『ドラゴンズドグマ2』を発売日(もしくはそれに近い時期)に手に取ったプレイヤーは、シリーズの熱心なファンであると言える。この10年間、続編の登場を心待ちにしていた彼らにとって、正統進化とも言える同タイトルのゲーム性は、一定の満足感を得られるものだったはずだ。にもかかわらず、なぜ『ドラゴンズドグマ2』のダウンロードコンテンツは非難の対象となってしまったのか。

 さまざまなゲーム性を第1作から踏襲した『ドラゴンズドグマ2』には、同様にシリーズの伝統となっている独特のプレイ感が受け継がれている。それがビデオゲームらしからぬ、あまりにも現実的な不便性だ。

 「ダッシュなどに必要なスタミナの回復量が体格に左右されること」「所持重量というステータスがあり、それがキャラクターの俊敏性・持久力に関わること」「(現代のアクションタイトルでは一般的な)回避行動が用意されていないこと」「冒険中に受けたダメージによって削られたHPの上限値が宿屋やキャンプでしか回復できないこと」「オートセーブのみという仕様により、死亡時のリスタート地点が(すでに取り返しのつかない可能性がある)直前、あるいは最後に利用した宿屋であること」「ファストトラベル地点の設置に特定のアイテムが必要であり、かつそのアイテムがどこでも使用できるわけではないこと」「(ファストトラベルを除くと)徒歩以外の移動手段が特定の地点同士を結ぶ定期路・牛車しかないこと」など、その例は枚挙にいとまがない。シリーズを愛好するファンには、これらも“ドラゴンズドグマらしさ”と受け入れられるポイントではある。開発の明確なコンセプト設定を感じる箇所だけに、UIの不備というよりは、ゲームデザインの一部と考えるほうが自然だろう。

 しかしながら、ここが件の問題の根元となっている。もしそれらが企図されたものであるならば、なぜ課金によって解消できるような仕組みを設けるのか。ゲームデザインとダウンロードコンテンツのあいだに、内包するコンセプトのズレが生じているのだ。

 このような実態は結果的に、「不都合を押し付け、利便性をお金で買わせる」という印象を『ドラゴンズドグマ2』にもたらしている。この点こそが同タイトルの課金要素を批判するプレイヤーが抱く違和感の正体なのではないか。

 近年のゲームカルチャーにおいては、称賛に値するクオリティを持った作品が、コスト回収の方法を誤ったことで評価を下げるケースが少なくない。今後のアップデートで改善される可能性はあるにしても、現時点では『ドラゴンズドグマ2』もまた、そのような文脈の上にあるタイトルとなってしまっている現状がある。

 『ドラゴンズドグマ2』は、ゲーム性とは別のところで着せられつつある汚名を返上できるか。今後の動向に注目だ。

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