「なぜ日本のゲームは世界一から転落したか」田中圭一が分析
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https://president.jp/articles/-/28608
> 1980〜90年代、日本のゲームは世界一だった。
その時代のゲーム開発者たちの奮闘をまとめたマンガ『若ゲのいたり』(KADOKAWA)が話題だ。
筆者は自身もゲーム開発者だった田中圭一氏。
> ――その後、2000年を超える頃から日本のゲームは世界一ではなくなってしまいます。なにが起きたのでしょうか。
アメリカがゲームに本格的に力を入れ始めたのはXbox(2001)あたりからでしょう。
ハリウッド映画と同じような方法論で、ヒトとカネをふんだんに使うようになりました。
さらに韓国でパソコンを使ったネットワークゲームが流行しはじめていたのですが、
日本はネットに対応しませんでした。
資本力とネット対応という2点で後れを取るようになり、日本のゲームは取り残されてしまいました。
> ――80〜90年代のゲーム業界には、「ゲーム作家」という言葉があったように思いますが、
いまは聞かれません。クリエイターの熱量が減っているのでしょうか。
クリエイターの問題よりも受け手の問題ではないでしょうか。
昔はいいゲームクリエイターやマンガ家を見つけると、その人のほかの作品を探していました。
ところが今は作品を読んで「どんな人が作ってるんだ?」と考える間もなく、違うものがどんどん出てくる。
だからおのずとゲーム作家にスポットが当たりません。
僕の持論ですけど、コンテンツが多すぎて、作り手に興味を持つ暇がなくなっている気がします。
> ――そうすると、かつてのように日本のゲームクリエイターが世界を席巻することは考えづらいでしょうか。
レジェンドたちに話を聞いていると、当時のゲーム業界では仕事で自己実現ができたのだな、と感じます。
給料の心配をせず、仕事に没頭していても、なにも問題なかったのです。
ところが、今の若い人は違います。まず、新卒で就職しても初任給がめちゃくちゃ安い。
そして当然のように給料も上がらない。 ディレクター、プロデューサー抱き込み戦略で競う心を奪ったからだろ
独占するだけでメディアミックス持ち上げしてたら競争力失って衰退するわ インディーズで昔の和ゲーオマージュを外人にやられている時点でなぁ
オタクがただのゲームおたく止まりで
海外のように自分で作って発信する文化が無かった
何故かと言われたら
やはりPCで普通のゲームもできて、PCで何か作って、PCでコミュニティ作って発信する文化の遅れだろう Steamで出すって言ってたやつが紆余曲折あって結局フリゲ路線になったように
この国で金儲けするやつは悪だから
理想的共産主義国家 >>88
劇画村塾はもうないんだ
小池一夫も亡くなったんだ 日本の全盛期?のゲーム、日本のメーカーより海外インディの方が
リスペクトしてるのがなんだか寂しく感じることはある データや取材という客観資料を元に語る主観に問題はない 豚が冒険せずマリオ64とかカービィを20年以上やってるのが問題
日本にかなり影響与えてる インタビュー漫画は高橋(だよなあ)あたりも読みたい >>35
1995年位にはゲームは次第に洋ゲーのターンになってきてた
ゲーマーなら洋ゲーの方が新しくて面白いゲームを出してると知ってた
でもそれは資本の差ではなかった
純粋に発想力やゲーム性の差で洋ゲーの方が面白かった
なぜって考えるとその頃になると日本は新作は作っても
新しいゲームを作る気はなかったから
続編という名目で絵をひたすら綺麗にするため資本を大投入してた
そしてムービー病もその頃できた
ゲーム作らなくてもムービーでいいや
さらに進行してムービーが本体ですと言い出した
もはや新しいゲームを作る気はなく
ひたすら絵を綺麗にすることだけに大資本を使ってた
そりゃ日本のゲームはつまらなかった訳ですわ
大作っていって売ることはできたけど中身は終わってた >>93
昔の日本のゲームは尊敬される
よくこれだけのルールやゲーム性を考えたなって
アーキテクトの宝庫 >大作っていって売ることはできたけど中身は終わってた
これは今の洋ゲーにも言える
洋ゲーも今は正直いって停滞期に来てると思う
逆に言えばここはチャンスなんじゃないかね
新しいゲームを作ればいいんだから
過去のリメイクとか絶対ダメだよ
基本的に求められてるのと反対だよねそれ
絵を綺麗にしただけの前やったゲームに人は感動しない
思い出が汚されていくのを感じるだけw レベルデザイン論を学ばなかったことが原因
日本や欧州と違って、北米のゲーム開発には多民族国家の弱点として
ゲーム開発における常識というかお約束、コモンセンスがなかった
ところがあいつらはそれを逆手に取り、ゲームの面白さを理論体系化して
理屈ではこうすれば面白くなるはず、というレベルデザイン論を作り上げた
日本や欧州では、開発内でそのお約束をなんとなく共有できるもんだから、言語化することを怠った
それがもう20年前で、欧州はこれはまずいと北米のゲームを輸入しつつ、レベルデザイン論を学んだ
日本はというと、相変わらず有名ゲームデザイナーのセンスに頼り続けた
これがかつて日本が世界に通用するゲームが作れて、いまや追い抜かれてしまったカラクリ 任天堂の面白いところは、ゲームの根幹部分はセンスで決めて
それが面白いかどうか、面白くなるかどうかを徹底的に理論化する
根っこが日本的のふわふわしたセンスで
それを作り上げる過程が超理屈っぽい欧米式ということ
これを踏まえてCEDECなんかの講演を見返してみると
出発点の曖昧さと、完成に至るまでの理屈っぽさがわかると思う >>101
日本でレベルデザインを理論化出来てるメーカーは任天堂ぐらいか? つーても洋ゲーもガワだけのゲームばかりになってきてるけどな 国内海外問わず大手ならレベルデザインはきちんとしてると思うよ
最低限の面白さは保証されてるし、昔みたいにどうしようもないゲームは減った 世界が箱○でHDゲーム作ってるときに
和ゲーメーカーはPS2で手抜きゲーム量産してたのが最大の原因だろ 基本的に音楽でも映像でもゲームでもいいけれど
アジア圏発のエンタメが欧米圏を席巻するということ自体が稀なことなんだから
日本製のゲームが欧米圏でメジャーな状態になったということ自体がイレギュラーなことであって
むしろ現在は自然な状態に近づいて行ってるんだと考えた方が良い
だから現状こうなったのはなぜかという問いはあんまり有効ではなくて
なぜかつて異常な状態が生まれたのかという分析の方が大事 >>98
マリオ64や時岡は新しさなんか無かったし海外じゃ相手にもされなかったもんな アーティスト主導でゲームを作るにはもう規模が大きすぎる
上田のトリコにしても小島のデスストにしても長期化してる
90年代はゲーム制作者個人がフィーチャーされていたけど
現在はスタジオ単位で語られることの方が多い
アーティストの舞台はどちらかというとインディーズになってる アホの田中の妄想はもういい
こいつの言ってる事はデタラメが多い
さっさと死んでくれ >>108
わかっててわざとピンポイントで持ち出して言ってるんでしょ
ひねくれてるねw >>106
むしろDSPSPブーム到来でそっちに逃げたメーカー多数なのがオワコン最大の理由だろう
PS360に突貫して苦しいながらも頑張ってたメーカーはカプコンやフロムはじめ防衛軍のとこですらPS4世代で結果出しまくり
DSPSP組はほぼ脱落してつぶれたりソシャゲ落ち ついこないだ、日本のメーカーである任天堂が作ったゲームが世界一に輝いていたけどあれは除外されているんだろうか? ゲーセンが死んだのが大きいね
技術的に日本を引っ張っていたのはセガとかナムコだった みんなが任天堂になれればいいのに、なぜか除外して触れもしないからなw
任天堂だって苦境もあったし当然努力もしてるのにな
他のメーカーがどう努力してるか研究した上で、自分たちにしか作れないものを知らないと
そして回り道のように思えるけど、いきない大きい事狙わないで地道に研究成果を得ていかないとね 日本のメーカーって課金まわり以外あたらしいものを全くと言っていいほど産み出してないよな
90年代から完全に時間が止まってる感じ・・・ ゲーセンの衰退は、家庭用がゲーセンレベルに追いついたのが一因だが、
それを最初にやったのもセガなんだよな(ドリームキャスト)
そしてそれをナムコが使ってゲーセン版を超える移植(ソウルキャリバー) なんつーか任天堂を基準に日本のゲームメーカーを語ってはならんという気がする >>124
それはもう日本だけの問題じゃないよ
AAAだって見た目リッチにしただけで中身は全然進化してない ある程度ゲームデザインとして思い付くような物は出尽くしちゃったんだろ 昔から欧米勢の方が上だったがPS360世代で
PCゲーで活躍していたメーカーがCSに降りてきたからとか
そういう理由じゃないの >>129
「出尽くしちゃった」のではなくて、「思いつかない」が正しい表現だろうね
TPSも「もう出尽くした」と誰もが思ってた所にスプラトゥーンだからね
限界の壁をぶちやぶれるかどうかがクリエータとしての資質の分かれ目
「出尽くした」という発想の人は「自称クリエータ(笑」ということだね 気取ってクリエーター(笑)なんか自称する気も無い
所詮ゲーム会社に勤務してるただの会社員だから
ゲーム作りは業務よ 任天堂ディする気持ちは全くないが
中国のゲーム産業は規模が違い過ぎる
ヒット作は億超えるプレイヤーがいるからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています