プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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サターンと32Xを連続で買ったからPSは無視ってたわ。
SSは勿論バーチャ、32Xはスペハリにアフターバーナーにバーチャレーシングと
アケゲーファンはセガ機に飛びついた。
実は当時1番ハマってたのはアケ版リッジだったがPS版は出来が悪かった。 バーチャの開発状況を毎月サタマガ何かで見るのがワクワクだった N64はマリオカート64の(当時の)世間的評価がさっぱりという誤算もあった
テレ東で渡辺徹が司会をやってた任天堂のゲーム番組が当時あったんだが、
SFCマリオカートの素人タイムアタックコーナーは長期間盛り上がってて番組の目玉だったのに、
N64のマリオカートは全く盛り上がらず結局番組ごと消えた
64の失墜ぶりがはた目にも明らかだった
実際N64は面白いゲームが多かったんだが、それが当時の風潮では受け入れられなかったんだよな 3Dアクションの基礎を完成させたのはもちろんマリオ64なんだけど
プレステはジャンピングフラッシュとかキングスフィールドとか
いろいろ新ジャンル開拓してたな
サターンはそういうのなかったんだよ サターンはバーチャが家で出来るとあって
めちゃくちゃ欲しかったけど
当時高くて中々買えなかったからお年玉で買ったわ
PSには最初全然興味なかったんだけど
FF7からだよね急に流れ変わったの
あの辺からサードもPSに集中してソフト出すようになって
サターンはマニア向けハードという感じになってしまったのが悲しかった NIN64とPSは同じ「3Dで遊ぼう」でも
前者は3D空間で遊ぼう、後者はポリゴンそれ自体で遊ぼう
PSはポリゴンの初体験に有利で64はポリゴン描写に免疫済みに有利 >>25
CD-ROM²やメガCDに慣れ親しんだ奴はすんなりとPSSSに移行していったね
それ以外のSFCユーザーは頑なに64を待っていたような
で購入後はは任天堂に文句言ってた記憶がある
64は期待外れだったって サターンは独占のデビルサマナーやりたさに買ったなあ
結局PSでも独占でペルソナシリーズが出てしまったけども
そういうタイトルの奪いあい?みたいなのもPSサターンの醍醐味だった
一番の大事件はやっぱりドラクエ7だったな
あれでサターンの敗北が決まったような気がする 64はニュースでFFとDQを奪われた任天堂の危機とか普通にやってたよ わっくわくだったなー
どっちも買って、ソフト買ったのはPSの方が多かった記憶
今はswitchサイコーです >俺PSばっかだが、64やってた友達とスマブラやっていいなーとか、
ゴエモンやりてー!だったわ
セガ・サターンは見たことがその >>37
それは発売からだいぶ後だね
3機種発売前は、FFもDQもどのハードから出るか分からないっていう今では考えられない緊張感があった
そもそもPSが最終的に勝利する事も分からなかったからな サターンは18禁解禁したのが
より一層マニア向けハードの位置になったと思う
あの当時はPSは今よりずっとライト向けイメージで売ってたから
余計にサターンやってる奴はマニアみたいに思われる流れになったよね
まあなんだかんだで18禁ゲーも結構やってみたら面白いのも多かったけどさw ちょうどその時隕石がおちるかどうかって
切羽つまった状態で
隕石を止めるためにセガのマスコット
セガタサンシロウが隕石を食い止めたものの
セガタサンシロウは死去
発売間近でマスコットが死んだため
代役が当時の専務
マスコットに専務使って勝てるわけなく
セガは倒産してしまった
セガタサンシロウは地球は救えてもセガは救えなかった
もしあの時地球に隕石さえ落ちなければ
サターンが売れてた
発売間近のときってたしかこんな流れだった >>5
アークザラッドは無いだろう
1年目はガンダムやバイオがかなり健闘したのが大きかったと思う
(ガンダムは先に進みたいという気が全然しないレベルのクソゲーだったが絵のインパクトはあった
闘神伝も似たようなもん) 格ゲー全盛期だからなぁ
バーチャ、ファイティングヴァイパーズ、ラストブロンクス、デッドオアアライブのサターン
闘神伝、鉄拳、ストEX、トバルNo1のプレステ・・・
どう考えてもサターンが勝っていたはずなのに・・・ どちらも任天堂次世代機の噛ませ犬という認識だったよ ネット無いから雑誌とかでワクワク感を高めてたんだよなぁ
実際に高音質なサウンドと3Dを実際に見るともう大興奮だったな
リッジもバーチャも面白かった >>41
いやDQFFは普通に任天堂ハードから出ると思ってただろ
FFはデモまで作ってたし
DQ6はSSPS発売後にSFCでリリースされてるし >>44
でも湯川専務は当時マジで大人気だったんだぞ
普通に笑っていいともに呼ばれてキャーキャー言われてた記憶がある
ドリキャスの普及に大きく貢献したのは間違いない 今にして思うと、CDROMでロード時間くっそ長いきつい時代だったな… >>27
デイトナとリッジでは元のハードの性能が違い過ぎるから
表示する車の数とかポリゴンで表示しなければならないオブジェクトの数とかで差がついているので
まあセガは損したね
闘神伝がテクスチャー張ってる分ポリゴンむき出しのVFとの比較で「全然性能違う」と思われた部分もあるだろうし
VF2とセガラリーでビジュアル的に盛り返して「いけるか?」と思ったらFF発表だし ロード地獄といえばネオジオCDだな
サターンプレステは倍速ロードだったのでまだマシだった うひー
バーチャファイターやりたいからサターン買ったぜ
でもリッジもやりたいからプレステも買ったぜ
ゲームで一気に10万使ったくらいテンション上がった 格闘ゲームブームは
バーチャファイター3、KOF98KOF99、ストZERO3、ヴァンパイアセイバーのあたりで
元気ないなってかんじた
セガもカプコンも次世代システム基板開発してそっちに移行してサターンに移植できる元ネタも尽きた 今のPSみたいな感じでどうせ64が勝つしマリオ64とか完全に時代の最先端で負けるとは誰も思ってなかったぞ
決定的に流れ変わったのはFF7で、それまでのプレステはソニーブランド以外何の取り柄もない箱のような変なハード扱い >>49
たしかハード発売前からFF(=スクウェア)はPSに持っていかれたっていうウワサがすでに濃かったはずだよ
だからFF7がPS独占!ってなってもさほどの衝撃はなかった記憶がある
ただしDQ7は別で、どの機種から出るのかなかなか予想できなかった
俺はチュンソフトの「街」が独占発売されてたサターンが有力かと踏んでたが見事に外れた バーチャロンに惚れてサターンを買ったんだよな、みんなとにかく任天堂には無いものを求めていた マリオ64が神ゲーだと話題をさらった後の、
発売予定にウェーブレース64しかないときのヒリついた空気は
鮮明に覚えてるよ
「王者任天堂が・・・死ぬ?」みたいな PSはナムコやスクウェアのおまけ体験版攻勢で勢いがあったね スポーツゲームもサターンは自社で賄おうとするから
メーカー数的にはPSの方が豊富だった
サッカーも野球もオリンピックもプロレスもセガはみんな自分で作ろうとしてた
コナミは一時期任天堂よりも64ソフト発売して
一個のコマーシャルに3機種の5〜6タイトルも怒涛の一気に宣伝したりしてた ムームー星人とかなぁ
雑誌にCD-ROMがついてたんだよなあの時代 PSでヒットしたゲームがサターンに移植された時ほど悲しいものはなかったな
闘神伝とかバイオハザードとかレイストームとか
ガビガビのテクスチャに汚い半透明処理・・・ 一番熱かった時期だよなww
ドラクエがどっちに出るかとか一人で妄想してたわ!
まあFFがプレステで出るって分かったときの悔しさは今でも忘れん
サターン好きだったし >>57
PS発売直前にはスクエアは任天堂と協力してFFのポリゴン化のデモを作っていて
当時の任天堂(アメリカだったかな?)の社長が「これはもう今までのゲームとは全然次元が違う」とか大喜びだったぞ」
その後PS版が発表されて任天堂は「FFに影響力などない。FFが大作だったことなどないしこれからもありえない」
とかの大げんかに発展してGBAとかに出禁食らったスクエアが困ってワンダースワンとかにソフト出してたり サターン発売前 ワクワク
発売後 ガックシ
無理やりポリゴン使ったクソゲーで溢れかえってた あのころはおもちゃ屋も多かったナァ・・・・・・・・ 零細下請けゲーム会社入社1年目
次はソニーの新型だって肝いりで開発キットが先輩の机に設置されたのを眺めてた
今までスーファミでアセンブラで作ってた人たちだから「構造体?なにそれおいしいの」って感じでC言語から苦労してた
「俺C言語わかるんだけどなぁ」とか思ってたけど自分のスーファミタイトルが終わるまではPSは触らせてもらえなかった 当時をよく覚えてるオッサンだけど、PSとSSがでる直前はこの二つのハードが明らかに前人気すごかったよ
PSはソニーがゲームハードビジネス初参入だから若干 「どうだろ?」っていう空気はあったけど、発売予定のタイトルとかゲーム雑誌で情報見る限りwktkが止まらないって感じで盛り上がってた
恐竜デモのインパクトが凄かったしね、 ポリゴンによって完全にパラダイムシフトが起きた!っていうのは素人のガキでも感じられた
そして同時にPC-FXの誰が見てもこれは駄目だろ感は、発売前からめっちゃ漂ってたのも覚えてるw あの頃は色々なハードが出てたけど、
ハードごとに長所短所があってよかったね。 老舗のおもちゃ屋もまだまだ健在だったし露店のゲーム屋もまだ生き残ってた
地方に行くと新品のファミコンソフトやゲームウォッチが普通に売ってたりして、よく価格交渉してたわ
そんなお宝もほとんど秋葉原に売っちまったなー 発売前はサターン優勢だった
バーチャもあったし当然俺も買った
ブレステはイマイチの雰囲気だったけどリッジレーサとかソニーオリジナルのユニークなソフトがどんどん発売されていつの間にか大人気
まあPSも買ったけど格ゲーが好きだったから最後までサターン派だったけとな >>74
確かにサターン優勢だったよな
なぜなら業務用タイトルのラインアップが手堅かったから
PSは「ソニーってゲーム屋じゃないよね?」みたいな不信感がゲーマーからは強かった気がするが、
非常にうまくライト層をかっさらって勢力拡大したな 「ナイツ」のナイツと合体しない方、少年少女を動かす方
マリオ64と比べちゃう 3Dがまともに動かせなかった時代に突然バーチャだから衝撃的だった
あと当時はバブル末期でまだみんなお金持ってたな >>1
当時は3DOがすでに覇権ハードの地位を築いていた
みんなチキチキマシン猛レースに夢中だったよ
マルチメディアといえば3DO
サターンとプレステは3DOの金魚の糞という立ち位置 >>79
パラレルワールドに帰りなさい
こっちの世界では「3DO押し付けられたけど売れねえよ・・・」ってパナの電気屋の店長が泣いてたぞ まだサターンとPlayStation本体持ってなくても
それぞれのハードの専門誌買って楽しんでた
THEPlayStationとハイパープレイステーションとセガサターンマガジン
ジャンピングフラッシュ2なんて大きい攻略本もゲーム買う前から買って読みこんでた 3DOは値段の割りにPSサターンと比べるのが失礼なほど低性能だったな サターンのデイトナUSAで3Dポリゴンの未来を直に感じた
家のテレビでもここまでやれるんだ〜みたいな >>79
「スターブレード」と「寺沢武一の武」「マカロニほうれん荘」を忘れているぞ >>82
バカを言うな、動画再生能力はピカイチだったぞ
3DOで鞍馬山荘殺人事件をやったらサターンのワンチャイコネクションなんてやってられない(やったけど)
あと本体に記憶メモリーが入ってるからメモリーカードが(追加で必要なければ)いらないという利点もあった >>75
当時はバーチャブームの影響がでかかったしね
バーチャ2が発表されてPSは空気になりかけた
発行部数伸ばしてたファミ通もバーチャ推ししてたし
バーチャコップ・バーチャ2・セガラリーの三連リリース時が最高潮で
その後は話題性のある弾が無くFFはソニーに取られてDQも獲得しそこなった
サターンは盛り返すことができなかったね バーチャファイター1もデイトナUSAも
よくわかってないのか雑誌編集者がプリレンダCGかハイエンドCGの画像
(サターン版のパッケージイラストのあれをもっとゲーム画面っぽくしたやつ)乗っけて
「次世代機はこんなに綺麗だ!!」って説明して
同じページに同時にアーケード版、サターン版、ゲーム画面っぽいけど各種ゲージとかのない
ハイエンドCG版まとめて全部サターン版ってことで読んでて混乱した まだスーファミ現役、ただこれから任天堂の影薄くなる
ソニーもなんか出すみたいだけど餅は餅屋でセガの時代になるだろって
少なくとも俺の周りは 今考えてみれば、サターンの時のセガの奮闘ぶりには驚かされる
自前で最先端タイトルを量産しすぎ
しかもジャンルを選ばずポンポン放りこんでたしな
ドラゴンフォースとか好きだったなあ サターンにすぐ食いついた層とまだまだスーファミって層には年齢差があったんじゃないか?
当時サターンに食いついた層はゲーセン出入りしてる中高生、まだまだスーファミってのは小学生とか >>91
スーファミでもまだタクティクスオウガ、旧約・女神転生とかダビスタとかあったからな
そのあとSS、PSいってもう64とかほとんど話題になってなかったよ サターンに飛びついた俺はもう社会人だったなぁ
独身で金あったから好きなゲーム好きなだけ買ったわ
ビデオCD拡張モジュールみたいのもつけたぞ
今も押入れの中にあるわ スーファミや任天堂に特に思い入れがある層はN64待ちを決め込んでる人が多かった気がするな
俺はなんの思い入れもなかったからまず3DOへ行ってしまったが・・・
なおドラゴンタイクーンを死ぬほどやりこんだので後悔はしてない 発売前の事はわからんけど、友人の家でアークザラッド横で見てて音響の良さに衝撃受けた
FCからSFCになった時は画や音に厚みが増したって感じだったけど、PS(SS)の音響は奥行ができたというか2次元が3次元になった位のインパクトだった。
購入は発売2年目の年末だったと思うけど3カ月待ちだった、春まで何度も幻水の取説読んでたっけな 何人か、後年と勘違いしてるのとか
妄想知ったか知識をさも本当のことのように書いてるのがいるな…
まあ面白いから眺めてよう 発売間近と言うとプレステの「1、2、3」連呼してシャッター叩くのは覚えてるんだが
サターンは何だったかな、土星人だったか 3DOは空気ハードの中では圧倒的な存在感があったな
空気だったけど
PCFXなんて当時存在すら知らなかった
プレイディアはなんか変なゲーム番組の優勝賞品 爆走兄弟レッツ&ゴー!!と魔法騎士レイアースと勇者警察ジェイデッカーに
大きいお兄さんお姉さんは夢中でした サターンは最初64bit級とか任天堂意識したCM出してたけど、PSが売れ始めてからセガールとアンソニーみたいなPS意識したCM打ってた記憶がある 暑苦しい機関車が正面からぶつかりあうCMしか記憶にない
あとは土星人の本体CMとサターンニュース サターンはバーチャファイターやるために買った。
PSはリッジレーサーやるために買った。
その後、デイトナUSAがリッジよりかなり汚かったのでひょっとしてPSが勝つかなと思った。
サターンは2cpuだったけど、2つのcpuの調停をとるのが非常にむつかしく、性能をフルに発揮することはセガ以外難しかったと聞いている。
PSは最初から3Dを念頭に設計されていたが、サターンは途中から3Dにも対応できるように設計を変更したといううわさもあった。要は、3rdパーティーにはPSのほうがプログラムするのは優しかった。
まあ、結局FFがPSについたので勝負が決着したわけだが。 >>103
> サターンは2cpuだったけど、2つのcpuの調停をとるのが非常にむつかしく、性能をフルに発揮することはセガ以外難しかったと聞いている。
んなわけねーだろ
2CPUつっても今でいうマルチコアプログラミングが必要だったわけじゃねぇんだし >>86
その3本連続リリースのあと3ヶ月ぐらい新作がスカスカでそこで勝負が決したと感じた
とどめを刺したにすぎないFF7発表の影響が過大評価されすぎだと当時の一セガ派としては思う ゲーム雑誌でそのゲームを紹介するのに
値段・発売日・メーカー・ジャンルのほかに容量も当時はよく書かれてた
だいたい18メガで、大容量24メガ、超大作32メガ
PlayStationとサターンのゲームはそこが、容量:CD-ROMに変わってた サターンの方がシェア奪うと思ってたな。家電のソニーはイマイチ信用出来んかった。パナソニックが失敗したように。
完全にPSに傾いたのはやはりFF7だったな。 もともと最新ゲーム機に真っ先に飛びつくコアゲーマーが先にサターンを買っただけで、コアゲーマー以外ははなっからサターンよりPSに目向いてたよね バーチャファイターとリッジレーサーどっちがやりたいか、って比べてps選んだな
リッジレーサーはそれまでのレースゲームに比べて爽快感がハンパなかった
最初39800円だったかな?
数ヶ月後に5000円値下げされた時に我慢できなくなって買った とうじ子どもだったおいらっちは
アーケードゲームは家庭用で遊ぶより
毎月新作でる状況だったから完全にゲームセンターで遊ぶ派。家庭用移植は買わなかったな
いけば沢山あるもん。家庭用陣営関係なくセガもナムコもいっしょに 大ヒットの予感でサターンは土星人の宣伝だったかな
プレステは新規参入で地味だったな
ドラクエ、FFのゲームで勝負がついた、プレステ勝利
サターンはPC等のエロゲー路線で、最後の健闘 今でこそ残念ゲーになったが、初代グランツーリスモの衝撃は忘れん。
当時はメーカー名の車はゲームに出てなかったからな。 次世代機戦争でメディアが煽ってたよ
WBSでバーチャファイターが紹介されてた ガリバーボーイ天外魔境火星物語サクラ大戦
すごい人がいたもんだと思った VF2の時に新OSどうこう言ってたから2CPUを効率よく使えるようになったのそれからじゃない? ワクワクはあんまりなかったな
発表されてるタイトルがそれほどなかったし雷電2ぐらいかな ほしかったの
PSは鉄拳やリッジレーサーはあったけどキラーになるようなジャンルじゃなかったしな
SSのロンチなんてひどいもんだった バーチャとあとゴミばっかり
大半が見送りしていたのが事実
FF,DQの影響力が当時はものすごく強く、どのハードで出るのか
皆待ってた状況が長く続いた 当時鬼の様に高かったPC98を買わずともA列車で行こうが遊べるというだけでワクワク感が半端なかった PSよりサターンの方が面白いゲーム多くて良かったな
マニア好みのラインナップでゲーマーにはウケてたと思う PSは実績ゼロの新参者故に、発売後は様子見状態の潜在ユーザーが多かった。
その影響もあって初期はサターンが優勢だった。
皆がよく知ってるメジャータイトルもコンスタントに出ていたし、
記憶の範疇ではバーチャコップのデモ見てレジに向かう客が多かったのをよく覚えてる。 >>117
そりゃ時間が立てばたつほどノウハウがたまってより性能を引き出す色んなテクニックが蓄積はされていくけど
SSはそもそも2CPUがしっかりつかえないとまともにポリゴン扱えないハードなんだから最初っからちゃんと2CPUはしっかり使われてたよ
VF1の時は突貫すぎてライブラリにバグが多すぎて性能出せなかったのは事実だったけど、そんなのはVF1発売後にすぐに治してるし
>>118
当時はネットもなくて日本以外の国の情報なんかこちらにゃわからんかったけど、そもそもSSは北米で当初からとてつもないくらい大爆死してたんで、
海外人気も高く、当然海外での発売も重視されていたFFがPSを選ぶのは自明だったね 最初はSSが一歩出てたのは確かに感じたな
2Dアーケード移植が強かったしな
まだゲーセンも客が多かった時代でセガというブランドが当時はSONYより上だった
SONYはどこまで本気でやるのか怪しまれてるところはあった 大失敗作 松下の3DOがあったからね
FF7発表されるまでもSONYのやる気は十分感じたがやはり超えられない壁にブチあたってた
FF7発表でいっきにぶち抜けたって感じ
SSはもうそこから転落していくだけだった 当時マルチメディアって言葉が流行ってたから、PS有利になったのかも
MPEGデコーダーカードがむっちゃ高いし サターンはFF7発売の次の年にはもうドリームキャスト発売してるもん
ハードロンチと専用ゲーム開発の準備時間がどれくらいかかるかわかんないけど
FF7発売前後にはドリームキャストのゲーム開発すすめないと間に合わないんじゃない? サターンなら家でバーチャファイターが出来るってのでワクワクはした
あとカプコンの2D格闘ゲーム PC98もってなかった人はむしろカクテルソフトやエルフゲーにドキドキしたんじゃないか?w サターンはソフトが日本向けになっていたせいでセガオブアメリカは現地で積極的にサターンを推せなかった
そして予想通りサターンは北米で壊滅的に売れなかった、セガにとってはFFよりそちらのほうが痛かった
任天堂が長年、萌えキャラ絵のゲームをFE以外作らなかった原因かもしれないくらいのインパクトだった
向こうじゃサクラ大戦は全く通用しないんだよ、こっちじゃマリオ64抑えてゲーム大賞なのに
まあそれを発売する前にハードを閉じてしまったぐらい不調だったのが海外サターンだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています