火龍実装フラグ立ったか

 太平洋戦争末期に軍用機を開発した旧中島飛行機三鷹研究所の建物が残る国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)で、
旧陸軍初のジェット戦闘機「火龍(かりゅう)」に搭載される予定だったジェットエンジンのものとみられる部品が見つかった。
戦時中に国内で生産されたジェットエンジンはほとんど現存せず、専門家は「当時の航空技術を知るうえで非常に重要な資料だ」と話している。【伊澤拓也】

 見つかった部品は、排気ノズル(直径74センチ、長さ73センチ、重さ71キロ)2点と、それを覆うカバー1点でいずれもステンレス製。
三鷹研究所に関するリポートを作成するため学内を調べていたICU4年の古川英明さん(21)が2015年6月に資材置き場で見つけた。

 古川さんの恩師で、三鷹研究所の歴史を調べたICU高校の高柳昌久教諭が、日本航空協会と東京文化財研究所に部品の調査を依頼。
形状や当時貴重だったステンレスが使われていることなどから、三鷹研究所が日立製作所とともに開発を進めたジェットエンジン
「ネ230」の部品の可能性が高いことが判明した。

 太平洋戦争末期、旧海軍がジェット特殊攻撃機「橘花(きっか)」の開発を進めたのに対し、旧陸軍は米軍の
爆撃機B29を迎撃するために「火龍」を計画した。ネ230が1機に二つずつ搭載される予定だったが、
試験運転をしただけで実機は完成しないまま終戦を迎えたという。見つかった排気ノズルには他の部品と
接合した痕跡がないため、試作品とみられる。溶接が粗く強度が不足しており、ドリルで開けた穴にできる
「バリ」と呼ばれる突起も多く残っている。

 日本航空協会の長島宏行・専任部長は「当時、世界最先端だったジェットエンジンを作る基礎的な技術はあったが、
熟練工が不足した時期で、粗雑な点も見える。悪化する戦局を打開するために開発を急いだことがうかがえる」と話す。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171111-00000052-mai-soci

画像 ジェットエンジン「ネ230」のものと見られる部品の説明をする国際基督教大学(ICU)高校の高柳昌久教諭(左)と、
ICU構内で部品を見つけた古川英明さん。部品は左が排気ノズル、右がそのカバー
https://amd.c.yimg.jp/amd/20171111-00000052-mai-000-2-view.jpg