>>897
作られる前の子供自身の主観はなくても、子作りする前の親が生きてた段階でその子供が将来誕生する可能性はずっとそこ(親の中)にあった訳じゃない?
結果的に作られたとしても作られなかったとしても可能性がいつも存在し続けてた事実は変わらないし
その上での、その前者と後者の二者比較なんだから「存在してなかったんだから語れない」とはならないわよ
その二者は理論上で同一人物になるもん
だから作られたパターンと作られなかったパターンの比較はきちんと成り立つの
反出生の目的である「苦痛を減らす」っていうところから考えたら、作られたパターンに比較して作られないパターンの方が確実に合理的でしょ?
親子共にノーリスクで目的が達成されるんだから
その合理性について否定出来る人なんて居ないはずじゃない?
反出生に全力でコミットする人が居るんだとしたら、それだけ無意味にしか感じられない苦痛が多過ぎるからなんじゃないかしら
昨日も書いたけど、自分にとってはたかが反出生の考えに賛同してるだけで見ず知らずの、こっちの事情も何も知らない人間から急に首くくって死ねとか気持ち悪いって罵られるのも充分に無意味過ぎる苦痛だったわ
でも実際作られたら後はもうそんなことだらけでしょ
合理的(無意味な苦痛も害悪も無い)で快適な方向に人を導く理論に魅力を感じるのは自分にとってはただの自然ね