初代プレステって、なんでどうしていきなりぶっちぎりで覇権ハードになれたの? パート2 [無断転載禁止]©2ch.net
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プレステいきなり大勝利ほどのインパクトもう無いだろうな 初期はサターンと接戦だったぞ
FFが決め手になって大きく差が付いた感じじゃなかったか サターン最高のRPGグランディアがPS1に移植された時点で詰み ソニーがゲーム機ってのもよく分からなかったけどナムコ頼みかなと思ったらSCE自身でもトロとかぼくなつとかXiとかGTとか斬新なゲーム出しててやるなぁと思ったな 今から振り返ると
WiiやDSで任天堂が獲得した、もしくはしようとしていたターゲットを
あの頃のSCEはSMEあたりの企画力で地味に獲得していってた。その上でFFのインパクトもあり
とにかくファーストが日本の幅広い層に向けて精力的にソフト出してたイメージ
どう考えてもあり得ないけど、あの頃みたいにSMEと連携してソフト出しまくって
Vitaの後継機をswitchみたいな形で出したら、たぶん余裕でソニーが勝つと思う
もう今は日本重視してないから妄想でしかないが
・・・セガもまだ元気だったんだよなあ、あの頃は・・・ >>4
それは日本だけの話だな。世界的にみればサターンは初っ端から大コケ。 ポリゴンのインパクトと流通改革
サードにも小売にもしがらみがなく自由にできた
ディスクメディアだからインフレしてたソフト単価を5800円に設定できた 当時はセガ派でデイトナの発売日が待ち遠しかったな
待って 待って 待ってようやくの完成品がポリゴン欠けだらけのコースだったがっかり今でも忘れない
比較的ポリゴン欠け少なかったリッジが羨ましいかった
しかもロンチであのクオリティって当時は悔しかったな 俺はあんまり32ビット機は興味なかったけどバイオ2はやってみたいと思ってPS買ったな セガが海外で人気あったのソニックのおかげもあるしな
任天堂がマリオ64
セガがペパルーチョって嘘だろ!!
まあナイツは良かったけど、中さんってサターン初期何やってたんだ サターンに覇権を取って貰いたかったが、とりあえず任天堂がコケたのは嬉しかった
あの頃の任天堂は大嫌いだったからな、ちなみに今のソニーも嫌いだ ハードの進歩によるゲーム的なブレイクスルーのタイミング。
これが任天堂には不利なタイミングで起こった。
SFCが90年11月発売で、94年〜95年というのは、SFCの爛熟期。年間タイトル数がピークになったころ。
任天堂としては新ハードなんてとても出せないタイミング。
そのタイミングで、3DをCS機に持ち込めるだけのブレイクスルーが起こった。 PS1:1億
64:3000万
サターン:850万 PS、SSの発売当初からしばらくはゲーム専門雑誌も色々あって
PSの情報が欲しくて内容がかなり被ってるのに複数買ってたな >>15
中さんはスーパー32X用のソフト作ってたね。 プレステ買うか64買うかで迷ったなぁ
どちらが天下取るのか…
当時はマルチなんて言葉無かったからな
結局、プレステ選んで正解だった、さすが俺 その頃のソニーが出すカジュアルゲームにひかれた
パラッパ、どこいつなど
ソニーのネームバリューも凄かった
ゲーセンでBEMANIシリーズが流行ってたのも個人的には後押し
ナムコがフル協力の上にFF7やDQ7で決まった感じだったな
それでも当時は64とサターン派だった
サターンはエロゲやめたのが個人的に残念
セガ機は初めて買ったので噂のソニックの発売を待ってたが全然出なくてバーチャ専用機となった
グランディアやナイツで満足
64は任天堂以外のゲームがゴミすぎて任天堂専用機となった 96年4月に高校入学祝いにサターン買っえもらおうと思ってたけど売ってなくてプレステ買ってもらった
結局それで正解だった RPGがゲームの主役だった時代
6から間が空いて飢餓感あった所に当時の技術力を
全て突っ込みましたって感じの7が登場して一気に傾いたよね
それまではサターン優勢だった
あとはソフト価格が大幅に安くなった事や
バイオハザードや鉄拳なんかの力もある ときメモやるためにPS買った人多いよな
衝撃的だった 任天堂最大のピンチでポケモン 時のオカリナを出す辺り恐ろしい FF7が決まるまで64が真打ちと思われてたのに歴史ねつ造? >>29
ソニーの全盛期って今だぜ
今のゲーム部門は売上2兆円間近で絶頂期のPS2の頃より稼いでる また恒例アフィアンケートスレ
ここまでPC-FXと3DO無し
天外3がちゃんと作られてたらわからなかったぞ >>32
ねーよ、任天堂派の半分はSFCで十分だと移行しなかった
ライトユーザーはPS
64なんて最初から終わってたよ
セガは戦略が駄目だからハード中盤からアカン様子見しよって雰囲気になる
ソニーはステマが上手いからハード中盤になると良いイメージが浸透して買わなきゃとなる
サターンが微妙だったのとソニーの戦略が上手く噛み合ったね
流石セガ 64はハードが延期に次ぐ延期で三行半突きつけられたからな 2Dの書き込まれた芸術品的なFF6 クロノとかの
グラフィックから
ポリゴンむき出しの、子供の工作みたいなキャラになって
嫌だったなあ。 サターンが海外でダメだったのはわかるが
もし3Dに強いハードでFF7もDQ7も誘致できてたら
三強対決のまま次の世代に移行したのかな? 任天堂は低容量高価格のカセットでゲームの価格は高騰し続けていた
そこへポリゴンで新たな可能性を示しながら大容量低価格のCDを使ったソニーのPSが登場したんだよ
時代が変わったと誰もが感じていたな PSのソフトでポリゴン3Dゲームの可能性感じた事なんて一度も無いがな
時オカマリオ64が飛び抜けてた >>42
リッジレーサー60fpsとか完全に次世代のゲーム仕様だったじゃん
DCになっても発売急がせるために30fpsで妥協しまくってたセガとかその辺全然理解してなかった >>42
リッジレーサー見たとき、これは任天堂じゃ出せないと思ったけどな PS、SS、64、PCFX、NEOGEOCD、3DO、JAGUAR、プレイディア
後の世に伝わる戦国七雄である >>40
あまり意味のない前提条件だな。FF7がPSに決まったのは海外でサターンの
大失敗が確定したのもあるだろうしな。 PS・SS時代の始まりってのは、色んな意味で転換期なんだよな。
2Dのドット絵時代から、3Dのポリゴン時代へ。
アーケードと同等の移植は不可能だった時代から、アーケードで互換基板が使われる時代へ。
ROMカセットから、安価で大容量の光学メディア採用へ。
そして、安価で大容量の光学メディアの採用は、実機では再現不可能な演出でも、
プリレンダムービーの形でなら再現可能にしてしまった。
そこから、派手な演出がRPGに導入されていく。
その転換期が、任天堂がSFC時代の真っ最中に起きてしまい、PS・SSが市場を広げていく中、
任天堂が波に乗り遅れてしまった。 リッジレーサーの対抗馬だったデイトナUSAも面白かったんだがなあ
続編には恵まれなかったな
一方セガラリーは奇跡のように滑らかに動いてたが セガならメガドラのバーチャレーシングだな
あの頃のゲーセンは熱かったなあ 日進月歩で進化して面白い。
2000前半ぐらいから
採算が合わなくなってきて残念 >>41
ROMが高いからとか言って9800円だったマリオ64の振動パック対応版が6800円になって
やっぱりぼったくってたんだなと思ったわw PS2時代以降はプレステがじわじわと高くなって
任天堂は大作でも6800円固定で安いと言う サターンは途中から
アニメゲー専用機みたいなヲタ路線に舵を切った感がある
そこでもう完全に勝負が決まった >>48
転換と言えばソニーの流通改革がもっとも大きい事件だったじゃないか。
任天堂の分納方式だとか悪名高き初心会流通等でサードや小売に重くのし掛かっていたリスクが一気に解消したからな。
蜘蛛の子散らすみたいに一気に任天堂からサード居なくなったのは爽快やった。 任天堂ばっかり言うけど
サターンも当初は8800円だったからね。
プレステに合わせる形で5800 6800になったし >>56
まぁこれで勘違いした馬鹿ソニーが中古裁判起こして負けたことが
その後の市場に悪影響を及ぼしたわけだけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています