初代プレステって、なんでどうしていきなりぶっちぎりで覇権ハードになれたの? パート2 [無断転載禁止]©2ch.net
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リッジ驚いたけど、あれがオンメモリで動いてたのがもっと驚いた
CD入れ替えて好きなCDをBGMにできた >>93>>127-128
セガ人はメガドラより前の時代から虐げられていたから多少は、ね
>>139
つまりはクッタリの元祖はセガ…?
いやいやいやww PS1はバイオハザードと一緒に買った記憶があるけどスーファミざけんなこの野郎ってくらいゲームのクオリティに差があったからな メガドライブとメガCDとスーパー32Xをひとつにまとめたハード作れば良かったのに
コントローラにはメガドライブ2をベースにLRボタン足してさ
好きか嫌いかでゲームやっているのか可哀想に
おれは嫌いなメーカーだろうが面白いゲームはやるぞ PS初期はSFCもまだまだ優位だった
だってきたねえポリゴンと美麗なドット技術だもん
バーチャやぺパルーチョ、バーチャルハイドライド、闘神伝、リッジクラスではまだまだボリューム不足で住み分ける程度までしかいけなかったろう
FFはその時点で完全なキラー足り得た >>29
1993年設立のSCEは債務超過のあげく、解散消滅しちゃったしな。 リッジはPS4でも出てほしかったわ
ロンチゲーでクオリティ低いとか言われてるけど、
ドライブクラブ見るとリッジに及ばないなとか、代用にならないなと思うところはある
PS2以降の据置ではずっと60fpsだったが、ドラクラは30fpsだし、
挙動もアンリアルなだけで爽快感が無い 初期はサターン対プレステでサターンがやや優勢だったな
そして任天堂は空気だった リッジはR4におまけディスクついてきてなんだこりゃとおもったら60fpsチャレンジ版とかいっててマジかよと思ったな 携帯機のリッジはPSP除いて30fpsだけど、
強敵との1vs1の対戦やタイムアタックぐらいは60fpsにしてほしかったな 任天堂が空気だったPS1サターン時代が日本のゲーム業界の全盛期だからな
日本に任天堂という会社は必要ないんだよ >>156
そうだね。
債務超過になるような事業ではなかったからね。 >>156
プレステサターン時代は質が悪かったからなぁ
特にプレステ
普通にスーファミ中期〜後期が黄金期でしょうな 黒いCD-ROMがゲーム機用ディスクって感じがした
銀色だと音楽CDっぽく感じた思い出
黒い円盤だとフロッピーの磁気ディスクみたいな?
とか言いつつフロッピー使ったことほとんどなくて昔のドラマのハッカーとかの印象からかも スーファミ中期〜後期なんてソフト一万円越えの暗黒時代やん
当時リッジの値段が5800円でどれだけありがたかったやら 高くても値段相応の価値があればいいのよ
スーファミのソフトはファミコンを色数増やしただけのようなクソゲーだからな >>157やったけどどれもほぼ移植だよ。最新作は番外編でまるで別物だし。
新作が欲しいんだ 本来なら参入障壁となる流通経路を最初から持っていたことは大きい
これがあったから後は体力勝負に持ち込めた
セガが最初は接線だったのに途中からボロ負けとなり会社自体が消滅したのは消耗戦だった証拠
資金力、組織力、営業力すべてにおいてソニーはセガの数千倍から数万倍ある
サードパーティ製ソフトの質と量の差はその結果でしかない
いつか佐伯さんが言っていた「ソニーが負けていいのは松下だけ、オモチャ屋ごときには負けない」というのは嘘偽りない本心から出た言葉だったんだろう SFCはステマと囲いこみでなんとか覇権ハードの座を死守出来たけど
世界的にはMD(ジェネシス)にだいぶ食われてしまってぐらついてもいたんだよね
そしてMDの中途半端な成功でアメリカとの歩調を乱したSEGAと、販売網の太さでは玩具屋とは比較にならない家電屋SONYで勝負あり
日本での結果は当時大きなファクターではあったが、PSとSSの勝負自体は海外で取り返しがつかないレベルで決まっていた サターンはビクターと日立も作ってたよ
Vサターンとハイサターン
ゲーム屋のサターンと音響端末屋のサターンと電気屋のサターン 当時から任天堂はステマでライト層を取り込むのが上手かったからな
ライト層は思考停止して任天堂のハードしか買わないと思われていた時代 宮本はGCのときを「DVDが見れるとかそういう要因で水をあけられた」と語ってたけど
64のときを振り返るなら何て言うんだろう 今にして思うとセガは本当にヘタを打ったと感じる
ソニーはそれまでオモチャ業界という島国の小競り合いの場に乗り込んできた黒船であり
どうあがいても歯が立たない相手であることは最初からわかっていたはず
こんな時企業のやるべきことは従業員や取引先そして顧客へのダメージを最小限に抑えつつ、いかにして会社を守るかだったのにそれをやらなかった
任天堂はそれを理想通りとはいかないまでも高いレベルでできたんじゃないだろうか
このために当時の任天堂のファンは今でもその多くが水準以上、時には傑作と呼ばれるほどのソフトを楽しめるのに対してセガファンは現状に寂しさを感じつつ昔を懐かしむしかない >>156
空気でもちゃんと利益はでていましたから
>>162
RPGは確かに良かった(大手メーカーに限る)
トータルの作り込みだとメガドラに軍配が上がるかな いきなりではないだろ
最初はSFCという王者がいたから全くといっていいほど売れなかった
その後はSONYの営業努力なんだよ 話をぶった切ることになるが申し訳ない
町のゲームを売っていた小さなおもちゃ屋さんとちょっとした知り合いだった
よく「問屋にペコペコしないと品物を卸してくれないんや」と愚痴をこぼしていたよ
ある時店先でゲームの抱き合わせ販売をしているのを目撃した。
子供に売るものを抱き合わせ販売したらいかんやんと言ったら
「わかっているんやけど、売れないソフトを問屋から買わないと
売れるソフトを卸してくれないんや どうしてもこういう形で売れないソフトを
売らなきゃいかんのや、ごめんな」
というふうに話していたよ
あんまり思い出したくないけど一応書いておかないといけないかなと思ったから書いた
たぶん知っている人は十分過ぎるほど知っているだろう
80年代の思い出 ソニー 王道 VS セガ 王道
王道同士のj競争だから相乗効果が生まれて全盛期を迎える事ができた
その後ポケモンのヒットでしぶとく生き延びた邪道の任天堂がゲーム業界を荒らしておかくしくなってしまった PlayStation専門誌は読んでて面白くて本体持ってない頃からたまに買ってた
THEPlayStationのころのザプレは表紙がかっこよくて手に取ってた 初期のザプレはモデルハウスのカタログみたいなオシャレなデザインだったねぇ セガのように正面から勝負して散っていったメーカーこそ評価するべきであり
任天堂のように王道を否定することで生き延びている邪道メーカーは称賛に値しない どんなに体力がある企業だからってハードが成功するような甘い業界じゃない
ソニーが成功したのはやるべきことをしっかりやったから PSが出た頃ってもうSFCは末期でソフトもロクなのがなかったよな? 雷電はタウンズ版以外イマイチな奴ばっかりだったけど、プレステ版は相当にデキ良かった思い出 スーパーファミコンのタイトル一覧のwiki見ると94年末から96年末まで大変なことになってる
一歩間違えればサターンもPlayStationもPC-FXルート……は言い過ぎでも
こんにちまで続いていなかったかも FF6 タクティクスオウガ 聖戦の系譜
スーパードンキーコングとかの
映像の方がキレイだったよね。
2Dを突き詰めるハードも、あってほしかったなあ スクエアが移動してなかったらPSは勝てなかった
おそらくドラクエはサターンで出ていたはず >>178
んなことねーよ
まだPCエンジンもメガドラも生きてたっての
PSが波に乗ったのはFF7発表されてから
それまではサターンと互角だった >>178
そのSFC末期にこそ、SFCの傑作が目白押しだった あの頃はスクウェアの動向がすべてを握っていたんだよな
今からは考えられないだろうけど 全くぶっちぎりとかなかったから、
デマ流すな馬鹿ものが。
最終的にはDC対PS2でセガが折れたのだが
その必要はなかった気もする。
PS2はDVDプレイヤーとして売れたから、
正直、これがソニーの勘違いの始まり。 >>181
1つのハードで2Dと3Dの両方に最適化可能だったのが64。
しかし、最適化のためにはプログラマがファームウェアの作製からする必要があるため
64自体に参入できる会社はごくわずかだった。 >>143
これが家庭用でできるんだ?すげーってなったわ リッジ―レーサーとヴァー茶ファイターのインパクトは凄かったな
初期は完全にナムコ対セガのアーケード対決だった >>132
アーケード版鉄拳って初期はバーチャの劣化って感じであんまり盛り上がってなかった気がする
10連コンボが知れ渡って徐々に火がついた記憶が >>188
SFC-PS辺りのスクは神がかってたからな 鉄拳はソニーと二人三脚だったからね
バーチャと鉄拳は完全に両ハードの代理戦争
鉄拳のアケは3くらいまでは誰もやってなかったが
プレステで育ってきた子供がゲーセン立ち入るようになってからやり始めた人が増えた 鉄拳は家庭用で火が付いたような印象あるけどな
評価の高い3の前の2でミリオン行ってたし >>178
PSが出た1994年12月の段階でスーファミは5年目に突入したばかりで末期ではない
94〜95年はFF6やDQ6が定価1万超えでも売れていたハイパーインフレ時代
クロノトリガー 風来のシレン タクティクスオウガ テイルズオブファンタジアも95年 >>16
今ではソニーが当時の任天堂みたいになっている なんにしても
SFC後期〜PS SS初期、95年頃の雰囲気を覚えてる人は少ないんだなと思わされる
ここで語られてるのはもう少しあと、PS1強時代〜って感じ >>172
初心会こそが楽園だったんよ
今を見てみな十万、二十万で一喜一憂する程衰退している >>196
鉄拳2でバーチャと張り合えるくらい盛り上がってたが リッジレーサー、サイバースレッド、スターブレード、鉄拳
家にゲーセンがやって来たと思ったね、あの頃は ナムコタイトルをPSで遊べるのがデカかったな
牽引力がハンパ無かった ナムコミュージアムがある種のキラーソフトだったな
今じゃとても信じられないが セガエイジスメモリアルセレクションもサターンロンチ直後から展開してれば良かったんだよ プレステはオシャレ人間もプレイしても
恥ずかしくないって言う空気を作ったのが大きい。
サターン64は、マニア向けってイメージを脱せられなかったしぃ ゲーム=子供のおもちゃ という固定観念をブチ壊したのがPSだな
ライトユーザーが一気に増えたのは本体売り上げ台数を見れば明らか PS初期はナムコのおかげ、リッジにナムコミュージアムと鉄拳にエースコンバットやスマッシュコート等面白いゲームは大抵ナムコだった
あそこら辺のラインナップがなかったら3DOと同じ臭いが離れ無かっただろう あの当時のスクウェアはハードの勝敗を決するくらい影響力が有ったな
今はそんなメーカーないから若い奴はピンとこないんだろうな あとまだあの当時はゲームセンターに活気があったから同じレベルのゲームが家でも出来るのは大きかった スクウェアとエニックスはライト層にとっては影響力は大きいけどゲーマーにはどうでもいいメーカー
コマンドRPGしか作れないメーカーだったからな バイオハザードの功績も大きいと思う
発売当初はB級臭くて大して売れなかったのが、口コミでじわ売れした ゲーム機はライト層だけでは天下を取れない
核となるゲーマー層を取らないとWiiみたいな歪な市場になるからな ゲーマーもライト層も取り込めたからPSは大成功だったんだろ ライト層ばかりだと有名なタイトルしか売れないし
ゲーマーよりソフトを買う本数も少ないからな
ハードの普及台数自体は伸びるがソフトが売れない ゲーマーに認められないゲーム機は成功しないって言う分析してて
とりあえずゲーマー取り込んでライトユーザー巻き込む戦略だったらしいよ PS1ロンチ
・クライムクラッカーズ
・リッジレーサー
・A列車で行こう4 EVOLUTION
・麻雀ステーションMAZIN〜麻神〜
・熱血親子
・TAMA
・麻雀悟空 天竺
・極上パロディウスだ! DELUXE PACK >>220
ソニーの分析が正しい
先にゲーマーを取って優勢を保ったままライト層を取り込み勝負を決める
ライト層はどのゲーム機が主流になるのか見定めから買う人も多いからな
ゲーム機の勝負は初期にどれだけゲーマーに買ってもらうかで決まるのよ FC立ち上がり以降の牽引に貢献したナムコに与えてた優遇特権をSFCから全部取り上げて1サードの地位へ貶めた任天堂への報いだな
その優遇特権を銭に変えるべくFC参入社向けにパブリッシャーやってのを咎められた、と言えなくもないが 当時のライト層は任天堂ハード信仰が強かっただろ
ソニーは任天堂からゲーマーをごっそり奪ったから任天堂信仰の強いライト層の切り崩しに成功した
任天堂の転落はある意味ゲーマーの革命みたいなものよ そいやナムコも自社ハード出す噂があったっけ
もし実現してたらどれくらいのスペックだったんだろうか そもそもライトユーザーって言葉が登場したのはPSの隆盛が始まった頃だったな
当時のセガマニア達も「ライトユーザーに負けた」と口々に言っていたものだった 市場規模からしても、あの当時と
dswiiブームの時ぐらいか
一般人まで届いたのは PS、SS登場当時、ゲーマーにとってはアーケードゲームが絶対的な存在で、これをいかに忠実に移植
出来るかがゲーム機の価値基準となっていた
当時は「新規IP=ゴミ」が常識で、特にショボゲーだらけだった3DOがゲーマー達の印象を決定づけていた
PSが3DOと一線を画したのは、国内新規IPが本格3Dグリグリでそこそこ以上に面白かった事だな ディスクを生かした大容量高精細の2D3Dグラフィック(当時で言えばだが)
ディスクの原価が安く販売価格も安い
流通が改善した
そういうことが全部うまく回って値下げとともに人気を確立していった 「いくぜ100万台!」が最終的に1億台も売れたんだもんなぁ 当時の日本のネットではアーケードゲームに関連する話題ばかりだったが、北米のネットを見ていると
アーケード移植へのこだわりはそれほどでもなく、3D実現のクオリティに話題が集中していた感じだったな
北米の議論で面白かったのは「闘神伝 vs 鉄拳」論争、詳しく言えば「30fps豪華背景 vs 60fpsショボ背景」論争
これがPSの全米発売直前までネットを賑わせていた
PS発売前は双方が拮抗状態だったが、PS発売と同時に30fps派は一気に絶滅してネットの世界から完全に姿を消し、
以後アメリカでは現在まで続くfps至上主義が確立した CM効果もでかかったよね
それまでのゲーム画面ばかり映すCMとは一転、日常をテーマにしたCMが多く一般層にアプローチしていった
冒頭の「ジョン!」って効果音もTVに目が向く効果があり、後のゲームCMはこのスタイルが定番となった
キャッチコピーもシンプルながらハイセンスなものが多かった
「サービス満点」、「今年もおねゲーします。」、「ごほうびに」などなど
持ってて当たり前、持ってないと時代遅れみたいな空気作りがとにかくうまかったと思う >>205
ワルキューレの伝説やドラゴンセイバーが家で出来て良かったしな>ナムコミュージアム
3Dゲーがまだそこまで浸透してない時期だったし 提供テロップも企業名じゃなくPlaystationって製品名にしたり斬新だったな 下半身に花を。"女性性"の素晴らしさを伝えたくて(画像集)
https://t.co/m9wP2iFa25 >>1
最初は目指せ100万台と言ってたレベルだったが、
FF7とドラクエで日本は勝負付いた。
SSはソニックもったいぶって北米で失速。
スーパー32Xなんて変なもの作ってたしな。
任天堂はハード開発に難航した上にサード切りでソフト日照りに突入。
ソフト高いわロイアリティ高いわでセカンドも逃げだした。
以後の任天堂据え置きハードは任天堂のソフトしか売れなくなる。 94年95年なんてあのクロノトリガー、FF6、DQ6、テイルズ、ロマサガ3といった超強力タイトル群が出てた時だったからな
値段なんてなんのその
SFCも全然余裕だった時代だよ まさかソニーが天下を取るだなんて任天堂も思ってなかっただろうな 既出だろうがやっぱリッジレーサーのインパクトは凄かった
SFCがメインの時代にいきなりあれだからな。家庭用であれが出来るなんて
一気に10年ぐらい進んだような感覚を受けた。PSすげえ と言うのを一発で魅せ付けた。
まあ実際他社のPSのポリゴンゲーはそんな大した事ないのが多かったから、実際はナムコが凄かったと言うべきだが。
鉄拳の移植度も凄かったし。PSの躍進にナムコが果たした役割はとても大きい
当時セガとナムコはゲーセンにおいてライバル関係にあったから、サターンVSPSは、その代理戦争の様相も呈していた
それ故ナムコも力の入れようが違ったのだろう。実際この時期の両社はほぼ互角だったと言っても良い
そんな互角の勝負をしてる時に、「黒船」が突然やって来たのである。そう、FF7である・・・ 実際10年位進んだんじゃないの
PSが存在せずサターンが計画通り2Dマシンで64が覇権を取ってたら
ディスクメディアが市民権を得たかどうかも怪しいし今頃ハーフHD対応!とか話題になってたかも知れん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています