プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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てか任天堂のがむしろ64の仕様決めるのにPSとSS見てからにしたような気がするけどな
王者の余裕でライバル機の仕様を見定めてから動いても余裕だろって思って一年以上発売が遅れた
64が完全にポリゴンマシンだったのもPSの大成功を見たからじゃん? >>751
この時代はマルチエンジンとかで作ってたわけじゃないもんな
それぞれ一から作り上げてた
そうしても余裕な規模&売り上げだったからなー
今の時代はもうそれをやりたくてもとてもできない規模になっちまった…つまんない N64はCPUがMIPSのR4300(64bit)ベースだから
64bit扱いじゃなかった? N64はやればやるほど味が出てくるゲームが多かったイメージ
ムジュラは世に出るのが10年早かった気がするが N64が当時のCSのなかで高スペなCPUを
採用したのは、物理演算やAIに応用
できるようにって感じで載せたのかも
CPU性能
N64(R4300)⇒Pnetiumu90mhz級
PS (R3000)⇒486DX級
SS(SH-2*2)⇒486DX級 電波少年でも64の不調ぶりをイジられてたもんな
松村がマリオ64プレイして「これ面白いじゃないすか!」ってムリヤリN64ごともらって帰るていう茶番だったけど、
あれも宣伝の一貫だったんだろうなあ サターンの最初の構想ではメガドラと互換性持たす腹積もりだった
そこで設計してたらPSの情報が入ってきて、3D特化、それもかなりの高性能って分かって
互換性あると性能引っ張られて低性能になるから、急遽切り捨てて、
それでも3D性能足らないから突貫で二個CPU乗っける仕様に変わったらしい
当時としては物珍しいジオメトリエンジン積んでたから、3倍ぐらいの3D性能差ついたけどな マリオ64と時オカの衝撃は凄かったけどな
次世代感がとんでもなかった
でもPS全盛でほとんどスルーされてた 時のオカリナは確かにすごかった
年中あれしかやってない友人が当時いたけど気持ちは分かる気がする
でもやっぱりCD化の流れには勝てなかったね >>759
メガドラとの互換か、ってことは
当初の予定じゃサターンは68系CPU
使うつもりだったのかな? >>704
アクションとしては良く出来てたな
キャラの方も後に映画でトイストーリーとかが流行った事を考えると
SEGAがもっと上手く宣伝すればもっと売れてたかもな
>>706
ロンチタイトルなのに上下巻分離してたのはやる気を感じないよなw
ある意味その時点でSSが失敗するのを予見してたか メモリーカードが何かわからなくて
15ブロックてなんだよ
15回しかセーブできない消耗品か?と
買う時にはじめてメモリーカードの存在を知ってドキドキした >>760
FF7なんて映像や演出が凄かったと言うだけでゲームとしては何一つ新しい事はやってなかったもんな
本当に新しい事をやってたのはマリオ64や時オカだった
とは言え当時はその映像や演出がとにかく重宝される時代だったんだよなあ >>762
音源制御用に68000搭載してるけど、その名残だろうな
メインCPU用にSH2使うかは決まってなかったと思うけどRISC系のCPU積んで、そっちでZ80のエミュレートかと
ただ、互換せもたすとバス幅とかの関係で、かなり中途半端なスペックになったかと しかし一時期はPS/SSのマルチ結構あった気がする
64だけ除け者にされてたから
サードに頼らない任天堂はこのときはじまったのかと スクウェアのブレイブフェンサー武蔵伝が見下ろしゼルダっぽかった。 キッズ目線だと空気だったのはサターンだな
良くも悪くもコアゲーマー向けのハードだったと思う
64はマリカマリパスマブラが強くてグループ単位で稼働してたから案外目立つポジション
PSはまあなんというか、FFやってる人間は大体割と中高生以上でキッズは案外バイオとかのほうがやってたりだった記憶 >>767
当時64は確かマリオクラブとか言ったと思うがそこでサードが発売予定のソフトを審査し
一定以上の点数の作品じゃないと発売させないという方針を取っていた。アタリショックを防ぐ と言う目的だったそうだ
それが功を奏してか64は非常にクソゲー率は少ない(無論個々に好き嫌いはあろうが)
でも、サード視点からすれば結構とんでもねえ話だよなあw せっかく作ったソフトが出せない、作り直しって事が多々あるシステムはリスクが大きい
そんな事を平気でやれるのはソフトで収益上げなくても良い任天堂くらいのもんで。その任天堂基準を他社にも求めた結果サードが集まらない結果になった
実際SS、PSは3D初期でノウハウも少ない事もあって良く解らんクソゲーも多かったw
しかし枯れ木も山の賑わいと言うようにやっぱそれでもソフト多い方が盛り上がるんだよね。それにその中からバイオみたいな新たな人気作も生まれる訳で
結果論から言えばそっちが正解だったんだな >>770
そのせいなのか知らないが今でもニンテンドーチェックがゲハでも都市伝説的に言われている
つーか任天堂はwii時代もなんかどこか厳しくて、64時代というかsfc時代の空気みたいなものが残ってて
ガチで軟化したのはswitch時代からというか チェックが厳しいってことにして
N64の開発難易度、ROMでバンバン出せないリリースの少なさを
隠れ蓑にしてただけじゃね。 95〜01年のころの記憶(キッズ目線)
SFC→言わずもがな覇権、00年くらいまで半稼働の家も結構あった気がする
PS→FFDQなどの効果でユーザーはSFCからの乗り換え組が多かった記憶、そのせいか64よりは高齢、SSよりは若いユーザー層だった
FFは案外キッズ組からは受けてないというかあまり遊んでる奴はいなかった記憶
PS2→FF7で買われたPS1がへたってきた、64もそろそろ色々限界という超いいタイミングで登場した記憶
SS→大人向けハードというか子供ウケは悪かった、セガなんてだせーよなのpも当時のキッズ目線だと納得、三四郎の存在感は半端ない
DC→SSと比べてキッズ向けの宣伝を頑張ってた記憶、効果は不明
64→PS1やSSと比べて手軽な3人以上の対戦ゲーがそろってたため、多人数集まるキッズ需要が強かった、パーティーゲーとキッズ、サードなし、任天堂の定番タイトルが一定の間隔で売れるという任天堂据え置きの文化はこのころからかと
GC→スマブラ
GB→ポケモン専用機、たまに遊戯王、GB+据え置き1台が基本的なスタイル、これが崩れたのがDSPSP時代から、switchはある意味DSを引き継ぎつつもこの時代に回帰してる気もする
WS→宣伝量は多かったので知名度はあった、持ってたやつはクラスで2〜3人
NGP→cmにインパクトはそれなりにあったが、肝心のハードを認知させる効果はなかったと思う、p見た記憶はあるがNGPはある変な広告で初めて知った
3do→売れなかったがp爆撃してたのでマイナーハードの中では目立ってた
プレイディア→某番組のおかげでかろうじて
PCFX→キッズ向けではなかったせいかキッズ、一般人が見えるところでの広報をやってたんだろうか、俺は記憶にない
ピピンとかジャガーとか→全く知らん >>770
N64のサードが少ないのは一番は開発機材の値段でしょ
シリコングラフィックス社のワークステーションが一台、1000万円以上
PSの開発機材なんて200万円って言うし
それに加えて、ゲームハードなんて手掛けたこともないからハード構成が難解極まる変態仕様
当の任天堂さえ研究開発に手こずったと聞くし
更にゲーム用のライブラリソフトが(ゲームで使うためのプログラム集)任天堂から一切、提供無かった
PSはこれのお陰で、かなり作りやすかったとも聞く
だらかサードは自力でハード解析して一からプログラム構築しないといけなかった セガよりナムコファンだったのでアーケードからの移植に狂喜してプレステがサターンに負けるとは思わなかった
プレステでジャンピングフラッシュとか色々遊んだ後に64が出て
あまり期待してなかったら、マリオ64の完成度に驚いた記憶
プレステは色々素人臭く、任天堂の作り込みにビビった
ただマリオ64は、テクスチャが荒く、
見た目の綺麗さはプレステが勝っていたので
一般受けはプレステの方がするなと思った >>767
少なくとも任天堂ハード買う層がサード買わなくなったのはそこからだな
いくらハードが売れても任天堂のゲームしか売れなくなった 当時はまだゲームの事に詳しくなかったから、
PSやサターンのCDゲームが64のカートリッジで出せないのは当然
とか思ってたけどそういう問題ではなかったんだよな・・・ 珍しさからプリレンダムービーがウリのひとつになってた狂気な時代
64は容量の問題でこれが出来なかった 全然盛り上がってなかった
ゲーム機といえばファミコン(任天堂)という感じだったからな(´・ω・`) まぁファミコンはブームだから熱量違って当たり前
ユーザー的には色々出てきて楽しかったよ PSとサターンが真正面からバチバチやり合ってるのは楽しかったよ
それまでは任天堂が強すぎて、ハード同士のド派手な抗争なんてなかったからな
アメリカでは一足早くSNES(スーファミ)とGenesis(メガドラ)が天下分け目の戦いをしてたようだが SS・PSの頃はバーチャ2ブームも重なってワイドショーとかトゥナイトとかおっさんおばさん向けの番組でも
しきりに取り上げていたな
DC・PS2の時もそうだったがPS2発売の時がピークでそのあと下火になりPS3が騒がれたのは発売年の年末だけ
しかも初動10万台だっけ? 当時から任天堂好きはPSだけは絶対にやらんって感じだった
PSユーザーは任天堂に興味ないって言う一方通行な関係 >>783
あんな6万円超えるハード売れるわけねーよw
PS3の発表会の時に、価格を初めて公開したときサードの奴ら口あんぐり状態だったらしいじゃん このスレをざっと読んでみるとPSは一般向けとか綺麗とかフワフワした言葉しか出てこないのは
ここの人たちは全く触って来なかったんだろうなって感じだな
逆にサターンの説明は熱いw PS3の場合はガチでハードの数が揃えられなかったからな
対してwiiがバカ売れしていたのもあって印象が更に悪くなった
結局地デジ移行でHD環境が各家庭に浸透していくとPS3の売上が上がっていったんだが
DCも生産上のトラブルから本体の数を揃えられなかったんだが、
不幸なことにPS2がバカ売れしてしまった上にDVD再生機としても破格の値段だったもので
あっという間にシェアを奪われてしまった
もしブロードバンド環境がもっと速くて、電話回線モデムでなくLANを内蔵していたら違ったのかな PSはソフトがばらついていたからユーザーは多くてもこれはやりこんだってのは少ないかもな
つうかこのスレの人間はあんまりFF好きそうじゃないし
実際俺がPSで一番遊んだのはナムコミュージアム、PS2はタイトーコレクションだったし(PS2だとゼビウスがバグったな)
つうかタイトーコレクションのためにPS買った
あと鉄拳とかタイムクライシスとか初期の対策はセガのヒット作の後追いのイメージが強いから
そのソフトの為にPS買うというよりは勝った人がそれで満足するイメージ >>787
PS3が売れ出したのは値下げ効果でしょ
それでも一般に普及したという程ではないけど
一般層相手にDVDとブロードバンドじゃ流石にDVDが買ったと思う この手のスレはPSへの恨み言スレになるね
勝てなかったって言葉がよく出てるのは自分らでも気がついていなさそう >>277
逆にその年代は時オカ経験は皆無でBotWで3Dゼルダ初経験という人間が多そうだな つかこの当時はハード複数持ってた人ばっかだったろ
どれか一機種とかの方がレアだった しかしスレを見てるとな…
PSのゲームは凄くない何もやってない
任天堂は凄いサターンは凄いこればっかでな
まあ気持ちよくなってるところ邪魔したのならすまない… >>794
サターン買ってゲハにかじりついてる奴がみんゴルやグランツーリスモ評価するわけ無いと思う
PSでレースゲームって言ったらリッジレーサーか首都高バトルだろうし まあ今のゲハ住民は箱信者と任天堂信者がメインだからってのもあるか >>796
グランツーリスモって当時凄い人気あって売れてたの知らないんだろうなぁ >>798
知らんわけないだろ
車種の大さとそのエンジン音の再現度が売りでゲーム画面はせこくて典型的な非ゲーマー層に
アピールしたゲームだと思って挙げただけ
若者が車に特にステータスを感じなくなってガンガン売り上げ下げてるし
みんゴルも同じ
なんせ開発がMD・GGでクソゲー連発してたのにMDの看板作品のスタッフ引き抜いたとSCEが大々的に宣伝して
(実際評価高いのは共同開発の会社で友人にシャイニングフォース2買うと言ったら開発会社が違うからやめた方がいいと言われた)
究極のクソゲー(と聞いている)ビヨビヨを大々的に販売してワープ怒らせたキャメロットだし グランツーリスモってゲーム自体はそんなつまらないわけ?
俺たちが当時のGTを評価するわけがないって自信満々に言われても… >>800
なんだやってないのかよ
グラ汚いし挙動不安定だったぞ
まあ、馬脚を露したな
やっぱ寝よう みんごるもGTもFF7もそんなダメなゲームだったのか…
PSなんで売れてたのか分からんなぁ >>800
今見たらそりゃゴミみたいなもんだけど、身近な実用車で走れるってのは他に無い楽しみだったよ
当時学生だった自分の周りにも買ってるやつ沢山いたわ >>784
今のゲハの縮図がもうそこで出来上がってたんだな
あの頃ライバルはセガで任天堂はオワコンだった プレステはMODチップ、サターンはセロテープ使うだけでコピーCDが動いたのをこのスレ見て思い出した。 >>784
そもそもPSユーザーなんてゲームファンじゃなかっただろ
パラッパみたいなクソ詰まんねーゲームやって喜んでた
ゲームオタはサターン、一般のゲームファンはずっとスーファミやゲームボーイやってた
時代も違うから比べられんけど今に例えるとこんな感じかなあ
サターン=PC
プレステ=ソシャゲ
スーファミ=CS 任天堂64って名前とコントローラーがダサいって言われてた 64は実はめちゃくちゃシンプルなハード構成で
搭載されているプロセッサは4っつしかない(PSは11個、サターンは20個)
結果製造コストがかからずハードだけで利益が出せる状態だった
というか任天堂がハードで逆ザヤやったのは3DSとwiiUだけ
あのバーチャルボーイですら赤字は出してない、一応作った分は売り切ってすぐ撤収したから >>803
みんゴルは良作だよ
GTは光源の処理がきれいって印象しかないけど みんゴルはむしろ大容量で派手な演出がするのは良いと言う
方向性になってたゲーム業界において、それとは正反対のシンプル路線で出して売れたと言う
むしろあの時代の流れに逆らってしかもちゃんと売ったと言う貴重な例だろう
今となってはもうマンネリですけどね GTは実在する車をあれだけ大量に収録し、当時無茶なヘアピンカーブをドリフトでなんでも曲がっちゃう既存のレースゲーとは対極的に
シュミレーター的要素で実在の車と同じ感覚で操作しないと駄目というコンセプトが受けた
環境マッピングは勿論、ワゴンホイール効果も再現して見た目のリアリティもあってかゲームに興味持たないリーマンが店頭のデモ映像に食いついて見てた
車の収集は勿論、更に車のカスタマイズが当時としては異常に細かく出来るのもあって、クリアしても更にやり込む要素もあり
息の長いロングテールで売れる要素があった
GTのヒットでニッチジャンルだったドライブシュミレーターレースゲーが他社からも大量に出るようになり、セガ自身もセガGTをだしてたりする
逆にアーケード系のレースゲーがどんどん追いやられていき、それらを得意としていたセガ・ナムコのレースゲーに陰りが出てきた GTは俺はダメだったな。操作難し過ぎてな。もっと手軽にやりたい
少なくとも人は選ぶだろう アーケード互換基板なんてものを作ったら将来アーケード業界が廃れる時が来ると当時の業界関係者は思わなかったのか >>816
アーケード互換基板とアーケード業界の廃れは関係ねーよ
むしろ延命に役立ってくれたわ 今はCS互換基盤よりPC系基盤に取って代われれてるしね
もう、各社独自のアーケード基盤を作るのはコストも技術も厳しんだよ プレステ、サターンもワクワクしたけど
SFCの発売が一番ワクワクした >>746
サターンの2CPUは日立側の証言があるよ。
http://web.archive.org/web/20150417010407/http://japan.renesas.com/products/mpumcu/superh/related_sh/theme/story/06.jsp
> セガ・エンタープライゼスが,SH-2の演算性能(25MIPS)では次世代ゲーム機には不足だと言い出したのだ
(略)
> SH-2に組み込んでおいたマルチプロセサ機能を使えば,2個のSH-2をつないで動かせる。こうすれば先方の要求を満たす性能が実現できるはず
(略)
> こうして,セガ・エンタープライゼスの次世代ゲーム機「セガサターン」には2個のSH-2が搭載されることになる
まあ不足だと判断した根拠までは外部には言わなかったみたいだけど。 >>815
俺も話題になってたから買ってやってみたけど、全然おもしろいと思わなかった
レースゲームって挙動がリアルすぎても爽快感みたいなのが無くなって、つまらなくなるね
セガラリーとかその点、リアルとゲームの中間で上手いこと調整してるなと思ったわ
後から出たDirt2も同じ感じで、これはメチャクチャはまった あの頃のプレステの雑誌は付録で体験版詰め込んだディスクとかあったよね。
風のクロノアは体験版やってから正規版購入した。 SSの梱包は従来タイプの成型モールドに本体や周辺機器を入れ箱に収めるスタイルだったが
PSの梱包は今も続く仕切りで固定するコンパクトにまとめるスタイル。
アレは意外と衝撃。
SSも100万台キャンペーンから変えてきたし。 >>813
みんゴルはマンネリのせいで凋落したんじゃなくて、
DLCや課金要素でボッタクろうとしすぎて自滅した感じだけどな
最新作でもその点を痛烈に批判されてるし何を考えてんだと思う 値下げ競争が進んだ一時期、どっちの箱も現在では考えられないほど地味になってたな
カラー印刷じゃなくなってボール紙に単色印刷みたいな 外箱の経費削減の究極はネオジオCDZだと思う
露骨にダンボールって色の外箱に白と黒の線だけで印刷
しかも箱の表面見ると黒いゴミみたいなのが大量に目に見えて
どれだけ安い再生紙使ったんだって感じ
ゲームボーイからPS2時代辺りまではシンプルというかコスト削減した感じの箱が多かったな SH-2って登場時期の割りに性能低くない?
それより先にでた486DX(1990年)でも30mipsはあったのに >>827
486でサターン並みの表現が出来たらたいしたもんだ グランツーリスモは当時のアーケードよりなカーレース好きには
あまり人気なかったかもしれないけど
違う需要を掘り起こしてるし
好みの問題といえる >>827
組み込み用のワッパ重視チップだからな
486とはそもそも設計思想が違う >>828
486って486DX2あたりなら、単純な性能じゃ
SH-2とかR3000あたりと同等以上だぞ?
そもそも、プレステやサターンはポリゴン系の
チップを載せてたから、」あの3Dができたわけで
SH-2 1994 25mips
486DX 1990 30mips
Pentium1993 100mips サターンには基本的にポリゴン向けのチップは無いよ
あれはスプライトの化け物
変形でポリゴン代わりに出来るレベルのね >>832
あ、そうだったな、
でも、それSH-2を2個で3D演算できたのなら
486DX2〜Pentium66MHZあたりでも
できたんでは?
(両方とも50-100mips)
SH-2と486/Pentiumでどの程度のFPU
性能だったかは知らんけど 性能差の程はわからんけど、実際昔のPCも3Dアクセラレータ出るまでCPU描画してたよな
DOOMもDecsentもそれやろ >>836
まず消費電力という要素を考えると比較対象じゃないんよそれ
セガサターンはあれだけ積んでトータル12w
486DX(66MHz)を積んだPC98は65w
今で言えばcore-i積んだPCとスマホを比べてるようなもん >>837
初代の箱の時でもあったが、昔のインテルは
ゲーム機みたいな組み込みは利益率悪いって
ことで乗り気じゃなかったからね。
ちなみにPCが486DX〜Pentiumあたりの
時代にアローンやコマンチェなどの初期の
3Dタイトルやフライトシムなんかが出てる。
あの当時のPCは3D系のGPUがなかったから
3D演算の殆どをCPU任せでやってたけど、
それでも、あそこまで表現できたわけで
ニードフォーやトゥームレイダーなども初期は
DOSのゲームだったはずだが そもそもSH-2で2Dマシンだったんだから
CPU変えればうんぬんとか意味が無いぞ。
最初の設計思想がズレてたんだから。
それに当時のインテルにゲーム用でCPU売ってくれとか聞くわけがない。 今時はCPU内にGPU組み込んでるけど。CPU部分だけの
演算性能で、ポリゴン処理したらどのレベルまでできるんだ?
Core-i7のIbyブリッジだかの世代でCPU部分のFPU性能は
60Gフロップスはある、PS2レベルの3D表現ならCPU単体でも
できるのかも いまのCPUなら純粋なポリゴンだけなら余裕
シェーダーがキツい ttp://ichigo-up.com/Sn2/download/1511146131.txt
PASS:NEXT
発売までの様子…といっても、購買力のあるマニアの集まりだけれどね そういや、初代PSのCPUって同じダイの中にR3000と3D演算用のチップを
組み込んだ。今のGPU内臓のCore-iみたいな設計だったな。
その一方でインテンが試験的に作ったi960は「命令セットの中に
CADなどで、使う3D系の命令セットを組み込んでるって設計だった。
※i960はセガのモデル基盤にも採用された。 サターンに出す予定だったソニックの動画あるけど結構おもしろい画面してるね ソニックCDみたいなヤツをとっととサターンで出せば良かったんや
そうすりゃ無用な批判を招かずに済んだのにな >>821
そもそも車のモデリングが雑だしスピード感無いしなんとも言いようが無かったなあ
まあ、スピード感無いのはレーシングカーのゲームじゃないから敢えてリアルを狙ったんだろうけど
俺が持っているレーシングゲームであれより車が汚いのはアトラスの峠・キング・ザ・スピリッツだけだ
これと比べるのはいくらGTとは言え失礼ってくらい峠はひどかったがリッジやってた層があれで納得してたのが不思議 レースゲームは超F-ZEROマニアだったからな〜
あれのために64やアドバンスを買ったようなもんだし ドライブシミュ系が増えすぎて一気に廃れたな
コナミもエンスージアとか出してたけど実車使うせいでライトユーザーからはどれも同じに見えてしまう 結局残ったのはGTとフォルツァだけだからな
Project Carsっていう第三勢力も出てきたけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています