――小島監督の場合、そこまでの決定権を持ったのはいつですか?

開発5部を任された翌年、KCEジャパン(コナミコンピュータエンタテインメントジャパン)として独立したタイミングです。雇用や人事はもちろん、電気代や家賃など何から何まで管理していました。


――コナミの子会社ではありつつ、経営としては独立採算制だったんですね。

独立当時はちょうど『MGS』の開発中で、リリースまでにあと2年ほどかかる状況でした。でも、経営的には一刻も早い黒字化が求められる。

『ポリスノーツ』のシステムを使って『ときめきメモリアルドラマシリーズ』(※編注8)をつくったり、『beatmania(ビートマニア)』(※編注9)をコンシューマー向けにリリースしたりしたのはそのためですね。とくに『beatmania』はアミューズメントマシン・ショーで偉い人に「家庭用をつくらせてください」と頼んで…。100万本も売れたのでガッツポーズでしたね。

――-『MGS』の開発裏で、そんなことがあったんですね。

すべては『MGS』を出すためでした。会社を赤字にするわけにはいかなかったんです。

※編注8:『ときめきメモリアルドラマシリーズ』は、1997年よりコナミから発売された3部作のアドベンチャーゲーム。コナミの看板作品のひとつである恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』の外伝作品。

※編注9:『beatmania(ビートマニア)』は、1997年よりアーケード稼働を開始したコナミの音楽ゲーム。現在まで続く『BEMANI』シリーズの第1作 で、いわゆる音ゲーブームの立役者的存在。1998年にプレイステーション版が発売された。

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