プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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>>196
当時はマルチメディアとか言ってゲーム機を家電みたいにしていこうって方針もあったようだからな
自分もサターンは電気屋さんに買いに行ったよ。店員の人も急に売れって言われて詳しくなかったのか
「バーチャルファイター面白いですよ」って思いっきり間違った名称でおススメしてくれたw 発売前はバーチャのこともあってサターンの方が期待されてたな
ファミ通ですらサターン寄りだった >>198
ポリゴンもムービーもあの時代にそこに特化したプレステが異常だったからなぁ
久夛良木の先見性がありすぎたわ あの頃は今思い返しても1番勢いがあった、とても華やかな時期だったな
色んな所からソフトもハードもガンガン出て、レーザーアクティブみたいな高額商品も普通に出て来た
次世代機戦争といわれるように、世代そのものが変わるくらいの勢いで
性能向上がもっとも大きかった時期でもあったと思うな
PCE-SFC-MD登場の時ですら、現行機の高性能版くらいの認識しかなかったので
文字通りに世代が上がったPS/SSのスペックは本当に驚愕だったよ
TOWNS/X68等の高価格なPC勢は余裕で抜き去り、2D性能は大型筐体等の1部を除いてアーケードマシン並
さらにハードウェアによる3D機能搭載にCD-ROMドライブ標準装備と
当時ブームだったマルチメディアにも完全に乗っていたからね
どの製品にも夢が一杯詰まっていたし、業界の将来性を危ぶむ者なんて誰もいなかった
この勢いはその後のPS2で一本化されて完成する感じではあったね >>203
https://the-liberty.com/itemimg/images/articles/2016/5/11188_01.jpg
日本のデフレ不景気が始まったのが丁度次世代機の1995年の消費税増税からなんだよな
日本の据え置き衰退はPS・SSから決まっていたという皮肉 PSはセーブするのに使うメモリーカードも馬鹿にならなかったな
公式のは容量少なくて高額、非公式の何百ブロックもあるのは当時怖くて手が出せなかった
一方のサターンは本体メモリに少量ながらセーブできる代わりに
外部パワーメモリーが恐ろしくデータが飛びやすいという yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
解る人だけ解れば良い やっぱプレステは鉄拳がすべての始まりだろ
サターンのバーチャ倒した >>204
据置ゲームの衰退はPCの低価格化やネットの普及に
スマホ等の個人用の小型端末の爆発的な勢力拡大による物と個人的に思ってるけどね SSは64ビット級の性能で売り込みだったが、今一だったな
同じソフトならSS版が安かったとか、負けハードの印象はあったな >>203
サターンPSが発売された94年は音楽でもミスチルが台頭してきたり小室ブームがあったりキムタクが注目されたり
93年までは80年代の延長って感じだったけど94年からようやく90年代に入ったかのような変化の年だったな
ゲーセンも楽しかった >>209
それはPS側が小売に圧力かけて値下げさせなかったのも大きいんだぞ
実際に公正取引委員会から是正勧告を食らってたし >>209
同タイトルだとサターンの方が出来が良いの多かったよ
格ゲーなど2Dのはね
なぜか読み込みも速い
2倍速で同スペックだけど >>213
> なぜか読み込みも速い
> 2倍速で同スペックだけど
だって読み込み専用にSH-1積んでるし、キャッシュ用メモリもサターンのほうが多かった
コストダウンなんか全く考慮してない豪華絢爛なハードウエアがサターン
PSと価格競争に巻き込まれて逆ざやで苦しむのも当たり前ですわw >>214
はえー
まあ白サターンじゃない初代買ったけど金かかってたんだねえ
しかしどうコストダウンするつもりだったんだろうか >>215
サターンほどカスタムチップ搭載して複数のCPU乗っけたハードウエアなんて見たことないわ
(CPUだけで、どんだけ乗っけてるのよって笑ってしまうくらい)
思うにこれ設計したやつはコスト意識とかない、アーケード畑の人の設計じゃないかと思う
白サターンで二個のSH2をワンチップにまとめたぐらいで大したコストダウン出来てない
サターンで懲りたのか次のドリキャスじゃシンプルなハードウエア構成になってたよなw >>148
当時を経験した人には感情までも蘇る素敵で的確な文章だね
みんなで顔を合わせて一つのことに夢中になり、一喜一憂し、関係を深めことができる立派なコミュニケーションツールだったよなぁ 価格差も大きいかもしれないね
確か最初はSSが4.5kでPSが4k、半年でPSが3kとかいう展開だったし サターンは格ゲー専用みたいな拡張カートリッジとかあったよね
当時ヴァンパイアハンターとかSNKのソフトには必須だったように思うんだけど >>214
日立のCPU屋の回顧録読んでたら「セガに呼び出されていったらCPUの処理性能が足りないと言われた。
「採用が流れるかと思ったらデュアルCPUに出来ないかと相談された
とか書いてあって笑った 当時カプ系の格ゲーやってたからサターン買ったな
ヴァンパイアハンターとか満足できる出来だった >>216
これ、そうだよね。
サターンは、音声処理用にモトローラの68000を積んでいた。
68000ってX68000のメインCPUでっせ。
なんと贅沢な機械だと思った。
コストダウンのことなんか全然考えてなかったんだろうな。 >>216
コストダウンの結果GD-ROMドライブがブラシモーターってのはやりすぎだったがな
モーターの制御チップが煙吐いて死ぬとかおもちゃ屋がやっていいことじゃなかった サターンとプレステってレコード屋でも売ってたな。体験コーナー的なのもあった。 ファミ通とかで開発中の画面やらアーケードとの比較画像やら載ってた頃は雑誌見ても面白かったんだけどなぁ >>203
レーザーディスクゲームは、当たり前だが動画はズバ抜けてた
UIとかはPCE基準でしょぼかったがw
ttps://i.imgur.com/FDyt8ft.jpg >>148
ファミコン時代が長かったからか、目まぐるしく一気に駆け抜けた感があるな
今より昔のゲームの方が面白いと思わないが、自分のゲームへの想いは、あの頃に生まれたものなのは確かだね なぜかすぐに両方買えるほど金持ってた
何故だ
今はswitch買うのにも躊躇するぐらい金ないのに お金があるかないかの問題じゃなくて
そこまで欲しいなのかの問題だ
本当に欲しいならお金は自然に出せる 日付が変わる頃にコンビニ行ってファミ通買うほど情報に飢えてた
ゲームの動いてる画面見るためにおもちゃショー行ったりゲームカタログをビデオに録画してた >>223
他にもサウンド用とシステムコントロール用に32bitDSPをそれぞれ搭載
Disk読み込み専用のSH-1、カートリッジ用にデータ伸長チップ
金のかかったハードではあったな PS初期に商用インターネットはまだないな
自分の記憶中、流行したのは97年以降
ゲームの情報来源は雑誌とテレビ番組しかなかった PCEは継ぎ足しだらけのサターンとちがって、合理的な設計だと思うがなあ そこまで売れたわけじゃないけど
PCEは色々偉大だな
あの構想は本当に面白い、お金もかかるけど デイトナ出るまで様子みて確認してから
PSとリッジお買い上げ 同世代のトップ
まあ、PCEはSFCとPS/サターンの中間世代だと思うけど >>222
わかる。ハンターや95でようやくまともな2D格ゲの移植が遊べるようになったって感じ。 両方買ったけどポリゴン(あえてポリゴンって言うわw)クッソ汚くて
画面見にくくて思わず2D教に入信するかと思ったわ >>243
ハードの延命策みたいなのってそんな昔からあったのね
今でいうNEW3DSやPS4pro…みたいなのとは違うのか
結局そのコア思想って上手くいかなかったのだよね?
やっぱ中途半端な延命よりかは新ハード出したほうが良かった、ってことなのかな 出た当時て大して騒がれてなかったんだよな、先に出た3DOが
電気屋で試遊出来て値段高いしこりゃ売れんだろう、と思ってた >>247
結局はそうだけど
思考の方向はちょっと違うだと思う
補完していく必要がある構想で設計した
まあ、延命とは変わらないね >>208
>PCの低価格化
確か、これがおき始めた頃に中韓系が
MMO始めて、日本のサードが余裕こいてた
ら不利な状況になったんだよな。
でもある意味仕方ないかも。
当時の感覚じゃPCゲーなんて人気ない
みたいな認識が強かったしさ >>216
でも、複数チップ載せるよりも、できるだけ
なら一まとめにした方が、余分な遅延や
データのやりとりが少なくて、性能面で効率
がいいんだよな。 >>250
あのころのPCも現在より色々面倒
サウンドカード、グラフィックカードとか
そして相性性の問題もあった
今はもうほとんどない わくわくが押し寄せてきた
泣いてる場合じゃなかった >>246
そりゃ、あの当時で綺麗なポリゴン
見たきゃ、SGIのワークステーション
ぐらいしかないからねえ、 >>248
元々3DOはサードからライセンス取らない
方針だったから、ハードを安くできなかった。
3do規格を立ち上げた。元EAだかの人が
「サードがにんてんやセガみたいとこに
ライセンス払うのはおかしい」みたいな
感じでライセンス徴収しない方向にした
みたい。 バーチャルハイドライドを何回もやった
かなり初期のゲームなので開発ノウハウがないせいか処理がかなり重かったけども
かなり先見性のあったゲームだったと思う
この方向性を伸ばした新作を作ってほしかった >>208
それなら日本以外では据え置きは相変わらず流行っているので矛盾する
一方でGDPの成長に当てはめると完全に説明がつく
ちなみに日本は先進国で唯一大学生のPC普及率が下がっている国である
スマホにしても日本市場の割合は低く、単なる安いPCとして普及している PCエンジンのコア構想って、今のPS4>PS4PRO
みたいにハード本体をマイナーチェンジさせる
んじゃなくて、最初に出してハードにオプション
パーツを追加して、性能や機能を上げるって
方向だったような。
どっちかと言えば。PCにパーツ追加して
性能上げるのに似てたような。 M2!結局発売されなかったな 当時学生でM2関係者も兼ねてる講師にロゴのアンケートまで答えたのに 1時代1ハードしか買えなかった当時の俺らには
大量のハード持ってる奴は神だった
あのゲーム機にはあのゲームがあるからいいよね、とみんなで褒め称え
どのハードも良い点しかなかった >>261
ファミコンにはテトリスがあるからいいねメガドラ版はセガのミスで発売中止になっちゃったよおのれ任天堂ライセンスの穴をついてうまいことやりやがってはめられたちくしょう
みたいな微笑ましいエピソードばっかりだよね(^ー^ >>261
PS/SSにしても同じだったな
どっかのメーカーが「次世代機戦争」とか言い出すまではな
それで何かゲームにいいことがあったかと言えば何もない
単に人間の悪意を燃え立たせるだけの悪魔の所業だよ
「定価販売だ!!中古の必要はないよ」も粉飾だったw >>255
当時はNECのPCで非常に苦労した記憶がある
とにかくWindows95や98との相性が悪かったらしく、NEC配布の修正プログラムがないとバグだらけだった
当然のようにWin対応のゲームとの相性も悪くて、修正の情報集めに奔走してた思い出 思えばPSブランド立ち上げ=ソニーと任天堂との全面抗争の幕開けだったんだよなあ
当時はそんな事情があったとは知らなかったが・・・ 元々そういうのなかったはずだけど、久多良木がそういうの発端に繋げた。
SMIの人間も内心ゲーム機戦争に対して乗り気じゃないと思ってたのかもしれない。ポケモンで大成功した後のゲームフリークにPSで1本つくらせてたし。 PSはリッジ、SSはバーチャだったからソフトだけ見たらSSに軍配が上がりそうな雰囲気だったけど、結果的にずっとPSがリードし続けた感じだったよな
なぜか「今後ソフトのラインナップが一番豊富になるのはPS」って風説がずっと蔓延してたと記憶してる
ネットは無くてもすでにソニーのステマは始まってたのかもしれないな サターンは一応序盤はプレステより先にバーチャで100万台いったからな
でもセガだし・・・みたいな空気はずっとあったな
あとプレステは最初はソニーが作ってるってだけでなかなか定着しなかったよ
よく言われてるけどあの時代にFF7持って来たあたりから全部のゲームがプレステに来るのかな?って感じになってた
あとはFF7の前にバイオのブームとかも効果的だった youtubeで『ゲーム機大戦』シリーズをまた見たくなった 最初の一年はサターンがわずかにリードしてたよ
そして一年後の年末商戦で、SSがバーチャ2、PSがリッジレボリューションを出す訳だが
当時はバーチャブームが来てたからバーチャ2は物凄いキラーだったようで、ここでかなり勢いはSSに傾いてたそうだよ
しかしそれから1カ月ちょい後FF7の発表がある訳だ。これで一気にPSが形勢逆転した
さしものバーチャも当時のFF人気の前では相手にならなかったという訳だ ビヨビヨやキングスみたいな奇ゲーだらけのところに颯爽と現れた普通のRPGが幻想水滸伝だった >>272
そんな明快な逆転劇だったっけ??
かなり昔のことだから自信はないけど、FF7が決まったときはそりゃ驚いたけど、まぁPSが妥当っちゃあ妥当かなって思った記憶が バーチャ2はポートレートやらリミックスやら派生商品で発売日まで引っ張った末
発売後は集荷本数多すぎて速攻値崩れワゴン行きだったな
その頃はアケ版の人気も一段落してたし
以降佳作タイトルはちょくちょく出るけどすぐPSに移植されたりして
ハードを引っ張るキラーソフトが出なかったのが痛かった 格ゲーマルチとかはPS不利ではあったけどほぼ同じソフトが出てたしセガゲーとナムコゲーもいい勝負してた
でも家庭用オリジナルタイトルの差でPSが安定し始めてたんだよな
実際のところFF7の発表1つですべてがひっくり返ったわけじゃなくてその前にバイオのヒットやらで勝負はついてた感じある
FF7の発表が全てだと思ってる人は「自分が買うと決めたきっかけ」だから印象に残ってるだけ バイオ1、FF7は中高生男子ならほとんどプレイ経験あったな netnewsのfj.rec.games.video.home、家ゲー板的なところでも今と似たような話してるからログ掘ってみるといいよ
http://katsu.watanabe.name/unifiedfj/
例えば
http://katsu.watanabe.name/ancientfj/article.php?mid=1994Oct14.124026.6340%40news.cc.yamaguchi-u.ac.jp
> > バーチャやりたいからサターンは買わなきゃ、
> > でもプレイステーションも.........
> 私も サターン と プレステーションねらってます。
> デイトナ と 極パロ と リッジに期待してます。
> サターンのハンドルに期待してます。
皆が考えているよりも、サターンとプレイステーションへの期待の性質には
少し違うところがあるのではないでしょうか?
サターンもプレイステーションもラインナップの魅力では互角でしょう。
ただ、製品の出来だとかそういうものに関係なく「SEGA」という名前の
魅力に引き付けられる人、というのが(私を含めて)いる訳で、「サターン
期待」派の人が全部VF目当ての人ばかりではないということです。
もちろん「家電メーカーとしてのSONY」に対しても同様の人が
少なからずいるとは思いますが、、、
10年以上に渡って半独占市場で生き延びてきたゲームメーカーですので
応援する人のハートには、決して馬鹿に出来ないものがあるんです。
セガがサターンで成功するかどうかが、セガがソニーや本田のような
カリスマ企業になれるかどうかの別れ道だと、私は思います。 >>276
バイオ1はじわ売れで本体持ってる人に口コミで広まっていったがあまりハード引っ張ってた印象ないし
その年の年末はVC、VF2、セガラリーで完全にサターンがぶっちぎっていたはず
サターンが100万台キャンペーンやってた時PSが「行くぞ!100万台キャンペーン」やってたのも有名な話
PSは元々初年度はサターンに押されてリッジ、闘神伝、ガンダム、バイオとかで何とか食らいついていって
FFで大逆転した印象
この頃までは鉄拳も「なんかキャラが気持ち悪いバーチャのパクリ」程度の扱いだった
(PS2での直接対決ではVF4が鉄拳4にトリプルスコアで勝ってたが) >>279
バイオは96年でバーチャ2は95年年末だよ
サターンはバーチャ2出した後が厳しかったね
96年に入るとPSは鉄拳2バイオが出てストZERO2もPS先行だったり
夏のトバルにFF体験版付いてたり一気にPSの流れになったな
サターンの96年年末はバーチャロンメガミックスクリスマスナイツが出たけどバーチャ2ほどの目玉が無かったし バイオ1には爆発的な普及力はなかったよ
オープニングの実写といい洋ゲー丸出しだったから、当初の評価はやや鈍かった
完全に地位が確立したのは2からじゃないか しかし今思えばよくあのラジコン操作とか言うやたら操作しにくいゲームが流行ったもんだよなあ で、いつまで経っても確固たる地位を築けなかったのがトゥームレイダー
3ではついにエニックスが販売元になって懸命にPRしたけど全然ダメだった ギャルゲーの全盛期だったよね
ときメモが今では考えられないほど売れてた >>284
フツメンどころかイケメンやスポーツマンまでプレイしてたからな
ブームってすげぇわ >>279
バイオ1は国内だけで300万本近く売れたのにハード引っ張らなかったは無理がある 聞いてると、サターンって結局 やれバーチャファイターだデイトナだとかのマニアックなゲーマー向けのゲームしか目玉として用意できなかったのが原因じゃね?って思うんだが…
コアなゲーマー以外喜ばないラインナップじゃん
普及には圧倒的大多数のライトゲーマーが必要なんだし、その層にバーチャファイターとか受けないでしょw
スーパーのゲームコーナーのアストロシティバーチャファイ2
1回200円で子どもの頃おいそれとプレイできなかった
3回戦えてお得なKOFとか気持ちが向かった 当時のバーチャはSFC持ってなかったような一般人がブーム作ったんだぞ >>287
結局それ
格ゲーとかシューティングとか基本ゲーセンで楽しんでた人にはうれしいラインナップだったが
SFCから乗り換える受け皿は最後まで用意できなかった ナイツが一般には売れないのは高校生の俺でも発売前に分かった >>287
バーチャだけは今のイカよりもすごかった
ゲームやらないような人までバーチャやってた
あとはまぁセガファン、セガアーケードファン、コアな格ゲーファン、ギャルゲーファンが買ったハード でもデカスリートとかはコナミのハイパーオリンピックとは比較にならないくらい出来が良かったし
他にもそれなりに売れるゲームをいろいろなジャンルで出していて
クリスマスとかの商戦期以外は結構PS以上の数字出してて結構ラインナップはバランス良かったんだぞ
商戦期は一桁違ってた気がするが >>250
海外のPCが入り始めたのが90年代初頭で、PC-98神話が健在だった当時としては、
海外のPCはまだまだマニアックでマイナーな存在だったし、それでも30万円位してたな
低価格PCの走りとなったコンパックショックはもう少し後の話
それがWindows95発売の辺りで、海外PCに飲み込まれる事を悟ってか、
国産PCでゲームを作ってた各メーカーや、アマチュアで活躍してた人材はPSに参入
アートディンクはアクアノートの休日、エグザクトはジオグラフシールをリファインしてジャンピングフラッシュを開発
もしここでPCの方に移行していたら、日本でもPCゲームはメジャーな地位を
保っていたかも知れないが、やっぱり価格と市場規模ではCS機に勝てなかった ちなみにセガサターンは2CPUじゃなくて4CPU
メイン SH2×2
サウンド MC68000
CDドライブ SH1 >>283
新生トゥームレイダーはなかなか面白かったけど、ゲーム内容よりPC版の日本語問題のほうが話題になってしまったw トゥームレイダーは1〜4までくらいが一番面白かったって意見も結構あるのに
日本ではさっぱりで、ようやく立ち位置を確保したのはごく最近だもんなあ
DOOMなんかもそうだし洋ゲーは大変だ サターンって結局国内での最初の一年だけ輝いてたハードだったなあ
結局アケゲーの移植しかウリがなかったのが致命傷だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています