プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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バーチャルハイドライドを何回もやった
かなり初期のゲームなので開発ノウハウがないせいか処理がかなり重かったけども
かなり先見性のあったゲームだったと思う
この方向性を伸ばした新作を作ってほしかった >>208
それなら日本以外では据え置きは相変わらず流行っているので矛盾する
一方でGDPの成長に当てはめると完全に説明がつく
ちなみに日本は先進国で唯一大学生のPC普及率が下がっている国である
スマホにしても日本市場の割合は低く、単なる安いPCとして普及している PCエンジンのコア構想って、今のPS4>PS4PRO
みたいにハード本体をマイナーチェンジさせる
んじゃなくて、最初に出してハードにオプション
パーツを追加して、性能や機能を上げるって
方向だったような。
どっちかと言えば。PCにパーツ追加して
性能上げるのに似てたような。 M2!結局発売されなかったな 当時学生でM2関係者も兼ねてる講師にロゴのアンケートまで答えたのに 1時代1ハードしか買えなかった当時の俺らには
大量のハード持ってる奴は神だった
あのゲーム機にはあのゲームがあるからいいよね、とみんなで褒め称え
どのハードも良い点しかなかった >>261
ファミコンにはテトリスがあるからいいねメガドラ版はセガのミスで発売中止になっちゃったよおのれ任天堂ライセンスの穴をついてうまいことやりやがってはめられたちくしょう
みたいな微笑ましいエピソードばっかりだよね(^ー^ >>261
PS/SSにしても同じだったな
どっかのメーカーが「次世代機戦争」とか言い出すまではな
それで何かゲームにいいことがあったかと言えば何もない
単に人間の悪意を燃え立たせるだけの悪魔の所業だよ
「定価販売だ!!中古の必要はないよ」も粉飾だったw >>255
当時はNECのPCで非常に苦労した記憶がある
とにかくWindows95や98との相性が悪かったらしく、NEC配布の修正プログラムがないとバグだらけだった
当然のようにWin対応のゲームとの相性も悪くて、修正の情報集めに奔走してた思い出 思えばPSブランド立ち上げ=ソニーと任天堂との全面抗争の幕開けだったんだよなあ
当時はそんな事情があったとは知らなかったが・・・ 元々そういうのなかったはずだけど、久多良木がそういうの発端に繋げた。
SMIの人間も内心ゲーム機戦争に対して乗り気じゃないと思ってたのかもしれない。ポケモンで大成功した後のゲームフリークにPSで1本つくらせてたし。 PSはリッジ、SSはバーチャだったからソフトだけ見たらSSに軍配が上がりそうな雰囲気だったけど、結果的にずっとPSがリードし続けた感じだったよな
なぜか「今後ソフトのラインナップが一番豊富になるのはPS」って風説がずっと蔓延してたと記憶してる
ネットは無くてもすでにソニーのステマは始まってたのかもしれないな サターンは一応序盤はプレステより先にバーチャで100万台いったからな
でもセガだし・・・みたいな空気はずっとあったな
あとプレステは最初はソニーが作ってるってだけでなかなか定着しなかったよ
よく言われてるけどあの時代にFF7持って来たあたりから全部のゲームがプレステに来るのかな?って感じになってた
あとはFF7の前にバイオのブームとかも効果的だった youtubeで『ゲーム機大戦』シリーズをまた見たくなった 最初の一年はサターンがわずかにリードしてたよ
そして一年後の年末商戦で、SSがバーチャ2、PSがリッジレボリューションを出す訳だが
当時はバーチャブームが来てたからバーチャ2は物凄いキラーだったようで、ここでかなり勢いはSSに傾いてたそうだよ
しかしそれから1カ月ちょい後FF7の発表がある訳だ。これで一気にPSが形勢逆転した
さしものバーチャも当時のFF人気の前では相手にならなかったという訳だ ビヨビヨやキングスみたいな奇ゲーだらけのところに颯爽と現れた普通のRPGが幻想水滸伝だった >>272
そんな明快な逆転劇だったっけ??
かなり昔のことだから自信はないけど、FF7が決まったときはそりゃ驚いたけど、まぁPSが妥当っちゃあ妥当かなって思った記憶が バーチャ2はポートレートやらリミックスやら派生商品で発売日まで引っ張った末
発売後は集荷本数多すぎて速攻値崩れワゴン行きだったな
その頃はアケ版の人気も一段落してたし
以降佳作タイトルはちょくちょく出るけどすぐPSに移植されたりして
ハードを引っ張るキラーソフトが出なかったのが痛かった 格ゲーマルチとかはPS不利ではあったけどほぼ同じソフトが出てたしセガゲーとナムコゲーもいい勝負してた
でも家庭用オリジナルタイトルの差でPSが安定し始めてたんだよな
実際のところFF7の発表1つですべてがひっくり返ったわけじゃなくてその前にバイオのヒットやらで勝負はついてた感じある
FF7の発表が全てだと思ってる人は「自分が買うと決めたきっかけ」だから印象に残ってるだけ バイオ1、FF7は中高生男子ならほとんどプレイ経験あったな netnewsのfj.rec.games.video.home、家ゲー板的なところでも今と似たような話してるからログ掘ってみるといいよ
http://katsu.watanabe.name/unifiedfj/
例えば
http://katsu.watanabe.name/ancientfj/article.php?mid=1994Oct14.124026.6340%40news.cc.yamaguchi-u.ac.jp
> > バーチャやりたいからサターンは買わなきゃ、
> > でもプレイステーションも.........
> 私も サターン と プレステーションねらってます。
> デイトナ と 極パロ と リッジに期待してます。
> サターンのハンドルに期待してます。
皆が考えているよりも、サターンとプレイステーションへの期待の性質には
少し違うところがあるのではないでしょうか?
サターンもプレイステーションもラインナップの魅力では互角でしょう。
ただ、製品の出来だとかそういうものに関係なく「SEGA」という名前の
魅力に引き付けられる人、というのが(私を含めて)いる訳で、「サターン
期待」派の人が全部VF目当ての人ばかりではないということです。
もちろん「家電メーカーとしてのSONY」に対しても同様の人が
少なからずいるとは思いますが、、、
10年以上に渡って半独占市場で生き延びてきたゲームメーカーですので
応援する人のハートには、決して馬鹿に出来ないものがあるんです。
セガがサターンで成功するかどうかが、セガがソニーや本田のような
カリスマ企業になれるかどうかの別れ道だと、私は思います。 >>276
バイオ1はじわ売れで本体持ってる人に口コミで広まっていったがあまりハード引っ張ってた印象ないし
その年の年末はVC、VF2、セガラリーで完全にサターンがぶっちぎっていたはず
サターンが100万台キャンペーンやってた時PSが「行くぞ!100万台キャンペーン」やってたのも有名な話
PSは元々初年度はサターンに押されてリッジ、闘神伝、ガンダム、バイオとかで何とか食らいついていって
FFで大逆転した印象
この頃までは鉄拳も「なんかキャラが気持ち悪いバーチャのパクリ」程度の扱いだった
(PS2での直接対決ではVF4が鉄拳4にトリプルスコアで勝ってたが) >>279
バイオは96年でバーチャ2は95年年末だよ
サターンはバーチャ2出した後が厳しかったね
96年に入るとPSは鉄拳2バイオが出てストZERO2もPS先行だったり
夏のトバルにFF体験版付いてたり一気にPSの流れになったな
サターンの96年年末はバーチャロンメガミックスクリスマスナイツが出たけどバーチャ2ほどの目玉が無かったし バイオ1には爆発的な普及力はなかったよ
オープニングの実写といい洋ゲー丸出しだったから、当初の評価はやや鈍かった
完全に地位が確立したのは2からじゃないか しかし今思えばよくあのラジコン操作とか言うやたら操作しにくいゲームが流行ったもんだよなあ で、いつまで経っても確固たる地位を築けなかったのがトゥームレイダー
3ではついにエニックスが販売元になって懸命にPRしたけど全然ダメだった ギャルゲーの全盛期だったよね
ときメモが今では考えられないほど売れてた >>284
フツメンどころかイケメンやスポーツマンまでプレイしてたからな
ブームってすげぇわ >>279
バイオ1は国内だけで300万本近く売れたのにハード引っ張らなかったは無理がある 聞いてると、サターンって結局 やれバーチャファイターだデイトナだとかのマニアックなゲーマー向けのゲームしか目玉として用意できなかったのが原因じゃね?って思うんだが…
コアなゲーマー以外喜ばないラインナップじゃん
普及には圧倒的大多数のライトゲーマーが必要なんだし、その層にバーチャファイターとか受けないでしょw
スーパーのゲームコーナーのアストロシティバーチャファイ2
1回200円で子どもの頃おいそれとプレイできなかった
3回戦えてお得なKOFとか気持ちが向かった 当時のバーチャはSFC持ってなかったような一般人がブーム作ったんだぞ >>287
結局それ
格ゲーとかシューティングとか基本ゲーセンで楽しんでた人にはうれしいラインナップだったが
SFCから乗り換える受け皿は最後まで用意できなかった ナイツが一般には売れないのは高校生の俺でも発売前に分かった >>287
バーチャだけは今のイカよりもすごかった
ゲームやらないような人までバーチャやってた
あとはまぁセガファン、セガアーケードファン、コアな格ゲーファン、ギャルゲーファンが買ったハード でもデカスリートとかはコナミのハイパーオリンピックとは比較にならないくらい出来が良かったし
他にもそれなりに売れるゲームをいろいろなジャンルで出していて
クリスマスとかの商戦期以外は結構PS以上の数字出してて結構ラインナップはバランス良かったんだぞ
商戦期は一桁違ってた気がするが >>250
海外のPCが入り始めたのが90年代初頭で、PC-98神話が健在だった当時としては、
海外のPCはまだまだマニアックでマイナーな存在だったし、それでも30万円位してたな
低価格PCの走りとなったコンパックショックはもう少し後の話
それがWindows95発売の辺りで、海外PCに飲み込まれる事を悟ってか、
国産PCでゲームを作ってた各メーカーや、アマチュアで活躍してた人材はPSに参入
アートディンクはアクアノートの休日、エグザクトはジオグラフシールをリファインしてジャンピングフラッシュを開発
もしここでPCの方に移行していたら、日本でもPCゲームはメジャーな地位を
保っていたかも知れないが、やっぱり価格と市場規模ではCS機に勝てなかった ちなみにセガサターンは2CPUじゃなくて4CPU
メイン SH2×2
サウンド MC68000
CDドライブ SH1 >>283
新生トゥームレイダーはなかなか面白かったけど、ゲーム内容よりPC版の日本語問題のほうが話題になってしまったw トゥームレイダーは1〜4までくらいが一番面白かったって意見も結構あるのに
日本ではさっぱりで、ようやく立ち位置を確保したのはごく最近だもんなあ
DOOMなんかもそうだし洋ゲーは大変だ サターンって結局国内での最初の一年だけ輝いてたハードだったなあ
結局アケゲーの移植しかウリがなかったのが致命傷だった AZELっていうFF7を越える名作が出たからいいよ
ダンジョンマスターの最終作もサターンだけだったし 自分はPSを発売日に買ったなぁ
スーファミからバリバリの3Dポリゴンのゲームに進化するって凄いワクワクしたもんだ。
その時はまだ64はあまり情報が出てなくて謎ハードだった。
サターン PSが出た当時はゲーセンがまだ元気で、アーケードゲームが次々移植されるサターンが勢いがあって、PSを選んだことを少し後悔し始めてた。
そこにいきなりTVCMでFF7が来て、TV前で飛び上がって「うおおおぉ!」って叫んだよ。
結局それが次世代ゲーム機戦争の決め手となったって感じ
懐かしいなぁ〜 >>287
サターンの敗因は3Dも2Dもどっちもそこそこいけますよっていう器用貧乏、中途半端さだよ。
結果、3D特化のPSにFFを取られた。
64はカートリッジ式にしたことで容量少なくて、3Dポリゴンやムービーによる大容量化するゲームに対応できなくて負けた。
販売も完全に出遅れてたしねぇ
64がCDROM採用してたら、確実に天下とってたんだろうな >>284
サクラ大戦が一時期プチブームが来てたな >>287
そもそも発売当時はライトユーザーって概念がまだ無かった
そこにいち早く目を付けて開拓していったのが久夛良木だったからまさに先見の明が凄かった
>>301
そもそもこれからは3Dポリゴンの時代です!ムービーの時代です! って方向性に持って行ったのも
久夛良木の戦略の一つだと思うな。PSの得意分野に上手く勝負を持って行った訳だ。実は3Dゲームは64の方がよっぽど出来が良かったが
指摘の通り容量が無かったからRPGなどの当時の一番人気ジャンルに弱くその点は最初から最後までネックになった プレイステーション
遊ぶ基地か、誰が考えたのか、おかしな名前だよな
PCE、3DOと失敗して、これもダメかと思っていたら大成功
これからがPS時代の始まり 発売前〜発売直後ぐらいは、バーチャがあったのとエロゲ移植いっぱい出るらしいぞってのでサターンの方が期待されてた
エロゲがおっぱいすらまともに描かない家庭用移植で皆でがっかりして、FFが一気に根こそぎかっさらってった
あくまで俺の身の回りの話 >>304
ワークステーションっつービジネス用のバカ高いコンピュータがあってさ
ゲームに特化したワークステーション並みのゲーム機
「ワーク」では無く遊びに使うから「プレイ」ステーション って事だったらしい ソニーは昔からPC方面でぼったくるのが好きだったからなー
「VAIO専用HDD」なるものを超高値で売り付けてて呆れてた記憶 32ビット機はパナソニックとソニーがゲーム初参入で、
バーチャを擁するセガ、NEC、少し違うがバンダイもハード出すというので
非常に盛り上がってた気はするけどな。
任天堂の組長はそういう盛り上がりの時も
水を差すようなことしか言わんかった。
Windows95が社会現象化する中で、
マルチメディアが当たり前になってきてる中、
「マルチメディアでゲームが面白くなるんですか」
とか噛み付いてたのをよく覚えてる。
組長の予言通り64DD大コケしたけどな。 パーソナルコンピュータに対してのファミリーコンピュータ
ワークステーションに対してのプレイステーション
当然ながら任天堂を相当意識してたよなあ 当時はサターンが先行してて
最初の目標100万台売るために開発が経営陣に
噛み付いた話は有名 今にして思えば、山内がCDを叩いてたのも、ロード時間のせいじゃなくROMを独占的に売って儲けるという任天堂のビジネスモデルが崩壊するから叩いてんだな
山内ゲーム一切しなかったし あの頃は格ゲーでゲーセン入り浸ってたなぁ
家にはSFCMDPCEはあったが殆どやってたないような
ファイプロとパワプロやってたかなぁ
でもサターンは発売日に買った
高校3年だったっけかな
VF1辺りならサターンパッドで余裕だったね
psは大学入ってバイトしてた店に買い取りできた綺麗な奴を店長が横流ししてくれて買い取り値段でそのまま買えたなぁ ゲーセンのゲームがほぼそのまま遊べるようになったのもPSサターンからだもんな
ナムコミュージアムとか感動したから、全作揃えて専用ケースに入れていまだに飾ってある 64はマリオと一緒に買って間があってからパワプロ専用機になったかなぁ
ブラストドーザーの為に未だに引っ張り出すけど
>>313
あのナムコミュージアム
棚にnamcoって並べてると中学生が毎回mancoにしていきやがったなぁw
懐かしいこと思い出した >>301
サターンの2Dはそこそこどころか家庭用ゲーム機史上最強と言ってもいいくらいだよ
PS以降の2Dは奥行きのない3Dだからね >>315
は?
ドリームキャストの2D性能にすら及んでないが?
”2D専用の機能”の性能についていってるのならその通りだけどな
なんせSS以降のゲーム機にはそんなの必要ないん >>303
64は発売がおそすぎて、CD-ROMを採用してたくらいでひっくり返せたか疑問
1994/11/22 SS発売
1994/12/3 PS発売
1995/4 SS 国内100万台突破
1995/5 PS 国内100万台突破
1995/7/21 バーチャルボーイ発売
1996/6/23 N64発売
1996/11 PS 世界1000万台突破
最終的にはPS:1億,N64:3200万,SS:950万
SSの桁間違えてるんじゃないのかというくらいの失速はいつ見ても驚く >>316
そりゃそうだろう
以降の機種はパワーで押し切れるんだから2D専用機能なんかいらない
同じこと言ってるのになんでそんなに攻撃的なんだか プレステはマジで壊れやすかったから買換え需要も幾分あったろう 同じことを強い語調で言い直せば優位に立った気分になれるからな >>318
は?
じゃお前の言う 家庭用ゲーム機史上最強 ってなんだよ?
まさかサターンが現役だった時代で最強!とかいう意味でつかったとでも?
ならスーパーファミコンだって、スーパーファミコン以前の機種の中では史上最強の2D性能だわw > サターンの2Dはそこそこどころか家庭用ゲーム機史上最強と言ってもいいくらいだよ
これは2Dを基本とした設計のマシンでは最強マシンなのは間違いない
サターン以降はマシンパワー上がりまくって、3Dで代用できるようになったから
スプライトとかBG画面とか2D用の機能要らなくなった >>243
コア構想マジで夢のようだった
キーボードとかプリンタとか繋げた構想図見たときパソコンいらねーじゃんとか妄想できて楽しかった
実際はそんなの展示会ぐらいでしか出てなかったような >>274
だいたいそんな感じだった
少しだけサターン先行だった >>322
サターンの2Dはドリームキャストより上だもんな。 >>321
なんか変なのがきたから終わりにしよう
君の言うとおりだということにしておくからそんなに怒らないでよw >>301
64がCDだったとしてもあやしいな
たしかに任天堂ソフトはすごかったけど64の開発のしにくさは伝説級だし、ソニーのサポート体制とかプレステの開発のしやすさはすごかった
宣伝もソニーがすごかった あの時のソニーはちゃんとソフトメーカーとして頑張ってたよなあ 64が天下とかないと思うわ
上でも語ってるが開発難度が半端なくて、当の任天堂さえ手を焼いてたし
予算豊富な任天堂さえこれだぞ
サードがまともに作れるわけ無いってw 最初の2年はサターンもPSも均衡してたが、やはり参入や開発のしやすさでPSが抜けてきた感じだな。
結果、PSは中小サードが乱立してクソゲー祭りにもなったんだけど、有力サードもちゃんと
確保してあったのでバランス自体はサターンに比べて良かった。 >>332
開発機材がPSは糞安くて、ツールが使いやすかったらしいね
ソニーは他ハード用に使うなと言ってたが、ソニー提供のツール使ってサターン用ゲームも作ってたみたいだし 当時の話とか見てるとソニーはソニーミュージック出身者が多かったこともあってクリエイター=ミュージシャンみたいな感じで一緒になっておもしろいゲーム作ってビッグになりましょー的なノリだったみたいだな
だから開発サポートだけじゃなくて相談とか面白くするためにどうするかとか親身になってたとか
あとやっぱナムコが整えてくれた開発環境が大きそう 小学校低学年とかで当時の情報源がコロコロとおはスタくらいしか無かった自分にとっては64が負けハードってのは後から知って驚いた
今よりは子供が多かったから子供向け専用でもある程度のビジネスにはなったんだろうなあ キッズ向けゲームはそこそこあったしコロコロとかでステマしてたからゆとりキッズからしたら64は勝ちハードみたいな存在らしいなw
実際は国内だとセガサターン以下だったんだけど
あの頃はまだ子供も据え置き機を買う時代だったな 発売時はどっちも空気だった
発売で盛り上がった思い出の持ち主は
40代無職童貞の俺よりも年上のゲーマーさんですよね? まずソニーがゲーム機ってのが畑違い感満載だった
ソフトメーカーもナムコぐらいしかめぼしいの出してなかったしアーケードメーカーはサターンの方が多かったから家電屋が出した3DOと同じ様に絶対消えると思ってたな 当時ネットは一般的じゃなかったから全体の雰囲気はわからんな〜
二機種だけじゃなく他にも同時期に沢山ゲーム機出たから戦国時代の幕開け!って雰囲気があったかな
王者任天堂の牙城を崩すのは何処か?って雰囲気 本体の値段もスーファミと比べたら高かったからな
でもPSの発売日に店を何軒か回ったけど売り切れてたよ >>319
グリーンベレー君の作者も熱中しすぎて五台目突入って書いてたね。面白いからそのまま気にせず買い換えてたんだろうけれども。 >>336
それステマじゃなくて普通に宣伝だし
コロコロは読者アンケートからゲーム機選んでた。 >>317
SS、頑張ってたの国内だけで北米がダメだったからなぁ
ソニック無いとしてもあんであそこまでボロボロだったんだろう サターンてcpuとか2つにしたり色々金かけてそうなハードだったけどなんであんなにポリガンしょぼかったの?
当時アーケードのモデル1にくらべるとめちゃくちゃしょぼかったよね。 >>343
北米はメガドラが普及してたから新機種じゃなくて拡張アダプタを出したいという意向があって、
サターンとほぼ同時期にスーパー32Xだしてるんだよね サターンの誤算
1.思ってたよりもサードが集まらなかった
2.思ってたよりも海外で売れなかった(皮肉な事にメガドライブの好調さが足を引っ張ったという説がある)
3.ハードのコスト削減がうまくいかなくて(パーツ構成の問題らしい)本体を売っても利益を上げにくかった
4.マニア向け、ゲーマー向けみたいな雰囲気が当時のニーズにいまいち合わなかった メガドライブはソニックだけじゃなくてスポーツ系とか海外でウケそうなタイトルが結構出てたと思うけどサターンはそうでも無かったのかな
海外で売るのだったらセガの方が得意そうだと当時は思ってた
PSが海外で売れると思わなかった >>347
同時期にPSが無かったらサードはかなり集まってただろうな
同時期に同じようなハードがもう一個出たのが最大の誤算かつ不運
でもその場合、多分スクウェアやエニックスはSSじゃなくて64になったと思う
だからどの道負けてたかな >>93
サターンにVideoCDアダプター付けて
エロ本のおまけに付いてたCD-ROM見まくった思ひ出 バーチャとリッジやりたくてどっちも発売日に買ったけどリッジばかりやってたな
しかもリッジはゲーム中に音楽CD入れると音楽ながせたよな
リッジの後の鉄拳にはもっとハマったわw
FF7出た後の鉄拳2とかあの頃は勢い凄かったな >>343
まず一番大きいのがバーチャがそこまで人気出なかったことだな
なんでかは知らないけど
バーチャブームもなくてソニックも出ないセガハードでしかも北米セガが推したのは32xなんだからそりゃコケる >>351
リッジの衝撃は当時凄かったね。あれだけでPS欲しい! って思わせる力があった
バーチャはすでにゲーセンでやってた人はともかく初見では訴求力が弱かったと思うね
だから最初はリッジがやりたくてPSを買おうと思ってたが
結局グレイテストナインって言う野球ゲームに惹かれてSSを買ったw
こういうパターンはきっとかなりの少数派だろう この頃はSNKに勢いがあったな
ゲーセン行けばそこが最新だった >>352
バーチャ不人気はリングアウトで負けってのが
欧米人には理解不能で理不尽とかいう理由だったはず
逆にリングアウトが無い鉄拳に人気が集中した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています