坂口さんっていう象徴がいなくなったとたんに社内のムードっていうのがガラっと変わりましたよね

―2006年に植松さんはスクウェアをお辞めになるわけですけど、スクウェアがスクウェア・エニックスになって、何かお気持ちの変化のようなものがあったのでしょうか。

植松 すごい甘い言い方をすると、それまではやりたいようにやっていたんですよ。音楽なんかも作りたいように作らせてもらっていたんですが、だんだん会社が大きくなって。
ゲーム業界があそこまで成長すると、売れるものを作んなきゃいけなくなるんです。
だから、『FF』のどれぐらいでしょうかね……『VII』か『IX』、『X』か……ちょっと具体的には言えないですけど、初期の『FF』に感じていた「オレたちは作りたいものを作るんだ」的なムードっていうのは、どんどん無くなりつつあったんですね。
多分、坂口さんが辞めたあたりが決定的だったんじゃないかな。
作りたいものを作る、坂口さんっていう象徴がいなくなったとたんに社内のムードっていうのがガラっと変わりましたよね。

―やっぱり、そういうことがありましたか。

植松 それまでの作りたいものを作るっていうのができなくなった時点で、もう自分のやってきたことは卒業なのかなあって。だから、卒業っていう感じはありましたよ。
もう、ここでやれることはやったかなあっていう。

―なるほど、そうだったんですね。僕はスクウェアというのはクリエイティブを優先した会社だったと思うんです。
でも、経営よりもクリエイティブを優先するがあまり、ちょっとそこのバランスが悪いかなって感じていた時期もあったんです。

植松 それはありましたね。

―ですから、坂口さんという象徴がお辞めになったあと、経営のほうに振れるといいますか、クリエイティブの部分に文鎮を乗せるみたいな感じになったのかなっていう気はしましたよね。

植松 でも、それはしょうがないことで、良い悪いの話じゃないんです。僕は水が合わないから離れただけであって、売れるものを作らなきゃなんないっていうのは、エンタテインメント業界として当たり前のことですからね。