松野官房長官「すぎやまこういちはゲーム音楽というジャンルを作った」←は???
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
松野官房長官「新ジャンルを開拓」 すぎやま氏死去
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021100700944&g=pol
松野博一官房長官は7日の記者会見で、ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの楽曲などで知られる作曲家すぎやまこういちさんが亡くなったことを受け、「大変残念に思っている。作曲家としてゲーム音楽というジャンルをつくった」と功績をたたえた。 >>611
すぎやんはむしろ2音
3音だと効果音が鳴ると曲が消えるから
2音だったの1の頃だけだけどな まぁファミコンの音源が貧弱だから工夫が必要なだけでゲーム音楽が軽視された訳じゃないからな
8801SRからFM音源が標準化された時点でソフトハウスがサウンドに力を入れるのは必然の流れ なおコナミは独自のチップを積んで3音以上鳴らしていた ゲーマー受けのする曲ではなく
「一般の人々」が好きな曲を作れた才能が、すぎやまこういちの最大の利点だね
それはクラシックという観点からすれば、編曲がヘタだったりとか文句が出るけど
ゲーム音楽畑においては曲単体で、聴かせる力がこれ以上のものは無い
ゲーム体験と音楽が融合すれば、感情移入の力でどんなチープな音楽でも素晴らしい体験、思い出となるから
結局総合的な知名度ではかるしかあるまい ドラクエ1の音楽は確かに良曲多いけど、オープニングのクオリティは少し先輩のゼルダの伝説の方が良い >>557
でもすぎやん本人はアベル伝説のゲーム曲アレンジをサントラCD収録させなかったり、
新ダイでも一曲も使用許さなかったりと寧ろドラクエアニメ側からするとマイナスな立ち回りしてるんだけどな
旧ダイではアベルで省かれた反動か関わりすぎてオープニング古臭いし
それにリメイクや外伝でも曲の使いまわしばかりになってる
ポケモンとかのアニメはその辺作曲者がアニメに理解あるから曲アレンジ出てきて燃えるし、リメイクとかでもその都度アレンジされてて楽しい すぎやんが変わってしまったのは5とか6辺りからだよな
思えば5の音源に納得できなくて6では云々はもう4までのすぎやんの思考ではないのですよ
4の頃のすぎやんはインタビューで「ゲームミュージックは飽くまでゲームの音楽が主体でありオーケストラ演奏はアレンジでしかない」と語っていたのに
7辺りでは「作曲する際にはオーケストラでの演奏を想像して書いてる」なんて発言になってしまってるところからして明らか
BGMの役割をすぎやん自身が忘れてしまっている 旧ダイの歌は当時の感覚でもヤバかったな
あの頃って昭和アニメの再放送もかなり多くてよく見てたけど、新作アニメなのに歌だけ再放送アニメの空気で子供心にさすがにねーわと思った
すぎやん自体が年齢的にゲーム音楽の作曲家としてはファミコン時代が才能のピークだったってのもあると思うけど、「モロに初期のピコピコ3和音で本気でクラシック表現やってみた」がウケたのであって、ピコピコ音という制限抜きでのすぎやん自体のセンスはやっぱり昭和だったんだろうな
偉大な功績を残した事に変わりはないけどさ 3まではFC版の原曲を忠実に流してからアレンジだったけど、4はオーケストラ版とFCの原曲版が別物になってたよな
戦闘曲の最初とかオーケストラで演奏するの無理だろと思ってたら案の定妥協してた
本当にオーケストラで曲を作ってんの?と疑問に思ったのがあの頃 >>619
5、6間の話は同じ制約内でどれだけ出来るか、だからいいんじゃないか思う
1-4も音色の試行錯誤が見えるし
しかしあの頃のドラクエサウンドエンジニアって大変だったんだろうな ドラクエの曲は、そばで耳にした家族が「良い曲?」と反応したが
大抵のゲーム音楽は、自分がゲーム内で感動したからといって人に聴かせても、いまいち反応が悪い
悪魔城ドラキュラ奪われた刻印の「黄昏の聖痕」も曲だけでは別にって反応だった でもまあリブルラブルを一日中流してたら
知らない人でもノリノリで口ずさむようになるだろう >>623
単体で主役はれるメロディーがバックグラウンドミュージックとして正しいのかは謎だけどな
ドラクエの曲がドット次第に映えたのは映像での情景描写がまだしょぼくてそれを情景描写多めの曲で補う事により上手く調和してたからだと思う
勿論昔のゲームは大体こんなかんじ
今は映像での情景描写が物凄いのでBGMは環境音にプラスアルファくらいが正解
ドラクエ11のフィールド曲が浮くのはそのせい >>626
本質的に「ゲーム音楽」はメジャーな存在になれる素質は無い(今後はますます)
それこそ黎明期ドラクエが特殊事例だっただけであり
その特殊なドラクエの曲が「ゲーム音楽」というイメージを牽引したに過ぎない
ほとんどの場合はゲーム体験に紐付けされた感情であり、人と共有されるエリアは狭い まあ条件として国民的と呼ばれるくらい誰もが遊んでて当然ってレベルで売れる必要があるからな
そのくらい売れたゲームはどれでも曲流せば注意惹くんじゃね >>607
ドラクエが刺さってんのは小学生から中学生くらい。
小学生ではちくとあの時代では敷居が高いのでは? 単純に少年ジャンプ世代だよな
ジャンプに刷り込みさせられて今もピヨピヨついていってる すぎやまこういちによるゲーム音楽の地位向上ってのは
消費者に対する音楽の認知度じゃなくて
「たった数音しか使わねぇ作曲家」のファミコンの開発部署内での地位向上じゃねぇかな
ゲーム業界全体としてはFM音源も標準化され始めてる時期だし
すぎやまが居ようが居まいがゲーム音楽の発展は既定路線よ ドラクエが出た86年には8801SRもマスターシステムもFM音源搭載済みだからな
ファミコンのサウンド機能は軽視された結果じゃなくて単純に83年当時の性能の限界なだけだろ
業界がゲーム音楽を軽視してた訳じゃないよ 一般的には「ゲームが好きなんじゃなくてドラクエが好き」なのであり
「ゲーム音楽と言うジャンルに注目している」んじゃなくて
「ドラクエの音楽に注目している」が正解なんだな そもそもゲーム音楽ってジャンルになりうるのかね
知らない曲を聞いたときに、これゲーム音楽だとか、これドラマの音楽だとか聞き分けられる気がしない
チップチューンがゲーム音楽と言うのも無理がある
だから>>1の新ジャンルってのが何を指してるのかわからない 「すぎやまこういちはゲーム音楽に留まらない新しいジャンルとも呼べるものを作った」
が正解
このジャンルに追随できる才能ある者がいない事だけが問題 >>636
サントラ、アニソンとかと同じで用途的な話かと思った ゲーム音楽が感情体験的に言って他より優れている点は
音楽鑑賞とゲーム体験の回想が切り離せない部分であり
それは原体験としてあると同時に、常に更新され成長しダイナミックに変化する
どんなゲーム音楽でも、あらゆるサウンドトラック中ダントツの感情体験となりうるポテンシャルがある
それはまさにリスナーが「自分の事」として音楽に関わるのである ドラクエ以外の音楽で感動したりいいなと思うことって絶対にないもんな >>639
スーパーマリオでスターを取ったり残り時間が少なくなったら音楽が変わるのってまさにそれだよな >>640
絶対は絶対にない
単におまえの世界が狭いだけ
もっと世界を知れ
FF
サガ
聖剣
ペルソナ
クロノトリガー
ゼルダ
ゼノ
モンハン
Undertale ドラクエの分母が多い「思い出の曲」な奴が多いだけで
ジーザスが何例か挙がってるだけで他のゲームの曲も良いってほぼ聞かんしな トルネコの曲は何百時間聞いたかわからんぐらいだがさほど良いとは思わなかったな トルネコの曲は4の3章から持ってきたものだし本来は不思議のダンジョン用ではない
シレンの好き >>643
どれも所詮ゲームのBGMで音楽と呼んでいいレベルに達しているものはないな
せいぜい駄菓子の中での比較でしかない
それに比べてドラクエは高級フレンチのフルコースだから格が違う >>647
さすがにそれは脳ミソ固すぎる
そしてその考え自体がBGMとして正解なのかが疑問だわ
時オカ以降のシームレスに曲が変わってくのこそがゲーム音楽としての正しい進化だよ
プレイヤーと音楽が完全に一体化してる究極のBGM
ドラクエが最終的にたどり着いたのは11のフィールドだから ドラクエはコンサートも成立させなければならないから
次第にゲームのbgmの歴史からは外れた存在になってしまった
ドラクエはドラクエというジャンルであり音楽としての金字塔 >>647はある意味ではすぎやんと思考が似てる
7以降のすぎやんは「オーケストラは音楽を料理で例えた場合の高級ディナー」と言っていた
そしてそれはある意味で正しい
正しいけど、高級ディナーは高級ディナーを食べる事が目的でいくし、コンサートは演奏者が奏でる曲を聴きに行くから主役でいいけど、ゲームミュージックは違う
BGMの意味を考え直してみろ
すぎやんはゲームミュージックの作曲家としては半人前 コンサートの回数が増えてビジネスになってしまったからね
肝心のゲーム中心に音楽を考えなくなったのなら
ゲームが音楽の為のコマーシャルになってしまった、という考え方も出来てしまう
その時点でゲーム音楽の歴史からは乖離してしまった >>651
BGMにかける意識としてはファミコン時代が一番強く持ってたのかもね まぁ10年前でも80だったすぎやんに完璧までは求めないけど、オケ最強な考え方だけは やめてほしかったな
そのせいで曲はマジで使いまわしのアレンジすらなし
スマホ版のドラクエ2や3なんて町やフィールドでも要らんイントロ流れて雰囲気ぶち壊し
そういうのを止める位は してほしかった
今後ドラクエのミュージックが変わることを願う >>650
その時代だとドラクエよりFFの方がメジャーだった >>648
状況に合わせて曲が変わるのは時オカ前からやってた
上にあるスターもそうだけど、ワールドでヨッシーに乗るとBGMの楽器が増えたりしてた
近藤の作曲(演出)姿勢はずっと変わらない
ドラクエも1の時はダンジョンを潜ると曲が暗くなっていったのにそこで終わっちゃったな 少なくとも俺が今でもゲームのCD買い漁ってるのは
FC版DQ3の勇者の挑戦を聴いたせい >>656
時のオカリナはメロディ自体が自然に変わるから凄いんだよ
わかりやすくいうとハイラル平原の曲を聴くだけで太陽がどの辺にあるのか、敵が近づいてるか否か、その全てがわかる
これが凄いんだよ
小節の先をゲームの状況で分岐させる事で曲とゲームの状況を完全にリンクさせてる
しかもどこから分岐されても自然に繋がるように同じ「敵が近づくパターンの導入の小節」だけでも数パターン用意されてるんだ
太陽の位置もそう、時のオカリナはフィールドに出た時に太陽の位置が毎度リセットされるわけでもないのに、しっかり太陽の位置に合わせて自然に曲が奏でられる ドラクエ10の通常ボスの曲は
敵の脅威と猛攻を耐え忍び、味方の為にチャンスを作り
形勢逆転から一気に叩き込むパーティーの全力攻撃、という流れが曲の中にあって、
ゲームを遊んだかどうかで曲の印象と好感度ががらりと変わる様になっている >>333
総選挙で勝つためだよ
首都東京の主要産業であり、山田太郎参議院議員の立候補経緯と獲得した票数が他産業族議員の3倍だもん。
五輪で流れた曲はもう、いかにして総選挙で業界関係者が自民党に投票してもらうかっていう、超露骨な奴だったろw >>655
いやそういう意味じゃなく極端過ぎる釣り針って事で あわよくば任天堂上げ気持ち悪い
トキオカよりも、ドラクエ3のリメイクで町の曲調変わるとかやってたろ
あっちの方が自然だったわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています