精神科医 斎藤 環  現代ビジネス

「正義」はしばしばトラウマ的な出自を持つがゆえに、しばしば暴走し、狂気をはらむ。「柱」の剣士たちは、そうした
覚悟を固めすぎた結果、みんなサイコパスになってしまった、かに見える(無惨いわく「鬼狩りは異常者の集団」)。

炭治郎と禰豆子の処遇を決める柱合会議の場面を見ればそれがわかる。柱メンバー全員、目が“逝って”いる。
あの煉獄杏寿郎ですら、会議に諮るまでもなく斬首が当然であると大声で断ずる。宇髄天元に至っては、俺が派手に
血飛沫を見せてやるとか正気の沙汰ではない(天元推しの筆者としてはそこがいい)。もっとも、比較的まともに
みえる(眼は死んでいる)胡蝶しのぶの言動すらもほんのりと狂気をはらんでいるのだから、柱の狂気は推して
知るべしというものだ。

鬼の悪に対峙するには、柱の狂気じみた正義感が必要であった、ということ。毒をもって毒を制す、ならぬ、サイコパス
をもってサイコパスを制す、というわけだ。

柱メンバーは悪としての加害には決して手を染めないが、「正義の刃」ならば、いつでもどこでも嬉々として振るうだろう。
そこにいささかのためらいもない。彼らの多くが被害者であり、「傷ついた癒し手」(ユング)ならぬ「傷ついた裁き手」で
あるのだから。