プレステとサターン発売間近の当時ってどんな感じだったの?
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>>141
鉄拳はまだだろ
とうしんでんすら発売日にラインナップされてないのに ジャンプやファミ通にFF7の初報が出た時「ああ決まったな」って感じだった。
それくらいスクエアの存在感が大きかった頃。
とはいえゲーセンにまだ人がいた時期だからね。
ゲーマー好みのハードだったよサターンは。 >>170
闘神伝だな
バーチャは空手格闘
闘神伝は武器格闘
結局ナムコは一番ずるい
空手格闘の鉄拳
武器格闘のソウルを作った ssはバーチャ
psはリッジ
どっちを選ぶかだったが
ssのデイトナが発売延期になってなかったらss買ってたかな
まあリッジと比べると出来が悪すぎたから延期して正解だったかも
PSはソフトが5800円だったり
今までの業界の流れをかえようとしてる感じがしたので
そういう意味でも先に買った 発売後100万台ぐらいまでしばらく競っててそれはそれで面白かったな
しばらくセガVSナムコだったけど
バイオハザードやときめもが地味にPSの援護になったな >>115
あのころのファミ通はホント元気があった
どぎばぐ連載もあのころからだったっけ >>104
マルチコアプログラミングが必要だから難しかったんだぞ サターンのパッドはすばらしかったね
リッジ・・いや3作目のレイジレーサーからOPムービーが凄くなってきてたな
アークザラッド1はボリュームがアレだったがOPが好きで好きで
夜中にずっとタイトル画面でほったらかして何百回見たろう
ああ〜〜〜だめだだめだ語ること多すぎてキリがないよ
MYSTはもうワケわかんなかった 「半透明が出ないしょぼハード」っていっつも煽られてたな >>4
サターン、PS、FXと3台購入は金銭的にきつかったなあ ゲーム業界は不況知らずだった
最近は見る影もない・・・ プレステの初期のラインナップはしょぼかった
バーチャファイターというキラータイトルを持つサターンが一歩リード
今でいうスプラみたいなもんだろ >>175
個人的にファミ通黄金期は隔週末期〜週刊初期のSFC時代までだな
しあわせのかたちやべーしっ君など名物連載が軒並み終了して
浜村が業界のご意見番として他メディアに出しゃばりはじめ
ブンブン丸や内沢みたいなオラオラ系編集がプッシュされて
クロレビが9点10点を乱発するようになり
ゲーム帝国の中の人が変わって明らかにキレが無くなったりと
あのまま総合誌に移行せず、任天堂機メインの構成だったら他のライバル誌同様とっくに休刊してたんだろうけど
ああ自分はファミ通ではなくてファミコン通信が好きだったんだなと PSは中古販売禁止になってた思い出。
だから近所の中古を扱うゲーム屋がバンバン潰れてたな。
そんな俺も当時はバリバリのPS派でした。 >>169
でもその要因作ったのはクタのJRPGラッシュだよね。
ワイアー、ポポロ、アーク、ビヨビヨ
どれもハーフミリオン級のヒット。アークはミリオン級
あれで
RPGのPS1
アーケードのSS
を決定づけた。この状況でスクエニがPS1以外に出す可能性はかなり低い。 発売前は何だかんだで勝つのは任天堂でしょ?って大方は思ってたよ
SSもPSもそこまで爆発的には売れないでしょって
しかしロンチのバーチャファイターやリッジレーサーが凄かった事もあり
双方一気に勢いを掴んでわずか半年で100万台を達成
その頃になるともはや「あら?任天堂の新ハード出ても危なくないか?」って空気が出始めていた >>104
当時OSやフレームワークがあって
なんでもそれ用の命令が有った訳ではないから
同期、非同期は非常に苦労していたよ >>188
それでトドメに本体25000円とソフト1万円だな
プレステサターンが19800円とソフト5000円ベスト版2800円で売ってる時代に頭が悪すぎる値段設定でゲーマードン引き
あの空気忘れらんねえ
任天堂自身絶対負けると思ってなかったろ 今と同じだよ
ドラクエとFFが脱任して、山内がドラクエとFFとコンパクトディスクを烈火のごとく叩いてた ドラクエは別に叩いてなかったよ
ドラクエ7をPSに出したい時もわざわざ任天堂まで聞きに行った堀井氏に別にいいんじゃない?ハードの選択は自由だしって。 最初PSは期待されてなかった
アークザラッドとかもくそつまらんかったが
リッジや鉄拳みたらPSの方が明らかに性能良かった 格ゲーに関してはメモリー増強できたサターンのほうが性能良かったよ スーファミは発売日に買えなかったけど年内に手に入った
サターンはもともとセガ自体がライトまで浸透して無かったしソニーはゲームに関しては新参者だったし発売日に飛びつく人はそんなにいないだろうと思ってたけど
PSを予約しようと思ってたらどこも締め切ってて予約出来なかった
サターンの発売日に家電屋に行ってみたらサターンが山積みになってたから買って帰った サターンは近所の電気屋さんまで入荷してたなあ
あれには驚いた >>1
当時は割と静かめだったよ
普通に買えたし高かったし 2D処理能力、サウンド能力、ロードの速さ においてはサターンの方が勝ってた
同一タイトルをやって見ると明らかな位解る
ただサターンは当時大流行だったポリゴン処理やムービーが苦手だったんだな・・・ >>196
当時はマルチメディアとか言ってゲーム機を家電みたいにしていこうって方針もあったようだからな
自分もサターンは電気屋さんに買いに行ったよ。店員の人も急に売れって言われて詳しくなかったのか
「バーチャルファイター面白いですよ」って思いっきり間違った名称でおススメしてくれたw 発売前はバーチャのこともあってサターンの方が期待されてたな
ファミ通ですらサターン寄りだった >>198
ポリゴンもムービーもあの時代にそこに特化したプレステが異常だったからなぁ
久夛良木の先見性がありすぎたわ あの頃は今思い返しても1番勢いがあった、とても華やかな時期だったな
色んな所からソフトもハードもガンガン出て、レーザーアクティブみたいな高額商品も普通に出て来た
次世代機戦争といわれるように、世代そのものが変わるくらいの勢いで
性能向上がもっとも大きかった時期でもあったと思うな
PCE-SFC-MD登場の時ですら、現行機の高性能版くらいの認識しかなかったので
文字通りに世代が上がったPS/SSのスペックは本当に驚愕だったよ
TOWNS/X68等の高価格なPC勢は余裕で抜き去り、2D性能は大型筐体等の1部を除いてアーケードマシン並
さらにハードウェアによる3D機能搭載にCD-ROMドライブ標準装備と
当時ブームだったマルチメディアにも完全に乗っていたからね
どの製品にも夢が一杯詰まっていたし、業界の将来性を危ぶむ者なんて誰もいなかった
この勢いはその後のPS2で一本化されて完成する感じではあったね >>203
https://the-liberty.com/itemimg/images/articles/2016/5/11188_01.jpg
日本のデフレ不景気が始まったのが丁度次世代機の1995年の消費税増税からなんだよな
日本の据え置き衰退はPS・SSから決まっていたという皮肉 PSはセーブするのに使うメモリーカードも馬鹿にならなかったな
公式のは容量少なくて高額、非公式の何百ブロックもあるのは当時怖くて手が出せなかった
一方のサターンは本体メモリに少量ながらセーブできる代わりに
外部パワーメモリーが恐ろしくデータが飛びやすいという yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
解る人だけ解れば良い やっぱプレステは鉄拳がすべての始まりだろ
サターンのバーチャ倒した >>204
据置ゲームの衰退はPCの低価格化やネットの普及に
スマホ等の個人用の小型端末の爆発的な勢力拡大による物と個人的に思ってるけどね SSは64ビット級の性能で売り込みだったが、今一だったな
同じソフトならSS版が安かったとか、負けハードの印象はあったな >>203
サターンPSが発売された94年は音楽でもミスチルが台頭してきたり小室ブームがあったりキムタクが注目されたり
93年までは80年代の延長って感じだったけど94年からようやく90年代に入ったかのような変化の年だったな
ゲーセンも楽しかった >>209
それはPS側が小売に圧力かけて値下げさせなかったのも大きいんだぞ
実際に公正取引委員会から是正勧告を食らってたし >>209
同タイトルだとサターンの方が出来が良いの多かったよ
格ゲーなど2Dのはね
なぜか読み込みも速い
2倍速で同スペックだけど >>213
> なぜか読み込みも速い
> 2倍速で同スペックだけど
だって読み込み専用にSH-1積んでるし、キャッシュ用メモリもサターンのほうが多かった
コストダウンなんか全く考慮してない豪華絢爛なハードウエアがサターン
PSと価格競争に巻き込まれて逆ざやで苦しむのも当たり前ですわw >>214
はえー
まあ白サターンじゃない初代買ったけど金かかってたんだねえ
しかしどうコストダウンするつもりだったんだろうか >>215
サターンほどカスタムチップ搭載して複数のCPU乗っけたハードウエアなんて見たことないわ
(CPUだけで、どんだけ乗っけてるのよって笑ってしまうくらい)
思うにこれ設計したやつはコスト意識とかない、アーケード畑の人の設計じゃないかと思う
白サターンで二個のSH2をワンチップにまとめたぐらいで大したコストダウン出来てない
サターンで懲りたのか次のドリキャスじゃシンプルなハードウエア構成になってたよなw >>148
当時を経験した人には感情までも蘇る素敵で的確な文章だね
みんなで顔を合わせて一つのことに夢中になり、一喜一憂し、関係を深めことができる立派なコミュニケーションツールだったよなぁ 価格差も大きいかもしれないね
確か最初はSSが4.5kでPSが4k、半年でPSが3kとかいう展開だったし サターンは格ゲー専用みたいな拡張カートリッジとかあったよね
当時ヴァンパイアハンターとかSNKのソフトには必須だったように思うんだけど >>214
日立のCPU屋の回顧録読んでたら「セガに呼び出されていったらCPUの処理性能が足りないと言われた。
「採用が流れるかと思ったらデュアルCPUに出来ないかと相談された
とか書いてあって笑った 当時カプ系の格ゲーやってたからサターン買ったな
ヴァンパイアハンターとか満足できる出来だった >>216
これ、そうだよね。
サターンは、音声処理用にモトローラの68000を積んでいた。
68000ってX68000のメインCPUでっせ。
なんと贅沢な機械だと思った。
コストダウンのことなんか全然考えてなかったんだろうな。 >>216
コストダウンの結果GD-ROMドライブがブラシモーターってのはやりすぎだったがな
モーターの制御チップが煙吐いて死ぬとかおもちゃ屋がやっていいことじゃなかった サターンとプレステってレコード屋でも売ってたな。体験コーナー的なのもあった。 ファミ通とかで開発中の画面やらアーケードとの比較画像やら載ってた頃は雑誌見ても面白かったんだけどなぁ >>203
レーザーディスクゲームは、当たり前だが動画はズバ抜けてた
UIとかはPCE基準でしょぼかったがw
ttps://i.imgur.com/FDyt8ft.jpg >>148
ファミコン時代が長かったからか、目まぐるしく一気に駆け抜けた感があるな
今より昔のゲームの方が面白いと思わないが、自分のゲームへの想いは、あの頃に生まれたものなのは確かだね なぜかすぐに両方買えるほど金持ってた
何故だ
今はswitch買うのにも躊躇するぐらい金ないのに お金があるかないかの問題じゃなくて
そこまで欲しいなのかの問題だ
本当に欲しいならお金は自然に出せる 日付が変わる頃にコンビニ行ってファミ通買うほど情報に飢えてた
ゲームの動いてる画面見るためにおもちゃショー行ったりゲームカタログをビデオに録画してた >>223
他にもサウンド用とシステムコントロール用に32bitDSPをそれぞれ搭載
Disk読み込み専用のSH-1、カートリッジ用にデータ伸長チップ
金のかかったハードではあったな PS初期に商用インターネットはまだないな
自分の記憶中、流行したのは97年以降
ゲームの情報来源は雑誌とテレビ番組しかなかった PCEは継ぎ足しだらけのサターンとちがって、合理的な設計だと思うがなあ そこまで売れたわけじゃないけど
PCEは色々偉大だな
あの構想は本当に面白い、お金もかかるけど デイトナ出るまで様子みて確認してから
PSとリッジお買い上げ 同世代のトップ
まあ、PCEはSFCとPS/サターンの中間世代だと思うけど >>222
わかる。ハンターや95でようやくまともな2D格ゲの移植が遊べるようになったって感じ。 両方買ったけどポリゴン(あえてポリゴンって言うわw)クッソ汚くて
画面見にくくて思わず2D教に入信するかと思ったわ >>243
ハードの延命策みたいなのってそんな昔からあったのね
今でいうNEW3DSやPS4pro…みたいなのとは違うのか
結局そのコア思想って上手くいかなかったのだよね?
やっぱ中途半端な延命よりかは新ハード出したほうが良かった、ってことなのかな 出た当時て大して騒がれてなかったんだよな、先に出た3DOが
電気屋で試遊出来て値段高いしこりゃ売れんだろう、と思ってた >>247
結局はそうだけど
思考の方向はちょっと違うだと思う
補完していく必要がある構想で設計した
まあ、延命とは変わらないね >>208
>PCの低価格化
確か、これがおき始めた頃に中韓系が
MMO始めて、日本のサードが余裕こいてた
ら不利な状況になったんだよな。
でもある意味仕方ないかも。
当時の感覚じゃPCゲーなんて人気ない
みたいな認識が強かったしさ >>216
でも、複数チップ載せるよりも、できるだけ
なら一まとめにした方が、余分な遅延や
データのやりとりが少なくて、性能面で効率
がいいんだよな。 >>250
あのころのPCも現在より色々面倒
サウンドカード、グラフィックカードとか
そして相性性の問題もあった
今はもうほとんどない わくわくが押し寄せてきた
泣いてる場合じゃなかった >>246
そりゃ、あの当時で綺麗なポリゴン
見たきゃ、SGIのワークステーション
ぐらいしかないからねえ、 >>248
元々3DOはサードからライセンス取らない
方針だったから、ハードを安くできなかった。
3do規格を立ち上げた。元EAだかの人が
「サードがにんてんやセガみたいとこに
ライセンス払うのはおかしい」みたいな
感じでライセンス徴収しない方向にした
みたい。 バーチャルハイドライドを何回もやった
かなり初期のゲームなので開発ノウハウがないせいか処理がかなり重かったけども
かなり先見性のあったゲームだったと思う
この方向性を伸ばした新作を作ってほしかった >>208
それなら日本以外では据え置きは相変わらず流行っているので矛盾する
一方でGDPの成長に当てはめると完全に説明がつく
ちなみに日本は先進国で唯一大学生のPC普及率が下がっている国である
スマホにしても日本市場の割合は低く、単なる安いPCとして普及している PCエンジンのコア構想って、今のPS4>PS4PRO
みたいにハード本体をマイナーチェンジさせる
んじゃなくて、最初に出してハードにオプション
パーツを追加して、性能や機能を上げるって
方向だったような。
どっちかと言えば。PCにパーツ追加して
性能上げるのに似てたような。 M2!結局発売されなかったな 当時学生でM2関係者も兼ねてる講師にロゴのアンケートまで答えたのに 1時代1ハードしか買えなかった当時の俺らには
大量のハード持ってる奴は神だった
あのゲーム機にはあのゲームがあるからいいよね、とみんなで褒め称え
どのハードも良い点しかなかった >>261
ファミコンにはテトリスがあるからいいねメガドラ版はセガのミスで発売中止になっちゃったよおのれ任天堂ライセンスの穴をついてうまいことやりやがってはめられたちくしょう
みたいな微笑ましいエピソードばっかりだよね(^ー^ >>261
PS/SSにしても同じだったな
どっかのメーカーが「次世代機戦争」とか言い出すまではな
それで何かゲームにいいことがあったかと言えば何もない
単に人間の悪意を燃え立たせるだけの悪魔の所業だよ
「定価販売だ!!中古の必要はないよ」も粉飾だったw >>255
当時はNECのPCで非常に苦労した記憶がある
とにかくWindows95や98との相性が悪かったらしく、NEC配布の修正プログラムがないとバグだらけだった
当然のようにWin対応のゲームとの相性も悪くて、修正の情報集めに奔走してた思い出 思えばPSブランド立ち上げ=ソニーと任天堂との全面抗争の幕開けだったんだよなあ
当時はそんな事情があったとは知らなかったが・・・ 元々そういうのなかったはずだけど、久多良木がそういうの発端に繋げた。
SMIの人間も内心ゲーム機戦争に対して乗り気じゃないと思ってたのかもしれない。ポケモンで大成功した後のゲームフリークにPSで1本つくらせてたし。 PSはリッジ、SSはバーチャだったからソフトだけ見たらSSに軍配が上がりそうな雰囲気だったけど、結果的にずっとPSがリードし続けた感じだったよな
なぜか「今後ソフトのラインナップが一番豊富になるのはPS」って風説がずっと蔓延してたと記憶してる
ネットは無くてもすでにソニーのステマは始まってたのかもしれないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています