンのフェイスボールをやった事あるくらいでこの頃はご無沙汰だったな 強いて言うならN64のバイオレンスキラー(テュロック2)はわりと好きだったかな
攻略専用の公式電話窓口が用意されてる気合いの入りようだったが売り上げは・・・ >>427
PS2時代になる前にはとっくに、ってことを言ってるんだよ
PSの頃、ってのはそういう意味
なんら間違っちゃいないだろ 「PS1発売からPS2発売までの間にPCがCSの性能を超えた」と言いたくて
「PSの頃にはPCがゲーミンング性能とっくに超えてたよ」になったと GLQUAKEやGLHAXENは感動したな
高かったがvoodoo買って世界が変わった この頃のゲーセンは都内だと一駅に一店はあるほどの勢いがあったなあ
格ゲーバブルがはじける前 ダークネスじゃなくてダークな
PS1版を持ってるけどめっちゃ好きなゲームだわ
攻略本ないとクリア不可能に近いが アローンはポワ〜ンなジャンプが懐かしい
TOWNSで遊んだ >>440
説明方法が間違っているな
初めから「何年ごろからは〜」って書かなきゃ
ゲーム機とパソコンじゃ進化の速度が全然違うんだから
なんせペンティアム発売がやっとこさ1983年だし >>443
家の最寄り駅だと西口に8店、東口に4点はあったな
東口にはあまり行かないからもう少しあったような気もするが
今は西口に3店、東口は知らん 連投に次ぐ連投すまんがペンティアムは1993年だな >>443
VF2ブームの頃はマジでゲーセンやばかった
鉄人来たときなんか大盛り上がりでゲーセンに入り切らない人、人、人だった
週末になると徹夜で朝まで格ゲー対戦三昧
もう、今はゲーセンも大型店舗だけで、中小店舗は全部潰れた アーケード衰退はヤバイよなぁ…
コンシューマの楽しみが1つ減った サターンの方が期待は大きかったと思う
しかしナムコはPS全力だしコナミはPS先行でサターンは後出し
サードがPS助けただけ
ソニーはCM効果で売ってただけでソニーのゲームには騙されたヤツ多いかと PS1の頃はSCE、SMEともにゲームソフトも良質だったし
自分らでハードを盛り上げようという気概は感じたよ プレステは3DOみたいになりかねない危うさがあったな。
ゲーマーはサターンが安牌って雰囲気だった。
FF7がPS独占が決まるまでこのムードはあった。 当時の勢いは任天堂が本命
その後にどこが来るか?な感じでSSがバーチャで一歩リードな雰囲気だったかと
SCEはそこは新参だったから、サード誘致にとにかく積極的かつ開発支援も惜しみなく人員投入してた
でもSCEにとっての一番の援軍が実はバーチャ
https://www.famitsu.com/news/201209/01020542.html
>当時、プレゼンテーションを行なっていたメンバーでも、3Dグラフィックスによりゲームがどう変わるかをイメージできていたのは久夛良木氏だけだったと丸山氏。
>それが『バーチャファイター』が出てきたことで、3Dグラフィックスによってゲームがどう変化するか、「ああいうことができるんだ」(丸山氏)ということがはっきりと見え、
>それによって3Dマシンとしてのプレイステーションビジネスの方向が定まったという。「(セガも)えらいタイミングで敵に塩を送るとは思わなかったんじゃないか」と丸山氏は振り返った。
>『バーチャファイター』を見たことでプレイステーション参入を決めたメーカーもあったとか。 >>454
> FF7がPS独占が決まるまでこのムードはあった。
いや、なかったよ
ほんと一般層には圧倒的に人気でてたもの
宣伝が上手くて、かつサターンがゲーマー以外にまったく訴求力だせなかったのでライト層をPSが全部持って行ったから
参入も開発も容易だってことで新規含めどんどんメーカーが集まってきて、ゲーム数もどんどん増えていったから
最初の一年以降はもう完全にPS勝つねこれ、っていう空気まんまんだったよ
そもそもPSが世間的にも元気ムードまんまんだったからFF7がPS独占にきまってんでしょに >>453
後半の頑張りは認めるが初期は酷かったよ
ビヨビヨとかクーロンズとか褒めれないだろ
でもCMガンガン売ってユーザー騙した 初期のPS助けたのは俺的にはボクサーロードかと
コアなのはサターンが抑えてたのにライトなPSにコアなのかやってきたわけで >>457
こんなことで違うだの正しいだの話すつもりはないよ。
当時はネットもないし、ムードを伝える記録も残ってない。
あくまでも自分の周囲の雰囲気で語ることしかできない。
それは君も同じだ。 うちの周りはPS優勢だったな
まだ小学生だった子供にはSSよりPSのが雰囲気良く思えたわ
そして64は良くわかってなかったと言う >>459
コアゲーはPSには最初からナムコやコナミが出してたしセガゲー以外はもともとPSも遜色なかったでしょ
カプコンもPSとSSでほぼ同じタイトルを最初っから投入してたしな >>460
ゲームタイトル数やFFのくだりからもデータ的にも論理的にも君の”雰囲気”は間違ってると断定できるよw サターンのナイツの店頭デモはたいして人がいなかったのに、
PSのワールドスタジアムEXの店頭デモをたくさんの子供達が
キャーキャー言いながらプレイしてるのを見た時は「サターン負けるな」と思った >>461
俺の周りだとサターン優勢だったわ
格ゲー好きが多くて2D格闘の出来が良かったサターンが多かった
ちゃんと数字にも出てるけど最初はサターンのほうが早く100万台達成してたし、PSに勝ってたのは間違いないよ
FF7出るまでは間違いなく勝ってた しかし、まだサターンとPSの話で熱くなる人がいるのか。
まさかこんな昔話で絡まれるとは。
気持ち悪いわ >>465
こんなことでまとだのまともじゃないだのアホかお前w
それに別にお前が嘘をついている、とは言ってないよ?w
ただ客観的にお前とその周りの当時の雰囲気とやらは、現実と乖離していると指摘しただけ
それはデータからも明らか(各年度別ゲームタイトル数) FF7が来る前にバイオや鉄拳2がミリオン近くまで売れていたのに対して
SSは結局バーチャ2しかミリオン売れてなかったからな
2DゲーだとSSの方が読み込みや処理落ちが少なくまだ2Dが主流だったアーケードゲーの移植で賑わってたけど
ナムコがアーケードも3Dゲーを中心に展開し、それをPSに素早く移植するのが当然の流れになって
兎にも角にも3Dゲーが主流になったときにはPSの独走体制に入りつつになってた >>457
SS:1994年11月発売
PS:1994年12月発売
VF:1995年12月発売
FF:1996年2月発表
SSが100万台達成を宣伝してた頃PS「行くぜ!100万台」でサギってたし
1995年年末から1996年史まではサターンが圧倒的に注目されていた
明らかに1月後のFF7発表からの逆転だろ
時系列くらい調べてから書き込め RPG好きはPS、それ以外はサターン、任天堂マニアはN64、変態は3DOって感じだったな
残念ながら俺は変態に属していたがうちに来た友達は喜んでいた >>469
VF2出たときがサターンのピークで、その時点ではPSに勝ってたと思う
若い女の子でも本体と一緒にサターン買っていくの見たからな >>471
PC-FX抜けてるぞw
ギャルゲーマニアな知人は一人ハード持ってた ゲーマーもすぐにPSが覇権とったって認識になったと思うよ?
いわゆるセガマニアだけだったじゃん?SSに拘ってたのって ナイツとペパルーチョにOK出すのはどうかと
後から批判になってしまうが >>472
あの時はVF2が異常な人気だったからな
同時期にヴァンパイヤーハンターとかSNK格ゲーも人気でそれらがSSに移植されたから
格ゲー派はSS持ちが多かった
が、2Dから3Dへの移行期でもありジワリジワリとPSシフトが進みつつあった >>470
これで合ってるね
FF7発表まではサターン優勢
ここで一気に流れ変わるんだよなw >>470
> 1995年年末から1996年史まではサターンが圧倒的に注目されていた
それならFF7はSSにいってたんでは?w >>470
VF入れるくせにリッジとか鉄拳いれないんだよなw >>460
おやおや、お父ちゃんの精子ですらなかったお子ちゃまかな
ネットもあったし、当時の記録も残ってるよ >>278 違うと思うね、FF7が決めてってのは
物事にはタイムラグがある
PSが96年以降発売タイトル数で圧倒していってるのだから、サードが参入を決めるのにはその一年くらい前からPSが覇権とる流れがあったはず
その流れがあったからFF7がPSになったんだろう FF7に関しては、発売少し前からすでにPSに引き抜かれたっていう情報が出回ってたから
発表そのものに関してはあまり驚かなかったよ
本当に驚いたのはFF7発売後の反響と売り上げのスゴさ
まさかあそこまで世間の話題になって売れるとは思わなかった >>466
格ゲーは後半差が出た印象が強くて、序盤はそんなでもなかったような
ストゼロはほぼ差がわからんし、ハンターと95くらいじゃね? >>479
2月に発表されてるのに?
クラウドさんとか画像がたくさん発表されていたのに?
今まで準備していたものを発表一月前にいきなり切り替えると思うの?
元々任天堂だまして3DポリゴンFFの試作実験してたし
売り上げではなくハードの得手不得手を考えてPSに決めていたんだろ
何か月も前から(下手すりゃ両機種発売前かも) >>480
PS逆転のきっかけはFFかどうかの話とは全然全く関係ないからね
当時はVF2が社会現象になっていた
しかしFFには勝てなかったって話
理解できる?アホ FF7があそこまで売れるとは思わなかった
日本人って本当にRPGが好きなんだなーと実感したわ
その後のDQ7もバカ売れで完全にサターンにトドメを刺したわけだが >>479
当時、任天堂向けにスクエアはFFを開発してたんだよ
当然、セガとソニーは自分のとこのハードに作ってもらおうと接触してたんだが、その条件が
・流通をうちらの好きなようにやらせて(デジキューブ)
・任天堂向けに作ってるFFの開発を止めるから、今までの開発費出して(推定何億とかって噂)
これでセガは当時アーケードが絶好調だったので、そこまでしてFF引っ張ってくる意味あるのかと蹴った
(この判断がセガらしいといえばセガらしいがw)
ソニーはスクエア側の要望を全部飲んだ Windows95の頃はCSゲームならファミコンソフトくらいは動かしてたな
フロッピーディスクに入れたFF3の違法コピーが学校で循環してた記憶があるし >>451
ゲーセンもねえ
ゲーム屋もねえ
中古ゲー扱う古本屋もねえ
おらこんな時代嫌だー >>486
いや、既にVF2でる辺りでPSが優位になりつつあった
良くも悪くもSSはセガタイトルを遊ぶためのハードであり、一般性だとVF以外はあまり窓口は広くない
流通面でもソフトがなかなか再入荷しないなどの問題面がセガ側で顕著だった
PSはナムコタイトルが強かったのは当然として、定番タイトルから新参メーカーからの独創性あるタイトルまで満遍なく揃えた
新参入メーカーでフロムとかが注目されたの知っての通り
気がつきゃPSの販売棚が段々と広くなっていたのが現状 サターンはいわゆるメガドライブの次の世代のゲーム機、アーケードゲームの移植がでる
PlayStationはいままでのゲームをポリゴンで作ろう、32bit機+CD-ROMメディアの得意なこと
さぐろう
ゲームセンターを家の中に再現できたり、ポリゴンにすると新しい何かが生まれたり >>492
裏付けになるデータを見せてくれ
少なくとも年末商戦ではVF2がぶっちぎりで大ヒットしていたし
バーチャコップ、セガラリー、バンパイアハンターなんかも売れまくっていてソフトはサターンが完全に優勢
バイオハザードとか鉄拳2とかトバルナンバー1とかの大ヒットソフトはFF発表以降の発売だ
鉄拳1発売時はなんとも微妙な空気だった
2からまともになった、らしい
俺はあのシリーズ趣味に合わないが PS初期だとタカラの闘神伝とかもわりと売れてたはず
PSはPSで格ゲーファンを満足させていたフシもあった http://supernova-novx.my.coocan.jp/top301995.html
95年前後のしっかりしたデータが見当たらから暫定的なのだとこれくらい
当時見てるとまだSFCが強く年末はDQ6の発売もあってそこまでVF2が独走状態というわけでもない
さらにアークザラットが100万売っていたとか、時代的にRPG層をターゲットしてたPSと
アーケード移植に重点置いていたSSとの差が見えてくる
あと、ときメモもこの時期にPS版で売れてた ちなみにPSの一年目のタイトルってこんなだぞ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E4%B8%80%E8%A6%A7_(-1995%E5%B9%B4)
そんなに一般層に受けるかね?
リッジやガンダムはセガゲーと支持層被ってるし つーか、当時テレビニュースでも年末商戦はサターンが一歩リードって報道してたの覚えてるぞ >>496
アークが売れたことはマイナス要素にしかなって無さそう
あんまりクソゲークソゲー騒がれていたからなんかの週刊誌がわざわざスタッフにインタビューに行ってたぞ
ときメモは正直キラータイトルには入るだろうな
SSは1年くらい遅れてるし(でも両方買ってる奴多そう>偏見) セガのアーケードゲームは絶対にサターンでしか遊べないわけだからやりたいなら買うしかない
というわけで最初は否応なく優勢になった感じもするが、
その一方でゲーマー以外の層を中心になぜかPSがバンバン売れたのはソニーさすがとしか言い様がない
なぜ新参者のソニーPSがあそこまですんなり受け入れられたのか、いまだに不思議に思う >>500
VF1が初めからリミックス仕様との切り替え付きで出ていたらPSはぼろ負けしていたと思う
もっともリミックスの背景一枚絵でいいジャンは後から気づいたものだし
テクスチャーでごまかす分ポリゴン数は減っていたって話も聞いたことがあるから切り替えは無理そうだが
そもそもリミックスが半年であそこまで進化していたってことはVF1自体開発期間がかなり短そうだし
初手のポリゴン勝負でテクスチャーの有り/無しで一般層のイメージは変わった気がする
ゲーマーはSSにもテクスチャー使えるの知ってたけどね なんかとにかくバーチャありきで指名買いだったな
んでそこは大満足だったけどリグロードサーガであれ?と感じ
レイアースでやはり大満足だったけどリグロードサーガ2で(以下略
まあでもパンツァードラグーンとかギレンとか千年帝国とか満足度はものすごーく高かった ペパルーチョが残念な出来だったけど
ナイツはすごく良かった >>502
ギレンができるかどうかは極々一部の層には大変重要なファクターだな
PSにも出たと勘違いしてる人が多いが名前が同じだけの全然別物だし ゲーセン移植の格ゲーくらいじゃハード戦争を左右はしない あとN64の超絶不調も意外だったな
1.生粋のゲーム職人セガ、ついにサターンで天下を取るか!
2.遅れてきた任天堂、N64で古豪の実力と意地をを見せるか!
3.新星ソニー、PSで何をするつもりだ!
ていう感じで三つ巴の争いに発展すると思ってたんだが、
まさかあんな事になるとは・・・ いや一時期ゲームやらないような層まで取り込んで異常に流行ってたろバーチャ >>506
初めて見た時「この○とか×とかだっせえパッドは正気か」と思ったアレが
天下を取るとは想像できなかった バーチャは素人には難しくて敷居が高すぎたような感じがするんだよな
その点を鉄拳はうまくアレンジしてたと思う PSと言うかあの頃のソニーはまさにブランドだったからな
街の専門店街にいきなり三越がやってきた的なインパクトがあった
雑誌や新聞が一斉にPSになびいたのは当時のソニーミュージック系の政治力経済力人脈だろう >>505
スト2、バーチャは左右したんだが
実際それだけの本数出てるしな
今の常識で考えるなよ >>509
鉄拳やる素人とかいないだろ
VF2は素人が筐体買って仲間と対戦したりいい歳こいたサラリーマンが帰る途中でやったりしてると話題になった完全な社会現象
売り上げもPS2鉄拳4にVF4がトリプルスコアぐらいで勝ってるし元気が移植しちゃった3は除くとして1・2も圧勝だったはず
VF5がPS3の不振に巻き込まれてコンシューマーでは絶不調だったが鉄拳6くらいの時にはまだ
アーケードのテーブル筐体の売り上げ1位が鉄拳6で2位がVF5ってくらいロングヒットしてたし
つうか鉄拳のシステムに喜んでるのは2D格闘やりこんでた層じゃないか? PS:39800円 ナムコ系タイトルが目玉
SS:44800円 セガ系タイトルが目玉
大手は大体マルチで細かい差異の違い程度
セガタイトルが欲しいか、ナムコタイトルが欲しいかで分かれるけど
本体+ソフトで5万超えるSSに比べて5万以内で収まるPS
逆にセガタイトルに興味無ければPSの方に流れやすい >>513
いや、そのころはSSが少しリードしていて両方約2万になってからPSが圧倒的に勝ったんだよ >>512
都合のいいように鉄拳3を無視したりTAGがゲーセンでロングテールで売れたりしてるのを無視しとるな >>514
バーチャ2とセガラリーの年末はセガにとっての我が世の春ってくらい売れたからね
直後のFF発表で冷や水ぶっかけられてバイオでじわじわと差をつけられ気がついたら届かないところへ・・・ >>515
いや、元気移植のVF3の大不振ってのは当然鉄拳3との比較だよ(DCの不振も大きいが)
TAGはよく知らん
PS2版のデータプリーズ(まあ、当時のPS2ブーム考えればミリオンは余裕だろうけど) >>517
そもそもお前自身のあやふやな記憶頼みばかりだな
自分からソース何も出さんやん >>518
こんなもんとか言うけど抜けて売れてね?
SFCで出たスト2系はともかくさ >>520
こう見ると国内じゃSF2の次点に来るんだな
鉄拳2、3より売れてるのは正直意外
まぁ大量出荷による価格下落もあるとは思うけど >>519
お前適当なこと言うなよ
ここ1時間で一番ソース出してるの俺だと思うぞ(2回) 当時、ゲーセンで鉄拳やってるのなんてシングルプレイばっかだったような
その隣でVF2筐体はひっきりなしに対戦で待ち客がいつも居たような状態だった
スリーボタンって言うのとコマンド入力が簡単なこともあって、格闘ゲーやらない奴とかもプレイしてたし
鉄拳が素人に受けてたとか、無いわ まぁFF7の発売決定でCMバンバン流すのはソニーしかできんだろう。
1年前のクリスマス前だった気がする。
セガはせいぜいゲーム雑誌の紙面やTGSとかでやるぐらいの通常スタイル。
100万台はサターンが先で、PSはいくぜ100万台(CM時は100万未満)
こんなプロモーションはすそう思いつかんわ。 >>524
文字化けで全然読めんがVF2は130万位いってなかったっけ?
>>525
そんなのみんな一緒じゃん
むしろこのスレでソース2回も貼った俺を誉めろ 選んだのが、それだった(プレイステーション)。
それ(セガサターン)じゃなかったんだ。
任天堂までのだいへんに買った感じ。
ああ、やっぱり負けるんだこれ。
負けるゲーム機好きだな。
そんな感じ。 >>524
つうか話ずれてるな
俺が見たいといったのは鉄拳TAGだったはずだが こういうスレ立つといつも
知ったか妄想で大ウソ語り出すバカが沸くな >>524
見直したらこれ漢字が混ざってるな
ひょっとして文字化けはハングルか?
このスレの論点では日本での売り上げのソースでないと意味が無いんだが ー次世代機ー
セガサターン:メガドライブの次の世代機
PlayStation:どこの次の世代機?←数年後の答え、それはスーパーファミコンの次の世代機
NIN64が64bitに行ってスーファミの次とはいえないくらい変化したから
96年末ごろにPSは名実ともに「スーファミの次世代機」の冠を手に入れた 当時をリアルタイムで知ってるから、鉄拳の方が売り上げ↑とか無いわ
間違いなく社会現象にもなってたVF2の方が売れてたよ >>528
お前のソースは発売時期を書いただけで売上データとそのソースなんか貼ってないだろ
あと、96年までの累計て言ってるだろ
130万は総合売上
もう少し96年のセガ売上を拾うと
24位:ナイツ/39万2383本
26位:VF2/37万3926本 96年までの累計104万9968本
27位:FV/サクラ大戦/35万9485本
24位以上はPS、N64、GB、SFCタイトル
FF7の発表の影響がとか言うがVF以外ろくなソフトがないだけ >>533
ブラウザのテキストエンコーディングぐらいかえろよ
そんなのも判らんのか >>537
そこで区切る必要はなかろう
今でも売れ続けてるタイトルならともかく
そこまで古いタイトルなら最終結果で比べればいいだけだな >>537
まあ、売り上げデータについて語った書き込みに対して付けたレスじゃないからね
書く必要が無いことまで描くほど知識自慢する趣味はないので
あと論点はFF7発表の影響だから96年のSSのソフト売り上げ貼られても
「ふ〜ん?それが何か?(鼻くそほじほじ)」以外の反応ができないんだから
ところで鉄拳TAGはVF3にそんなに大差で勝ったのかのソースplease >>538
すまん
最初わざと変なデータ送ってきたのかと思ったがそのあと漢字が見えたのでハングルかと思った
しかし君は論点と全然関係な96年のSSソフトの売り上げに何故そこまでこだわるのかね
ひょっとしてFF7アンチ? >>539
判ってないな
当時の時勢的な売上データが重要なんだよ
お前が格ゲなんて基本新作が出たらユーザーはそっちに移行する
PSの場合は鉄拳のユーザーがシリーズ作や派生的タイトルにスムーズに移行している
SSの問題はVF2の受け皿になるソフトが現れないで結局DCのVF3まで待たなくてはいけなかった
97年に販売したラストブロンクスなんか売上100位に入ってないんだよ
http://geimin.net/da/db/1997_ne_fa/index.php 95年までSSが勝ってたとか言うが結局それまで買ったユーザーが何処に行った?
FF7の発表がどうとか言い訳するが95年で旧世代でSFCとあまり変わらん
結局SSには継続してソフトを買う層が育ってなかっただけ
VF2買って満足しちゃんたんよ ナムコはPlayStationでのリッジを4作、鉄拳を3作、エースコンバットを3作作った
セガもバチャファイとかパンツァーとか頑張って3作までいけば
サターンの限界の壁を超えたなにかに到達できたかも
4メガ拡張RAMをセガも使ってみるとか 問題の97年
http://geimin.net/da/db/1997_ne_fa/index.php
この年は本当に異常でポケモン、FF7、ダビスタ、FFT、サガフロ、みんGOLとミリオンがゴロゴロした年なんだが、
セガの最高順位が27位 新世紀エヴァンゲリオン 2nd impression 38万7002本
SSタイトルとして最高が22位 スパロボF 46万4169本
96年に2万に価格落とした白SSでテコ入れしたのにこの有様
セガ自身が一般受けするタイトルが球切れしている いくらバーチャ2とはいえ格ゲーセガゲーだけで勝てるほど甘くはないわな ・バーチャ2好きだけど家庭用買うほどではない層
・バーチャ2家でやるくらいだったらゲーセン行くよ層
・計算するまでもなくソフトもハードもスティックも余裕で買えるくらい
ゲーセンのバーチャ2に金注ぎ込んでるよ層
・アストロシティ買ったよ層
こういう人たちが多かったのかな 97年はエヴァTVシリーズが社会現象化した時期でスパロボF(エヴァ参戦)とセガのエヴァゲーはヒットした
キャラゲで50万近い売上なんて当時からしても驚異的なヒットだよ
でも、そこで息切れしてる
プロサッカークラブをつくろう!シリーズとか30万クラスはヒットはあるけど、
SCEはGTやみんGOLといった定番タイトルを出してヒットしている
セガ自身がVFに依存し、ハードの逆ざや問題が表面化し、PSの値下げ攻勢に耐えられなくなった悪夢の時代に突入していく DC発売した98年
http://geimin.net/da/db/1998_ne_fa/index.php
セガ最高売上タイトル 25位/サクラ大戦2〜君、死にたもうことなかれ〜 50万9091本
セガハード最高売上 23位/スーパーロボット大戦F完結編 51万3782本
PSは前年に出したGTがじわ売れでミリオン、鉄拳3やバイオ2もミリオン
任天はGBでポケモン、DQMテリー、翌年にミリオン突破するゼルダ
100位内でセガ販売タイトル4本
25位サクラ大戦2〜君、死にたもうことなかれ〜
55位プロ野球チームもつくろう!
71位バーチャファイター3tb
75位SONIC ADVENTURE >>545
タイトル見るとスクウェアがどれだけ強かったかわかるな
そして競馬盛り上がってたんやなぁと 1997年は
1月にFF7で遊んで7月にエヴァともののけ姫を劇場で見て12月にToD遊んで締める
そういう中学生も多かったのでは 極パロと対戦パズル玉でPSが勝つと信じてた。どっちもサターンにでてショックだったorz 64は発売する前にバーチャルボーイが転けて神話が崩れたのも大きいな どっちも発売日に買ってるが、発売当時・・・だとSS優勢だったわね。
当然その頃はソニーにゲームのイメージなんてなかったし。
ハードを買う時のワクワク感、新しいソフト始める時のドキドキ感はあの当時が
最高潮だったと思う。
それまではゲーセンで流行ったゲームが家庭用に移植されても性能的に劣化移植な
ことが多かったけど、SS、PS1になって家庭用がかなり追いついてきた。
またそのちょっと前から3D表現が普及し出してきた、その進化、加えてメディアが完全に円盤に変わった
ことでの容量の増加によってこれまで作れなかったゲームがどんどん出てくるようになった、
ってことね。
後の世代はもうグラが綺麗になっていくってだけだからね。
VRが当たり前にならない限りエポックメイキングにはならんわね。
PS1のバイオ1とPS4+VRのバイオ7は流石に全く別物。 嘘つきばっかりだな
最初はサターンがリードしていたけど途中からPSが逆転
その後FF7発表だぞ 最初サターンがリードつっても、ほとんど誤差程度なんだよな
両方ともに十分売れたんだよ、アーリーアダプターには
しかしその後にゆるゆると買うライトゲーマー層はPSが圧倒的に持ってたんだわ
FF7がどうとか、影響は勿論あるけどFF7の発表前にはとっくに勝負決まってたよ サターンがややリードしてたのは発売日が早かった分のリードを保ってただけなんだよなぁ サターンって小学生のマラソンみたいだったね
校庭だけ全力だった
最後ゴールしたとき、PSの後ろには誰もいなかった ゴールできなかったんだ 実際VF2が出た時にはPS1台売れる間にSSは5台でてたってエピソードも有ったくらい
1年目の年末商戦は完全にSSの方が勢いが有ったそうだよ。PSはリジレボくらいしか弾が無かったし PSが最終的に勝ったけど、VF2が出た年末はサターンが勝ったのは事実だろうに
その後、FF7で差が開いた
これが事実のに、年末もPSが勝ってたと主張するキチガイ死ねよカス FF7発表が来るまではSSが買ってたとの主張がいつの間にか年末限定で勝ってたにはなるのかw
本当に都合良く記憶改変するなw FF7をPSで、ってスクエニが決定する時点でPSが勢いで完全に勝ってたんだろ?w
バーチャデイトナセガラリー…目玉ソフトがことごとくゲーセンのSEGAゲーじゃあライト層はついてこんし
実際コアゲーマー層に行きわたった時点でそれ以上の伸びがなくなってたわけだ >>560
実際、あのときはセガ勝利で勝負あったってテレビで報道してたの覚えてるわ
まあ、その数ヶ月後にひっくり返るんだけどw 家庭で本格的なポリゴンゲーの衝撃よりも圧倒的な色数による美麗ムービー()に衝撃を受けた その手のテレビで見たとかの記憶自体があやふやだし、当時のマスコミも一時的な情報で報じるのはいつものこと
年末限定ならVF2効果でそりゃ売れたでしょう
SS勝った勝ったと騒いでるのは当時の信者視線でしかない >>567
たしかに違うな
当時のライト層は「TVゲーム?なにそれ?」みたいな層を指してたけど、
今のライト層は「ゲーム?スマホでちょっとやるくらいかな」ていう層を指してるんじゃないかな
でサターンはハードゲーマー、PSはゲームなにそれの人達に本領を発揮していたと PSは新規参入しやすく流通面の整備した以外にもPS1互換基盤を積極的に展開し
ナムコのSystem11を始め様々なメーカーからPS1互換機版でのアーケードタイトルを広げていった
セガはModel2を推していた為SS互換基盤はそれほど展開せず、採用したタイトルでの大きなヒットは無かった
(蒼穹愚連隊とかダイナマイト刑事とか名作はあったけど)
気がつけばアーケードでのPS1互換機が増え、それが素早くCSに移植されるという循環環境が出来ていた
アドバンテージがあったはずのアーケードでもPSに押されつつあったんだよ >>420
そうそう、サターンにはバーチャルハイドライドがあった
バーチャに便乗した安易なタイトル、
フレームレート10ぐらいじゃねっていうカクカクの動作、
T&Eゴルフゲーの技術を流用した間抜けな実写グラフィック
以外は現代のRPGにも引けを取らない先進的なシステムだった 当時のナムコはスターブレードやリッジレーサーと言った大型筐体での3Dタイトルはヒットしてたが
小型筐体でのヒット作に恵まれず、汎用筐体向けや小型筐体での3D対応基盤に模索していた
そこで開発中だったPS1に目をつけSCEと共同でSystem11の開発していった
ローコストのCS互換基盤がアーケードに進出する切っ掛けになっていった 当時はまだ「TVゲーム=オタクがやるもの」みたいなイメージが強くて
TVゲームは一部の愛好家のものっていう意識がまだまだ蔓延してたと思うんだが、
「ゲームはクールでオシャレやで!初心者でも安心やで!女の子でもイケるで!」
っていう明るいノリで普及させようとしてたのがPS
一方、ストロングスタイルでハードゲーマーを集めようとしてたのがサターン
どっちもうまくいかなかったのがN64
量販店に行っても売ってなかったのが3DO >>568
なにそれってレベルはもう年寄りぐらいだったから違うと思うけど
本体が安くなったし買っとこうかなみたいな人たちが当時のライト層じゃないの
プレイステーション19000円ぐらいで安かったからね
最終的には15000円ぐらいになった気がする >>555
キャメロットはサターンでも別レーベルでシャイニングウィズダムという同じように連打を強要する
クソゲーを開発していた スクエアは自社流通認めてもらってたけどいつ頃から話進めてたんだろね
サターンの情勢にはなから興味になかったかもね まあでもかなり賛否両論だったよサタマガとかでも。
叩いて叩いて強くなるってフレーズでサルがボタン連打してるCMだったな。 >>565
当時はムービー自体が新しい技術だったしそもそも「ムービー」って概念がまだあまり知られてなかったからな
だから「え?こんなに綺麗で迫力のある映像がゲーム機で動かせるの?」と素直に驚愕する人が多かったと思う
FFなども雑誌やCMなどでムービー中心で大アピールしてたな
そういう時代だっただけにムービー再生能力が劣るSSや、容量が少ないためにムービーをあまり使えなかった64は不利な立場に置かれた
ただ当時としては歓迎されたものの、当時それがウケてしまったばかりに「ゲーム作りってそれ(ムービー中心)でいいんだ」って言う悪しき風潮を作る事になったと思う
今でこそあまりムービー過多は歓迎されない時代になったが、割と最近まで尾を引いてたと思う サターンは中盤辺りから苦戦が続くんだよなぁ。
これまた不思議な事に、有名じゃないソフトほど面白いソフトが続くという
皮肉な事態に陥るんだよな
レイアース、リグロードサーガに卒業II NeoGeneration、ウィザードハーモニーにデザイアとかw
一方で雑誌特集や広告販促が凄まじかったVF2やらDの食卓、サクラ大戦とかは途中から異様に難易度高くなるとか
異様に崩しにくいソフトだったりw
だけどヴァンパイア・ハンターやストゼロ2はそこそこ遊べた記憶あるな
KOF95は幾らやってもちっとも上手くならなくて挫折したわw
でぇ、PS系は初期はナムコ独占支配がなんだよな
リッジ、エスコン、リッジレボ、鉄拳、ソウルエッジとか
初代カルネージハートなんか超ハマったのに全然売れねーし信じられんわ
でぇ、メジャータイトル化したペルソナ1は糞ロード仕様だったり
肝心のFF7は大ヒットするも俺だけ何故か30分で挫折とかw
ドラクエ7なんかは最初のダンジョンで挫折とかw
俺的には2008年くらいまでPS1放置状況が続くが、この頃になると
100円とか中古激安になって来て、おもしれーソフトが手軽な価格で手に入ってハマったりするんだわこれがw
PS2が出た辺りの当時、気付いた時には双方ともぶっ壊れ、SFC聖戦の系譜をひたすら攻略する日々になる
訳なんだなこれが何故かどーゆー訳かw
でぇ、俺はしばらくの間UO、FF11オンリーに・・・ SSも結構注目タイトルは持ってたんだよな
サクラ大戦、街、スーパーロボット大戦F、ギレンの野望などなど
どれもそれなりに人気は獲得してたタイトルだったと思う
ただこのラインナップだけ見ても解るように、どう見てもマニアック層向けのタイトルである
ライト路線に寄ってたPSとは対称的だ
この時代のSSは奇しくも、マニアック路線ではどうしても限界がありハードが勝つには
ライト層獲得が必要 と言うのを証明してしまったことになる。次代ではセガも任天堂もライト層の獲得を目指すことになる
グランディアはライト層へも十分アピールできるゲームだったんだがなあ。やはりそこはメーカーがマイナーだったからか
宣伝力が弱かったのか。思ったほど爆発はしなかった。評価は良かったんだけどね スパロボFは当時としちゃ声優の声大勢入り、戦闘音楽がアニメの曲使いまくり、
エヴァやらあちこちアニメキャラ総入りで革新的なタイトルだったけど、
まぁフツーは買わんわな。俺も友達に勧められて買っただけだし
げったーーーーぁぁぁぁぁ、とまふぉぉぉ〜〜〜〜〜〜くっっっ!!!
げったーーーーぁぁぁびーーーーーーーーぃぃぃむ!!!!!!
熱血鉄壁必中、ぶれすとふぁいあああああーー〜〜〜〜〜
かっくいいw燃えるぜええぇぇぇぇぇ!!!wガンダムWも使徒も撃破だぁぁぁぁ >>534
少なくともコントローラに関しては一番スーファミの後継機っぽかったのはプレステだったな
あとロックマンX4とかFF7とか後々ドラクエとかスーファミからスムーズに移行してきたゲームも多かった
64でまともにスーファミから移行してきたゲームってゴエモンとパワプロくらいじゃね
そのパワプロもプレステのやつも出来いいから霞むし >>556
発表と発売がごっちゃになってないか?
発表の時点ではサターンリードだよ
PSの売り上げが加速したのはバイオ以降 >>82
3Dが弱いだけでピクセルフィルレートはダントツ、圧倒的に最強だよ
2Dの高解像度げーで真価を発揮するはずだがあまり作られなかった 一応解説を加えると
ソニーが言ってたコアユーザーはソニーが認識してたように基本サターン側にいたんだけど
バイオ目当てにハードごと買ったんだよ
だからサターンの動きはそこで停滞しPSハードの売り上げが跳ね上がった バイオはかなり売り上げに貢献したよな
シリーズ3作でどれだけプレステを伸ばしたのか
マルチ化してたからソニーからFF7ほど評価されなかったのかな セガラリーが出るとこまではサターンが勢いで勝ってたよ、これは疑いない
だがそこから減速
PSはFFが出る事が確定し髭坂口がエニックスをPSに引き込むと宣言
完全にPSのターンに セガラリー面白かったもんなー
俺はリッジよりも断然セガラリー派だったわ >>570
あのゲーム一回が短いから周回しやすいんだよな
独特の面白さがあったわ >>588
最初からセガラリー出せておけば良かったんだがなあ
デイトナも良いゲームではあるが、やはりリッジと比べると・・・ って雰囲気があった 移植の出来としてもセガラリー(30fps)>>>>>デイトナ(20fps)だったし
レースげーで20fpsはきつかった >>576
以前電子書籍で買った『電脳のサムライたち4』という2000年に発行した本によると
95年8月にCIGGRAPHにFF7のキャラが動くCGを発表
おそらくこの時期にはSCEとなんらかの接触はしているはず
当時95年8月の時点でPS1の普及台数は百数十万で心細い状態だった
そして96年2月にライセンス契約と同時にデジキューブも設立て流れ デイトナはマシンパワーに物言わせてデザインされてたから、直線コース多いでポリゴン描画いっぱい出さなきゃいけないしで
CS移植はPSと言えどキツかったと言われてるしな
リッジとかセガラリーはカーブ多めで少ないポリゴンで済んでたから テクスチャー貼ったポリゴンゲーが家で遊べる事が当時は信じられなくてPSのリッジ買ったな
でもリッジは見た目はよく出来てるけど挙動がアーケードと全然違くてガッカリした
でも当時は挙動についてはあまり言われてなかったね >>581
スパロボFはサターン版の音楽、よく出来てたな
PS版は劣化して酷かったけどw >>585
ちょっと違うな
”コアユーザー”を”セガマニア”に変えたら、正解になる いや「ゲーマーならサターン」みたいな雰囲気があったのは事実だよ
PSかサターンどちらを選ぶ?ていう状態の時に、
やっぱりずっとゲームを作ってきたセガの方が・・・と思うゲーマーが多かったのかも >>597
たまさかなるお前の周辺の感想と世間一般を簡単に同列にすんなよw そうは言っても「ソニーのPS」が最初は未知でミステリアスな存在だったのも事実だから
今までずーっとゲームをやり続けてきたゲーマーが簡単に全てを託せるような雰囲気ではなかったと思うよ 関係ないけどなんでレイブレーサーって移植されなかったの
劣化版でもいいからあれを家でやりたかった >>599
最初の年からソフトの本数もまったく遜色なく、ファミコン時代からの有力サードパーティも完全に同列にSSとPSにソフトを供給してたのに? しかし今思えばよく業界新規参入だった当時のSCEがあれだけサードを集められたもんだな
よっぽど久夛良木がやり手だったと見える そもそもゲーム情報などを積極的に集めることがないライトユーザーが、PSをちょっと未知でミステリアスな存在として見るならともかく、
業界の情報などをちゃんと知るようなゲーマーならPSに懐疑的な態度など取らんよ
これからは3Dポリゴンの時代であり、ムービーの時代である!ってのは肌で感じたし
それに特化したゲーム機で、とにかく開発機も安くC言語で作りやすくて〜それ故に新規参入がどんどんやってきているPSすげぇ
って早々に理解できたはずなのがコアゲーマー達なのだから
コアゲーマーであればあるほど、PSが問題なく勝つってのはわかった
逡巡していたのは、それを認めたくても心情的に認められなかったセガマニア
ゲハ戦争 やり手だったのはSCEじゃなくてSME
ゲーマーが本当にセガに集まるならメガドラはもっと売れてたし
仮にそうだったとしてもゲーマーだけじゃ天下は取れん そもそもその「これからは3Dポリゴンの時代」ってのも久夛良木が上手く
プロモーション掛けてPSが得意な分野に誘導してった結果にも思えるな
まあそもそも3Dポリゴンなら64の方がずっと得意だったはずだが、64が出る時点ではもはや相当差が付けられてたからな >>596
そのお前さんが言うセガマニアをコアと定義したのは俺じゃなくSCEのエロい人だからな
PS2中期以降ライトを捨ててまで露骨に拾いに行ってたろ?
隣の芝生じゃないけどとにかく羨ましかったらしい 94年はあれ、ストリートファイターUと餓狼伝説の映画で
小学校の校門で安くなる券もらってドラゴンボール映画気分でいったら
チュンリーと舞がおっぱい出してた
ドラえもん映画気分で行けばよかったか 講談社の覇王と小学館のゲーム・オン!どっちも買ってた
ゲーム・オン!は右綴じでマンガや読み物と相性良かったと覚えてる インテリジェントキューブを
100万本売ってしまう広報力は
すごかったな >>586
バイオは結構ジワ売れだったと思う
2で爆発したがFF7に比べると1は地味な印象だったのかも
>>603
たかがゲーマーに期待しすぎ
ゲーム雑誌からしてライターにハードの知識が書けてたのに
ゲーマーなんてその情報丸のみにしてるのがほとんどだろ
みんなコロッと6600万ポリゴンに騙されていたし
>>609
期待作でもないのにCM流しまくりで根性だけでミリオン行った「みんなのゴルフ」
のほうが「何事?」と思った この頃は平和だったなぁ
お互いクソゲー掴まされても同情し合って仲良く語ってたよ、今みたいにゴキチガイなんか居なかったと思う、ドリキャスからキチガイが暴れた >>612
あの時代は正直3D初期と言う事もあって、今思えばわけのわからんクソゲーは多かったと思うw
それでも3D自体が珍しい時代だったから重宝されてたね プリレンダ詐欺なつかすぃ
この「ムービー詐欺」アレルギーがPS3中期くらいまで続くんだよなw
「高画質すげぇ!圧倒的!」買ったら実は高画質はムービーでした
プリレンダ詐欺もう騙されねーぞ!!!というw
サターン陣営の方はそういうレッテルはなかったんだけど、
敵も味方もフルポリRPGというFF7の表現力には勝てなかったんだよなこれが
CD媒体を採用しながらも結局そのハード特性を生かしきれなかったのかもね
まさに当時の山内会長のCD読み込みウザい採用不可、という名言は
サターン陣営にのみスッポリ当てはまってたのかも
ゲームしながら非同期バックグラウンドの予測先読みCD読み込みという
凄い無茶をやって、やっとなんとか遊べる物になったんだよなぁ 初めて自分の金で買った本体で1番次世代への進化を感じた
家でVFのアドバタイズデモが見れて感動した SSもSSで活かしてたとは思うけどね
サクラ大戦なんてCD−ROMじゃないとまず成立しえないゲームでしょ?
でもやっぱ当時の風潮としてはポリゴンの方がウケたんだよな。一言で言えば流行りだった VF1もポリゴン欠けがリプレイで結構あったけど
雑誌には一切出なかった。
まぁゲームに関係ないと言えばそれまでだが。 サクラはなぜか途中で挫折するんだよなこれがw
サターンの性能だって悪くなかったし面白いソフトは
面白かったんだよ
スト2専用といわんばかりの6ボタン、バンパイアハンター!
psコンと違ってモリガンプレー、ジャブフレイム(昇竜拳コマンド)が
ちゃーーーーんとスイスイ出せるんだわこれがw
ロードもまぁ激遅ではなかった気がするけど
でもウィザードハーモニーとかの育成シュミにギレンがやっぱ面白かったよねw そうだね、PSのポリゴン裂けも雑誌には出なかったな >>617
俺はリミックスの時にサターン買ったがVF1のポリゴン欠けのことは結構早い段階で知ってたぞ
ネットも無かったし雑誌以外に情報源が無いはずだしポリゴン欠けについては記事で見た覚えがある
VFのエンディングなんて元々地味だしあまり気にされなかったのだろう 知り合いの家にいくと、まともにスタンダードにPS使ってるやつ一人もいなかった
みんな縦にしたりして使ってたなw >>618
元々スト2用に作られたMDの6ボタンパッドが元だからね
PS2で格闘ゲー買っても結局方向キーの操作性がひどすぎてほとんどやらなかったなあ >>622
オレのPSの操作性不満はPS4でようやく改善されたわ
PSで格ゲーするにはスティックが必須だった VF2は少しやったなー。ポリゴン欠けナニソレ?そんなん知らんわ
ジャッキーのビートナックルとか遊びやすくて爽快だったわー
ssps時代だと格ゲーはストゼロ2に最後は収束すんのかなー?という
感じ?
でもKOF95にしろVF2にしろストゼロ1にしろストゼロ2にしろ、
CPUやたら強くって軒並みぜんぶ積みゲーするんだわこれがw >>623
PSだと昇竜拳でないもんね
でも鉄拳12はコマンドいちおー出るよw
まー今更やった所であんま面白くないけど
サターンやるならやっぱユーノ、デザイア、イブバーストエラー、下級生になんのかなぁ
デビルサマナーもいいけど中盤以降は戦闘が難しいしねぇ。おもろいけどw >>611
じわ売れ(国内200万セール)
アホか >>626
まずは「じわ売れ」の意味を調べよう
確認が取れたら以下の文を読んでね
バイオ1は初動14万とwikiには書いてあるし俺の記憶でも確かそんなもんだったはず
年末ごろには70万とか超えてたと思う
が最終200万は言ってないだろう FF7が発表される直前まではサターン優勢な雰囲気だったのは確実
いろんなアーケード移植に加えて当時は今より影響力のあったメガテンまで出る事が決まってたからな バイオは1の時点でいきなりヒットして話題になったのは覚えてる >>628
PSもだけど半年で100万台越えは当時としてはかなりインパクトがあったと思う
でも1年目はやっぱりゲームファン同士の戦いが中心でFF7発表を受けて
N64も含めて様子見してた層がPSに一気に流れたイメージ
よく覚えていないがパラッパとかPS独自の斬新なゲームってのも2年目以降から出始めたんじゃないかったか? バイオ1のあの口コミ大ブーム知らないのは若いなぁと思う
ラルクとかミュージシャンがすげーおもしろいおもしろいって推してて今考えるとSME経由でミュージシャンにステマさせてたなあれw だからFF7発表前にはPS優勢になってたっての
当時はファミ通でハードの売り上げをチェックしていたからな
SSはソフトは売れるがハードの売り上げは止まっていた >>629
おじいちゃん、夜更かしは毒だから早く寝て
(年寄りには証拠とか具体的に見せても理解できないし、理解できてもそっちがおかしいとか言い出すから厄介だなあ)
新しい医者とか行くと初めもの凄く懇切丁寧に説明されるがだんだんつうか―で話が通るようになる
聞き漏れる声を聴くと年寄りが話を理解できなかったり「もっと楽な治療法はないのか?」と聞いたり(あったら初めから提示するだろ)
ボケまくった話を始めるからまずそのレベルから話を初めて「あ、話通じるな」と思うと情報量を減らす様だ >>632
> だからFF7発表前にはPS優勢になってたっての
その通りだね
PS優勢になってなきゃFF7がPSになってなかったろうし
ゲーマーにしかアピールできなかったSSはFF7発表前にはもう勢いはPSに完全に逆転されてたよ
FF7発表でPSにさらなる大きな勢いがついて完全決着にあいなった、のは事実だろうが
どっちかというとFF7発表でライト層が動いたんじゃなくって(先にもいったがライト層はその前から完全にPSに流れてた)、
FF7発表のタイミングでSS信者が白旗をあげて、彼らもPSを買う事になった…ってのが正しい >>633
はぁ?
