――プレステを開発する際も、当初は任天堂との共同開発を念頭に置いていました。ソニー1社だけでない、垣根のないさまざまな企業を巻き込んだ一大プロジェクトでしたよね。

 垣根って、あっちゃいけないんですよね。世界のアカデミズムにも、垣根なんてあっちゃいけなくて、いつでも世界最先端をみんなが共有しているはずなんです。プレステを世に出した時に注意した一つの点として、なるべく「ソニー」というブランドを出さないで展開していったことです。

 当時のソニーのCMって、最後に「It's a Sony」で終わるんですが、プレステのCMにはそれが出てきません。あくまで「プレイステーション」っていう新たなブランドをみんなで作り上げていくことを意識しました。

――プレステは「みんなで作る物語」だったわけですね。

 だから大成功したんですよ。それが世界中で同じことが起こったわけで、「PlayStation」っていうのはもう世界の一般語ですよね。プレイステーションの話をすると、みんな自分の物語を話すわけです。「僕はヨドバシカメラに並んだ」から始まって、「うちの部品が入っている」といったように、必ず自分の体験として自身のプレステ史の話をするんですよ。

 これはプレステに限った話ではなく、ソニーの社風がそういうものでした。ソニーを創業した盛田昭夫さんや井深大さんも、新しくできたトランジスタで、ラジオとかテレビを作って世界の人たちのライフスタイルが変わるとか、そういう発想からスタートしています。

 ソニーが主語に来ていないんですよね。そして今の日本には、そういう概念のある企業人が少なくなっている気がします。でも、今の若者は違っていて、その時代が過ぎた感じもするわけです。

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