プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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当時鬼の様に高かったPC98を買わずともA列車で行こうが遊べるというだけでワクワク感が半端なかった PSよりサターンの方が面白いゲーム多くて良かったな
マニア好みのラインナップでゲーマーにはウケてたと思う PSは実績ゼロの新参者故に、発売後は様子見状態の潜在ユーザーが多かった。
その影響もあって初期はサターンが優勢だった。
皆がよく知ってるメジャータイトルもコンスタントに出ていたし、
記憶の範疇ではバーチャコップのデモ見てレジに向かう客が多かったのをよく覚えてる。 >>117
そりゃ時間が立てばたつほどノウハウがたまってより性能を引き出す色んなテクニックが蓄積はされていくけど
SSはそもそも2CPUがしっかりつかえないとまともにポリゴン扱えないハードなんだから最初っからちゃんと2CPUはしっかり使われてたよ
VF1の時は突貫すぎてライブラリにバグが多すぎて性能出せなかったのは事実だったけど、そんなのはVF1発売後にすぐに治してるし
>>118
当時はネットもなくて日本以外の国の情報なんかこちらにゃわからんかったけど、そもそもSSは北米で当初からとてつもないくらい大爆死してたんで、
海外人気も高く、当然海外での発売も重視されていたFFがPSを選ぶのは自明だったね 最初はSSが一歩出てたのは確かに感じたな
2Dアーケード移植が強かったしな
まだゲーセンも客が多かった時代でセガというブランドが当時はSONYより上だった
SONYはどこまで本気でやるのか怪しまれてるところはあった 大失敗作 松下の3DOがあったからね
FF7発表されるまでもSONYのやる気は十分感じたがやはり超えられない壁にブチあたってた
FF7発表でいっきにぶち抜けたって感じ
SSはもうそこから転落していくだけだった 当時マルチメディアって言葉が流行ってたから、PS有利になったのかも
MPEGデコーダーカードがむっちゃ高いし サターンはFF7発売の次の年にはもうドリームキャスト発売してるもん
ハードロンチと専用ゲーム開発の準備時間がどれくらいかかるかわかんないけど
FF7発売前後にはドリームキャストのゲーム開発すすめないと間に合わないんじゃない? サターンなら家でバーチャファイターが出来るってのでワクワクはした
あとカプコンの2D格闘ゲーム PC98もってなかった人はむしろカクテルソフトやエルフゲーにドキドキしたんじゃないか?w サターンはソフトが日本向けになっていたせいでセガオブアメリカは現地で積極的にサターンを推せなかった
そして予想通りサターンは北米で壊滅的に売れなかった、セガにとってはFFよりそちらのほうが痛かった
任天堂が長年、萌えキャラ絵のゲームをFE以外作らなかった原因かもしれないくらいのインパクトだった
向こうじゃサクラ大戦は全く通用しないんだよ、こっちじゃマリオ64抑えてゲーム大賞なのに
まあそれを発売する前にハードを閉じてしまったぐらい不調だったのが海外サターンだが ソニーは「123」と言いながらシャッターを叩くキチガイCMだった >>125
サターンの実質的な寿命は1994〜1998で当時としてはそれほど極端に短命ではないよ
むしろPSで3年目に発表されたFF7がゲームソフトとしては異例の1年半も前から宣伝してたのが
サターンに短命の印象を与えているかと
シェンムーは最初SSで作られていた隠し玉だったわけだし完全に見捨てていたわけでもない
もっともドリキャスは日経にすっぱ抜かれて銀行からの借金の為にも慌てて発売しなければいけなかったというのは事実で
その分ロンチの目玉のVF3を格闘ゲーではSS・PSで大いにやらかした元気に任せて大不評という失態も犯しているが >>128
メガドラ成功でウハウハだったセガアメリカがメガドラ延命させようとスーパー32ゴリ押ししたのがサターンの失敗の遠因らしい
そして32が不振なので慌ててサターン販売決定したら小売りにうまく商品を回せないで一部に優先的に回したので
猛反発を受けたってのもかなり大きな理由だったとか
ついでに言うとVFはイギリスでは占拠の広報に使われるほど人気があったが派手好きのアメリカでは光線技が無くて地味だからあまり売れなかったらしい DC版VF3って元気が移植したのかよwww
気でも狂ったかセガよ >>122
2つのCPUをセガ以外がフルに使っていたかということについては、こちらの記述によれば
https://www.wizforest.com/OldGood/saturn/library.html
・初期を除く、ほとんどのゲームでサブ CPU はフル活用されていた、というのは誤り。
・ただ、SGL を使用したゲームは一定割合で存在し、これらのゲームではサブ CPU を活用している。
・SGL を使用していないゲームでも、サブ CPU を活用しているものはある。
「全然使われていない」わけでもなく、「ほとんど使われていた」わけでもありません。
ということのようです。(これが本当かどうか私にはわかりませんが。)
ここ、結構面白いことがたくさん書いてありますね。 なぜかネオジオCD買ったなあ
ACアダプタすぐ断線するわ
コントローラーはすぐ下が効かなくなったり散々だった >>1がそういう人の話を聞きたいと言ってるんだから当然だろ
興味ないなら見るなよ エネミーゼロには騙された 発売前の期待を煽るすごいPVでまんまとだまされたわ
東京ゲームショーのワープブースでナイツのライブを見て雰囲気に飲まれてからのあのPVだったからな >>137
元々ビッグマウスだけが売りで何のヒット作も出していないし
システムはサイレントデバッカーズのパクリだし
「ゲームでは喜怒哀楽の愛をまだ表現できていない(哀はお涙頂戴というくらいで最も表現しやすい感情表現)」と言ってたし
ほとんどシナリオ論の本一冊読んだくらいで自分はシナリオに精通していると勘違いしていた岩崎レベルのアホだぞ
期待する方にも責任がある
リアルサウンドの時は「声優使うとわざとらしくなるから一般の俳優使った」とか言ってたくせにアメリカで日本のアニメが売れてると聞くと
「キスシーンで顔を移さず女の子が爪先立ちするのを映すような日本のアニメのいいところを取り入れたい」とか掌返ししてたし
基本的に無知で定見のないお調子者だぞ 2Dメインだったゲーム世界がポリゴンに置き換わった時の衝撃は体験していないとわからんだろうな
16ビット機でもポリゴンゲーはあったけど数タイトルを除き見た目も動きも無理あるのばかりでしょぼかったからな
ゲーム表現の相転移が起きた瞬間だったよ
あと高嶺の花だったアーケードゲーがほとんどそのまま移植できるようになったのも凄かった
雷電U一面ボスのチリチリチリチリ…チュドーンって派手な爆発がついに家でも見られるようになったんだって 当時アーケードでストゼロが流行っててゲーセンで格ゲー楽しんでた層がストゼロがプレイできるセガサターンを買ってたな
それに対しRPGやアドベンチャー好きな層はプレステ買った
セガサターンユーザーもリグロードサーガとか癖のある面白いRPGを楽しんでいたが、FF7がきっかけでプレステに本格的に移行したみたいよ >>1
リッジ・鉄拳やりたいならPS
デイトナ・バーチャやりたいならSS
とか周囲の人が言ってたな
要はナムコ商品が欲しいのか
SEGA商品が欲しいのかで選べばいいって感じだった レースゲーはF-ZEROで進化して、リッジでさらに進化した感じ >>142
Fゼロみたいなゲームは元々アーケードにたくさんあった
つうかビジュアル的には拡大縮小機能なしのMDで出たアウトランの方がきれいだと思う ついでに言えば拡大縮小ゲームとポリゴンゲームの進化を語るなら
初めてポリゴンで本格的なレースゲームを実現したバーチャレーシングを忘れている 発売半年前はどっちも、3do臭のするあやしい高性能マシーンだなってときに
スーファミのドンキーコングきれー次世代機いらねって感じだったよ リッジに慣れた後にデイトナやったら操作難しくて真っ直ぐ走れないわ
全然曲がれなくてびっくりしたけど慣れるとそれが快感だった >>145
アーケードでピットファイターやモータルコンバットとかの洋物の実写格ゲー見てた層には
色数考えれば当たり前としか思えなかったけどなあ
スーパードンキーコング
まあ、あれだけの絵をレンダリングで描くのには相当な金がかっかてたとは思うがそれだけのものだし 当時の地元では、ゲーセンが学校帰りの溜まり場だった。
クラスの男子の半分はいた、学年関係無く集まっていた。
今に比べたら店内は暗く、不良もいたし、天井はいつも霧というか、もやのような煙が舞っていたような記憶がある。
店内は波動拳!、バーンナックル!、弧月斬!、ボディが甘いんだよ!と格ゲーの音以外にはポップコーン!ポップコーン!しか聞こえないぐらいだった。
そんな2D格ゲー全盛期に突如現れたポリゴンにゲームが一変していった。
今みたらただの四角の積み木にしか見えないけど、ドットしか知らなかった自分達には本当にリアルに見えたんだ。
画面の中に人が立っている、十年早いんだよ!と誰もが叫んだ。
新宿ジャッキーや池袋サラに熱狂した。
高橋名人のような企業からのキャラクターではなく、各地のゲーセンの大会から有名人が生まれるといった現象に誰もがゲームを巧くなりたいと研磨していた。
ビートマニアの登場には誰もがこれはゲームなのかと首を傾げていたし、1プレイが高すぎたことも相まって、Houseに誰もが絶望した。
学校でも足が速いや運動が得意に並んで、ゲームが上手いが取り柄になりえた時代だった。
あの頃、ゲーセンに来てたお兄さんもおっさんも、不良の兄ちゃんも怪しい爺さんもゲーセンの店員も店長もみんなみんな顔見知りで、50円を握り締め、台の隙間に挟んで、みんな並んでた。
同じ時間、同じ場所に、同じゲームをすることが
とても大事なことだったのかもと今は少し思う どっちも大して騒がれてなくてマジでゲームオタク以外眼中になかった
でも先に注目されたのはバーチャブームでサターン、そのあと価格破壊とか64の自爆でプレステ一強に いまでもセガサターン発売前の土星人のCMは思い出すなー
未来のマシンが来る感がすごかった
結果的にネタゲーと格ゲーとエロゲーの宝庫になっちまった 64のカセットがロンチの時点で1万円とかいう暴挙がバレた時のまわりのゲーマーたちの白けっぷりときたらすごかったわ
は?アホじゃねプレステかサターン買うわって早々に64用に貯めた金でプレステとかサターン買ってったな
たぶんその頃はプレステもベスト版とかだして2800円で新品ソフト売ってたし 最終的には両方買ったけど
どっちを先に買ったか覚えてないなぁ
発売当初はSFCがまだ下火ではなかったから
すぐ乗り換えようとは思わなかった サターン発売の頃にはすでにアーケードでVF2出てたからポリゴンゲーは一般層巻き込んだ大ブームになってた記憶があるが バーチャは人形すごかったよ。社会現実になったし。俺は高校で金なかったが社会人なりたての先輩とかゲーセンに半年間で100万対戦で金ぶっこんでたから。最初は一回100円だったからね。
熱い時代やった。そんなおれも今や二児の父。 当時、4万で発売されたゲーム機を買う文化なんてないから完全に空気だったけどな
ワクワクしたとか言ってる奴は一般感覚からはみ出てた層だろ
これから先、持続的にソフトが出るかも分からんものを平気で買う層なんて
今、スイッチを買ってしまうような頭の悪い層だけ
一般的にはFF7が出るのが決まって64の敗戦が濃厚になってから売れ始めた
この頃は25000円だったしな >>67
FF7PS移行の時はまだ関係は続いてたよ。決定的に破綻したのはニンテンドウ64はダメだといろんな会社にふれまわってたから。
ゲームボーイの歴史的大復活を見たときのスクウェアの様子が個人的に気になる。 リッジかバーチャかに別れた
ロンチで手に入れたPSは闘神伝まで格ゲーが無かったが鉄拳が熱かったな
モータートゥーンも斬新なレースゲームで良かった
特にジャンピングフラッシュは革命的
バーチャ、デイトナ、バーチャレーシングとAC付いていたサターン
初期はほんとアーケード作品ばかりだったな サターンのバーチャファイターの試遊台と
プレステの闘神伝の試遊台があった
年末出たバーチャの対抗馬が闘神伝だった
めちゃくちゃ善戦していてタムソフト全盛期(´・ω・`) いくつかのタイトルの発売日を調べて
少し当時を思い出した
96年はダビスタ(V〜’96)がめちゃめちゃ流行ってて
SFCで遊んでる人も多かった
この頃すでにPS、SSに完全移行したという人はまだいない
ゲーセンを主戦場と考える人がいたり
プラットホームをいくつかを掛け持ちしてる状態
97年になるとSFCは忘れ去られた
64の登場もその要因だったけど
FF7(スクウェア参入)が決定打だったね PS, SSが出てからSFCは
中古でFF6, DQ6, FE聖戦, テイルズをやったくらいか >>79
> 当時は3DOがすでに覇権ハードの地位を築いていた
ねぇよ
3DOはWiiU以下の死産だった 当時サターン、PS、FX全部買ったわ。
PCエンジンメインだったからFXに期待してたんだが、バーチャとリッジと闘神伝とバトルヒートやってこりゃFXに勝ち目ないと悟った。
だがチームイノセントは面白かったな。 ゲームファンとして、あの頃は一番ワクワクだったな
自分は発売直後にPSとサターンを購入
個人的に、キリーク・ザ・ブラッドは衝撃だった
やっと本当の幻想世界が出来た感じ PSの成功は
大多数のゲームメーカーが当時の任天堂の横暴に反発した感じだった 98年くらいにはもうPS独走体制になってた
64<SS<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<PS
くらい 64は容量の少ないROMを採用したせいで
当時主流だったプリレンダムービーや音声を多用したゲームが作れなかったのが
致命的だった、FF7を64で出そうと思ったらムービーが殆どなくなっていたと思う >>152
あの頃のSFCのゲームは2Dドットの頂点に到達した感じ
特にスクウェアのFF6、トレジャーハンターGとか
でも、やはり時代は3Dに進んでた >>166
FF7の発表は全て
あの頃のスクウェアはゲーム業界を左右できる
あの頃ね >>141
鉄拳はまだだろ
とうしんでんすら発売日にラインナップされてないのに ジャンプやファミ通にFF7の初報が出た時「ああ決まったな」って感じだった。
それくらいスクエアの存在感が大きかった頃。
とはいえゲーセンにまだ人がいた時期だからね。
ゲーマー好みのハードだったよサターンは。 >>170
闘神伝だな
バーチャは空手格闘
闘神伝は武器格闘
結局ナムコは一番ずるい
空手格闘の鉄拳
武器格闘のソウルを作った ssはバーチャ
psはリッジ
どっちを選ぶかだったが
ssのデイトナが発売延期になってなかったらss買ってたかな
まあリッジと比べると出来が悪すぎたから延期して正解だったかも
PSはソフトが5800円だったり
今までの業界の流れをかえようとしてる感じがしたので
そういう意味でも先に買った 発売後100万台ぐらいまでしばらく競っててそれはそれで面白かったな
しばらくセガVSナムコだったけど
バイオハザードやときめもが地味にPSの援護になったな >>115
あのころのファミ通はホント元気があった
どぎばぐ連載もあのころからだったっけ >>104
マルチコアプログラミングが必要だから難しかったんだぞ サターンのパッドはすばらしかったね
リッジ・・いや3作目のレイジレーサーからOPムービーが凄くなってきてたな
アークザラッド1はボリュームがアレだったがOPが好きで好きで
夜中にずっとタイトル画面でほったらかして何百回見たろう
ああ〜〜〜だめだだめだ語ること多すぎてキリがないよ
MYSTはもうワケわかんなかった 「半透明が出ないしょぼハード」っていっつも煽られてたな >>4
サターン、PS、FXと3台購入は金銭的にきつかったなあ ゲーム業界は不況知らずだった
最近は見る影もない・・・ プレステの初期のラインナップはしょぼかった
バーチャファイターというキラータイトルを持つサターンが一歩リード
今でいうスプラみたいなもんだろ >>175
個人的にファミ通黄金期は隔週末期〜週刊初期のSFC時代までだな
しあわせのかたちやべーしっ君など名物連載が軒並み終了して
浜村が業界のご意見番として他メディアに出しゃばりはじめ
ブンブン丸や内沢みたいなオラオラ系編集がプッシュされて
クロレビが9点10点を乱発するようになり
ゲーム帝国の中の人が変わって明らかにキレが無くなったりと
あのまま総合誌に移行せず、任天堂機メインの構成だったら他のライバル誌同様とっくに休刊してたんだろうけど
ああ自分はファミ通ではなくてファミコン通信が好きだったんだなと PSは中古販売禁止になってた思い出。
だから近所の中古を扱うゲーム屋がバンバン潰れてたな。
そんな俺も当時はバリバリのPS派でした。 >>169
でもその要因作ったのはクタのJRPGラッシュだよね。
ワイアー、ポポロ、アーク、ビヨビヨ
どれもハーフミリオン級のヒット。アークはミリオン級
あれで
RPGのPS1
アーケードのSS
を決定づけた。この状況でスクエニがPS1以外に出す可能性はかなり低い。 発売前は何だかんだで勝つのは任天堂でしょ?って大方は思ってたよ
SSもPSもそこまで爆発的には売れないでしょって
しかしロンチのバーチャファイターやリッジレーサーが凄かった事もあり
双方一気に勢いを掴んでわずか半年で100万台を達成
その頃になるともはや「あら?任天堂の新ハード出ても危なくないか?」って空気が出始めていた >>104
当時OSやフレームワークがあって
なんでもそれ用の命令が有った訳ではないから
同期、非同期は非常に苦労していたよ >>188
それでトドメに本体25000円とソフト1万円だな
プレステサターンが19800円とソフト5000円ベスト版2800円で売ってる時代に頭が悪すぎる値段設定でゲーマードン引き
あの空気忘れらんねえ
任天堂自身絶対負けると思ってなかったろ 今と同じだよ
ドラクエとFFが脱任して、山内がドラクエとFFとコンパクトディスクを烈火のごとく叩いてた ドラクエは別に叩いてなかったよ
ドラクエ7をPSに出したい時もわざわざ任天堂まで聞きに行った堀井氏に別にいいんじゃない?ハードの選択は自由だしって。 最初PSは期待されてなかった
アークザラッドとかもくそつまらんかったが
リッジや鉄拳みたらPSの方が明らかに性能良かった 格ゲーに関してはメモリー増強できたサターンのほうが性能良かったよ スーファミは発売日に買えなかったけど年内に手に入った
サターンはもともとセガ自体がライトまで浸透して無かったしソニーはゲームに関しては新参者だったし発売日に飛びつく人はそんなにいないだろうと思ってたけど
PSを予約しようと思ってたらどこも締め切ってて予約出来なかった
サターンの発売日に家電屋に行ってみたらサターンが山積みになってたから買って帰った サターンは近所の電気屋さんまで入荷してたなあ
あれには驚いた >>1
当時は割と静かめだったよ
普通に買えたし高かったし 2D処理能力、サウンド能力、ロードの速さ においてはサターンの方が勝ってた
同一タイトルをやって見ると明らかな位解る
ただサターンは当時大流行だったポリゴン処理やムービーが苦手だったんだな・・・ >>196
当時はマルチメディアとか言ってゲーム機を家電みたいにしていこうって方針もあったようだからな
自分もサターンは電気屋さんに買いに行ったよ。店員の人も急に売れって言われて詳しくなかったのか
「バーチャルファイター面白いですよ」って思いっきり間違った名称でおススメしてくれたw 発売前はバーチャのこともあってサターンの方が期待されてたな
ファミ通ですらサターン寄りだった >>198
ポリゴンもムービーもあの時代にそこに特化したプレステが異常だったからなぁ
久夛良木の先見性がありすぎたわ あの頃は今思い返しても1番勢いがあった、とても華やかな時期だったな
色んな所からソフトもハードもガンガン出て、レーザーアクティブみたいな高額商品も普通に出て来た
次世代機戦争といわれるように、世代そのものが変わるくらいの勢いで
性能向上がもっとも大きかった時期でもあったと思うな
PCE-SFC-MD登場の時ですら、現行機の高性能版くらいの認識しかなかったので
文字通りに世代が上がったPS/SSのスペックは本当に驚愕だったよ
TOWNS/X68等の高価格なPC勢は余裕で抜き去り、2D性能は大型筐体等の1部を除いてアーケードマシン並
さらにハードウェアによる3D機能搭載にCD-ROMドライブ標準装備と
当時ブームだったマルチメディアにも完全に乗っていたからね
どの製品にも夢が一杯詰まっていたし、業界の将来性を危ぶむ者なんて誰もいなかった
この勢いはその後のPS2で一本化されて完成する感じではあったね >>203
https://the-liberty.com/itemimg/images/articles/2016/5/11188_01.jpg
日本のデフレ不景気が始まったのが丁度次世代機の1995年の消費税増税からなんだよな
日本の据え置き衰退はPS・SSから決まっていたという皮肉 PSはセーブするのに使うメモリーカードも馬鹿にならなかったな
公式のは容量少なくて高額、非公式の何百ブロックもあるのは当時怖くて手が出せなかった
一方のサターンは本体メモリに少量ながらセーブできる代わりに
外部パワーメモリーが恐ろしくデータが飛びやすいという yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
解る人だけ解れば良い やっぱプレステは鉄拳がすべての始まりだろ
サターンのバーチャ倒した >>204
据置ゲームの衰退はPCの低価格化やネットの普及に
スマホ等の個人用の小型端末の爆発的な勢力拡大による物と個人的に思ってるけどね SSは64ビット級の性能で売り込みだったが、今一だったな
同じソフトならSS版が安かったとか、負けハードの印象はあったな >>203
サターンPSが発売された94年は音楽でもミスチルが台頭してきたり小室ブームがあったりキムタクが注目されたり
93年までは80年代の延長って感じだったけど94年からようやく90年代に入ったかのような変化の年だったな
ゲーセンも楽しかった >>209
それはPS側が小売に圧力かけて値下げさせなかったのも大きいんだぞ
実際に公正取引委員会から是正勧告を食らってたし >>209
同タイトルだとサターンの方が出来が良いの多かったよ
格ゲーなど2Dのはね
なぜか読み込みも速い
2倍速で同スペックだけど >>213
> なぜか読み込みも速い
> 2倍速で同スペックだけど
だって読み込み専用にSH-1積んでるし、キャッシュ用メモリもサターンのほうが多かった
コストダウンなんか全く考慮してない豪華絢爛なハードウエアがサターン
PSと価格競争に巻き込まれて逆ざやで苦しむのも当たり前ですわw >>214
はえー
まあ白サターンじゃない初代買ったけど金かかってたんだねえ
しかしどうコストダウンするつもりだったんだろうか >>215
サターンほどカスタムチップ搭載して複数のCPU乗っけたハードウエアなんて見たことないわ
(CPUだけで、どんだけ乗っけてるのよって笑ってしまうくらい)
思うにこれ設計したやつはコスト意識とかない、アーケード畑の人の設計じゃないかと思う
白サターンで二個のSH2をワンチップにまとめたぐらいで大したコストダウン出来てない
サターンで懲りたのか次のドリキャスじゃシンプルなハードウエア構成になってたよなw >>148
当時を経験した人には感情までも蘇る素敵で的確な文章だね
みんなで顔を合わせて一つのことに夢中になり、一喜一憂し、関係を深めことができる立派なコミュニケーションツールだったよなぁ 価格差も大きいかもしれないね
確か最初はSSが4.5kでPSが4k、半年でPSが3kとかいう展開だったし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています