――今回は名越さんのゲームクリエイター人生30周年記念ということでお話をうかがう機会をいただきました。そもそも、名越さんが入社したころのセガというのはどんな状況だったのでしょうか?

名越 入社当時はまだ2Dゲーム全盛期で。セガも業務用ゲームではすでに有名になっていました。何よりメガドライブを出したばかりのころでしたから、「つぎは家庭用! 打倒任天堂!」と燃えていましたね。俺が入ったのはアーケードの部署だったんですが、ハイテクランドっていうゲームセンターを全国区にすべく、どんどん増やしていました。ゲーム業界自体の景気もよかったんですよ。いま思えば、こと業務用のゲームにおいては明るい未来がある程度確約されていた時代だったんですね。そう考えると、俺は楽な時代に入社したのかもしれないですね。

――当時は業務用がゲームの最先端でしたからね。

名越 一方で家庭用は、海外で独自のブランド力を持って評価されていました。タイトルの力では決め手に欠けている部分もありましたが、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』をきっかけに何かが変わり始めて。「ひょっとしたら、セガは家庭用で任天堂を超えられるかも?」みたいな甘い期待のある、いい時代でした。

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