RC213V-Sの時はどうか
それにはまずなぜ鈴木氏は記者発表の席でRC30の名を出したのか
それは彼がまだ若かりし頃にRC30開発メンバーに選ばれず悔しい思いをしたから
彼自身インタビューでも羨ましい思いで彼らを見ていたと語っている
本多さんによると開発メンバーは前代未聞の逆指名で選んでいった
これは通常なら開発指示書をみた各部署のマネージャーが、誰を新機種の担当にするか調整して、
その結果のメンバーが集まって一つのチームになるが
それではマネージャー側の一方的な都合だったり、たまたま手が空いていた人だったりと
必ずしも同じマインドを持った人が集まるとは限らない、そこで
「エンジン設計をぜひこの人に、エンジンテストはぜひこの人にと、来て欲しい担当者をリクエストしていった。
これが大ひんしゅくを買いました。後にも先にもそんなLPLをした人はいない。中には怒りまくるマネージャーもいました。
”ふざけんじゃない、お前みたいな若造にそんな勝手なことされてたまるか、絶対に許さん!”とね。
こちらも必死になって食い下がりました。」とのこと
(ちなみに現HRC社長の野村氏はエンジン設計担当に大抜擢されたひとり)
そんな光景を目のあたりにした鈴木氏がどれほど悔しい思いをしたかは想像に難しくないと思う
ホンダの重役になりHRCの社長にまで上り詰め
最後にやり残したこととしてRC213V-Sを制作するにあたり
「自分たちで“RC30”を作りたい」発言にも繋がったんだと思う

話しは戻って会社トップの人達の後ろ盾があったからNRもRC213V-Sも実現した
これには営業も口出しは出来ない
RC30にしてもいちエンジニアの本多さんではどうにもならなくなり
当時の研究所社長で後のホンダ4代目社長の川本氏のお墨付きがついて実現した
現在のトップと言えるのが野村氏
昨年研究所の一部門である「2輪R&Dセンター」が技研の2輪事業本部と一体化され
そこの所長も兼任している
NRでWGP500で不完全燃焼で終わった福井氏や若い頃に無念さを味わった鈴木氏と違い
2輪事業のトップとなった野村氏はRC30の後にRC45も担当しHRCでSBKマシンRC45も担当しV4マシンはやり切った感がある
会社を思えばV4はmotoGPでお腹いっぱいと思っていても仕方がない事だと思う