お前のデータが正しいかどうかは知らんが、それが正しくても1の時点で大ヒットしてるだろうがw
頭沸いてんのか、お前 なんかソニーとスクエニ揉めてたっけ?
このスレ見ると何としてもFF7の手柄を否定したいって人間がいるが
マニアはSS、一般層はPSなんて具体的な証拠はどんなデータ調べても出てこないだろうに
結果としてPSはFC・SFC以上の売り上げを出したから一般層を取り込めたとわかるだけで
最初からゲームに興味が少ない人間が飛びついたかどうかなんてデータ誰もとってないだろ
つうか1年目のPSでリッジや闘神伝やガンダムみたいなマニア向けソフトほど売れた独自のソフトってなんかあったっけ? >>635
とりあえずお薬飲んで
もう遅いから明日お話しましょう
ちょっとオムツだけずれてないか見せてね
(明日は戦争の話かなあ、戦後の食糧事情についてになるかな) バイオハザードとメタルギアは凄い評判になってたよね.....
ps2の鬼武者ブームといいゲームボーイにポケモン大ヒット、たまごっち
知らぬ間に大ブーム.....
当時から世間と隔絶してますたハイ
いーんだよ、俺にしかわからねーオーバーキルエンジンのソフト開発に
心血を注ぐwこ、これで、いいんだ....... 父ちゃんの精子にすらなってなかったお子ちゃまが
当時の記録も調べもしないで粋がってるのが見てて面白いな
もっとやれ ところで結局さあ、サターンとNIN64は2D描写はどっちが上だったの
サターンには2Dゲームいろんなジャンルで腐るほどある
NIN64には少数ながらも多種のジャンルで偏在する
スーパーファミコンのまま次世代になったとして64bitになればこれはNIN64(仮)のほうが
サターンとかよりも確実上でしょ バイオ1のあの奇跡の大ヒット劇知らない世代がゲハかぁ・・・ パラッパラッパーやトロが朝の情報番組で報道されててライトユーザー取り込むの上手かったなぁ
今の薄ら寒いCMしか作れなくなったPSは何なんだろう バイオ1の口コミ大ブーム知らなかったのはともかく、それならこんな懐古スレに知ったか全開で書き込むなよなw >>640
DCはワープの飯野健司が意味深なD2の広告売ったせいで「次は128bit機か、じゃあDCだな」と思われてただけで
セガは初めから32bit機って雑誌で公言してたよ >>644
おいらっちの言った64bitって数字は別にサターンのこといったんじゃないよ
現実のNIN64はああいうハードだったけど
仮にスーパーファミコンの流れのまま64bit化したらサターンより2D描写すごくなるだろうなってことと
現実のNIN64はマイクロコードの書き換えで最強の2Dマシンにもなれるってふれこみだったから
実際どうなのかと思ってね 我ながら言葉足らずにもほどがあるな
ゲーム機としての性能はCPUのbit数で決まるわけじゃない
そもそもSFCとSSじゃスプライト表示数もBG面の数も縮小拡大・回転できるBGの数も全然違う
SFCをそのまま64bitCPUに変えてもCPUの性能もて余すだけ
(但しSFCは表示スプライト数にCPU性能が全く追いついていなかったと言われているが) >>611
バイオ1は口コミじわ売れの見本みたいなタイトルだったと思う
ウチも会社の人に勧められた親父が買ってきたとかそんなだったような まぁビット長増えてもスケールの大きい数字を扱う際には
高速化するってだけなんだけどね
たぶん恐らくは、内部はロジック爆増スパゲティ回路になり
メンテ不能になってバグで悲劇うんぬんw
>>643
若い子にスーマリワールドとか楽しんでほしーじゃんw ヨッシーストーリーとバンガイオー見ると内容はともかく
映像描写はNIN64のほうがサターンより上か
トレジャー作品がけっこうどっちもあって比較しやすいのも良かった >>647
「みんなのゴルフ」みたいな無茶苦茶なCM攻勢かけるでもなく自然と広まっていった感じだからね
つうか当時カプコンが特撮ヒーローものを単独スポンサーで放送していたんだが
それほど宣伝する商品が無かったのかバイオと一緒に1年近く前発売のSSのX−MENまでCM流してた記憶がある
その時間バイオに回しても良かったような気がする PlayStationは次世代のPlayStation2が発売した後も
PSoneとはいえ初代PS系のCMをし続けてた
電気屋だからか「本体」だけのCMを何年もやってるのね
https://youtu.be/pOwNcOWmR6g
https://youtu.be/yubJ5Xwf80I バイオは96年3月22日発売で昔のファミ通見てみたら集計期間96年9月23日〜29日で週販8451本累計825281本だったわ
同じ週で初代ポケモンは週販22361本で累計669078本だった
バイオもポケモンも新規のゲームだからジワジワ売れて大ヒットって感じだな
新規のゲームでじわ売れでヒットが生まれたのは大きいね >>652
はわ〜
ポケモンってGBがもう末期って言われてた時期とは言え初年度そんなもんだったんだ(注:ポケモンで2次ブームが来たのは勿論知ってる)
なんかCMとか滅茶苦茶やってて任天堂ゲームとしてもマリオやゼルダ以上に別格の扱いされてたような印象だったんだが マザー2も異様にCM流してたな
あのヘンな歌と糸井のキャッチコピーがいまだに忘れられない 個人的にゲーム機の価値はそこから何が生まれたかで決まると思ってるから
プレステはバイオが出てきただけでも認めてるんだよな
んでその基準ではwiiuはイカだけでも認めるし
新しい看板がまだ見えないPS4やswitchは評価保留中 じゃあDの食卓を産んだ3DOと
ナイトトラップを産んだメガCDも神ハードだな PS1は馬鹿なメーカーの上層部がアニメキャラを技術も無いのにポリゴン化させるせいで
しばらくはセガサターンがキャラゲー・ギャルゲーの主流だった
PS1は3Dのアーケードゲーム移植には強かったけどね
ソニーはクラッシュとパラッパ出すまで自社ソフトがパッとしなかったのに勝てたのは
100%ナムコの技術者のおかげ >>656
君の中ではそれでいいんじゃない
同調者がどれだけいるかはしらんが N64は自社ソフトは出来がすこぶるいいのに
ハードメーカーとしては一番駄目だった時期だよ
ガキ狙いだったのにゼルダとマリオに興味ある任天堂ファン中心だった
当時のガキは携帯機はカラーゲームボーイ、据え置きはPS1を選んでた ナイトトラップの斬新さを理解出来ない奴がいようとは嘆かわしい まぁナムコは自社ハードも計画してたってぐらいだし
ソニー側の提案は渡りに船だったんだろう。
PCエンジンのハドソンの情報も聞いてただろうし。 こんなおじさん達がゲーム機で争ってるのか
ゲハてもっと平均年齢低いと思った、30過ぎの人がゲーム機叩いてるとか悲しくなるわ 50代以上もゴロゴロいると思う
ゲハじゃないがブログでのゲハ脳丸出しの馬鹿発言で有名な元プログラマーの岩崎なんかもう60超えてるだろうし
懐ゲー板じゃ日本最初の市販RPGは何かという話題で「アルフガルド」とやらが
「テープやディスクとして売られていないので違う」「プログラムリストで売ってたから十分商品だ」とか
もの凄い話題で喧嘩してたから60代70代もいるかも知れない >>662
ゲーム機、それも据え置き機を語れるなら平均年齢高くて当たり前だろ
そもそも年齢層低い奴は5ちゃんなんか来ない
SNSで同類の馬鹿と馴れ合うかyoutubeで幼児レベルのいちゃもんつけてるかのどっちか 罵ってたりネガキャンしてる連中は仕事でやってる奴らが多数だから
それはまた別の問題 実写取り込みは容量食いまくるので
あんま増えなかった印象。
実写取り込みの格ゲーとかADVがあるにはあったが。
基本はご褒美ムービー。
エヴァのゲームとかムービーを戦闘に使うとかはしてた。 >>652
当時の週間ファミマガだかで毎週2万本くらいでずっとランキングに乗り続けるのが不気味で仕方なかった記憶が
更にその後大爆発するという 当時のPS1の性能じゃFF8やロックマンダッシュでも相当頑張ってる部類
鉄拳3みたいに光源を上手に使ってグラフィックをよりよく見せてる例もあった
中小は巨大な柱やオブジェだけしかポリゴンにしないメーカーも多かった MYSTやりたさに発売日にVサターン買ったわ
ただ本命買いではなかった
任天堂の次世代機が天下とると思ってたから
あくまでサターンは繋ぎとして買った >>653
ポケモンはコロコロで取り上げられ始めて第一次ブームがきたあたりで既に品薄になりまくってて探すのに苦労したわ
あの時代はカセットだから人気が出てもなかなか再販できなかったんだよね >>662
レトロゲーム板の惨状を見たらぶっ飛びそうだなw
たぶん50代オーバーのやつらが10年以上荒らし続けてたりとか知識でマウント取り合ってたりしてある意味ゲハよりひどいぞw FC・SFCと性能厨だった任天堂が3Dゲームという新しい体験にシェアを引っくり返されて
性能至上主義を捨てる原点になったかも。
麻雀ゲームで雀士がポリゴンになっただけでも褒める人が居たぐらい3Dは新鮮だった。 >>673
FCは性能ぶっちぎりだたがSFCは機能は豊富だがCPUとメモリーが遅くて機能を生かしきれない性能だった スマホが“任天堂のゲームボーイ”になる「SmartBoy」が店頭入荷
本物のカートリッジを挿してプレイ可能
https://i.imgur.com/pp0Ogdn.jpg
https://i.imgur.com/Wx7nCWQ.jpg
スマートフォン用の“ゲームボーイアダプタ”が登場、米Hyperkinの「SmartBoy」が家電のケンちゃんで販売中だ。
USB Type-Cでスマートフォンと接続し、ACアダプタは不要。店頭価格は税抜き13,800円(税込14,904円)。
ゲームボーイのカートリッジ用スロットを搭載、5.2〜6.4インチのAndroidスマートフォンに対応
SmartBoyは、任天堂の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」「ゲームボーイカラー」のソフトをAndroidスマートフォンでプレイするための機器。
本体の表面に十字ボタンやA・Bボタンなどが、上部に2基のスロットが装備されている。
2基のスロットは、手前がスマートフォン用、奥がゲームボーイのカートリッジ用。手前のスロットにスマートフォンを差し込んで一体化させることで、
スマートフォンのディスプレイでゲームをプレイできるようになる。ゲーム画面はスマートフォンの解像度にアップスケールして表示されるという。
製品はGalaxy S8シリーズ向けにデザインしたといい、USB Type-Cポートを備える他のAndroidスマートフォンにも対応するとしている。具体的な対応機種名はWebサイトで確認できる。
ACアダプタやバッテリーは不要。対応スマートフォンサイズは5.2〜6.4インチ。
なお、Webサイトで公開されている導入手順の動画によれば、専用アプリ「SmartBoy Companion」の他に、エミュレータアプリをインストールする必要があるとのこと。
https://youtu.be/1zOr2onysnU
https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/1091823.html 当時は熱かったなー。
PS、SSとネオジオCDが店頭に横並びされる様はまさに壮観だった。
だがな。
俺はそれらを華麗にスルーした。
そう全ては32Xの為に。
どんどんデカく不格好に成っていくメガドライブ。
更にアダプターx3発というカオス。
、、でもあの頃が一番楽しかったよ。 サターンの方がポリゴン苦手だけどパンドラシリーズよりPSのオメガブーストとかの方が
なんかしょぼくなかったか?
数回だけクリアしてやらなくなった
ダイナミックに動くような敵がいないからか プレステのボクサーズロードにめちゃくちゃはまったなあ。自分が世界チャンピィオンを目指したような気持ちだったわ。 >>611
みんゴルは誰にでもあそべてuiよかったし
触れる機会があれば買う人はいるだろうなとは思った
ゲームショップに体験版くばりまくる意味もあった >>638
メタルギアソリッド1はゲーム性自体はMSX版の2のマイナーチェンジ程度に過ぎないが
CD−ROMを得た事で演出関係がパワーアップしたな。良くも悪くもそれが小島の路線と上手く合ってたんだな サターン勿体無いねぇ。まぁハード構成上、エミュ不可だろーしな
当時、いかに暇人が多かったかを物語る歴史的遺跡みてーなもんだわなw
しかしcpu相当を一体いくつ積んでるんだコイツ....w >>674
新桃太郎伝説とか内容的には凄い好きなんだが、処理は滅茶苦茶重かったな
ファミコンの桃太郎伝説より明らかに重かった。ハード性能上がってるはずなのになんで?って思ってたが・・・ >>682
スパロボF(PS版とは音楽が別物、セーブロードも格段に速い)や
初代ギレンの野望(続編とは違った独自の方式であり続編とは実質別ゲーム)があるから
SSぶっ壊れると、何気に困るのよね SFCがバリバリ現役だったし
サターンはともかくとしてPSとか他のゲーム機と何が違うの?としか
あの時期やたらわけわからんの出てたし >>677
確かにサターンはポリゴン苦手だけどBG画面とか、かなり強力だったしな
回転拡大縮小、自由自在にやれたし、それと組み合わせてポリゴン重ね合わせしたら
PSより豪華な画が作れちゃう
パンドラとかガンダム ブルーディスティニーとかガングリフォンとかね PS発売前9割のシェアを独占してた任天堂が
発売後1割に落ち込んだ
そのすごさがわかるだろう
そして今もPS4 6700万台 スイッチ700万台と似たような状況になっている 時間要素を無視して台数比較で煽るやつに限って
PS3は負けじゃないと主張するからなあ
せめて基準は統一していただきたいものだが プレステのイベントでサターン移籍を発表したエネミーゼロ
今だったら炎上じゃすまないだろうなあ
結果出たゲームがクソゲーだったので(俺は好きだが)
忘れ去られちゃったけど 飯野(ワープ)はメーカーや業界に対してはケンカ上等だったけどファンに対しては誠実だった
3DOのD食の時にとても良い対応をしてもらったのがいまだに忘れられない >>682
サターンのエミュは既に出てる
cpuを2つ積んだ弊害でPS1より遅かったがマルチコアのcpuがPCに浸透して以降動作も問題なく動く
ただ、再現性優先で他のゲーム機エミュのようなグラの補完機能とかはあまり機能しない パンドラ今見ると色々と厳しいな
半透明使えないからメッシュでやりくりしているのはSSゲーで何度見たか
https://www.youtube.com/watch?v=Hak9oQy9uM0
>>690
映画エイリアンや有名SFホラー映画のパクリじゃね?と突っ込まれた際にエイリアンとかそんな映画なんか知らねで突き通してそれまでのファンが呆れた話もあるけどね サターンと3DOはVideoCD観れて
プレステとPC-FXはVideoCD観れなかったんだよな
XboxOne S/Xとプレステ4PROの関係にちょっと似てる >>693
今作るなら半透明なものはBG面に転送して出来るが当時はまだそこまで使いこなされてなかった
その手法を思いついたバーニングレンジャーのスタッフはすげーよ >>694
3DOもSSも拡張機器付けて見れるだけで標準じゃなかったはず
海外(特に東南アジア)とかではビデオCDの需要が高かったらしく海外仕様のPS1では
ビデオCD対応版が出ていたそうな サターンはペパルーチョ出す前に全力でソニック出しとくべきだった ペパルーチョは本当になんだったんだろう
誰に向けて出したんだか分からん 職人的な技術はあっても販売戦略の無いのがセガの魅力でもあった >>693
そりゃ今見ればリッジレーサーでもFF7・8でもきついだろう
グランツーリスモは車種と音が売りだっただけあって当時としてもかなりきつかったが
>>696
Hiサターンが標準搭載だったはず
Hiサターンに液晶画面付けたカーナビなんてのもあったなあ 当時闘神伝で、パッとでの無名ポリゴン格ゲーで半透明機能のエフェクトを使った必殺技をバリバリ使いまくって驚愕した話もあったな
SS開発時は、セガも新ハードについてサードにヒアリングして、まだ2Dゲーが強いから3Dに拘らなくて良いんではないかとの意見が多かったが
鈴木裕らが、3Dをもっと強化するべきとの意見で2Dマシーンに3D機能を付加した形にSSが出来上がった
あと、任天堂の次世代機(N64)の動向もあって、CPUを2つ搭載した
PSの場合はワークステーションをCSに落とし込む形の3D特化マシーンに仕上げていた
結果的にだが時代の流れが予想異常に3Dへ流れ、ゴテゴテで搭載した機能による部品点数の多さでSSが負けて行くながれになった >>700
Hiサターンとかの派生機を標準とは言わんだろ普通 モータートゥーンのマイムなんかも凄かったな
1はスピード感なかったけど >>698
キャラはキモかったが2.5Dげーとしては頑張ってたんじゃね 日立から出てたハイサターンがビデオCD標準搭載だったな
ただし2万円高かった
あとゲーム&カーナビハイサターンなんてのも出ててハイサターンの機能を積んだカーナビが
15万円とかで出てた
こういう誰が買うんだよって価格のゲーム機も21世紀になってからほとんど出なくなったな 頑張ってるのは感じたんだが見た目が地味でな
アクションなのに上下巻ってのもちょっと手を出しにくかった
アスタル買ったわ 正直、セガは日米の内紛で勝てるはずの戦いを落としたって感じ
特にセガオブアメリカは大戦犯
これからサターンを売って行こうって時に32XだのNOMADだの消費者に負担を強いた
結果自社製品で共倒れ
後のゲーム業界に教訓を残した 日本人はメガCDや32Xなんてほぼシカトしてたからたいした問題にならなかったが、
メガドライブの影響力が強かったアメリカとかでは大きな批判を招いたらしいな
セガは一体何を考えてるんだと >>694
videoCDも名前忘れたけど箱対応してるBDの高画質版も一般人への購入理由にならない所もソックリだな 発売前からセガが勝てるわけないという雰囲気だった
ソニーと任天堂の2強だった、大方の予想通りソニーが勝ったけど ビデオCDが普及しなかったのは画質がそれほど良くない上にブロックノイズが発生し安い上に
コピープロテクトがないものだからコピーし放題
だから香港や台湾、東南アジアで浸透したけど日本じゃ広がらなかった >>710
いや、ソニーが勝つとは当時は思われてなかった
ソニー参入時にサードに回った際も、『無謀なことはやめとけ』と言われる始末
当時の雑誌での紹介も、あまり大きな扱いは受けてなかった
そもそもあの当時は各家電がマルチメディアをウリ文句にゲーム機やメディア再生機能に簡易がゲーム性を付けたもの、
レーザーアクティブなど様々なハードが出ていて、PSもその中の一つといった印象だった
王者任天堂とその次の席を何処が取るか?と言ったのが世間の関心でしかなかった 任天堂が強すぎてサードは交渉にならないから第2勢力を欲してたのは事実
PSにもSSにもかなり多くのサードが参入してたしね
ソニーが本命視されてたって話は初耳だwパラレルワールドの話か? いやいや発売当初からサターンとPSが二大対抗ハードとして扱われてたよ
3DO、プレイディア、PCFXと次世代ハードがひとまとめで特集されてる中、最初からサターンとPSは期待感で一歩抜けてた
当然サードもPSにきちんとソフトを供給してたし、ナムコが中心になって盛り上げてた
スーファミがまだ現役だったこともあって任天堂は次世代ハード戦争ではしばらく蚊帳の外だった
PSが軌道に乗ったあとに任天堂が64でリベンジできるのか?という登場の仕方だった PSが注目されるようになったのは闘神伝とガンダムの画像が出てからだと思う
それまではリッジに比べればバーチャの方が知名度高かったしデイトナも動画が出てきないから期待されてたが
タカラやバンダイ如きからこいつらが出てきて結構いけるんじゃないかって感じになったと思う
特に闘神伝は初代バーチャと違ってテクスチャーが貼ってあったから絵的にインパクトがあった
クソゲーだけど 94年の秋ごろにはどこも発売時期が明確になってる中で
任天堂だけいつ出るか分からんってので出遅れ取り戻せるのか怪しいって雰囲気はあったな
その他のマシンではPSとSSが抜けててあとは無理だろうって感じだったな
発表されてるソフトのラインナップで皆判断してたはず まあN64が出るまではSFC>PS、SSだったしな
任天堂は全然焦ってなかったよ PS1のゲーム、値段は安くなったけど糞ゲーが多かったな >>701
その割に2Dソニック出さなかったのがほんとクソだと思ったわ。誰がソニックをダメにしたんだろう。 最初に買ったのはPSだったけど読み込みの遅さがイヤでSSに乗り換えたな
それまでセガハードって触ってなかったからセガのゲームが妙に新鮮だった これからすべての据置ゲームが3Dになっていくのか?っていうあの時代に遊びやすい2Dを残すって選択肢は出なかったと思うよ >>719
北米でまだまだジェネシス(メガドラ)が強かったから、新作ソニックはサターンじゃなくこっちででますよってことにしたかったらしい
隠し玉みたいに温存したかったと言う噂ね
代わりにサターン用にはペパルーチョって言う2Dゲーム出てきたけどなw >>717
まあ発表時あれだけ慌てさせられたMDも日本ではそれほど売れず2年遅れのSFCがFCの後継機になったから
今回も似たようなもんくらいになめてはいただろうね
でもFF7発表の時は「FFは大作ではないしこれからも大作にはならない」というブチ切れまくったコメントしてたけど
>>722
32Xじゃ仲間と手錠でつながれて引っ張り合うどう見ても期待できそうにない微妙なのが出てたような ペパルーチョは間に合わずに分割だしなぁ。
真忍伝やガンダムもだけどCG取り込みの2Dアクションとかはしてたね。
ソニックもCG取り込みのバージョン考えてそうだが
あのスピード感は再現できずに辞めたんだろう。 >>724
サード各社巻き込んでニンテンドウ64はダメだ、ゲームつくるならプレイステーションにしましょうって触れ回ってたから 任天堂はSFCで出す出すと言いながらズルズルと発売を伸ばす商法をして買い控えさせることしてたから
N64もそれに習ってたのもあるんだろ
それだけ前世代機のシェアが圧倒的で本命視されてたから出来た事なんだけどね
今じゃそれは通用しないんだけどね スーファミの時はファーストのマリオゼルダはもちろん
エニックススクウェアコナミバンダイ光栄カプコントンキンハウス等有力サードも
任天堂独占だったからな
それがエニックスとスクウェア以外はPCEやMDの後期辺りにはよそのメーカーの機種に参入したり
PS,SSから参入し始めたりって感じで
スーファミみたいな明らかな任天堂帝国一強体制にはなりそうには思えなかったわ PSのGPUってある意味じゃオーパーツだったな
あの当時じゃSGIなどのワークステーションでも
ポリゴン扱うのに複数のDSP搭載したものを
使用してたのに、(アケ基盤も同様)
それをレンダリングとジオメトリー演算の
両機能を備えた、今みたいGPUを搭載して
登場したのが初代のプレステ サターンに期待しててPSの方にはあまり期待してなかった
まぁリッジは買ったけど
FF7買ったあたりからはサターンが押し入れコースw ニシ君からGKになった人が多いのはこのあたりだろな
SFCまでは俺もニシ君だった 当時まだ世界のソニーだったあのソニーが本気でゲーム機に参入するらしいってことでかなり話題にはなってたよな
あとセガサターンに2D極めたソニック4出しといてほしかったわ
今年になってようやくその夢が実現したけど 当時はRPG主流だからPSのアークザラッドの画像みて綺麗とは思ったけどまだドットから抜けきれて無い感じだったし目新しさは無かったな
アルバートオデッセイ外伝がSFCからサターンにハード変更された時はショックだったわ まさかGsマガジンが生き残るとは当時は考えなかったわ 声がついてムービーシーンがあってスゴイって感じだったよなあの頃は
64は演出面で見劣りしてた印象
容量の都合でPSSSなら声やらなにやら飾れるのになって思ってた
サクラ大戦とかものすごい豪華だったし
けど、時オカムジュラは衝撃だったな
あれのせいで以後のゲームに対する価値観が変わってしまった ペパルーチョを上下分割して出す羽目になった顛末に
セガのダメさのすべてが現れてるね
いったいどういう皮算用をしたら新鮮味もないボリューム不足の
新規IPの続編が売れると考えちゃうんだろう
任天堂なら間違いなく発売延期してでもまとめて出してるよ ワンチャイコネクションをロンチに持ってくるあたりからして覇権取る気ゼロだろ サターンの頃にもしDivxがあったら・・・
CPUが低性能過ぎて動かないかな PSはアマチュアの作品を商品化したり64と対称的だったな
クソゲーや珍ゲーがいっぱいあって面白かった あの頃はどこの誰だか訳のわからん人間が大手から金を持ってくるマルチメディア詐欺師が横行してたな 高城剛とか香山哲とか サターンはロンチにソニック出さなかったのが失敗
後々出したのがナイツで
ゲーム的には悪くな買ったが
やっぱりソニック作るべきだった
その後のソニックRのコレジャナイ感は半端なかった >>701
> SS開発時は、セガも新ハードについてサードにヒアリングして、まだ2Dゲーが強いから3Dに拘らなくて良いんではないかとの意見が多かったが
> 鈴木裕らが、3Dをもっと強化するべきとの意見で2Dマシーンに3D機能を付加した形にSSが出来上がった
ちげぇよ 3Dに拘る云々じゃなくってまだあと数年は家庭用にポリゴンマシンなんか無理だろ、って思ってたら
PSのスペック、仕様が業界に出回ってそれでライバル機がポリゴン機能すげぇ、これヤベぇ!ってなって無理やり3D対応機に作り替えたんだよ
> あと、任天堂の次世代機(N64)の動向もあって、CPUを2つ搭載した
CPU2つになったのは、上記の経緯でPSに対抗するため
こうしないとPSと同じくらいのポリゴン頂点計算性能が出せなかったから
たまさか採用していた日立のCPUがDUAL CPUにできるような仕様だったんで助かった
>>735
64は容量問題のせいでグラフィック的にも重要かテクスチャがショボかったり音がこもってたりしたからなぁ そもそもハード屋に縛られるなんて発想がない
欲しいゲームの出るハードを買うだけ
2ちゃんの一神教に出会うまで俺はプレステメインだった
やっぱピーエスツーチャンネルって正直に名乗ってた方が良かったんじゃねーの?
そうすりゃGCのスレ立てて盛り上がってる奴ら叩いても正しかったになるんだしな 松方弘樹の釣りゲーとかもあったな。
出来はともかく色々なゲームが出てたな。
雪山に登るゲームとかもう一生出そうにない。 >>742
どっちの説もソースが無いよ
2CPUはおそらく情報が入り始めたN64とPS、両方への対策だっと思うよ >>746
SS設計中に64の情報はまだ出回ってないよ、さすがに サターンの売り文句の1つ「64bit級(イメージガール:菅野美穂)」は
N64への対抗でもあると思うけどな
設計後にたまたま32bit×2だったから
宣伝に利用したのかもしれんけど 昔はみんな実機に向き合い遊んでいたのに 今ではエアプが煽り合うだけになった >>748
それは発売後の宣伝時でそ
サターンが発売する時にはN64も発表はあったし、当然意識をしての64bit級(笑)だろうけどそれはサターンの仕様決定時の話ではない
任天堂の新ハードが64ビット機云々っていうのは確か93年くらいだから、もうサターンの仕様はとっくに変更効かない時期だ この時は後発マルチはあったけどマルチが少なくハード毎に差別化されてて良かったね
今はゲーマーくらいしか気にしない画素数やら遠くの景色が鮮明云々で煽り合ってて馬鹿みたい てか任天堂のがむしろ64の仕様決めるのにPSとSS見てからにしたような気がするけどな
王者の余裕でライバル機の仕様を見定めてから動いても余裕だろって思って一年以上発売が遅れた
64が完全にポリゴンマシンだったのもPSの大成功を見たからじゃん? >>751
この時代はマルチエンジンとかで作ってたわけじゃないもんな
それぞれ一から作り上げてた
そうしても余裕な規模&売り上げだったからなー
今の時代はもうそれをやりたくてもとてもできない規模になっちまった…つまんない N64はCPUがMIPSのR4300(64bit)ベースだから
64bit扱いじゃなかった? N64はやればやるほど味が出てくるゲームが多かったイメージ
ムジュラは世に出るのが10年早かった気がするが N64が当時のCSのなかで高スペなCPUを
採用したのは、物理演算やAIに応用
できるようにって感じで載せたのかも
CPU性能
N64(R4300)⇒Pnetiumu90mhz級
PS (R3000)⇒486DX級
SS(SH-2*2)⇒486DX級 電波少年でも64の不調ぶりをイジられてたもんな
松村がマリオ64プレイして「これ面白いじゃないすか!」ってムリヤリN64ごともらって帰るていう茶番だったけど、
あれも宣伝の一貫だったんだろうなあ サターンの最初の構想ではメガドラと互換性持たす腹積もりだった
そこで設計してたらPSの情報が入ってきて、3D特化、それもかなりの高性能って分かって
互換性あると性能引っ張られて低性能になるから、急遽切り捨てて、
それでも3D性能足らないから突貫で二個CPU乗っける仕様に変わったらしい
当時としては物珍しいジオメトリエンジン積んでたから、3倍ぐらいの3D性能差ついたけどな マリオ64と時オカの衝撃は凄かったけどな
次世代感がとんでもなかった
でもPS全盛でほとんどスルーされてた 時のオカリナは確かにすごかった
年中あれしかやってない友人が当時いたけど気持ちは分かる気がする
でもやっぱりCD化の流れには勝てなかったね >>759
メガドラとの互換か、ってことは
当初の予定じゃサターンは68系CPU
使うつもりだったのかな? >>704
アクションとしては良く出来てたな
キャラの方も後に映画でトイストーリーとかが流行った事を考えると
SEGAがもっと上手く宣伝すればもっと売れてたかもな
>>706
ロンチタイトルなのに上下巻分離してたのはやる気を感じないよなw
ある意味その時点でSSが失敗するのを予見してたか メモリーカードが何かわからなくて
15ブロックてなんだよ
15回しかセーブできない消耗品か?と
買う時にはじめてメモリーカードの存在を知ってドキドキした >>760
FF7なんて映像や演出が凄かったと言うだけでゲームとしては何一つ新しい事はやってなかったもんな
本当に新しい事をやってたのはマリオ64や時オカだった
とは言え当時はその映像や演出がとにかく重宝される時代だったんだよなあ >>762
音源制御用に68000搭載してるけど、その名残だろうな
メインCPU用にSH2使うかは決まってなかったと思うけどRISC系のCPU積んで、そっちでZ80のエミュレートかと
ただ、互換せもたすとバス幅とかの関係で、かなり中途半端なスペックになったかと しかし一時期はPS/SSのマルチ結構あった気がする
64だけ除け者にされてたから
サードに頼らない任天堂はこのときはじまったのかと スクウェアのブレイブフェンサー武蔵伝が見下ろしゼルダっぽかった。 キッズ目線だと空気だったのはサターンだな
良くも悪くもコアゲーマー向けのハードだったと思う
64はマリカマリパスマブラが強くてグループ単位で稼働してたから案外目立つポジション
PSはまあなんというか、FFやってる人間は大体割と中高生以上でキッズは案外バイオとかのほうがやってたりだった記憶 >>767
当時64は確かマリオクラブとか言ったと思うがそこでサードが発売予定のソフトを審査し
一定以上の点数の作品じゃないと発売させないという方針を取っていた。アタリショックを防ぐ と言う目的だったそうだ
それが功を奏してか64は非常にクソゲー率は少ない(無論個々に好き嫌いはあろうが)
でも、サード視点からすれば結構とんでもねえ話だよなあw せっかく作ったソフトが出せない、作り直しって事が多々あるシステムはリスクが大きい
そんな事を平気でやれるのはソフトで収益上げなくても良い任天堂くらいのもんで。その任天堂基準を他社にも求めた結果サードが集まらない結果になった
実際SS、PSは3D初期でノウハウも少ない事もあって良く解らんクソゲーも多かったw
しかし枯れ木も山の賑わいと言うようにやっぱそれでもソフト多い方が盛り上がるんだよね。それにその中からバイオみたいな新たな人気作も生まれる訳で
結果論から言えばそっちが正解だったんだな >>770
そのせいなのか知らないが今でもニンテンドーチェックがゲハでも都市伝説的に言われている
つーか任天堂はwii時代もなんかどこか厳しくて、64時代というかsfc時代の空気みたいなものが残ってて
ガチで軟化したのはswitch時代からというか チェックが厳しいってことにして
N64の開発難易度、ROMでバンバン出せないリリースの少なさを
隠れ蓑にしてただけじゃね。 95〜01年のころの記憶(キッズ目線)
SFC→言わずもがな覇権、00年くらいまで半稼働の家も結構あった気がする
PS→FFDQなどの効果でユーザーはSFCからの乗り換え組が多かった記憶、そのせいか64よりは高齢、SSよりは若いユーザー層だった
FFは案外キッズ組からは受けてないというかあまり遊んでる奴はいなかった記憶
PS2→FF7で買われたPS1がへたってきた、64もそろそろ色々限界という超いいタイミングで登場した記憶
SS→大人向けハードというか子供ウケは悪かった、セガなんてだせーよなのpも当時のキッズ目線だと納得、三四郎の存在感は半端ない
DC→SSと比べてキッズ向けの宣伝を頑張ってた記憶、効果は不明
64→PS1やSSと比べて手軽な3人以上の対戦ゲーがそろってたため、多人数集まるキッズ需要が強かった、パーティーゲーとキッズ、サードなし、任天堂の定番タイトルが一定の間隔で売れるという任天堂据え置きの文化はこのころからかと
GC→スマブラ
GB→ポケモン専用機、たまに遊戯王、GB+据え置き1台が基本的なスタイル、これが崩れたのがDSPSP時代から、switchはある意味DSを引き継ぎつつもこの時代に回帰してる気もする
WS→宣伝量は多かったので知名度はあった、持ってたやつはクラスで2〜3人
NGP→cmにインパクトはそれなりにあったが、肝心のハードを認知させる効果はなかったと思う、p見た記憶はあるがNGPはある変な広告で初めて知った
3do→売れなかったがp爆撃してたのでマイナーハードの中では目立ってた
プレイディア→某番組のおかげでかろうじて
PCFX→キッズ向けではなかったせいかキッズ、一般人が見えるところでの広報をやってたんだろうか、俺は記憶にない
ピピンとかジャガーとか→全く知らん >>770
N64のサードが少ないのは一番は開発機材の値段でしょ
シリコングラフィックス社のワークステーションが一台、1000万円以上
PSの開発機材なんて200万円って言うし
それに加えて、ゲームハードなんて手掛けたこともないからハード構成が難解極まる変態仕様
当の任天堂さえ研究開発に手こずったと聞くし
更にゲーム用のライブラリソフトが(ゲームで使うためのプログラム集)任天堂から一切、提供無かった
PSはこれのお陰で、かなり作りやすかったとも聞く
だらかサードは自力でハード解析して一からプログラム構築しないといけなかった セガよりナムコファンだったのでアーケードからの移植に狂喜してプレステがサターンに負けるとは思わなかった
プレステでジャンピングフラッシュとか色々遊んだ後に64が出て
あまり期待してなかったら、マリオ64の完成度に驚いた記憶
プレステは色々素人臭く、任天堂の作り込みにビビった
ただマリオ64は、テクスチャが荒く、
見た目の綺麗さはプレステが勝っていたので
一般受けはプレステの方がするなと思った >>767
少なくとも任天堂ハード買う層がサード買わなくなったのはそこからだな
いくらハードが売れても任天堂のゲームしか売れなくなった 当時はまだゲームの事に詳しくなかったから、
PSやサターンのCDゲームが64のカートリッジで出せないのは当然
とか思ってたけどそういう問題ではなかったんだよな・・・ 珍しさからプリレンダムービーがウリのひとつになってた狂気な時代
64は容量の問題でこれが出来なかった 全然盛り上がってなかった
ゲーム機といえばファミコン(任天堂)という感じだったからな(´・ω・`) まぁファミコンはブームだから熱量違って当たり前
ユーザー的には色々出てきて楽しかったよ PSとサターンが真正面からバチバチやり合ってるのは楽しかったよ
それまでは任天堂が強すぎて、ハード同士のド派手な抗争なんてなかったからな
アメリカでは一足早くSNES(スーファミ)とGenesis(メガドラ)が天下分け目の戦いをしてたようだが SS・PSの頃はバーチャ2ブームも重なってワイドショーとかトゥナイトとかおっさんおばさん向けの番組でも
しきりに取り上げていたな
DC・PS2の時もそうだったがPS2発売の時がピークでそのあと下火になりPS3が騒がれたのは発売年の年末だけ
しかも初動10万台だっけ? 当時から任天堂好きはPSだけは絶対にやらんって感じだった
PSユーザーは任天堂に興味ないって言う一方通行な関係 >>783
あんな6万円超えるハード売れるわけねーよw
PS3の発表会の時に、価格を初めて公開したときサードの奴ら口あんぐり状態だったらしいじゃん このスレをざっと読んでみるとPSは一般向けとか綺麗とかフワフワした言葉しか出てこないのは
ここの人たちは全く触って来なかったんだろうなって感じだな
逆にサターンの説明は熱いw PS3の場合はガチでハードの数が揃えられなかったからな
対してwiiがバカ売れしていたのもあって印象が更に悪くなった
結局地デジ移行でHD環境が各家庭に浸透していくとPS3の売上が上がっていったんだが
DCも生産上のトラブルから本体の数を揃えられなかったんだが、
不幸なことにPS2がバカ売れしてしまった上にDVD再生機としても破格の値段だったもので
あっという間にシェアを奪われてしまった
もしブロードバンド環境がもっと速くて、電話回線モデムでなくLANを内蔵していたら違ったのかな PSはソフトがばらついていたからユーザーは多くてもこれはやりこんだってのは少ないかもな
つうかこのスレの人間はあんまりFF好きそうじゃないし
実際俺がPSで一番遊んだのはナムコミュージアム、PS2はタイトーコレクションだったし(PS2だとゼビウスがバグったな)
つうかタイトーコレクションのためにPS買った
あと鉄拳とかタイムクライシスとか初期の対策はセガのヒット作の後追いのイメージが強いから
そのソフトの為にPS買うというよりは勝った人がそれで満足するイメージ >>787
PS3が売れ出したのは値下げ効果でしょ
それでも一般に普及したという程ではないけど
一般層相手にDVDとブロードバンドじゃ流石にDVDが買ったと思う この手のスレはPSへの恨み言スレになるね
勝てなかったって言葉がよく出てるのは自分らでも気がついていなさそう >>277
逆にその年代は時オカ経験は皆無でBotWで3Dゼルダ初経験という人間が多そうだな つかこの当時はハード複数持ってた人ばっかだったろ
どれか一機種とかの方がレアだった しかしスレを見てるとな…
PSのゲームは凄くない何もやってない
任天堂は凄いサターンは凄いこればっかでな
まあ気持ちよくなってるところ邪魔したのならすまない… >>794
サターン買ってゲハにかじりついてる奴がみんゴルやグランツーリスモ評価するわけ無いと思う
PSでレースゲームって言ったらリッジレーサーか首都高バトルだろうし まあ今のゲハ住民は箱信者と任天堂信者がメインだからってのもあるか >>796
グランツーリスモって当時凄い人気あって売れてたの知らないんだろうなぁ >>798
知らんわけないだろ
車種の大さとそのエンジン音の再現度が売りでゲーム画面はせこくて典型的な非ゲーマー層に
アピールしたゲームだと思って挙げただけ
若者が車に特にステータスを感じなくなってガンガン売り上げ下げてるし
みんゴルも同じ
なんせ開発がMD・GGでクソゲー連発してたのにMDの看板作品のスタッフ引き抜いたとSCEが大々的に宣伝して
(実際評価高いのは共同開発の会社で友人にシャイニングフォース2買うと言ったら開発会社が違うからやめた方がいいと言われた)
究極のクソゲー(と聞いている)ビヨビヨを大々的に販売してワープ怒らせたキャメロットだし グランツーリスモってゲーム自体はそんなつまらないわけ?
俺たちが当時のGTを評価するわけがないって自信満々に言われても… >>800
なんだやってないのかよ
グラ汚いし挙動不安定だったぞ
まあ、馬脚を露したな
やっぱ寝よう みんごるもGTもFF7もそんなダメなゲームだったのか…
PSなんで売れてたのか分からんなぁ >>800
今見たらそりゃゴミみたいなもんだけど、身近な実用車で走れるってのは他に無い楽しみだったよ
当時学生だった自分の周りにも買ってるやつ沢山いたわ >>784
今のゲハの縮図がもうそこで出来上がってたんだな
あの頃ライバルはセガで任天堂はオワコンだった プレステはMODチップ、サターンはセロテープ使うだけでコピーCDが動いたのをこのスレ見て思い出した。 >>784
そもそもPSユーザーなんてゲームファンじゃなかっただろ
パラッパみたいなクソ詰まんねーゲームやって喜んでた
ゲームオタはサターン、一般のゲームファンはずっとスーファミやゲームボーイやってた
時代も違うから比べられんけど今に例えるとこんな感じかなあ
サターン=PC
プレステ=ソシャゲ
スーファミ=CS 任天堂64って名前とコントローラーがダサいって言われてた 64は実はめちゃくちゃシンプルなハード構成で
搭載されているプロセッサは4っつしかない(PSは11個、サターンは20個)
結果製造コストがかからずハードだけで利益が出せる状態だった
というか任天堂がハードで逆ザヤやったのは3DSとwiiUだけ
あのバーチャルボーイですら赤字は出してない、一応作った分は売り切ってすぐ撤収したから >>803
みんゴルは良作だよ
GTは光源の処理がきれいって印象しかないけど みんゴルはむしろ大容量で派手な演出がするのは良いと言う
方向性になってたゲーム業界において、それとは正反対のシンプル路線で出して売れたと言う
むしろあの時代の流れに逆らってしかもちゃんと売ったと言う貴重な例だろう
今となってはもうマンネリですけどね GTは実在する車をあれだけ大量に収録し、当時無茶なヘアピンカーブをドリフトでなんでも曲がっちゃう既存のレースゲーとは対極的に
シュミレーター的要素で実在の車と同じ感覚で操作しないと駄目というコンセプトが受けた
環境マッピングは勿論、ワゴンホイール効果も再現して見た目のリアリティもあってかゲームに興味持たないリーマンが店頭のデモ映像に食いついて見てた
車の収集は勿論、更に車のカスタマイズが当時としては異常に細かく出来るのもあって、クリアしても更にやり込む要素もあり
息の長いロングテールで売れる要素があった
GTのヒットでニッチジャンルだったドライブシュミレーターレースゲーが他社からも大量に出るようになり、セガ自身もセガGTをだしてたりする
逆にアーケード系のレースゲーがどんどん追いやられていき、それらを得意としていたセガ・ナムコのレースゲーに陰りが出てきた GTは俺はダメだったな。操作難し過ぎてな。もっと手軽にやりたい
少なくとも人は選ぶだろう アーケード互換基板なんてものを作ったら将来アーケード業界が廃れる時が来ると当時の業界関係者は思わなかったのか >>816
アーケード互換基板とアーケード業界の廃れは関係ねーよ
むしろ延命に役立ってくれたわ 今はCS互換基盤よりPC系基盤に取って代われれてるしね
もう、各社独自のアーケード基盤を作るのはコストも技術も厳しんだよ プレステ、サターンもワクワクしたけど
SFCの発売が一番ワクワクした >>746
サターンの2CPUは日立側の証言があるよ。
http://web.archive.org/web/20150417010407/http://japan.renesas.com/products/mpumcu/superh/related_sh/theme/story/06.jsp
> セガ・エンタープライゼスが,SH-2の演算性能(25MIPS)では次世代ゲーム機には不足だと言い出したのだ
(略)
> SH-2に組み込んでおいたマルチプロセサ機能を使えば,2個のSH-2をつないで動かせる。こうすれば先方の要求を満たす性能が実現できるはず
(略)
> こうして,セガ・エンタープライゼスの次世代ゲーム機「セガサターン」には2個のSH-2が搭載されることになる
まあ不足だと判断した根拠までは外部には言わなかったみたいだけど。 >>815
俺も話題になってたから買ってやってみたけど、全然おもしろいと思わなかった
レースゲームって挙動がリアルすぎても爽快感みたいなのが無くなって、つまらなくなるね
セガラリーとかその点、リアルとゲームの中間で上手いこと調整してるなと思ったわ
後から出たDirt2も同じ感じで、これはメチャクチャはまった あの頃のプレステの雑誌は付録で体験版詰め込んだディスクとかあったよね。
風のクロノアは体験版やってから正規版購入した。 SSの梱包は従来タイプの成型モールドに本体や周辺機器を入れ箱に収めるスタイルだったが
PSの梱包は今も続く仕切りで固定するコンパクトにまとめるスタイル。
アレは意外と衝撃。
SSも100万台キャンペーンから変えてきたし。 >>813
みんゴルはマンネリのせいで凋落したんじゃなくて、
DLCや課金要素でボッタクろうとしすぎて自滅した感じだけどな
最新作でもその点を痛烈に批判されてるし何を考えてんだと思う 値下げ競争が進んだ一時期、どっちの箱も現在では考えられないほど地味になってたな
カラー印刷じゃなくなってボール紙に単色印刷みたいな 外箱の経費削減の究極はネオジオCDZだと思う
露骨にダンボールって色の外箱に白と黒の線だけで印刷
しかも箱の表面見ると黒いゴミみたいなのが大量に目に見えて
どれだけ安い再生紙使ったんだって感じ
ゲームボーイからPS2時代辺りまではシンプルというかコスト削減した感じの箱が多かったな SH-2って登場時期の割りに性能低くない?
それより先にでた486DX(1990年)でも30mipsはあったのに >>827
486でサターン並みの表現が出来たらたいしたもんだ グランツーリスモは当時のアーケードよりなカーレース好きには
あまり人気なかったかもしれないけど
違う需要を掘り起こしてるし
好みの問題といえる >>827
組み込み用のワッパ重視チップだからな
486とはそもそも設計思想が違う >>828
486って486DX2あたりなら、単純な性能じゃ
SH-2とかR3000あたりと同等以上だぞ?
そもそも、プレステやサターンはポリゴン系の
チップを載せてたから、」あの3Dができたわけで
SH-2 1994 25mips
486DX 1990 30mips
Pentium1993 100mips サターンには基本的にポリゴン向けのチップは無いよ
あれはスプライトの化け物
変形でポリゴン代わりに出来るレベルのね >>832
あ、そうだったな、
でも、それSH-2を2個で3D演算できたのなら
486DX2〜Pentium66MHZあたりでも
できたんでは?
(両方とも50-100mips)
SH-2と486/Pentiumでどの程度のFPU
性能だったかは知らんけど 性能差の程はわからんけど、実際昔のPCも3Dアクセラレータ出るまでCPU描画してたよな
DOOMもDecsentもそれやろ >>836
まず消費電力という要素を考えると比較対象じゃないんよそれ
セガサターンはあれだけ積んでトータル12w
486DX(66MHz)を積んだPC98は65w
今で言えばcore-i積んだPCとスマホを比べてるようなもん >>837
初代の箱の時でもあったが、昔のインテルは
ゲーム機みたいな組み込みは利益率悪いって
ことで乗り気じゃなかったからね。
ちなみにPCが486DX〜Pentiumあたりの
時代にアローンやコマンチェなどの初期の
3Dタイトルやフライトシムなんかが出てる。
あの当時のPCは3D系のGPUがなかったから
3D演算の殆どをCPU任せでやってたけど、
それでも、あそこまで表現できたわけで
ニードフォーやトゥームレイダーなども初期は
DOSのゲームだったはずだが そもそもSH-2で2Dマシンだったんだから
CPU変えればうんぬんとか意味が無いぞ。
最初の設計思想がズレてたんだから。
それに当時のインテルにゲーム用でCPU売ってくれとか聞くわけがない。 今時はCPU内にGPU組み込んでるけど。CPU部分だけの
演算性能で、ポリゴン処理したらどのレベルまでできるんだ?
Core-i7のIbyブリッジだかの世代でCPU部分のFPU性能は
60Gフロップスはある、PS2レベルの3D表現ならCPU単体でも
できるのかも いまのCPUなら純粋なポリゴンだけなら余裕
シェーダーがキツい ttp://ichigo-up.com/Sn2/download/1511146131.txt
PASS:NEXT
発売までの様子…といっても、購買力のあるマニアの集まりだけれどね そういや、初代PSのCPUって同じダイの中にR3000と3D演算用のチップを
組み込んだ。今のGPU内臓のCore-iみたいな設計だったな。
その一方でインテンが試験的に作ったi960は「命令セットの中に
CADなどで、使う3D系の命令セットを組み込んでるって設計だった。
※i960はセガのモデル基盤にも採用された。 サターンに出す予定だったソニックの動画あるけど結構おもしろい画面してるね ソニックCDみたいなヤツをとっととサターンで出せば良かったんや
そうすりゃ無用な批判を招かずに済んだのにな >>821
そもそも車のモデリングが雑だしスピード感無いしなんとも言いようが無かったなあ
まあ、スピード感無いのはレーシングカーのゲームじゃないから敢えてリアルを狙ったんだろうけど
俺が持っているレーシングゲームであれより車が汚いのはアトラスの峠・キング・ザ・スピリッツだけだ
これと比べるのはいくらGTとは言え失礼ってくらい峠はひどかったがリッジやってた層があれで納得してたのが不思議 レースゲームは超F-ZEROマニアだったからな〜
あれのために64やアドバンスを買ったようなもんだし ドライブシミュ系が増えすぎて一気に廃れたな
コナミもエンスージアとか出してたけど実車使うせいでライトユーザーからはどれも同じに見えてしまう 結局残ったのはGTとフォルツァだけだからな
Project Carsっていう第三勢力も出てきたけど >>823
賛否ありそうだけど初期の段ボール箱みたいなシンプルな茶色カラーの箱も大人感家電感あったな
すぐにカラフルな写真のパッケージになったけど なんかレースゲーム好きが多いから聞いてみたいんだが
ゆうたんのF355チャレンジてどうだったの。 >>853
ドリキャス版しかやった事ないけどめちゃめちゃ楽しかったよ
セガのレースゲーの完成形を見た気がする グランツーリスモも4までは大好きだったのにな
5の超絶クソロードとスタンダードカーにぶちギレてそれっきりだわ
Project Cars2もフォルツァ7も買うけどGTスポーツは買わねえ ドリキャス、PS2に話がずれると収集つかなくなりそうだなあ
とりあえず家庭用3Dで一番インパクトを受けたパンツァードラグーンの話を使用
2面の芋虫はカッコよすぎた
3面のボスも
2は気持ちよく飛べなくて萎えた
アゼルはナウシカそのままパクリの上にエンディングが意味不明で持ち悪い
ゲームとしては面白かったんだがなあ
2面の芋虫に匹敵するインパクトはソニックの鯱までなかった(あ、DCネタだ、すまん) >853
F355だけではなぁ。
セガラリー2で10数台で走ってるし、セガGTとかもね。
車内視点しかなかったりとストイックすぎて体験版でスルー。 >>857
AZELはナウシカと似てるだろうって思うけど腐界と塔の役割って全然違うんだよな >>853
これとかクレイジータクシーとか
画面綺麗だね60fpsだし
アーケード基準で作られた物は
同じような基板でも出来がいいんだなと思ってた
SSのデカスリートとかもそうだけどね
まあ当てはまらないものもあるけどね そもそもパンドラの虫のデザインとかナウシカまんまだし
アゼルだけ特別ナウシカに似てるってこともないだろー
まあストーリーは全く覚えてないが >>863
いや世界観は元々ナウシカベースだろうとは思うがシューティングゲームなら気にならなかった
RPGだとどうしてもストーリーの良しあしが重要になるので後半の主人公の行動目的がナウシカのラストと
そのまんまになったのはだいぶ気になった 藤岡弘、がCMで「アゼル!」って言ってたの思い出したわw
久々にやってみるか プレイステーションの定価39800円
この価格でよくあれだけ売れたな
任天堂が同じ価格で新ハード出したらどんなに高性能でも高すぎって印象になる
PS2も39800円だがDVDが観れるし互換もあったから割安感があった 新しい時代の幕開けだったんでPSやサターンの価格は高いとは思わなかった あの頃は期待だけで5万6万がポンと出せたもんな
今だと躊躇するけど
可処分所得が減ってるのもあるけど
何より情報が多くなりすぎてるんだと思う CD-ROM2が59800円とか
メガCDも49800円
しかも本体別。
一足早かった3DOは54800円。
それが39800円なら安く感じる。
ちなサターンは最初49800円だったが、PSの値段を見て44800円を期間限定価格にしたが
そこから戻すことはなかった。
まぁそれからPS2も39800円で大成功。
PS3は5万超えでコケる
ONEも$499でスタートダッシュに失敗。
もう39800円を超えることは許されない。 スーファミからの進化が視覚的に分かりやすかったのもある
当時は猫も杓子も3Dで、ポリゴンというだけでスゲースゲーの嵐だった
加えて長時間のムービーや、数百倍の容量ばかりがクローズアップされ
とにかくすごいボリュームのゲームがプレイできるという煽りが凄かった なぜか3DOはものすごく高かったイメージがあるんだが、
よくよく考えてみたらソフトもクソ高かったんだよな
だいたい1万円前後だったし、大幅に値引きして売ってる店も少なかった(中古は別) >>869
PCEやMDにCDアダプタ別売りが出た時代はCDプレーヤー自体が高級品だった
ケームとは別にCDが聞けるだけでメリットと感じた
今のXboxOne S/XでUHDBD観れるのと同じだな 音響機器扱いで物品税がかけらたのもあるのよ
あとメガCDは本体機能を強化するために68000のCPUを積んだり、6Mメモリを搭載したりとかで
高価な周辺機器になってしまった >>866
サターンがもっと高かったからな
3DOなんかさらに高かったし
相対的に安く感じられた
しかもソフトも安かった
まあソフトはしばらく中古とか値引きとか無縁だったけど 3DOはビジネスモデルがMSXみたいなもんだったし
販売ルートは家電で
PS/SSが殴り合いしてる市場に対抗できるレベルじゃなかった。
まぁ次世代機の発売時には怪しい商品で投資詐欺みたいなのがたびたび出てるから
それに松下が馬鹿正直に乗ってしまったのかもね。
VRとか仮想現実とか、スマートグラスとか延々続いてる。 3DOは性能とか販売戦略以前にゲームのラインナップが終わってたからな
ロンチの鞍馬山荘殺人事件とか俺以外誰が喜ぶんだよ 当時はスーファミソフトが一万以上してたからな
当時脚光を浴び始めてたネオジオなんてソフト一本四万だった
ソフトが基本5800円なら本体4万でもまあまあ買えた値段だった PS3発表時も当時プレーヤーでも3万越えるBD見れて最新機種だから高いと思わなかったな
CD-ROM2とかMEGA-CDを買った世代だからズレてるんだろうな ネオジオは基板が容易に手に入ると思えばソフトの値段は大したことないだろう >878
カプコン得意の独占だから開発費持ってねとか伝統芸能が炸裂してたんじゃ。
かなり長い間他機種に移植されなかったね。
ポリスノーツは半年たたずにPSに出してるが。 アレンジかかったチキチキマシンのOPが好きだったが
動画が上がってなくて悲しい 一昔前の新雑誌には必ず載ってた永井豪みたいに
ネームの割には契約が容易だったんだろう >>879
LD買ったようなマニアならともかく一般層はDVDの操作性と保存性の食いついたのだから画質向上・操作性据え置き・保存性低下
(BDで使う光線の帯域が紫外線に近いためDVD−RよりBD−Rは格段に保存性が低いと言われる)
のBDに金出そうとはしない
>>882
×:カプコン得意の独占
〇:カプコン得意の独占(するつもり)商法
Xが他機種で出なかったのは単なるブームの終焉でしょ
つうかPS・SS末期に出た詰め合わせにも結局Xって入って無かったんだっけ? >>884
あれとんでもないクソゲーだったよな(好きだったらゴメン)
猛レースとか言いながらレースゲームじゃねえし
口直しに買ったクラッシュバーンが楽しかったから救われたけど >>888
完全運ゲーで最終的に確率1/10になるレースの勝者当てが進行必須で
ムービー何回もガチャらないといけないのが苦痛だったわ…… ああ極稀にゼロゼロマシンが一着取ることもあったから1/10より悪いか 3DOはチキチキマシーンとかドラゴンズレアとか
ああいう動画ゲームのイメージが強い 動画の再生能力だけはPSサターンより明らかに勝ってたからな
画面の大きさも滑らかさも全然上だった 3DOのスターブレードを触った事あるけど明らかにPS版より出来よかった
っていうかPS版の出来悪すぎだよ PS版のスターブレードって明らかに背景がムービーだったけど3DO版はどうなの? >>878
スパ2XがサターンとPSのロンチで出てたらめちゃくちゃ売れただろうにね
ドンはんだよ 3DOの信長覇王伝はPS版と違ってゲームプレイ内もサウンドウェアなんだぜ!
と意味のないゲハ魂を見せる2017年11月の夜 >>882
開発費持つ程度で済むかって感じがするわ
スーファミに出せば国内100万は堅いタイトルなだけに
ナショナルが宣伝費まで全額持ってくれたとしても割りに合うかどうか・・・
でも実際独占契約結んでたし他機種にエックス移植されるまで3年あったんだよな
バイオ4のGC独占(&裏切りw)もあったしカプの動きは結構理解できん時もある >>872
>>873
PCでも1倍速とか1.5倍速のCDドライブが普及品で
2倍速3倍速は高級品だったな とりあえずどのハードにも顔出して恩を売っておきたいだけだったんじゃないの
俺はコナミ(ポリスノーツ)やワープ(D食)の方が断然ありがたかったけど >>887
詰め合わせでようやくX入ったんだよ
X移植してくれは長らく要望としてあったからブームは関係ないと思う PS・SS・64戦争の時が一番わくわくしたな
PS2の時はDVD再生機能であっさり一人勝ちしたし >>875
そもそもDOS/VマシンにCreative 3DO Blaster挿すとPCで3DOソフト遊べたから
MSXと同じPCという面もあった
3DO Blasterと比べたら全然売れなかったがNEC PC-FX Boardもあった 3DOのモデルチェンジ版みたいなハードは結構良かった
見た目が PS2はほぼ独裁政権だったもんな
おかげで対応ソフトが山ほどあって楽しかったが サターンと3DOで悪の枢軸になって
VideoCDのAV売りまくって欲しかった
CDiというDVDプレーヤーズゲームみたいな物を作れる規格もあったしね 96年にはサターンもPKも友達の家にあったかな
自分がPS 買ったのはFF7の時だな 3DOって 3Dって名前が付くけど、実際のポリゴン性能は
どの程度?
たしかPSみたいに専用のチップは載せてなかったよね? すごかったですよ
人々は鉄拳の面白さと悪のぼったくり企業を倒したという革命の
2重の快感に酔いしれた >>907
俺はあまりその辺りに詳しくないんだが、実際にゲームをやった感じでは
PSサターンと比べて「ポリゴン性能」そのものが優れてるという感じはあまりしない
ただし「画質」が鮮明なのでその分キレイに見えるっていう気はする そういや3DOって店頭でチキチキマシンのデモ流れてるとこしか見たこと無かったな
奴の実力を俺は知らないのか 今でこそ洋ゲー認知されてるけど、その当時の洋ゲーって糞ゲーしかなかったからな
3DO=洋ゲーって感じだった 逆に言えば洋ゲースキーにはたまらないハードだった
きちんと全作ローカライズしてくれてたしな
ドラゴンタイクーンエッジみたいな大作RPGでさえなんと全編吹き替え
なんて無駄な努力をしてたんだろうと思う Crash n Burn 3DO gameplay
https://youtu.be/4-S1-EuKxOk?t=304
ridge racer playstation ps1 pt 1
https://youtu.be/EL6i3njf-p4?t=76
ロンチのレースゲーでこの差はな…
EAが色々と出してたけど、やはり3DOは出すのが早すぎた ジャップは飯野食卓とポリスノーツとフロぽん君やって
VideoCDでエロアニメ見てりゃ良かったと言うのに!!! >>892
ただなぜかSS向けガンダムゲームのムービーはやたら力が入ってた
横シューのガンダムやギレンの野望は新規セルアニメ多用しまくり
一方PSのガンダムはケツアゴシャアの実写 PS1もガンダムのFPS風アクションゲーがあって、プリレンダのCGだったな
これのVer2.0てのがあって、それにはセルアニメと静止画が一部追加されてもいた
https://www.youtube.com/watch?v=KKlKH3vLoSk
セルアニメとCGをmixしたムービーの走りみたいなかんじだったな
ゲームの出来は、移動が面倒すぎて後のSSのガンダム外伝とは雲泥の差だったりする 3D初期は実写取り込みのゲームも多かったけど流行らなかったな 3DOのポリゴン性能はバーンアウトトキオがいいらしい。
3DOは裏でムービー流して2Dゲームって感じ。
3Dはムービーでいいやってスタイル。
あと当時のEAはまだまだTHE洋ゲーで
今のレベルと比べられないよね。 サターンのハイドライドの実写すごくよかったのになー
難しすぎてクリアできなかったけど
あと3DOのピックアップレンズの動作音がどの機種よりも心地よかった
PCエンジンからCDやってたけど3DOの動作音はもっと評価されていい PS1のアクションでのガンダムゲーで良作になるとZガンダムでやっと出た感じ
https://www.youtube.com/watch?v=iOvPMOGbolA
新規のセルアニメとプリレンダの混合ムービーでこれでアニメをリメイクしてくたらと思う出来だった
ゲーム本編も1vs1のシステムで上手く出来ていたし、モビルスーツのモデリングも当時としてはかなり良かった
PS1後期のガンダムなどのキャラロボゲーは良作多かったんだが、PS2でまた駄作だらけになったのがな
連ジや連ザがあったからまだマシだったけど >>921
ラスダンまではいったけどそこでなにしていいかわからなくなったなー うちにある中古で買った3DOはリアル2だったな
スパ2X専用機として買ったけどコントローラーボタンが足らないんだよね なんか6ボタンのパッドが出てたような
あとコネクタが同じでメガドラのパッドが動いたような MSX同様に 2コンは1コンのコントローラに差すっていう変な仕様 合理的な設計な気もするが真価を発揮できる多人数パーティゲーが…… >>913
クラッシュバーンなめんなよ
金稼いでパワーアップしていくの結構楽しいんだからな 媒体がcdromのゲーム機が一般的になって、
3d CGも扱えるようになって、
スーファミまでのゲーム機とは質が変わった感覚があった。
ゲーム表現がリッチになって、2dゲームが3d化されたり、映画みたいなムービーゲームも出てきて、
一方で実験的だったり変なゲームも出てきて、
ゲームとは何かっていう、ゲームの本質を問うような批評が面白かった。
今で言うなら、既存ゲームとスマホゲーで、プレイスタイルやコントローラーの有無でゲームに対する面白さは変わるのか、みたいな記事が面白かった気がする。 >>919
> 3DOは裏でムービー流して2Dゲームって感じ。
> 3Dはムービーでいいやってスタイル。
それはPC-FX。
3DOはハードの思想は完全に3Dポリゴンマシンだよ
SSやPC-FXがもってたような既存のいわゆる2D機能は一切持ってないで全部ポリゴンで済ますPSや64と同タイプのスタンド 動画再生能力に全振りって言うPC−FXも漢らしい性能だったよなあ
ソフトにさえ恵まれたらあれもあれで面白いハードになった気がするのに >>933
> 動画再生能力に全振りって言うPC−FXも漢らしい性能だったよなあ
> ソフトにさえ恵まれたらあれもあれで面白いハードになった気がするのに
それは残念ながら無いw
3DOのもそうだけど動画再生能力が〜いうて、単に動画の圧縮率が低くてその分生画像に近くて綺麗っつーだけでそれ以外の出来ることなんかPS、SSと変わらんし、
PC-FXは2D性能もSSに比べりゃチンカス
誰があんなハードにソフト供給するというのか… ハドソン以外
エンジンよりエロ緩めてエロゲー移植特化してたら
すこしは浮かぶ瀬もあったかも いまから23年前、1994年11月22日に誕生しました。pic.twitter.com/f9i3QWmIny
― セガ公式アカウント (@SEGA_OFFICIAL) 2017年11月21日 プレステは最初知らなかったな、セガサターンのデュアルcpuにワクワクしてた、サターン買ってゲイブレーサーでブチ切れて
ss売ってプレステ買った >>907
プレステサターンの0.7倍くらいかなぁ
もっと低いかも
YouTubeでアローンインザダークとかドクターハウザーあたり調べてみるといい PC-FXは全日本女子プロレスのゲームがやりたくて、買うかどうか秋葉原で死ぬほど悩んだ記憶
結局スルーしたけど正解だった気がする 当時はビデオゲームを卒業していたから客観的に各社を観察できて面白い時代だった。
PSはTVCMで始めて認識した。
イチニィサン123のアレな。コントローラーが斬新だった。
サターンはセガールとアンソニーのCMで初認識。
他社批判ともされるCMを打ったのはセガが先んじていた。
なのにセガ人が被害者意識をDC時代に掲示板でだしていたのは何故だろうか? >>940
ズームイン朝で次世代ハード特集をしてて、PC−FXはバトルヒートってゲームを紹介してた
まるで本物のアニメみたいなのが動いててすげえと思った覚えあるな アンソニー前になんかPS側からの公式ディスなかったっけ?
逆に後だったか? PC9821でPC‐FXを動かせるボードが投げ売りされてたな
流石にwindows95時代で98の必然性が低くなりつつあったし、
動くゲームがニッチ過ぎる&エロゲ移植が殆どだから態々PCでFXのゲームをやらんでもと
買い手もいなかったみたい
NECはのちにPC用のPowerVRの3Dアクセレーターを販売しだすんだが、
相性問題が激しいらしく、これも投げ売りされていた >>941
比較CMはペプシのM.C.ハマーの奴が出来が良かったのでその影響だったような気がする
テレビの海外CM特集でペプシのコカ・コーラディスりのCMいろいろ放送してたがなかなかシャレていて面白かった
未来の大学生が教授の引率でペプシ飲みながら古代の地球の遺跡を見ていてたまたまコカ・コーラの瓶を発見した学生が教授に「これは?」と聞くと
教授が目の色変えて様々な文献調査や成分分析らしきことをやって「なんてことだ、全く見当がつかない」ってのが面白かった PC-FX、プレイディア、3DOって今だと相当プレミアついてるんじゃ? >>945
よく覚えているなあ。
M.C.ハマーなんて特に。ミュージシャンだっけ?
まだマイケルジャクソンが元気な頃だな。 >>946
微妙に出荷数多いしそもそもソフトがアレなのが多いので大した事ない
今はPCエンジンが結構凄い事になってる
名作多い上に海外でほとんど売れなかったので
海外のコレクター需要が高まっていてまだ上がるかもしれん PCエンジンの天の声(バックアップユニット)とかレトロゲーショップとかでも殆ど見かけた事ねえなあ
元々出回ってる数が少ないのだろうな メガドライブから「となりのゲームはもうつまらない」とかしてたんやで。
ゲームギアはカラーと白黒でディスCMしてたね。
まぁソニーはCMでやるのではなくメディア(ファミ通)を丸呑みする一枚上手。 >>950
CD−ROMに移行のまじかに出てた記憶がある
それは出荷数少ないだろうな
詳しいことは分からんがメガCDと違ってRAMは本体に積んでカートリッジスロットに記憶媒体としてのRAM
ってのはできなかったようだし >>951
海外ドラマ「ER」で子供の患者と当時インターンのカーターがモータルコンバットをやるシーンで
GGを渡して「カラーの方が面白いからね」ってシーンがあったなあ
関係ないけど日本では全く人気のないスタートレック・ネクスト・ジェネレーションの玩具をバンダイが発売していたり
当時の外国の情報はマスコミの偏向報道以外に知る由が無かったなあ
セガサターンマガジンで海外のゲームマスコミの人にインタビューしたらもの凄いセガ寄りの提灯記事送ってきて
「ポケモンとか米では無視されている」とか読んだ直後にテレビで海外のポケモンブームが報道されたこともある >>951
ゲームギアのCMで「アイム ノット ボーイ!」つってGBディスってたものね PlayStationはソニーだけでやってくのに
サターンは、セガのサターンとビクターのサターンと日立のサターンでいっぱい種類あった >>953
「ER」にそのようなシーンがあったのか。
大統領選を見ても中傷合戦ではアメリカには敵わんな。 天の声バンク(DUO-R4台分のメモリー容量)なら投げ売りしてたけどな
これはかなりお世話になった まぁどっちにしても比較広告に手を出すのは負けてる方。
勝ってる方は比較する必要もない。 3DOのポリゴンって秒間○○ポリゴン/秒って
表記がなかったとこ見ると、お世辞にもあまり良くなかったのかも
PCのGPUもimagin128みたいな、一部のハイエンドが独自な
方式でポリゴン対応してるって感じだったしで、
やっぱ、あの当時はプレステの3D最強だったな。 >>959
3DOはポリゴンの頂点計算とかCPUで処理するから、同じ方式のサターンの丁度半分くらいのポリ性能だろう
描画チップそのものはポリゴン専用のものだからサターンよりもポリゴンの表現力はあったかもだが >>958
ps2は思いっきりdc比較対象にしてフルボッコにしてたなw >>958
M.C.ハマーの頃にはペプシがコカ・コーラをぶっちぎっていたと思うが
コカ・コーラはマックと並んで米帝国主義の象徴として反米意識の高い国では敬遠されてペプシが売り込みやすいとか
但し、ハマーのCMの頃の話で今のペプシとコカ・コーラの立ち位置は知らん 3DOは3D空間で3Dキャラが動き回るようなゲームはおそらく苦手
上でも誰か挙げてたけど、ドクターハウザーやアローン・イン・ザ・ダーク1とかのもっさり具合でなんとなくわかる
でも動画を再生するのは得意だからそんなゲームばっかりだった
MYST(とRIVEN)を出してくれなかったのが悔やまれる そういや。プレステってCPUのR3000の頂点演算用のチップを
統合していて、150万Poly/秒の頂点演算ができるスペック
だったな。
その一方でレンダリングは36万Poly/秒のテクスチャー貼りつけ
などで、実質10万Poly/秒以下のレンダリング性能
そして、VooDoo2登場以降のPCがNvidiaや3DFXの
ハイエンドGPUでレンダリング性能が500万Poly/秒以上
だったけど、頂点演算はPentium2やセレロンなどCPUで
行なっていたので、PCゲーで100万Poly/秒クラスの
ゲームはなかった。
(あの当時のHalf-LifeやUnrealでもカクカク部分が結構
あった) >>950
桃伝2のためにあちこち探し回ったな、中々てに入らんかった。 >>954
あれ?
ネオジオポケットのCMじゃなかった? リッジvsデイトナ+セガラリー+セガツーリングカーチャンピオンシップの戦いは熱かったなぁ
なお、リッジの身内のはずのGTにまとめて皆殺しにされた セガツーリングカーの時には冷めてたような
俺は地味にF1ライブインフォメーションが好きだった
デーモン・ヒルのファンだったので
ゲーム自体はベルガー・アレジ時代であるにもかかわらずフェラーリが異常に速かった記憶があるが 確かバーチャって2くらいまでジャンプがやたら滞空時間が長い超ジャンプだったり、1発の攻撃が糞強い技ばかりだったな
対戦しててもバーチャは玄人でライトは鉄拳のが楽しめたわ >>960
描画チップだけならサターンが最強じゃないかな
サターンはジオメトリエンジン積んでないから、3D→2Dに計算する能力が劣るので画面に出す絵がしょぼくなってるけど
単純にモニターに出すだけならPSよりも上でしょ
VDP1は当時としては最強クラスの描画チップ
足らないのは計算能力ね CPU戦も最初のバチャファイとかバチャファイ2とか出てくる順番決まってて
1はカゲ以降、2はパイ以降の敵とめったに闘えなかったわ 発売間近はほぼ空気だった
世間一般で人気が出始めたのは値下げされて19800円になった97年頃から >>942
さんまのクリスマスショーの商品にもなってた
FXとバトルヒート >>967
サターンはセガラリーがピークだったな
ツーリングカーはフレーム数が不安定すぎたし リッジレーサーシリーズはレイジレーサーで区間タイム制限とっぱらって
ずいぶん遊びやすくなったな
別に上位ランクでゴールすんのにあっても無くても大差ないけど
やっぱ無い方がノビノビ走れるんだよね 闘神伝みたいなゴミゲーがゴキブリハードの当時の目玉だったんだよなw
サターンは発売当初から普通にゲーマーの支持受けてたけどゴキブリハードのほうは正直FF7出るまでは一般人にも見向きされてないゴキそのものだった >>952
ロムロム自体高すぎてクラスの連中誰も持ってなかったからなw
俺は天の声買ってたわ リッジはレースゲーム、GTはドライブシミュレータ
共存はできていたよ
末期に出たR4は凄く出来がよかったし、ナムコはナムコでリッジとは別にGTに影響されたレースゲーを出してた
リッジが死んだのは自滅 >>973
これ
96年まではSFCだった
96年から本格移行が始まったイメージ
その谷間の大作が薄い時期に突如現れたのがポケモン うろ覚えだが月集計で
PSのガンダムが40万、SSのパンツァーが30万位売れていて
リッジとVFはそれよりもっと売れていたような R4はな・・・
GTに対抗してやけくそ気味に300台以上収録と謳ってるけど、実際は少し性能が違うだけのコンパチカーだし
集めるのにシナリオモードを何回も周回しないと駄目だし
リッジ5で原点回帰したけど、それ以降がまた迷走に迷走を重ねて
気がつきゃ洋レースゲーにも追い抜かれてしまったからな 格ゲー以外だとあんまり使われてなくて勿体なかったな 4MRAM使うのカプコンとSNKばっかで肝心のセガが…… SNKは1M仕様のしか出してなかったかと。
4MRAMには1Mと同じ仕様として対応させてただけ >>987
えっ、あれ対応してたの?
キャロット2は丁寧に作ってあって良作だった バーチャはキッズに媚びだして大人が消えていった感じだったね >>993
まあバーチャは一見さん(俺含む)にとっては難しい内容だったからな
だから当時バーチャファイターキッズって言うイージー版も出てたよ >>869
それ全部揃えてたわ
あとレーザーアクティブ一式で16万くらいだったかな このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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